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2013年4月

2013年4月29日 (月)

秩父の店

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昨日は知り合いにお付き合いして秩父のシバザクラを見てきた。
こういう催し物があると、どこでもやたらに混雑するに決まっているから、わたしひとりではめったに近づかないんだけど、いつもわがままばかりいってるわけにいかないのである。

シバザクラを見たあと、どこかで食事をすることになった。
西武秩父駅の前にはいくつか食堂があったけど、どこも行列ができていた。
そういうものにならぶほど精神的にゆとりのあるほうではないから、すいたレストランを探して街をぶらつく。

行列ができる店というのは、そのへんの女性誌やネットの口コミ情報に踊らされている客のせいではないか。
先日のしりあがり寿さんのマンガに、先輩が後輩にメシをおごって、どうだ、いい店だろうと自慢したら、この後輩ってのがネット情報魔で、目の前でスマホで口コミ情報を調べて、あ、出てます、出てます、内装が本格的なわりには値段が安くて、先輩が後輩におごるのにふさわしい店だって。

わたしの友人にも口コミ情報を書き込むのが好きな輩がいて、ネットの上ではけなさないのが礼儀とこころえているらしく、やたらベタほめばかりしているのがいるけど、そういう輩を無視してもわたしは口コミ情報というのがキライである。
人間の味覚はさまざまであるはずなのに、どこかのウマの骨が旨いといった口コミをなんで信用しなくちゃいけないのか。

そういうわけでヘソ曲がり的に街をぶらぶらして、秩父神社のわきで見つけた和風レストランに入ってみた。
店内は、タイマイのはく製やつまらない置物が飾られ、メニューは寿司、天ぷら、ウナギなどなんでもありという感じの、どこにでもあるようなちょっと俗っぽい店だったけど、大きなカウンターがあり、その奥で老人とその息子ぐらいの年齢の2人の板前さんが働いていた。
寿司も刺身も天ぷらも目の前で造ってくれる。
板前さんの仕事ぶりは好感のもてるものである。
大きめの茶碗のお茶も熱い。
これだけでなんとなく安心できる店のような気がした。

他人にわたしの味覚を強要したくないから、店の名前は教えない。
教えたって、どうせわたしは味覚についても変人だから、アテにされても困るのだ。
店内はほどほどに混んでいたけど、行列ができてないということは、たぶん口コミなんてアホな風潮に毒されてない店なのだろう。
帰宅して 「たべログ」 などを調べてみたら、まだ口コミはないようなので、たまたま世間に知られていないいい店に当たったと思っている。

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2013年4月27日 (土)

お誘い

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最近ツィッターやフェイスブックからお誘いのメールがしきり。
参加者がちょくせつお誘いにくるなら、相手によっちゃその気にならないでもないけど、お友達をつくりませんかって、これSNSの主催者から。

まだフェイスブックが話題になり始めのころ、どんなものかと試しに入会手続きをしてみたら、すでに会員になっている人の紹介がないとダメですなんて断られてしまったことがある。
けっ、お高くとまりやがって。
そんなトコこっちからお断りだいと負け惜しみをいったことがあるんだけど、時代も変わったもんだねえ。

きっと同業他社が増えてエラそうなこともいってられなくなったんだな。
この世界じゃ会員をたくさん囲ったほうが勝ちだからなあ。
あまりやたらに会員を増やすと、あの低次元の2ちゃんねると変わらなくなってしまいますけど。

それとも格調高いブログをもう6年も続けているわたしの評判を聞きつけて、なんとかわたしを看板替わりにスカウトしようってのか。
あほんだら。
わたしゃ孤高のブロガーだ。
世間の大勢と関係ないところで (ほんの少数の読者を相手に)、しこしことブログを更新しているだけで満足なの。

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2013年4月26日 (金)

花と博奕

へえ、演歌も聴くのかいといわれそうだけど、亡くなったバタヤンを偲んで、今日は iPod で 「かえり船」 なんて曲を聴きながら散歩。
新緑をゆらす風がさわやかで幸福感がいっぱい。
先だってはサクラソウが満開だった自然観察園、ただいまはクサノオウという花が満開。
ほかにあちこちでヒナゲシの花を見る。
マクロで撮った写真、どうだ、ジョージア・オキーフみたいでしょ。

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こんなちっぽけな幸せで満足しているワタシみたいなのもいれば、世間じゃまたどこかの運用会社が1300億円をスッたとか。
この手の事件はあとを絶たないけど、ぜったい損しないバクチなんかあるわけないでしょ。
いえ、これはわたしがいってるわけじゃなく、スッた会社の社長さんがたぶんいうだろうってセリフ。
顧客が8700人いたそうだ。
つまりこれが損した人の数、マネーゲームに参加した人の数。
べつに同情はいたしません。
どうせわたしには運用にまわす金もないんだし。

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2013年4月25日 (木)

つっぱる

笑い話だけど、アメリカには日本と米国が戦争をしたってことを知らない世代が増えているらしい。
中国や韓国でもそういうのがだいぶ増えているんじゃないか。
で、どっちが勝ったんですかなんて。

にもかかわらず、あいかわらず日本の閣僚が靖国に参拝すると抗議、抗議の繰り返しだ。
このへんをなんとかしなくちゃいけないというので、このブログでも2008年8月15日の記事で、すばらしい解決策を提案しといたんだけど、いつもふざけたことばかりいってるから、ぜんぜん誰にも相手にされなかったみたいだ。

手前ミソはさておいて、きっと抗議しているほうももう根拠がよくわからないまま、マニュアル通りにやってんだろうねえ。
これまではそれで収まっていたのに、嚇しには屈しないという強力な右翼宰相の登場で、向こうもアセってんのとちがうか。

こうなったらとことんつっ張ってみるのも一案かもしれない。
お互いが引っ込みがつかなくなり、ミサイルや軍艦まで持ち出して一触即発の危機になったところで、それじゃあ戦犯のミタマはべつのこじんまりした神社に分祀いたしますからどうでしょうって提案する。
中国も韓国も落としどころを探っていたところだから、それでいいことにするかと、ま、納得してくれるのではないか。
靖国の宮司さんたちにとっちゃオマンマの食い上げだから、とうぜん文句をいうだろうけど、ドンパチがそこまで来てりゃ世論に逆らってまで反対できないだろう。
首相にはこういうときにこそ強力なリーダーシップを発揮してほしいやね。
そうか、安倍クンの祖父あたりにも戦犯よばわりされてもおかしくないのがいたっけね。
こういうときは公私混同は避けてもらわなくちゃいけないよ。

納得したことだから、それ以降は誰が靖国に参拝しようと、もう大威張りだ。
日本も平和な終戦記念日を迎えられるわけだ。
なんてことにはならないだろうねえ、いつもふざけたことばかりいってるから。

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2013年4月24日 (水)

今朝のスクープ

ときどき市中やテストコースなんかで、まだ発表まえの新車がカモフラージュをされてテスト走行している写真が、スクープだってことで雑誌のグラビアに載ったりする。
そんなものを見て、おおっと感心するのは早い。
あれってじつは大半がヤラセなんだそうだ。
つまり発表をまじかにひかえた車の関心を盛り上げるために、メーカーが情報を小出しにしているもの、つまりスクープじゃなくリークだそうである。
そんなことはとっくに知っているという人がどのくらいいるのかわからないけど、半分以上の日本人は本気でスクープを信じちゃってんじゃなかろうか。

今朝の朝日新聞もスクープだ。
北方四島のうち、歯舞、色丹はじつは日本に帰属するという見解が、じつはすでにロシアでも出されていたことがあったということがあったそうである。
さすがは朝日新聞という人もいれば、わたしみたいにへそ曲がりの解釈しかしない人もいるかも。
これってリークじゃないのか。
スクープだとすると、朝日新聞のロシア特派員は007みたいなやり手ということになるけど、ロシア政財界の美女をたらしこめるような、そんなタフな記者が朝日にいるなんて聞いたことがない。

なんでそんなことをリークするの?
つまり日露政府の暗黙の了解のもとに、北方四島は2島返還で手を打つための布石かもしれない。
敏感な国民 (もっぱら日本のほうだ) にショックを与えないよう、情報を小出しにしてんのとちゃうか。
それならわたしの求める方針とも一致するので、べつにスクープでもリークでもいちゃもんをつけようって気はないんだけどね。

こんなことをバラすと二度とロシアに入国できなくなるかもしれない。
わたしは来年もまたロシアに行きたいんだけど。
いえいえ、わたしのブログなんか読む人はかぎられておりますから、日露の政府関係者もあまり心配なさらないようにとことわっておこ。

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2013年4月23日 (火)

ゆるゆると

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ロシア報告が一段落して、いささか気のぬけたサイダーみたいな状態なんでありますが、なんとかまた一言居士、ワタシの場合はいちゃもん居士のブログをぼちぼち再開させなくちゃ。

いちゃもんをつけたいネタはごろごろしてんだけどね。
ま、ゆるゆるといきましょう。
そのあいだ、もう時期おくれの花なんだけど、またマクロ写真でお茶にごし。

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2013年4月21日 (日)

ロシアの旅/旅の終わり

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幸運につきまとわれた旅の終わりだ。
わたしはかほりクン母娘につきそわれて空港に向かった。
空港にはMさん夫妻がすでに搭乗手続きを終えて待っていた。

わたしは搭乗手続きのために10人ぐらいの行列にならんだけど、このていどでは行列とはいえない。
搭乗券はすぐにもらえ、かんたんすぎて拍子抜けするほどだった (ちなみに現在のアエロフロートはEチケットを導入している)。
出国審査もあっという間にすんだ。

これは帰りだけではなく、モスクワに到着したときもそうで、入国審査もあっという間に終わった。
ガイドブックによるとロシアの空港は最悪と書かれたものもあるけど、新しい空港が完成したばかりのせいかどうか、わたしの場合まったく問題はなかった。
あんまりスムースにいって気持ちわるいくらいである。

