ロシアの旅/長距離バス
出迎えの不安さえなければ、バスの旅ほど素晴らしいものはないといえる。
ようやくひとりになれた、自分の旅が始まったという爽快感が背すじをかけめぐる。
まわりはシベリアもかくやと思わせる白銀の世界で、荒涼とした原野、シラカバや針葉樹の森の連続だ。
わたしに話しかける人間はひとりもいないから、そうした風景に身をゆだね、ぼんやりと陶酔していてかまわないのである。
若いころに冬の北海道オホーツク沿岸を、ひとりで旅したときの気分がよみがえってきた。
あのときもひとりだった。
数十年をへて、いまもひとり。
ぜんぜん進歩がないけど、もしも通常の人間なみに進歩があったとしたら・・・・・
わたしがロシアに来ることはぜったいなかったと思う。
人間が通常の生活をおくるためには、家のローンだとか子供の学費だとか、いろんな金が要るから、貧乏人のわたしには先立つモノがないってことになるのである。
バスは8~9人乗りぐらいの小さなバンだった。
客はわたしと幼児を含めて6人で、とちゅうから1人増えた。
これだけならどこにでもある平和なバスである。
ただ、例によってバスの運転手が飛ばすのにはまいった。
カーブだろうがなんだろうが、ぜんぜんスピードを落とさない。
道路は2車線だけど、除雪してあるのはほとんどまん中の1車線分だけだから、対向車がある場合は双方の車が道路のはじの、固まった雪の上に片足を乗せて走ることになる。
それでもバスの運転手はスピードを落とさない。
相手が乗用車ならまだしも、大型トラックの場合は、せまいすきまにやみくもに突っ込んでいく感じ。
見ていて尻のあたりがむずむずした。
それでもわたしは自分の幸運を信じていた。
帰国して3週間ほどして、エジプトで熱気球事故があり、数人の日本人も亡くなった。
気球は毎日飛んでおり、無数の気球がこれまでに何百回、何千回となく舞い上がっているだろう。
そのうちのひとつがたまたま墜落したってことは、乗っていた人にとって不運だったとしかいいようがないけれど、いつか誰かが死ぬことになっていたのなら、それに選ばれた人が運に見放されただけなのだ。
しかしわたしは、なぜかこの旅ではめちゃくちゃにツイているのだ。
ゼッタイに事故なんかに遭うはずがないという確信みたいなものがあった。
そのうち、ある場所で左側に広々とした平地を見た。
どうやら雪におおわれた湖らしく、氷を割って釣りをしている人たちがいた。
あの雪原の上を歩いてみたいとノーテンキに思ってしまう。
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