ロシアの旅/本屋
ネフスキー通りと、血の上の教会に通じる運河が交差するかどに、ゴシック調の重厚な石造りの建物がある。
そうしておくのはモッタイナイけれど、これは本屋だそうだ。
ずっとむかし出版された 「エルミタージュ美術館」 という本を読んでいたら、この近くに決闘前のプーシキンも立ち寄った文学カフェなるものがあると五木寛之さんが書いていた。
残念ながら帰国してから読んだ本なので、そんな店があることにぜんぜん気がつかなかった。
本屋は好きである。
むかしは目的なしに街に出て、ヒマつぶしに困ったときはたいてい本屋に入っていた。
ロシアの本屋にも興味があるから寄ってみた。
売られている本はかならずしも重厚なものばかりではなく、カードやCDの類も売られているTSUTAYAみたいな本屋である。
むかしの中国でやったことがあるけど、かっての社会主義国でモノを買うには、販売係りとレジのあいだを何往復かするというややこしい手続きが必要だった。
現在のロシアはまったくグローバル化されて、日本とまったくいっしょ。
好きな本を手にとってレジに持っていくだけである。
文字ばかりの本はどうせ読めるわけがないから、画集や写真集、マンガなどでおもしろそうなものはないかとながめているうち、日本語テキストや日露会話集をならべた棚で、日本語で書かれたちっぽけな詩集を見つけた。
熊が日本の女の子に恋をするという寓意をこめた詩集で、タイトルは 「恋する熊の歌」、著者はロシア人である。
ちらりと目を通してみたら、こんな詩が目にとまった。
箸は1本でいることができないように
わたしはあなたなしでいることができない
じっさいの文章はこの通りではないけれど、著作権をうんぬんする価値があるとも思えなかったし、日本語としてはぎくしゃくしたところがあるので、読みやすいようにわたしの手で勝手に修正してある。
箸はロシア語で×××という説明と、詩の対訳がついていて、つまり日本語を勉強する人のためのテキストなのだけど、この表現はけっこうおもしろいではないか。
モスクワのかほりクンが詩に関心がありそうなことをいっていたことを思い出し、これを1冊みやげに買っていくことにした。
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