ここまでにさんざん、ロシアはすべからく観光客のために、家にいてパソコンを操作するだけで手続きがすんでしまうような容易な入国制度 (アメリのESTAみたいな) をつくるべきであると提言してきたけど、おそまきながらロシアのグローバル化は着実に進行しているようだ。

別れぎわのかほりクンはまたクール・ビューティにもどった感じである。
なにを考えているのかさっぱりわからない。
父親の代用品だった日本人と別れるのがツライと思っていたのかもしれないし、あー、やっとこのおじさんから解放されるとさわやかな気分だったのかもしれない。
どっちにしたって2度とこのおじさんと会うことはないと思っていただろう。
しかしわたしのほうはなんとかしてロシアに再チャレンジしたいと考えているのだ。
それはけっして生きた美少女に再会したいからという理由ばかりじゃない。
ロシアに美女、美少女の類は多い。
わたしはトレチャコフ美術館に飾られた額の中の 「ロプヒナ」 や 「忘れえぬ人」 にもういちど会いたいと思っているのである。

帰りの飛行機から雲海をながめる。
この雲の下に、わたしに対してやさしいこころづかいを示してくれた人がたくさん住んでいる。
成層圏から地球をながめてみると、偏屈なナショナリズムがいかに無意味なものであるかと、偏屈の見本のようなわたしでさえ気がつく。
さよなら、ロシア。

 ❤ ❤ ❤ ❤ ❤ ❤ ❤ ❤ ❤ ❤ ❤ ❤ ❤ ❤ ❤ ❤
これでわたしのロシア紀行は終わりである。
もういいかげんにさらせと思いつつ、それでもついついわたしのブログを読み続けてきてしまったアナタ。
あなたの不撓不屈の精神は、酷寒の地で、長い陰惨な歴史に耐えてきたロシアの民衆に通じるものがある (と思う)。

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ロシアの旅/思い

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ボルシチをご馳走しますといって、かほりクンの母親が台所に向かいはじめた。
かほりクンのほうはTシャツとトレパンに着替え、ひょっこり台所へやってきて、パンにバターを塗り、1枚はわたしに、もう1枚は自分でむしゃむしゃ。
ときどきオーディオで大きな音で音楽を鳴らして母親に文句をいわれたりしてる。

こんなありさまを見てうーんとわたしは考えこんでしまった。
これはいったいなんだろう。

自分はキッチンのテーブルに坐っている。
窓の外は雪だけど、室内はほかほか。
女房が目の前で調理をしている。
年ごろの娘はラフな格好で、ヘッドフォンをかぶったまま室内をうろうろ。
足もとにはネコがじゃれつく。

ささやかだけど、これはそれなり幸せな亭主の典型みたいじゃないか。
かほりクンといっしょに動物園に行ったとき、わたしは彼女に父親の夢をみさせているんじゃないかと思ったけど、じつは夢をみさせてもらっていたのはわたしのほうじゃないのか。
結婚しない、家庭は持たないというのはわたしの信念だったけど、一方でこういう家庭にあこがれる気持ちがぜんぜんなかったわけじゃないのである。
いま目の前にあるのはそれじゃないのか。
旅の最後になってこんなほんわり体験をしたっていうのは、やっぱりツキだろうか。

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わたしは考えこんでしまう。
幸せな亭主の気分を味わうなんて、これがこの旅における最後で最大の幸運かもしれない。
これじゃあ、この旅のツキはほとんど神がかり的といっていいんじゃないか。
わたしは誰かの手のひらの上で踊っているんじゃないか。
いったい人生というのはなんなのか。
わたしはいったい何者なのか。

こんなことを書くと、どこかの新興宗教みたいになってしまうけど、わたしは合理主義者だから、わたしぐらいそういうものに縁のない人間はいないのである。
無神論者のわたしになんでこんな幸運が。
わからない。 いくら考えてもわからない。

いくら考えても答えの出そうにない問題を考えるのは時間のムダだ。
わたしは哲学者じゃないし、そんなものになれそうもない。
ただ自分の人生をふりかえると、その後半になってからひとりで世界を旅することに熱中し始めて、大陸中国でも不思議なくらいの幸運にめぐまれたような気がする。
労多くして益のないまま人生の終わりをむかえてしまう人もいないわけじゃないけど、わたしの場合、その終幕ちかくになって、ようやく帳尻が合ったように思えてしまうのである。

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2013年4月20日 (土)

ロシアの旅/かほりクンの家

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とうとう帰国する日になってしまった。
ツキにめぐまれ、幸せすぎた旅もいよいよ最終日だ。

最終日で困ったのは、ホテルを午前11時にチェックアウトしなければならず、飛行機は夜の9時だから、それまでどこかで時間をつぶさなければならないこと。
ということはすでに書いた。

わたしの窮状を聞きつけたかほりクンの母親から声がかかった。
今度はわたしたちが家で昼食をご馳走しますから、夕方までうちで時間をつぶせばいいでしょうという。
助かった。
2日前にかほりクンと母親を食事に招待したのは無駄ではなかったのだ。
というだけじゃない。
わたしはロシア人の一般家庭に興味があるし、美少女かほりクンの私生活にも関心があるのだ。
わたしはよろこんで招待に応じることにした。

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というわけで迎えにきたかほりクンとともに彼女の家に向かった。
彼女の家がツァリツィノ宮殿から近いことはすでに書いたけど、ここでは家庭についてあまり詳しく触れるわけにはいかない。
美少女の私生活ときいておおいに興味を持ってしまったアナタ。
もうしわけないけど、わたしにいえるのは、これまであちこちで見てきたのと同じ、集合住宅の1室だったということぐらいだ。

ドアを開けて室内に1歩足を踏み入れて、いや、踏み入れようとして、そこに腰の高さのダンボールの衝立があるのに気がついた。
なんだか入室を拒絶されているみたいである。
母親が出てきて、ウチはネコがたくさんいますから、逃げ出さないようにしてあるんですという。

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かほりクンの家にはネコが3匹、いや4匹いた。
1匹はまだ生まれて1カ月だそうだ。
いずれも血統書つきの高そうなネコばかりである。
1枚目の写真の、母ネコの足もとにいる子ネコと最後のネコは同じもの。
目がらんらんとしているはロシアのネコの特性ではなく、カメラの赤目防止機能を使わなかったせい。
ネコが相手じゃいってきかせてもわからんもんね。

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かほりクンの家はネコ以外にも、家具や調度品、オーディオセットやパソコンなどを見るかぎり、けっして貧しい家庭にはみえない。
しかし母子家庭だし、豊かであるという根拠はぜんぜんありそうにない。
ロシアでは離婚率がひじょうに高いというけど、母子家庭を援助する特別なしくみがあるのだろうか。
もと亭主の支援なんてあまり期待できないものだと思うけど。

そんなことはさておいて、部屋の中は男所帯のわたしの部屋よりきれいな家だった。
わたしはネコが好きだからそのへんもうらやましかった。

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最後の写真はかほりクンの家にあった神棚。
小さなイコンがたくさんあって、彼女の家も信仰心の厚いロシア人家庭そのまんまである。

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2013年4月19日 (金)

ロシアの旅/最後の関門

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ジプシーダンスを観たあと、かほりクンとプーシキン駅で別れてホテルにもどる。
階段を上がった5階の踊り場で、黒装束の娘が向こうむきでタバコをふかしていた。
レイナだった。
こんなところをみると、やっぱりパンク娘である。

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部屋にもどってくつろいでいるうち、ビールが飲みたくなった。
ホテルから200メートルほどはなれた場所にコンビニを発見していたけど、たったそれだけでもまた防寒着に着替えて行くのはおっくうだ。
パンクのレイナにビール置いてないかと訊くと、おおげさに両手をひろげて、オー、ノーという。
仕方がないから買い置きのカップラーメンを食べて寝ることにした。

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こうしてロシア最後の夜は更けていく。
しかしわたしには最後の関門がひかえていた。

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わたしは明日の昼11時にはホテルをチェックアウトしなければならないのだけど、飛行機は夜の9時発である。
Mさん夫妻とは、その時間に空港で落ち合うことになっている。
夕方6時には空港に行くとしても、昼にチェックアウトしてからそれまでどうやって過ごせばいいだろう。
ま冬のロシアでは公園で昼寝しているわけにもいかない。
喫茶店でねばるにしても5、6時間は長すぎる。
そんならどこか見物にでも行けばいいではないかといわれそうだけど、トラブルでもあったら困るから、旅行最終日はなにもしないのがわたしの主義なのだ。
こういう状況は中国で何度も経験しているけど、これはけっこうツライことである。

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もうひとつは自分ひとりで空港まで行かなければいけないこと。
かほりクンと別れるとき、頼んでみればよかったけど、すでにかほりクンにはこの日までのガイド料をぜんぶ支払ってしまっていた。
空港まで送ってもらえないかと、それとなくほのめかしてみたけど、空港は遠い。
あまりうれしくなさそうだったので、それ以上頼めなかった。

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えい、くそ。
ひとり旅ならどっちにしても自分でやらなけりゃいけないことだと開き直る。
地図とメモを片手に、あっちこっち尋ねながらでも空港に行くしかない。
さいわいロシア人は親切だから、なんとかなるだろう。

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そんな決心をしたころ、Mさんから電話がかかってきた。
わたしの窮状を聞きつけたかほりクンの母親から伝言があり、明日はホテルをチェックアウトしたあと、かほりクンの家で昼食をとりながら、夕方まで時間をつぶせばいいだろうとのこと。
しかもかほりクンの母親が空港まで送ってくれるという。

わたしは確信した。
最後の最後までこの旅はツイていたのだ。

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ロシアの旅/旅行費用

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すべてのスケジュールをこなし、さてこの旅の費用を清算をしてみると・・・・・
そうとう金を使ったんだろうなあという人がいるでしょうね、きっと。

