ロシアの旅/シャガールの村
このブログの2010年7月に、わたしはシャガールと谷内六郎さんを比較して、谷内さんの描く心象風景は、わたしもかって共有していたなつかしい日本の農村が多いから、作品にも共感を感じるけど、シャガールの描く風景はぜんぜん見たことがないから、共感を得ることはむずかしいと書いたことがある。
シャガールはロシア出身の画家である。
このたびのロシア旅行でヴァーゴ爺さんの田舎を訪ねて、あまり目立たないけど、わたしはシャガールの絵に描かれたロシアの村の特色というものを見出した。
サウナの帰りに村の家々をながめると、板の塀でかこった家が多い。
シャガールの絵にも、この板塀はくりかえし描かれている。
シャガールは故郷を追われたユダヤ人で、生涯を通じてそのなつかしい故郷を思い描いた画家であるから、教会や耕地や家畜とともに、板塀でかこまれた農家も忘れられない思い出だったにちがいない。
なんだ、ただの板塀か。
そんなものはヨーロッパに行けばいくらでもあるという人がいるかもしれない。
しかしわたしは生まれてこのかた日本人なのである。
日本の農村には、珊瑚の石垣や玉石の石垣はあっても、板塀でかこまれた農家が普遍的光景になっている場所はないはずだ。
だからわたしはシャガールによって描かれた農村の、なんでもない板塀に、するどく反応してしまったのである。
ヴァーゴ爺さんの田舎で、ようやくシャガールの絵が理解できたような気がした。
彼の絵にそうしたふるさとを思う感傷がなかったら、わたしはいまでも彼を、たんなるポップアート作家ぐらいにしか考えていなかったと思う。
やがてヴァーゴ爺さんの村にも月が出た。
望郷の画家の脳裏にはいつもこんな光景があったんじゃないだろうか。
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