ロシアの旅/夏の離宮B
わたしが夏の離宮に行ったのは冬だったからいいけど、あとで述べる琥珀の間が復元されてから、夏のシーズンはもうれつに混雑して、ツアー客優先、個人では入場できない場合もあるという。
行列にならぶのが大キライなわたしは、寒くても冬のほうがいい。
ライサさんに先導されて、宮殿内部に足を踏み入れて、これはもう、なんというか、さすがにへそ曲がりのわたしも、うわぁと歓声をあげるしかなかった。
あまりの豪華絢爛さに、なぜか無性に笑いがこみあげてしまうくらい。
わたしはロシアが好きで、プーチンも好きだけど、だからといってお追従をいうとか、義理人情でものをいわなくてはいけない理由はなにもないのである。
だからこれは本音も本音、こころの底からのおどろきなのだ。
それは言語につくせぬ豪華さで、言語につくせないのだから、やっぱり写真で見てもらうしかない。
4枚目と5枚目は前述したパンフレットからの写真である。
ある部屋は食堂らしかった。
食堂といっても白いテーブルクロスにおおわれたテーブルや、その上に整然とならべられた食器類など、やはり細緻な美しさに満ちていている。
ただ、肝心の食事をつくる厨房は見学コースになかった。
エルミタージュを取り上げたテレビ番組を観たことがあり、そういう日の当たらない場所は意外と地味だったから、コックたちの服やレンジ周辺も金ピカなのかどうかはわからない。
あるとすればとうぜんダブルベッドかトリプルベッドであるはずの寝室もなかった。
おもてから見える部分は徹底的に美しい。
こんなきれいなところでする食事はきっとのどを通らないと思うし、夫婦生活なんかも落ち着いて励めないだろうなあと、下々の身としてはつい考えてしまう。
粗相したら洗濯代だけでも大変だ。
こんな装飾過多の部屋が、とちゅうで疲れてぐったりするくらい続いているのである。
そのきわめつけが 「琥珀の間」 だ。
壁いちめんが琥珀 (コハクってなんだという人はウィキペディア参照のこと) でおおわれているという、むちゃくちゃ豪華な部屋である。
第二次世界大戦ではサンクトペテルブルクはドイツ軍に蹂躙され、この琥珀もみんな盗まれてしまったという。
ドイツもセコイ。
復元にいたるまで、琥珀の間には聞くも涙の変遷の物語があったのだ。
琥珀の間に入ってみた。
これが写真を撮らずにいられようか。
じっと接近してカメラをかまえていたら、うしろからコラコラと。
ほかの部屋はかまわないけど、この部屋だけは写真撮影が禁止なんだそうだ。
ソ連時代のロシアには、いたるところにニェット (ダメ) おばさんというのがいて、観光客や外国からの取材記者とトラブルを起こしていたそうだけど、それはまだ健在だったのである。
仕方がないから、最後の琥珀の間についてもウィキペディアの写真を拝借してしまった。
このブログはやたらとウィキペディアのお世話になっていますんですが、いちおうその記事の真偽のほどは確認してますからね。
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