子供や家のローンをかかえた、ふつうのサラリーマン家庭の住人にショックを与えたくないから、費用については正直にいわないけど、自由旅行なんだからあるていど高いのはやむを得ない。
もともとロシアのツアーは高いことで知られている。
たとえば、前年の中止になったロシア8日間のツアーは、時期はほとんど同じころで、モスクワとサンクトペテルブルクという行程もいっしょ。
それでわたしひとり参加の申込み費用が23万円ぐらいだった (これでもいちばん安い日を選んだのだ)。

いちがいに比較できないけど、今回は日数もその倍の16日間だ。
単純に考えたって40万円以上かかってもおかしくない。
しかも前年の中止になったツアーには、トレチャコフ美術館の見学は入っておらず、目玉はエルミタージュだけ、あとはつまらない名所旧跡めぐりがほとんどだったのに対し、今回はエルミタージュ、トレチャコフ、ロシア美術館と、3つも美術館をハシゴして、クラシック・コンサート、ジプシーダンスなどを鑑賞し、ロシアの新幹線の最高級シートにも乗ってきた。
モスクワでもサンクトペテルブルクでも、またロシアの農村でも、個人のお宅に泊まったりおじゃましたりして、普通のツアーではなかなか味わえない体験もした。
さらにさらに、モスクワでもサンクトペテルブルクでも、わたし専用の美少女ガイドつきだ。
これじゃあ安くないぜっていうのはバカでもわかる。

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しかし上記のような贅沢を考慮すれば、費用はおおむね想定の範囲内だったといえる。
自家用車に何百万円もかける人のことを思えば、わたしの旅行なんてささやかなものという見方もできる。
車ならかたちとして残るけど、旅行なんて終ればそれっきりだからむなしいという人がいたら、その人の考えはわたしと正反対である。
いつか粗大ゴミになってしまうでっかいおもちゃと、あの世にまで持って行ける思い出と、どっちに重きをおくかって、こりゃ価値観や人生観の相違だな。

旅行の費用というのは数字だけではなく、費用対効果で考えるべきだというのがわたしの信念なので、100万円かけても200万円の楽しみを得た旅行なら、わたしはなにも文句をいうつもりがない。
明日からしばらく、インスタントラーメンだけで生活すればいいだけの話ではないか。

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2013年4月18日 (木)

ロシアの旅/ジプシーダンス

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この晩はかほりクンの案内で、ジプシーダンスというものを観にいくことになっていた。
美術館を3つも見学し、クラシック・コンサートを聴き、ライブハウスも体験し、こんどは観劇だから、これだけ詰め込めば、エンタテインメントだけにかぎっても、完璧な旅行であったといって過言じゃない。
ところでジプシーダンスってなんだ?

かほりクンの説明をそのまま書いているけど、わたしの頭の中のどこかに、ジプシーって差別用語じゃなかったっけという意識がすこしある。
で、ウィキペディアに当たってみたら、まあ、差別かそうでないか微妙なところで、ここでその言葉を使ってもブログが炎上するほど問題があるとは思えなかった。

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かほりクンとともにメトロのヂナーモという駅で下車する。
ここからすこし歩くと地下の横断歩道がある大きな交差点があり、それをくぐり抜けて200メートルほど行ったところに劇場があった。
チケットにはロシア語のРОМЭНをデザイン化したマークがついていて、これはガイドブックに出ているロメン劇場のことらしい。
同じガイドブックによると、世界でもめずらしいロマ人(ジプシー)による劇場とある。

ロシアの劇場事情については知らないけど、その形態については日本の渋谷にある文化村劇場のようによそから劇団がやってくるものと、四季劇場や吉祥寺にあった前進座のように劇団が自前の劇場を持ってしまったもの、あるいは専属の劇団をかかえているものなどがある。
ロメン劇場は後者らしく、専属の劇団が一定期間ごとにレパートリーを変えて、いくつかの演目をこなしているようだった。

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ここも入口はそれほど大きくない。
チケット売り場もせまいけど、1歩建物の中に入れば、資料室やカフェ、広々としたロビーもあってなかなか立派である。
入場料は1500P(4500円くらい)で、わたしたちの席は1階のまえのほうだったから、かなり上等、というよりあまり座席格差のない劇場らしい。

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演っていたのは劇というよりミュージカルだった。
まともな劇では言葉がわからないと話にならないから、ミュージカルのほうがいい。
そういったもののやはり意味はわからない。
もの珍しさだけで注目していると、美男美女が歌ったり踊ったり、最初のほうにはなぜかエジプトのスフィンクスや、トルコのベリーダンスが出てきた。
それ以外は、わたしの見るかぎり、衣装、踊りのスタイルともまるっきりスペインのフラメンコである。

これってフラメンコじゃないのとわたしがいうと、かほりクンはむきになって、そうじゃありません、ジプシーの踊りですという。
スフィンクスの像やベリーダンスは、みんなジプシーの歴史にもとづいているのだそうだ。
フラメンコもベリーダンスも、その起源にはジプシーが関わっているようだから、どうでもいいやと説明者にさからわない主義のわたし。

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最後に年配のおじさんが出てきて歌をうたった。
よく張りのある声で、愛想がよくって、客をのせるのがうまくて、いかにもプロの芸人みたいな人である。
観衆から盛大な声援がとんでいたから、ロシアの三波春夫みたいな人らしかった。
観客席で踊りだした女性もいて、警備員に制止されていた。

いちばん上の写真は劇場の入った建物で、2番目と3番目はチケット売り場。
7番目は館内にあるカフェ。
最後の5枚はネットで集めたもので、いちばん最後のおじさんがプロの芸人みたいな人。
わたしの劇の写真はすべてピンボケ。
コンパクトカメラで、ストロボもたけず、三脚も使えない劇場内で写真なんか撮れるはずがない。

帰りに駅まで歩いていたら、かほりクンが凍りついた路面ですってんころり。
ロシア人もやはり転ぶということがわかった。

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ロシアの旅/○○パーク

けっきょく駅探しをあきらめてホテルの近くまでもどってきてしまった。
見ると近所のスケートパークがなにやらはなやいだ雰囲気。
スケートパークというのは、かほりクンと初めてデイトをしたとき待ち合わせをした場所で、園内にスケートリンクがある家族連れのための行楽施設だ。

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最初の写真はデイトした日のものだけど、入口の電飾になんと書いてあるのか。
考えてみると屋外に設置されたスケートリンクは冬限定の天然モノだから、夏になるとなくなってしまうにちがいない。
とうことは 「スケートパーク」 と書いてあるのではないだろう。
ロシア語の略字に不慣れなわたしには、電飾の最初の単語が、そもそもどういう文字なのかわからない。
Опцвьеなのか?
それともОлцвьеなのか?
あるいはОпчвье?
Олчвье?

ここに挙げた単語を全部ネット翻訳してみたけど、けっきょくわからない。
固有名詞なのかもしれない (ご存知の方は一報を)。

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入場料は、すくなくとも門を入るだけなら無料のようだったので、ぶらぶらついでに入ってみた。
小さな屋外スケートリンクで子供たちがスケートをしていたけど、人数はそれほど多くない。
クレムリンのスケートリンクも遊んでいる子供たちは数えるほどだった。
これはかほりクンのいうとおり料金が高いせいか、それともロシアでも少子高齢化が進んでいるためか。
また話がごたいそうな方向に脱線しそう。
昨今は子供たちをながめたり写真を撮ったりするだけでも、周囲の目がきびしい。
ロシアでも子供の写真を撮るとイヤがられる場合が多いので、早々にリンクから離れた。

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園内にはスケートリンク以外にも、子供のための劇場、おとなのための劇場があり、この日は仮設ステージ、露店、そしてエルミタージュまえの広場で見たような軍人による野戦食堂などが出ていた。
これから何か始まるらしいけど、時刻はもう昼すぎだ。
やるならさっさとやればいいのに、仮設ステージはいつになっても開店休業の状態で、野戦食堂もヒマそうである。
なにかお祭りをするにしても、ひとりぼっちのおとなが見るようなものではなさそうだ。

ぶらぶら歩いてホテルにもどった。
この日は夕方からかほりクンと、この旅最後のスケジュールをこなさなければならない。

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2013年4月17日 (水)

ロシアの旅/絶滅危惧種

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日本でも下町や農村にあった個人商店が絶滅寸前であるように、いまや先進国のロシアでは、こういう人間味のある市場はとうぜんながら絶滅危惧種である。
クレムリンや大聖堂はまだしばらく絶滅しないだろうけど、市場は早いとこ見ておかないとそのうち見られなくなってしまうだろう。
モスクワのかほりクンも、サンクトペテルブルクのリーザ嬢も、新しい人たちはみんな近代的なデパートやスーパーが好きなのだ。
そういうことで、このブログは滅びゆくものへの挽歌なのである。

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話がたいそうな方向に脱線しかかっているけど、ひとつだけお断りしておく。
この日は土曜日だったからいいけど、同好の士がもしいて、オレ (もしくはアタシ) も行ってみたいと思った場合、ウィークデイにはこのベラルーシ駅市場は営業していないかもしれないから要注意だ。

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写真を撮るについてはべつに問題はなかった。
ある店で太ったおじさんに写真イイデスカと訊いてみた。
ちょっとコワそうなおじさんだったけど、うーむとうなづく。
撮った写真を見せると、ちょっと待てといい、自分の後ろにあった店のポスターが傾いていたのをまっすぐに直して、もう1枚と要求する。
写真を2枚ならべたのは、傾いた後ろのポスターを直すまえ (左) と直したあと (右) のもの。
コワそうだけど、なかなかおもしろい人なのだ。

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ロシアの旅/最後の市場

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もうこのへんでホテルに引き返すことにして、そのまえにテント張りの市場をぶらぶらし、何軒かの店で写真を撮ってみた。
これまでもわたしはあちこちで市場の写真を撮ってきたけど、ここが今回の旅で最後に紹介するロシアの市場である。
それを2回に分けて紹介しよう。
いえ、これまで見てきた市場と、売られているものがそんなに変わるわけじゃないですけど。

