ロシアの旅/印象派以降
エルミタージュには印象派以降の絵画も多いんだけど、このあたりにくると、アカデミックを脱却してさまざまな個性が発揮された時代なので、見分けやすい絵ばかりである。
セザンヌなんか遠くのほうからでもわかってしまった。
モネもゴッホもゴーギャンも、その作品の特徴は西側諸国でむかしからマスコミや出版物でたっぷり紹介されているから、見たことのない絵でもわかってしまうのである。
たとえばタヒチ時代のゴーギャンの絵を、他人の作品とまちがえる人がいるだろうか。
エルミタージュにゴーギャンの絵は多く、しかもタヒチ時代の絵ばかりで、これは圧巻。
あんまり好みじゃないんだけど、印象派の部屋をすぎると、ピカソやマチスの部屋になってしまう。
世間ではこれら前衛とされる絵もひじょうに人気があるらしく、ピカソの青の時代の 「訪問」 なんか、ガラスケースの中に展示されていた。
また 「ダンス」、「音楽」 といった巨大なマチスの絵が、ひと部屋を独占している部屋もあった。
これだけの作品が集められたのは、シチューキン、モロゾフなんていう収集家の炯眼と財力によるものだったそうだ。
まだ印象派が世間に認められるまえに、こうした収集家はすでにその価値を認めていたってことだけど、うーん、これは一種のバクチだよな。
日本では 「松方コレクション」 というものが知られていた。
戦前の鉄鋼財閥だった松方幸次郎が、金にあかせて欧州の名画を買いあさったその成果である。
ところが彼が集めた名画は、戦前の世界恐慌で松方自身が左まえになって散逸したり、日本政府の無理解のおかげで国内に持ち込めず、外国に保管しているあいだに火災で焼失したりと、さんざんな末路をたどった。
それでも松方の野望は、日本国民に近代の絵画の現物を見せたいというもので、かろうじて残った名画が今日の上野の国立西洋美術館のもとになるのだから、彼の道楽もけっしてムダになったわけじゃない。
ところで名画を集めるくらいだから、松方はすぐれた批評眼をもっていたのかというと、オレは絵なんかぜんぜんわからないよってことを豪語していたそうである。
数百億円を絵の収集につぎこめるくらい財をなした人物が、その一方ですぐれた批評眼を持っていたということはあまりないのがふつうだし、オレが死んだらゴッホの 「ひまわり」 を棺桶に入れてくれなんてアホな実業家もいたくらいだから、松方が名画を収集できたのも、どうやらすぐれたスタッフや友人によるところが大きいようだ。
ロシア人の場合、子供のころから芸術に対してきびしく育てられているから、炯眼の金持ちは日本より多かったかもしれないけど、それにしたってまだ世間の評価が確定してない時点で、名画を見極めるのはむずかしいことである。
エルミタージュの地下には、ハズレだったっていう絵ばかりを集めた部屋もあるんじゃないだろうか。
大金をつぎこんでせっせと絵を集めたロシアの富豪たちのほとんどは、革命で国を追われ、異国で指をくわえたまま死んだそうだ。
世界中の絵画ファン垂涎のまとの印象派以降の絵を観て、わたしはまたいろんなことを考えてしまう。
いったい絵の価値というのはなんだろう。
わたしは印象派の作品を否定するわけじゃないけど、革新というものが価値であるならば、それはいつか別のものに取って代わられて、それ自体が古くさいものになってしまう。
反面、たとえばトレチャコフ美術館の項でふれた 「ロプヒナの肖像」 のような美しい女性の絵は、いつになっても (少なくても) わたしにはステキなものに見える。
わたしは歴史をぐるりとなぞって、ようやく本来の道にもどってきたところかもしれない。
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