ロシアの旅/クレムリン
クレムリンに肉薄した。
クレムリンという言葉はよく聞くけど、これは中国の西安にあるような、かっての城郭都市のことである。
西安は長方形の城郭だが、クレムリンは三角形で、規模ではとても西安に太刀打ちできないし、日本の皇居にくらべてもずっと小さい。
城壁のすぐ下はタイルがしきつめられたきれいな広場になっていた。
正面に馬に乗った軍人の銅像が立っている。
服装からしてナポレオン時代ではなく、革命以後の軍人である。
銅像の足もとにジューコフとかいう名前が刻まれていたから、第二次世界大戦で活躍したソ連軍の元帥のものらしいけど、あまり信用されても困るから、たぶんそうだろうとしかいわない。
この銅像の背後に火が燃えていて、銃をかかえた衛兵が行ったり来たりしている。
城壁の下にはひつぎのような形をした石碑がずっと並んでいた。
それぞれにロシア語が書かれているから、直観で、これは無名戦士の墓ですねといってみた。
かほりクンのいわく。
これは大戦中に激戦地になった都市の名前です。
都市の名前なんか飾ってどうすんだと、腹のなかで思う。
若者の愛国心を鼓舞するため、大戦中の記憶を薄れさせないために、ロシアはなかなか苦労しているようだ。
日本に帰ったら安倍クンに教えてやらなくちゃ。
レーニン廟を見たいですかとかほりクンが訊く。
革命家レーニンの遺体が永久保存してあるところだけど、死んだ人を見ても仕方がないというので、わたしは中国では毛沢東の遺体も見たことがない。
ロシアは社会主義を放棄したんじゃなかったっけか、そんなもん、さっさと土に埋めちまえというのがわたしの意見。
そのほうが、たぶん死者のためにもいいだろう。
昭和も遠くなりにけりの今日このごろでは、レーニンも悲惨な戦場もとくに感銘を受けるものではないから、かほりクンの説明を軽く受け流して、クレムリン内部に向かうことにした。
城内に入るための門はいくつかあるみたいだけど、わたしたちが向かったのはボロヴィツカヤ搭で、この門から入るためには、城壁にそって、レーニン廟や赤の広場と反対方向に進まなければならない。
このブログで何度も書いておりますが、クレムリンについてもっと詳しく知りたい人は、自分で勝手にネットで調べてください。
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