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売られているものは、野菜果物から肉、ハム、チーズ、魚などの食品、そしてお茶やロシア式漬け物、例によって蜂蜜などである。
冬のロシアで保冷車である必要はないと思うけど、車で冷凍食品を売る店もあれば、地面にダンボール箱をならべただけの店もある。
家内工業的に生産されているハム、チーズ、燻製などもあれば、まったく個人的な手作りらしい漬け物なんかもある。
売り手も買い手も若い人はダウンジャケットだけど、古い人は毛皮のコートだ。111b6_4 111b7 111b8

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2013年4月16日 (火)

ロシアの旅/駅探索

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ツヴェトノイ・プリヴァール駅までもどってきてから、今度は歩いてサヴョーロフ駅まで行ってみることにしたのだけど、地図を見るとその手前にベラルーシという駅がある。
そこまで1キロちょっとだから、まずベラルーシ駅を目指すことにした。

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ツヴェトノイ駅のそばをロシアの環状道路がはしっている。
この通りはめったやたら広くてわかりやすいけど、歩いておもしろいところではない。
通りに面して人形劇専門の劇場があった。
建物の壁に人形劇のポスターがたくさん掲示されている。
これはおもしろそうだけど、昼間からなにかやっているようすはなかった。

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環状道路からはずれると、アパートや教会もあるごちゃごちゃした雰囲気の街に変わってきた。
名所旧跡よりもこんな街中をぶらぶら歩いているほうがよっぽど楽しい。
ある場所には、黒くて落書きだらけで、わたしたちの世代には唐十郎のアングラ劇場を連想させるでっかい建物があった。
ぜんぜん連想違いで、解体を待つただの古ビルかもしれないけど。

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もうそろそろかなと思うころ、いかにも駅のまわりのようなにぎやかな通りに入り込んだ。
道路上にテントを並べただけの市場が出ている。
そのあたりの店のおばさんに、ベラルーシ駅はこのへんですかと訊くと、ダー (そうよ) といって、すぐそばの地下道入口をゆびさした。
地下道へ入ってみたが、通路の両側に大衆スーパーみたいな衣料品店が並んでいて、おばさんたちがわいわいと買い物をしていただけだった。

そのまま地下道をぬけて向こう側へ出てみた。
メトロの駅らしいものはあったけど、地上にあるはずのアエロエクスプレスの駅は見当たらない。
このあたりでは地上の鉄道も地下を走っているのかもしれない。
そうではないかもしれない。
つまり、なにがなんだかわからない。
けっきょく駅探しは断念してもどることにした。

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この駅のあたりにはトラム (路面電車) が走っている。
日本では同じ路線ならだいたい車両の形と色は統一されているのに、こちらでは同じ軌道を最新の車両と遊園地の乗り物みたいな車両が走っていた。
このいいかげんさがロシア的でおもしろい。
トラムはほかでも走っているけど、このあたりでは住宅街みたいな通りを、自動車、歩行者とごちゃまぜに走っている感じで、ちょっと味わいのある光景である。

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ロシアの旅/メトロに乗る

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明日は帰国という日だけど、ひとつ空港までどうやって行ったらいいか、下調べをしておくことにした。
帰りはMさん夫妻もかほりクンもアテにはできず、わたしひとりで空港まで行かなければならないかもしれない。
はじめての外国へひとりで出かけた場合、あらかじめ空港まで行く手順を知っておくことは何かとためになるものなのだ。
イスタンブールでもそうしたおかげで、わたしはスムースに帰ってくることができたのである。

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ガイドブックを参照すると、モスクワ市内から空港までは、サヴョーロフ駅から直行のアエロエクスプレスが出ているとある。
地図をみたらサヴョーロフ駅というのは、例の舌をかみそうなツヴェトノイ・プリヴァール駅からふたつ先の駅だった。
今日は夕方までかほりクンとのデイトはなしだから、空港まで行く時間はなくてもサヴョーロフ駅ぐらいなら行ってこれるだろう。
この駅でどうやったら空港までの列車の切符が買えるのか確認しておくことにした。

じつはこれはガイドブックの間違いだったようだ。
新しいガイドブックではアエロエクスプレスは、ベラルーシという駅が起点になっていた。
あとになってそのことがわかったのだけど、最初からわかっていればサヴョーロフ駅に行ってみる必要はなかったのに。

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それはともかくとして、舌をかみそうなツヴェトノイなんとか駅までは、近道を使ってホテルから徒歩10分だ。
メトロのチケットの買い方はわかっている。
ホームで表示板をながめて、サヴョーロフ駅方向の列車に乗り込んだ。
・・・・・つもりだった。

ふたつ先の駅で下車してホームで駅名を確認してみたら、名前がちがっていた。
こうなるともうわからない。
駅の外に出てみようかと考えたけど、地下で方向感覚がわからなくなっているから、うっかり出るとますますわからなくなる恐れがある。
どうしようかと迷ったあげく、けっきょくそのまま反対方向のメトロに乗ってもどってきてしまった。
いったいどうなってんだと、いまでも悩んでしまうけど、モスクワのメトロはそう簡単なものではないらしい。

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ツヴェトノイ駅まで無事にもどってきてから考えた。
まだ時間はたっぷりある。
ここからサヴョーロフ駅まで、歩いたってせいぜい2キロぐらいのはずだから、徒歩で行ってみるほうがまちがいがないかもしれない。
地上なら方向感覚には自信はあるし、もともと歩くのは好きなのだ。

写真はサンクトペテルブルクのものも混じっているけど、ロシアのメトロのようすで、6番目の写真は日本でも増えている転落防止用の隔壁つき駅。

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2013年4月15日 (月)

ロシアの旅/地図を読む

ツァリツィノ宮殿について書いたばかりだけど、じつは現地にいるときはかほりクンに全部おまかせ、彼女について歩くのに精いっぱいで、宮殿の正式名称も、それがモスクワのどこにあるのかも、下車したメトロ駅の名前もぜんぜんおぼえていなかった。

で、帰国したあとインターネットを駆使して、この宮殿について調べてみた。
こんなときネットは強力な威力を発揮するし、旅好きにとってひじょうに大きな楽しみをもたらしてくれるものである。

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わたしがおぼえているのは、クレムリンからメトロで5つか6つ先の駅で下車したということ、駅から近い大きな公園に、噴水のある池があったということぐらいだけど、まずこれを手がかりにグーグルの地図と衛星写真をじいっとにらんでみた。
そして、たぶんこれじゃないかという地形を見つけたのが1の画像。
クレムリン (□印) の南のほうにツァリツィノ (○印) という地名があって、池、というより川の一部らしいものがある。

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2番目の画像でその部分を拡大した衛星写真でながめると、□印がツァリツィノというメトロの駅で、道路をはさんだところに公園があり、○印が宮殿のようである。
これなら地形はわたしの記憶と一致する。

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3番目の画像は同じ部分をさらに拡大したもので、左上の□印がツァリツィノ駅、Aのマークは写真Aの公園の門、門を入ってヴォズドウシュナヤ通りまで斜めに歩いていくと、左側の池の中に円形の噴水が見え、その先の○印がツァリツィノ宮殿だ。
まったくその通りだった。

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5番目の画像で、左のほうからヴォズドウシュナヤ通りを歩いてくると、Bマークが中世のお城のような橋 (写真B) のあるところ、画面の右半分は宮殿 (○印) とそのまえに広がる庭園で、Cマークは公園の一画にある教会 (写真C) である。
これもまったくその通り。

この衛星写真をながめていると、ツァリツィノ宮殿で見た景色がまざまざとよみがえる。
わたしは旅行というものは、出発するまえの下調べがタノシイ、旅をしているあいだはもちろんタノシイ、帰国したあとは現地のことをもういちど調べるのがタノシイというわけで、ひと粒で3度楽しんでしまう旅行愛好家なのである。

グーグルの衛星写真をどんどん拡大していくと、最後にはこのブログのトレチャコフ美術館の項で書いた 「レーピンの銅像」 や 「鍵の木」 まで写っているのにおどろいてしまう。
モスクワやサンクトペテルブルクについても、地図と距離目盛、そして衛星写真を照らし合わせれば、かなり正確な距離もわかるし、そのあたりの建物の配置などもわかる。

しかも美術館や博物館の衛星写真を目いっぱい拡大すると、そのまま内部のストリートビューにつながっているものもある。
もっともこれはグーグルに協力的な国だけの話で、中華思想の中国なんかはそうではないようだけど、ロシアはわりあい協力的なようで、おかげでエルミタージュや、トレチャコフ美術館、ツァリツィノ宮殿などの建物の内部を、部屋にいながらにして見てまわることができてしまう。
ロシアまで行けない人にとって、グーグルの地図やストリートビューは、まるで行ったみたいな楽しみをもたらしてくれるのである。

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ロシアの旅/ロシア・レストラン

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ツァリツィノ宮殿を出たあと、食事をすることになった。
どこかいいレストランを知ってるかいとかほりクンに訊くと、うんといって、彼女が案内してくれたのは、ツァリツィノ宮殿の敷地内にあるロシア・レストランだった。
宮殿まえ広場にある教会のわきを通って、橋を渡った先にある一軒屋の、どうみても安くなさそうなレストランである。
ヤバいと思ったけど、このあたりにほかにレストランはない。
もう旅も終章だし、いざとなったら予備に持ってきたハワイ旅行のあまりの米ドルもあるし、ま、なんとかなるんじゃないかとヤケクソの心境。

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かほりクンをエスコートし、なれているような顔をしてテーブルに席をとった。
そのあと、ちょいと失礼といってトイレに行き、あらためて財布の中身を確認する。
かほりクンの母親が来てもなんとかなるくらいの持ち合わせがあったので、安心して席にもどることにした。

