カトー君
カトー君はわたしの中学時代の学友である。
先日ひさしぶりに電話してみたら、わたしのことをよくおぼえていて、めずらしいなあってことになった。
めずらしいはずだ。
わたしはできのよくない中学生だったし、そのころつきあっていたのは、どっちかというと進学組 (エリート組) と対極にある、気のおけない連中が多かった。
しかもわたしは極端なひっこみ思案だったから、エリート組で積極的なカトー君とは、あまり熱心につきあった記憶がないのである。
しかし彼のほうは、当時から変人だったわたしに注目していたような節がある。
ある晩、彼はもうひとりの学友とともにわが家にやってきて、いっしょにギターのバンドを組まないかと提案してきた。
極端なひっこみ思案だけではなく、極端な音痴でもあるわたしは、その提案をことわってしまったけど、いまから考えても惜しいことをしたもんだと思う。
なぜならその後のわたしは、ベンチャーズから始まって、ビートルズ、ストーンズ、エリック・クラプトンやジミ・ヘンドリックス、さらにジャズやクラシックまでをも含む音楽の徹底的探求者になるからである。
そんなことはどうでもいいや。
現在のカトー君は芸術家になった。
それも半端な芸術家ではなく、メキシコの国際平和版画展で第1位に輝いたことのある版画作家だ。
わたしの見果てぬ夢をかなえてしまったような男なのだ。
わたしはマンガ家くずれである。
そっちのほうはまるで才能がなかったみたいだけど、芸術に対してはいまでもすっごいあこがれを持っている。
そのおかげでわたしはこのトシになっても、絵画、音楽、写真、映画、コンピューターなどへの興味を失わないでいられるのだろうと思う。
見るべき財産のないわたしだけど、芸術に対するあこがれだけは、わたしの人生をゆたかなものにしてくれたと信じているのである。
そんなカトー君から版画展の招待状がきた。
わたしがひとっ走り田舎に帰省して、ン十年ぶりの邂逅を果たしてきたことはいうまでもない。
彼はいまでは家庭をかまえ、家族にもめぐまれて、常識的な市民生活を送っているようだけど、話をしてみるとやはりどこかに常人ばなれしたところがあった。
変わってないなあと思う。
ここまでいったいどれだけの風雪がわたしたちの上を通り過ぎただろう。
にもかかわらず、彼はやはり彼のままだった。
あいつはやっぱり変人同盟の盟友のままだったかと、納得したひさしぶりの再会だった。
依然としてひきこもり傾向のわたしにとって、それはひさしぶりの、とっても楽しい対話でもあった。
カトー君の作品はもっと多様性に富んでいるけれど、ここにあげたのはそのうちでも、わたしが独断と偏見で選んだ作品の一部。
なまめかしい女性の表情や肢体を描いて、これならお金を出しても買いたいと思ったもの。 わたしの手もと不如意なのが残念だ。
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