ロシアの旅/ロプヒナの肖像
肖像画はあまり好きではないと書いたばかりだけど、レーピンのムソルグフスキーの肖像画なんか、赤鼻のトナカイみたいで、こりじゃ描かれた当人が気をわるくするんじゃないかと心配になるくらい、常識からはみだした肖像画である。
こういうおもしろい肖像画もあるのである。
「ロプヒナの肖像」 という絵がある。
肖像画にはちがいないけど、この美術館にある王侯貴族の肖像画とひとくくりにしていいものかどうか悩んでしまう、時代を超えた傑作だ。
描いたのはボロヴィコフスキーで、1800年ごろの絵とされる。
手の表現などに古典の影響が残っているけど、顔つきは近代の絵画といってもぜんぜんおかしくない。
ダ・ウィンチの 「モナリザ」 の場合、『謎の微笑み』 という形容詞だけで語られるのに対し、「ロプヒナ」 の場合は (解説書によると) 『憂いにつつまれた若い女性のはかない美』 とある。
文言はこっちのほうが長いからこっちのほうがエライとか、モナリザは人妻だけどロプヒナは独身だもんなというわけではないけれど、わたしにとって 「ロプヒナの肖像」 は、ダ・ウィンチの 「モナリザ」 と同等か、それをしのぐ魅力を持っている絵なのだ。
この絵も20年以上まえのトレチャコフ美術館展で来日したことがあるかもしれない。
そのときに上野でこの少女を観たことがあったかもしれないい。
ただそのときは、クラムスコイの 「忘れえぬ人」 にかくれて、はっきり観たという記憶がない。
今回の旅でこの絵をじっくり観て、不思議な感覚にとらわれた。
画家は200年も前に死んでしまい、モデルもどんどんおばあさんになって、やがて死んでとっくに土に帰っただろう。
それなのに彼女の美しさだけは永遠にキャンバスに固定されているのだ。
これは人間のたましいがフィルムに焼き付けられたようなものではないか。
絵画のすばらしさってのはこういうことだよなとわたしはつぶやく。
これだけじゃそのへんの名画に対する賛美と変わらないじゃんというアナタに、わたしはあえてよけいなひとことをつけ加えてしまう。
モナリザに口づけをしたいとは思わないけど、ロプヒナならわたしは、そのぽっちゃりした唇にあえて口づけしたいと念願してしまうのである。
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