帰りがけにふと見ると、レジのあたりにバイオリンをかかえた楽士2人が来ているではないか。
こりゃマズイ。
彼らが席をまわってきたとき、追い返すわけにもいかないから、彼らへのチップも用意しておかなければならない。
高くつきそう。

この店では本格的なボルシチを食べた。
ボルシチはこれまであちこちで食べたけど、本格とそうでないものの違いは、カップの上にパン(薄いパイ皮)でふたがしてあるかどうかだ。
このパンは温かいうちにちぎって食べるとなかなか美味しい。

てきとうにワインなんか飲んでいるうち、かほりクンの母親が毛皮のロングコートで現われた。
母親はあっけらかんとしたおもしろい人で、かっては日本人と結婚していたくらいだから日本語が話せる。
3人でいろいろ会話がはずんだけど、しかし個人的なことをここに書くわけにはいかないから、当たりさわりのない話だけ書いておく。

食べものについては、ライスもロシアでよく食べられているそうである。
日本のお米も有名で、かほりクンは炊いたばかりの日本のライスなら、おかずなんかなくても食べられるという。
だからいわんこっちゃない。
TPPに反対したり農業振興費に頼るばかりじゃなく、日本の農家ももっと海外に打って出なくちゃ。
ロシアでは日本のお米も売られているそうだけど、とても高いという。
商機はあるんじゃないか。
誰か日本のお米の販売ルートを大々的に開発する人はおらんのかい。

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そのうち2人の楽士がやってきて、テーブルのそばで勝手に演奏を始めてしまった。
映画なんかでよく見る光景だけど、こういう場合はいくらチップを払えばいいのかしらと、日本人の田舎者としては悩んでしまう。
100P(300円)では馬鹿にしてると思われやしないか。
まがりなりにも大のおとな2人の演奏なんだし、やっぱりひとり2千円ぐらいの稼ぎにならなけりゃ、彼らの生計が成り立たないのではないか。
しかし2千円では、かりにひと晩に5回演奏したとすると、それだけで1万円になってしまう。
この晩の客はわたしたち以外にアベックひと組だけだ。
うーんと悩み、かほりクンの母親にいくら払えばいいですかねえと訊くと、100Pでいいんじゃないのとバッサリ。
気の弱いわたしは200P払っておいた。
1回に正味3~4分の演奏だからこんなものかも。
レストランへのチップ?
ぜんぜん記憶にございません。

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最後の写真は帰りがけに見た、ライトアップされてとってもきれいなツァリツィノ宮殿。

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2013年4月14日 (日)

ロシアの旅/詩人の肖像

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宮殿内を見てまわっているうちに、わたしは外の景色を見たくなった。
この建物の住人が窓から外をながめた場合、いったいどんな景色が見えたのか。
それで監視の目をぬすみ、しらばっくれてブラインドのすき間から外をうかがってみた。
雪におおわれた木立ちのあいだを散策する家族連れが見えた。
たちまちブリューゲルの 「雪中の狩人」 なんて絵を連想してしまう。

金ピカの部屋から順ぐりに見てまわっていたら、それは博物館からしだいに美術館になってしまった。
エルミタージュやトレチャコフ美術館ほど人口に膾炙してないせいで、画家の名前も絵の由来もぜんぜんわからない作品ばかりである。
そんなわけで、こちらも通りいっぺんの見学になってしまったけど、ほとんどがロシア絵画のようだったから、機会があればまた行ってみたいところだ。

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ここでわたしはロシアの女流詩人アンナ・アフマートワらしき人物の肖像画に出会った。
アフマートワであるという確証はないけど、髪の毛をおでこで断髪にした容姿はいっぺんで彼女を連想させる。
ここにあったのは詩人が生きた時代にふさわしいモダーンな様式の絵で、思慮の深さと意思の強さをはっきり物語る不敵なつらがまえである。
そして、実物はどうだったか知らないけど、この肖像画で見るとなかなかの美人である。

帰国したあとで彼女について研究してみた。
というとウソである。
ただ図書館で彼女の本を借りてちらりと目を通しただけで、これっぽっちで詩人の本質が語れるなんて、思っちゃいません、謙虚なワタシ。

読んでもぜんぜんおもしろくなかったのは、膨大な数の詩から、そのほんの5つか6つを拾い読みしただけだからだろうと思われる。
それでも彼女が生まれ育ったツァールスコエ・セローという地名が出てくるのがちょいと気になった。
わたしはサンクトペテルブルクでそこを見てきたばかりなのだ。
アフマートワの詩は抑圧された時代の抵抗の詩だけど、現在のツァールスコエ・セローは、(とくに冬に見たとき) そんなことを微塵も感じさせないおだやかで平和な街だった。

彼女について知りたい人は、自分で調べることである。
調べればわかることにはふれないブログと、また書こうかと思ったけど、その手はこれまでに何度も使っているから、新趣向としてウィキペディアのそのページにリンクを張ってしまおう。
ここをクリックすればアンナ・アフマートワはバッチリだ。
他人の作品を勝手に引用すれば著作権違反だけど、リンクを張るだけなら問題ないのである。
結果はあまり変わらないような気がするけどね。

そのうちに展示されているものがだんだん抽象的な絵画や彫刻になってきて、閉口したわたしはそのあたりで退散することにした。
時間的にもそろそろ閉館の時間だった。

ツァリツィノ宮殿はまだガイドブックに記述のないところだけど、宮殿としても博物館、美術館としてもなかなか立派なところがあるから、そのうち観光コースに組み込まれるようになるのではないか。

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ロシアの旅/宮殿博物館

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宮殿に入るにはエスカレーターでいったん地下へ下りなければならない。
このエスカレーターは近代的なものである。
あとでわかるけど、修復まえのこの宮殿は、屋根は抜け落ち、残るのはほとんどレンガの壁だけというさんたんたるありさまだった。
それを復旧するついでに近代的な設備もいっしょに取り入れてしまえということで、その点では建物自体が美術品で、うかつに改修できない他の宮殿とはちがっている。

チケット売り場のわきに感じのいい喫茶店があったので、くたびれたわたしはここでイップクしていくことにした。
喫茶店も近代的なもので、こんなものが宮殿時代にあったはずはないから、やはりここは復旧と同時に近代化もされたところなのだろう。

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紅茶を一杯飲んだあとで館内散歩の開始。
展示品はきちんとガラスケースの中に置かれていて、博物館としては立派なものである。
王朝時代の宝飾品や銀製の茶飲み道具、古い硬貨、ナポレオン時代の衣装、軍服、サーベルなども展示されている。
石器時代の遺物じゃないかと思えるような、このあたりから出土したレンガや瓦のかけらなどのガラクタも展示されていた。
わたしにはぜんぜん興味のないものばかりだけど。

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修復まえのこの宮殿のようすをしめす模型が置かれていた。
6番目の写真がそのジオラマだけど、屋根も崩落し、そこかしこに雑草や樹木が繁茂する廃墟といっていいものだったようだ。
それが建築途中で放置されていたというのだから、現在あるこの宮殿は修復者が想像をふくらませすぎたものかもしれない。

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ある場所に金ピカの、これでもまいらねえかというほど豪華な部屋があった。
最後の2枚の写真がそれだけど、これはロマノフ王朝の宮殿はとっても豪華という先入観をもってやってくる観光客のために、必要以上に豪華な部屋を用意したものかもしれない。
これではサンクトペテルブルクのエルミタージュや夏の離宮なみだ。

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金ピカの部屋の中にエカテリーナの彫刻や肖像画が置かれている。
この部屋のためにみんな最近制作されたような感じ。
写真撮影はOKということだけど、最近のカメラにはビデオ機能がついているから、ついでに映像も撮ってみたら、近くに坐っていた監視のおばさんが何かいう。
かほりクンに通訳してもらったら、ビデオ撮影は禁止だそうだ。
禁止なものをブログで公開するのもわるいから、残念だけど映像はボツである。

この日のわたしは時間がなかったので、宮殿の一部しか観られなかったけど、前述したストリートビューで観ると、まだほかにもパイプオルガン設置のホールを含む複数のコンサートホールがあり、音楽を聴くための部屋はことさらに充実しているようである。
博物館には古書ルーム、美術館には彫刻専門の部屋などもあり、鉄のカーテン時代のファッションなんて部屋まであって、時間があれば (そういうものに興味があれば)、ここはもっとじっくり観る価値のあるところである。

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2013年4月13日 (土)

ロシアの旅/宮殿へ

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公園の池にはカモがいた。
カモには餌をやってる人がいた。
餌をやってる人にかほりクンが話しかける。
わたしはそれをぼんやり見つめる。
なんとなくホームドラマの主人公を演じている気分になってしまう。

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噴水を左手に見ながら歩いていくと、右手には3番目の写真のように、平地のまん中にひとかたまりの樹木が茂っている。
いまは冬だから凍りついて雪におおわれているけど、夏の写真で見るとこの平地は池だった。
つまりわたしたちは池にはさまれた遊歩道を歩いていたわけだ。
グーグルの地図を拡大してみたら、この人間だけしか通れない遊歩道でも、ちゃんとヴォズドゥシュアナ通りという名前がついていた。

ネットを捜索してみると、ロシアに住んでいる日本人のサイトなんてものもあり、そうしたものからもツァリツィノ宮殿の情報を見つけることができる。
ここでかってネオナチの若者たちによる殺人事件もあったなんて情報もある。
そういわれれば駅のまわりの雰囲気はあまり上等とはいえなかったけど、現在の公園はそんな物騒な事件とはまったく無縁のようで、時期によってはここで蜂蜜市なんてものが開催されることもあるらしい。

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ヴォズドゥシュアナ通りをぶらぶら歩いて、中世のお城みたいな赤レンガの橋をくぐると、宮殿の庭が目の前にひろがる。
庭の一角に水色のきれいな教会もたっている。
ストリートビューで観たら、秋のこの庭にはロダンの有名な作品、「カレーの市民」 や 「バルザック」、「考える人」 などの彫刻が置かれていた。
こうなると箱根の彫刻の森みたいなところだ。

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ツァリツィノ宮殿はエカテリーナの離宮として建設がはじめられ、完成しないまま放置されていたものだという。
現在のそれは、廃墟になっていた宮殿を修復して博物館にしたもので、完成してまだ間がないというから、ガイドブックに載っていなかったのはそれが原因かもしれない。

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ロシアの旅/ツァリツィノ宮殿

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動物園のあと、かほりクンがエカテリーナの宮殿を見たくないですかという。
そりゃサンクトペテルブルクで観てきたよというと、それじゃありません、わたしの家の近所にある宮殿ですという。
そんなものがあるのかいと、持参していたガイドブックを調べてみた。
見つからない。
クスコヴォという名所がモスクワの郊外にあり、小ヴェルサイユと呼ばれているそうだから、これのことかと思ったけど、それじゃありませんとのこと。

で、行ってみることにした。
この日は連日の散策で腰が痛かったから、早めにホテルに帰りたかったけど、かほりクンはなかなか容赦してくれないのである。

クレムリンからメトロで20分ほどいったツァリツィノという駅で下車した。
かほりクンの家はここからすぐ近くだそうだ。
それじゃあとでお母さんを呼び出しなさい、食事でもおごるからといっておく。

かほりクンの母親はイミナさんの親友だけど、今回はMさん夫妻は忙しくて母親と会っているヒマがないという。
せっかく日本から親友が帰国しているのに会えないのではつまらないだろうから、わたしがMさん夫妻に替わって食事でもおごろうという魂胆。
でもこのおかげで、わたしは旅行最終日にむずかしい問題から救われたのだから、やはりどこかに幸運があったようだ。

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ツァリツィノ駅からほんの百メートルくらい歩くと、道路を渡ったところにいちばん上の写真のごとき門があった。
門の内側は池のある広々とした公園になっており、その向こうには森も見える。
森の上にかほりクンのいうところのエカテリーナの宮殿が頭をのぞかせていた。
いまの季節だからすべてが雪におおわれているけど、女帝エカテリーナが宮殿を建てようと思ったのも納得できるくらい、自然がゆたかで美しいところである。

この宮殿について、帰国したあとでネットで調べてみた。
さすがはネットで、このブログがこの宮殿の本邦初紹介かと思っていたら、ちゃんといくつかの情報が見つかった。
正式名称はよくわからないけど、もともとはエカテリーナの離宮で、現在はツァリツィノ宮殿などとよばれているらしい。

この宮殿については、ロシア語もしくは英語でよければ、以下のホームページからストリートビューで宮殿内を見てまわることもできる。
http://www.tsaritsyno.net/ru/

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ツァリツィノの公園に立ち入るだけなら無料だ。
まだ観光コースに入ってないせいか、観光客は少なく、公園のそこかしこで地元の人たちが思い思いに散策したり、ジョギングやクロスカントリースキーに興じていた。

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門をくぐって雪におおわれた公園をゆくと、正面に池があって、ここにもクレムリンで見たような大きな白いドームがあった。
かほりクンにいわせると、この下に噴水があるのだそうだ。
音楽にあわせて水がおどる噴水だそうで、冬のあいだにその繊細な仕掛けが凍って損傷しないよう、カバーをかけてあるらしい。

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2013年4月12日 (金)

ロシアの旅/思い

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嬉々としてゾウをながめているかほりクンを後ろからながめているうち、考えさせられてしまったことがあった。
彼女は19歳の大学生だけど、5歳のときに両親が離婚して、それ以来母親といっしょにモスクワで暮らしている。
そういう境遇の娘が父親を恋しく思うことはないのだろうか。

わたしはずっとむかし、仲間といっしょに出かけた温泉で、同じような境遇の小学生の女の子に出会ったことがある。
この少女は父親がいないことをひじょうに悲しく思っていたらしく、わたしが独身であることを知ると、ウチのお母さんと結婚してといいだした。
そんな気がなかったから相手にしなかったけど、彼女は別れぎわにわたしにむしゃぶりついてきたものである。
どうもわたしみたいな人間には理解しにくいけど、両親がそろっていない子供たちの悲しみは、はたからみるよりずっと大きい (場合もある) のかもしれない。

かほりクンは、本来の父親という人といまでも多少の連絡はあるようで、彼女が大学に入ったときいくらかの援助を要請したところ、アルバイトをしなさいという返事がきたそうである。
これについてかほりクンはいまでもわだかまりを持っているようだった。

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そんなことは別にして、かほりクンはロシアを見物にきた大のおとなを、なんで動物園なんかに引っ張り出したのだろう。
気持ちをストレートにあらわさない娘だから、本心はわからないけど、ひょっとすると父親といっしょに動物園に行くというのは、彼女がずっと抱き続けていた夢だったのかもしれない。
わたしは彼女の父親の役割を担わされているんじゃあるまいか。

わたしにはときどき自分を主役にしたヒューマンドラマを、勝手にデッチ上げるという性格上の欠陥がある。
だからわたしの想像を本気で信じてもらわなくてもかまわないけど、いろんなことを総合すると、どうもそうではないかと思わされるフシがある。
そんならそれでもいいさと思う。
自分の娘を連れて動物園を見てまわるというのは、わたしにとっても人生で初めての、ひじょうに珍しい体験なのだ。

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ゾウ舎の外に出ると、雪がしんしんと。
ラブロマンスの舞台には絶好の風景なんだけどね。

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先駆者

明日 (13日) から 「舟を編む」 という映画が公開されるそうだ。
新聞に大きな広告が載っている。
なんでも馬締 (まじめ) 光也という編集者が辞書をつくる話だそうだ。
広告のうたい文句を読んで、たちまちこの映画のモデルについて思いをいたした。
現時点では、公式ホームページにも、映画評にもぜんぜんモデルの名前が見いだせないけど、紀田順一郎さんの本で読んだことのある、親子二代の人生を賭けて 「群書索引」 と 「広文庫」 という百科全書を出版した物集高見 (もずめたかみ) という人のことである。

こういう本の出版には膨大な労力と時間がかかる。
物集高見と、父親の仕事をひきついだ息子の物集高量 (たかかず) は、この仕事のために家財のほとんどと、人生のすべてを投げ出した。
本の出版は大正5年のことである。
けっして宮崎あおいチャンのようなすてきな彼女があらわれて支えてくれたわけじゃなかった。
しかも現在みたいにパソコンやインターネットが普及した時代にあっては、この手の本の出版はあまり価値がなくなっている。

映画が感動巨編かどうか知らないし (たぶんそうではないだろうけど)、映画と現実はちがうものだということは受け入れるにしても、この映画の公開をきっかけにして、やっぱり先人の偉業をあらためてふりかえってほしいと思う。
映画の主人公の名前が馬締 (まじめ) というのは、物集 (もずめ) という名前に似ている。
たぶん映画の原作者の頭の中にも、いくらかはこの古い編集者に敬意をあらわした部分があったんじゃないかって、わたしは勝手に想像しているんだけどね。

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ロシアの旅/モスクワ動物園B

恋人同士なのか、親子なのか、それとも老人と孫の関係なのか、わたしとかほりクンの2人連れを他人はどう見ているのか気になるけど、とりあえずアベックでモスクワ動物園見て歩きの続き。

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園内のある場所に映画のポスターが張ってあった。
ご覧のとおり、子供が喜びそうなティム・バートンのなんとかいう作品や、J・キャメロンの 「アバター」 である。
園内には子供たちのためのさまざまな設備があって、ステージや映画館もあるらしいけど、この日は金曜日だし、おおかたは休業中だった。

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わたしはサルというのがあまり好きじゃないけど、サル山もあり、日本猿(ЯПОНСКИЙ МАКАК)も展示されていた。
日本のサルは温泉に入ることで、海外でもよく知られていて、わざわざ長野県まで見物にくる欧米人観光客も多いそうである。
しかしモスクワ動物園には温泉の設備まではないようだった。

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ある場所にヒョウの檻があって、雪の上をヒョウが行ったり来たりしていた。
ユキヒョウというのもいるし、キリマンジャロの山頂で死んで日干しになるヒョウもいるくらいだから、雪の上にヒョウがいたっておどろかないけど、大丈夫かなあと思ったのは、鉄格子と金網でかこまれた檻に屋根がついてなかったことである。
檻の高さが4、5メートルしかない。
これでは木登りの得意なヒョウならかんたんに飛び越えられそうだ。
ヤバいというので、やっこさんが餌になりそうなわたしに気がつかないうちさっさと移動することにした。

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動物園でいちばん人気があるのはゾウである。
ゾウ舎ではちょうど食事の時間だったらしく、飼育係りが舎内の遊び場に枯草だとかパンだとか、丸薬みたいなものをバラまいていた。
そのあいだ空腹のゾウはいっぽうの檻の中で待ちきれずに騒いでいる。
かほりクンは2階のてすりにもたれかかって、檻のとびらが開くのを、こちらも待ちきれないといったふうでながめている。
いいかげんくたびれたわたしは、うしろのベンチに座りこんでしまった。

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うしろから観ていると、見物人の中に金髪をうしろで束ねたすごい美人がいて、スケッチブックでゾウを写生していた (この写真でいちばん左に立っている人)。
どこかの画学生らしいけど、美しすぎるなんとかというやつである。
人間が不純なせいか、わたしはこういうものにもすぐ目がいってしまう。

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やがてとびらが開き、3頭のゾウがいっせいに餌にかけよった。
べつに大のおとなが見ておもしろいものではないけど、ゾウをながめているかほりクンをうしろからながめて、わたしには思うところがあった。

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2013年4月11日 (木)

ロシアの旅/モスクワ動物園A

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モスクワ動物園はモスクワでいちばん大きな動物園で、ということはロシアで最大の動物園ということになるだろう。
園内は道路で分断されていて、ふたつの区域は橋でつながっている。

わたしは中国の動物園で、鼻輪をされ、牙を抜かれたクマが見世物にされているのを見たことがある。
また動物園の檻の中で毒殺され、皮をはがされたトラの話も聞いたことがある。
こんなむちゃくちゃな動物園に比べたら、モスクワの動物園の設備や待遇は国際水準であり、展示されている動物たちにとって幸せな環境であることがわかる。
バリアフリーも完備されているから、人間にとっても幸せな環境だ。

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寒いのがニガ手な動物にとって、ロシアはあまりうれしくない環境であることも事実なので、ゾウもキリンもオランウータンも、みんな暖房完備の専用の建物で飼われていた。
信じにくいけど、夏のモスクワは猛烈に暑いらしいから、冷房も完備しているのかもしれない。

かほりクンとともに園内をぶらぶら。
雪は降ったりやんだりで、ムードはもろ恋愛映画・・・・ わたしらの場合は 「クレイマー、クレイマー」 か、あるいはテータム・オニールが子役だった 「ペーパームーン」 か。
そんなモスクワ動物園を2回にわけて紹介。
いえ、ロシアだからってマンモスなんか期待されちゃ困りますけどね。

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寒い時期だから屋外で見られるのは寒い地方の動物が多いのはとうぜんだ。
カワウソはかならずしも寒い地方の動物じゃないけど、この寒いのに水の中で元気に泳いでいた。
ホッキョクグマが冬のほうが元気がよいのは当然として、オオカミもロシアは本場だからぜひ見たいと思ったけど、やっぱり寒いのはキライなのか、ぜんぜん姿をあらわさなかった。
シベリアトラもめずらしい動物だから見たかったけど、こちらは絶滅危惧種の希少動物なので、ロシアでさえ飼うのはご法度なのかもしれない。

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顔に雪をのせたまま平気な顔をしている小柄なウマの群れがいて、これはチンギスハンとともに欧州にまで遠征したモンゴルウマだろう。
そんな檻のまえでタバコをふかしている動物もおり、これは動物園の女性職員だった。

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別料金で園内に水族館もある。
これはさすがに、日本なら海水魚ショップだってこのくらいいるんじゃないかと思えるていどの品揃えで、水族館先進国である日本人にはゼッタイ的にもの足りない。
日本で熱帯魚は見飽きているから、ロシアの場合はオオカミウオだとかクリオネのような、北極海の生物をたくさん展示してくれればいいのにと思う。
しかしロシアの子供たちにとって、カラフルな熱帯魚はめずらしくて楽しい生き物だろうから、わたしばかりがわがままをいうわけにもいかない。
※最後の写真が水族館で、洞窟を模した建物の中に入っている。

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ロシアの旅/スターリン様式

翌日、というと旅の13日目だ。
この旅もこの日を含めて、いよいよ残すところ3日になった。

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この日はとくに予定がないから、まえに見逃したクレムリンのウスペンスキー大聖堂でも観てくるかと考えた。
ところがかほりクンに先手をうたれてしまった。
動物園を見たくないですかという。
大聖堂が動物園ではだいぶ調子の狂うところがあるけど、動物園もキライではないから、まあ、いいかと思う。

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バリカードナヤというメトロの駅で下車。
地上に出ると、目の前にどかーんとスターリン・クラシック様式の巨大なビルがそびえている。
スターリン様式というのは、ニューヨークの摩天楼にコンプレックスを抱いていたスターリンが、向こうに負けないものをとこぼすと、ソ連時代の官僚システムではハナシが早いから、たちまちモスクワ市内に7つも建ってしまったビルだ (そうだ)。
形はエンパイア・ステートビルや、新宿のNTTビルみたいな、先のとんがった古風なスタイルのビルと思えばいい。
古典主義様式の他のビルとちがって、タッパがあるから、モスクワではよく目立つ。
「モスクワは涙を信じない」 という映画の中に出てくるビルだそうだけど、わたしはまだその映画を観ていない。

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いまはホテルにでもなっているのかねえとかほりクンに訊くと、わかりませんという。
帰国してから調べてみたら、バリカードナヤ駅のまえにあるのは文化人アパートというものになっていた。
原宿表参道にあった同潤会アパートみたいなもんかと思いつつ、ロシア政府は文化人とそうでない人をどうやって見分けるのかなあなんて考える。
べつにこんなものを見たくて行ったわけではないから、写真だけ撮ってさっさと動物園へ移動した。
動物園の入口はバリカードナヤ駅から100メートルぐらい。

この日はロシアに来て以来、はじめての本格的な雪になった。
雪の動物園というのは恋愛映画の舞台みたいで、劇的にムードがあっていい。

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2013年4月10日 (水)

ロシアの旅/ライブハウス

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かほりクンと別れてホテルにもどる。
まだ寝るには早い時間だったので、サンクトペテルブルクへ出かけるまえに発見したライブハウスに行ってみることにした。
ホテル・カレトニードボルの近くにはふたつのメトロ駅があり、かほりクンといつもデイトするのはプーシキン駅で、もうひとつはツヴェトノイ・ブェリヴァールという舌をかみそうな名前の駅である。
舌をかみそうな駅の近くにライブハウスがあるということは、3月4日のこのブログにすでに書いた。

この晩はこぬかのような雪が舞っていた。
住宅のあいだをぬけるとブェリヴァール駅まで近道である。
近道を使うなんて、わたしもいよいよロシア馴れしてきたみたい。

この店の名前はБард Клубで、ネット翻訳機能を使って訳してみたら、これは 「吟唱詩人クラブ」 というそうである。

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店に入ったところはレコード屋、店内に別室への通路があって、その奥がライヴハウスになっていた。
2番目の写真で右側のカーテンの奥がそれ。

日本でもそうだけど、ライブハウスというものは、うす暗くて、じめじめして (いることはないと思うけど)、なれない人間がふらりと入っていくには不安があるところである。
でも前回ちょっとのぞいてみたときは、ミュージシャンたちが開演まえの楽器の調律をしていたから、まじめな店のようだったし、わたしのほうは身ひとつで、いざとなったらさあ殺せと開きなおる覚悟がある。
こういうのにかぎって災難にはあわないものである。

わたしが入っていったとき、すでに30人ぐらいの客があり、そのほとんどが40代50代くらいの年配者だった。
わたしはいちばんうしろのテーブルに座った。
ウエイトレスが注文をとりにきたから、とりあえずビール。
このくらいはちゃんと通じる。

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この晩の演奏は若い男性ギタリスト2人と、ちょっと年配の女性ボーカルによる3人組グループだった。
ただロシア語のわからない当方にはフォークなのかジャズなのか、あるいは演歌なのかということはぜんぜんわからない。
ただ、女性の声には張りがあり、よくのびる声で、これはもうプロといった感じ。
ダンスホールとちがって、踊りだす人間はおらず、みんな聴くことに専念している店だった。
女性歌手には大きな拍手がおくられていたから、モスクワではかなり有名な歌手なのかもしれない。

とちゅうに休憩タイムをはさみ、後半も聴いているうちビールも2杯目になった。
夜の10時すぎに、ラストオーダーになったのか、ウエイトレスが勘定書きを持ってきたから、それをシオに引き上げることにした。
料金は、テーブルチャージが800P (2400円ぐらい)、ビールを2杯飲んで550P (1650円ぐらい) だったから、日本のライブハウスに比べてもそんなに高いというわけじゃなかった。

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ロシアの旅/ファーストフード

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街をぶらついているとき、腹がへったねといったら、かほりクンにファーストフードの店に連れていかれてしまったことがある。
わたしは日本にいるときも、立ち食いソバ以外のファーストフード、たとえばマックだとかケンタッキーだとかピザなど、まず食べない人間であるけれど、ロシアのそういう店に好奇心があったのでついていってみた。

赤を基調にしたどこかで見たような店だけど、メニューはだいぶちがっている。
どうもかほりクンの好物の店に連れていかれたようだ。

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壁にメニューの写真が出ている。
写真の横にある129とか124とかいう数字は値段だそうだ。
格安ホテルに泊まってこういう食事ばかりしていれば、高いことで有名なロシア旅行もだいぶ安くあがるのになと思う。

クレープを巻いたような中から、刺身のようなものがはみだしているものがあったからそれを注文してみた。
わたしは刺身が好物だけど、これの正体はサーモンだった。
刺身の中ではサーモンはニガ手のほうだけど、中トロ、イカ、赤貝なんかありそうもない。

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いちばん下の写真はかほりクンが注文したもので、彼女は美味しそうにぺろりとたいらげていた。
わたしにはけっして美味しそうには見えないんだけど、ここにも世代の断絶がありそうだ。

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2013年4月 9日 (火)

ロシアの旅/メトロ駅めぐり

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モスクワのメトロ駅はひじょうに芸術的なつくりになっていることで知られている。
それでトレチャコフ美術館を再訪問したあと、わたしはかほりクンにお願いして、メトロ駅だけの観光に出かけた。
すべてのメトロ駅を見てまわるほど時間があるわけじゃないから、そのうちのいくつかだけど、これはとてもおもしろい。

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写真でおわかりのように、どこか美術館にいるようである。
核戦争になってシェルター代わりの地下鉄にとじこめられた場合、人民が退屈しないように、あるいは長期の籠城で人心がすさんだりしないように、精神的娯楽を与えようとの配慮だろうか。
アホなことをすぐ考えてしまう。

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すてきな外観とはうらはらに、ガイドブックにはよく、メトロでは外国人排斥運動をしているネオナチ集団に会うことがあるので注意なんてことが書いてある。
幸いというか、わたしはメトロで危険を感じたことはいちどもなかったけど、ネオナチにかぎらず、メトロがいくらか物騒であることは事実のようだ。

混雑した列車で席を占領して寝そべっている男がいた。
まわりの乗客は遠巻きにしているだけで、誰も注意をしようとしない。
かほりクンは男からできるだけ離れるようにわたしの手をひっぱる。

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ある駅で、かほりクンにメトロの切符を買うのをまかせたら、券売機にコインを入れている彼女に、酔っ払いのような男がなにか話しかけてきたことがあった。
おおかた酒代をめぐんでくれよとでも言っていたのだろう。
かほりクンは無視してさっさとわたしのところへもどってきたけど、こういうこともある。

このていどならニューヨークの地下鉄のほうがよっぽど危険という人もいるだろうし、わたしには日本の地下鉄は安全であるなあとしかいえないけど、スリも多いというから注意するに越したことはないようだ。

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危険ではないけれど、ある列車内で、いきなりなにか口上をぶち始めたおばさんがいたのにおどろいた。
化粧品の車内販売だった。
日本の公共輸送機関ではあまり考えられないけど、それでもおばさんからなにか購入している人もいたから、やってみるものである。

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地下鉄駅の撮影は禁止というガイドブックの説明を読んだことがある。
しかしロシアのグローバル化はどんどん進展しているのだ。
駅の構内に警察官はごろごろしていたけど、写真を撮っているわたしに、誰もなにも文句をいわなかった。
そりゃ、ええ、わたしゃノーテンキで無害な顔をしてますんですけどね。

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ロシアの旅/メトロ

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メトロに乗るとき、かほりクンばかりにチケットを買わせていたのでは、勉強にならないから自分で買ってみた。

買い方はかんたんだ。
自動券売機の右側にボタンがいくつか並んでいる。
1回きり使用ならいちばん上、2回の回数券なら2番目のボタンを押す。
すると料金が表示されるので、その金額を投入(1回なら28Pだ)。
すると取り出し口に赤いランプがついて、カード型のチケットとお釣りが出てくるけれど、出てくるのが日本人の基準ではちと遅いから、アセらずに待つこと。
取り出し口が大きいので、こまかいつり銭がじゃらじゃら出てくると、いっぺんでつかむのはむずかしいから、手袋をはずして待つこと。

自動券売機だとロシア語が不要だから、わたしみたいにロシア語のわからない人間にははなはだ便利。
改札を入るとき、購入したカード型チケットを認証機にぺたんと押し付けるところはSUICAと同じだ。
1枚目と2枚目の画像はメトロのカード型チケットの裏とおもて。

チケットは入るときだけ必要で、出るときはもう要らないから捨ててしまっていい。
記念にもらっておく手もあるけど、わたしの場合ポケットに使用済みのカードがたまってしまい、あとでまだ使えるカードがどれだかわからなくなってしまったことがある。
そういう場合は駅の構内に、使用済みかそうでないかを確認するための機械も置いてある。

メトロの便数はとっても多い。
昼間の山手線とほとんど変わらないくらい、つぎからつぎへと列車が入ってくる。
これなら渋滞する地上よりメトロのほうがずっと便利である。
車両はいろいろで、汚い列車もあればけっこうきれいな新型車両もあった。

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モスクワのメトロは地下が深い。
メトロの性格上、線路が平面で交差できないから、路線が複雑になると、線路がどんどん深くなるのはとうぜんだ。
そればかりではなく、核戦争にそなえたシェルターという説もある。
なにしろモスクワのメトロは米ソ冷戦のころからあるのだから。
この点では中国の地下鉄も同じだけど、上海なんぞでは地下駅はそのうち大衆スーパーになり、現在では全部ぶっこわされてモダーンなショッピングモールになってしまった。
どっちがいいかわからないけど、中華民族は決断が速いというか、節制がないというか。

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路線図をみると、線路は行先によって色分けしてあるからわかりやすい。
と思うのがシロートのあさはかさ。
これならひとりでも乗れると自信満々のわたしは、ある日、ひとりでメトロに挑戦してみた。
そのてんまつはもうすこしあとで報告しよう。

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2013年4月 8日 (月)

ロシアの旅/またトレチャコフ美術館

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トレチャコフ美術館については、最近になってグーグルのストリートビューで館内を観てまわれることがわかった。
どこまで観られるのか、まだすべてを検証してないけど、わたしがいちばん観たいと思っていた絵のある部屋は、大半がこれで観られるようである。

さて、トレチャコフ美術館を再訪問し、また200P出してカメラに撮影可のステッカーを張ったものの、水彩画については全面的に撮影禁止だった。
展示してあった絵に挿絵やスケッチみたいな小品が多くて、容易に複製がつくられてしまうなんてのが理由かもしれない。

肝心の水彩画だけど、わたしが期待していたような絵はなかった。
美術館ではしょっちゅう展示する絵を入れ替えていますからとかほりクン。
そんなことは知ってるけど、ちょっと残念。
ずっとむかしのトレチャコフ美術館展では、階段を上がった正面に大きな水彩画が展示されていて、たまたまやってきていた中学生の女の子たちが、わっ、きれいと歓声をあげていたくらいなのである。
たまたまこの日は、どこかの国で 「ロシア水彩画展」 なる催しをやっていて、そんな絵はみんな貸し出されていたのかもしれない。
で、けっきょくまたレーピンになっちゃったんだよね。

わたしは抽象絵画やモダーンアートを目のかたきにしている。
けっしてそんなつもりはないんだけど、この旅ではダ・ウィンチ以降、印象派以前の作品ばかりほめていることも事実だ。
美術館で観たいのはレーピンやロシアの絵画で、それ以外でもわたしがひいきにしているのは、たいていは写実派の作品である場合が多い。
理由はかんたんである。

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たとえばここにあげたのは、ロシアが誇る抽象画家カンディンスキーの作品だ。
じっと見つめ、うーんと考えると、ロボットやエイリアンではなく、音楽を絵で表現したもんだろうという見当もつく。
伝統的な絵画に疲れた神経には斬新に写ることもわかるし、モダーンな様式の家から需要があることもわかる。

しかしこういう絵から、ロシアの美しい風景、描かれた人物の個性、ドラマチックな光景などをストレートに感じることは、わたしの脳みそでは不可能だ。
現代絵画や抽象絵画からもイマジネーションを喚起させられることはいくらでもあるんだけど、絵画の中を旅するには、やはり見てわかる光景が描かれているもののほうがいいというわけなのだ。
けっして抽象絵画やモダーンアートを否定しているわけじゃないんだけどね。

「ハーブ&ドロシー」 という映画があった。
小さなアパートに住むしがない庶民の夫婦が、身の丈にあった絵画をしこしこと収集しているうちに、それがやがてアメリカの国立美術館に収められることになるという、こういうのもシンデレラ物語というのかもしれない。

この夫婦が集めたのは現代絵画である。
現代絵画ならまだ無名の画家の作品もあるわけで、ひょっとすると将来大化けする可能性もないわけじゃない。
絵画の収集というのは、眼識のある人にとっては株なんかよりよっぽど確実な投資かもしれないのである。

おかげで欲の皮のつっぱったわたしも、絵画の収集を始めようかなんて思ったことがあるけど、あらゆる分野が開拓され尽くした現代絵画の世界では、同じレベルの絵だってはなはだ多いだろうし、その中から抜け出すには、画家の才能よりも商才と偶然の幸運と画廊のおもわくがモノをいうんじゃなかろうか。
やっぱり自信をもってやめておくことにした。

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ロシアの旅/旧居

モスクワに帰ってきた翌日は、またかほりクンとデイトだ。
正確にいうと、彼女のガイドであちこち観てまわるということである。

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プーシキン駅で11時に待ち合わせ、どこへ行きたいですかと訊かれたから、そうですね、またトレチャコフ美術館に行ってみたいと答えた。
ずっとむかしに観たトレチャコフ美術館展では、水彩画でもすばらしい作品がたくさんあったことをおぼえていたので、それを観たかったのである。

メトロでトレチャコフ美術館の近くに行ってみると、かほりクンは、わたしはむかしこのへんに住んでいたんですといいだした。

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このあたりは古い建物が多く残っている環境保存地区だそうだ。
そのわりには古くさい4、5階建てのアパートもあるし、庭木などにも雑なところがあって、べつに感心するようなところにも見えなかった。
この建物は古いものです。あ、これもむかしの建物ですとかほりクン。
しかしモスクワにしてもサンクトペテルブルクにしても、古い様式の建物はくさるほどあり、むしろモダーンで新奇な様式を探すほうがむずかしいくらい。
彼女のいう古い建物の中には、色なんかまだ最近塗られたみたいなきれいな建物もある。
ああ、そうなのと、こういうときは説明者にさからわないのがわたしの主義である。

住宅街にある4階建てのアパートのまえでかほりクンが、ここがわたしの家でしたという。
これまでたくさん見てきた、けっして洗練されてるとはいえない集合住宅である。
うむ、なるほどと、それ以外にいうことはない。
近くに教会や幼稚園もある。
この風景は彼女の思い出の中でどんな意味を持っているのだろう。

この近くにチョコレートを作っている店があります、チョコレートを買いませんかとかほりクンがいう。
わたしはチョコレートがキライじゃないけど、無理にロシアのショコラが欲しいわけじゃないし、この日にみやげなんか買う予定はない。
チョコに関心があるのは、むしろかほりクンみたいである。
せっかくだからのぞいてみるかと、その店の前まで行ったら、この日は休みで入れなかった。

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ぶらぶら行くと、トレチャコフ美術館の近くの公園に金色の額がたてかけてあった。
誰かが忘れていったのかと思ったら、これはそういうかたちの彫刻だった。
美術館が近いから額のモニュメントだなんて、これはまあ、わかりやすくていいのかも。

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2013年4月 7日 (日)

ロシアの旅/レイナちゃん

もういいかげんにさらせという声が聞こえないでもないけど、まだ終わりません、このブログのロシア紀行。
そろそろこっちも飽きてきて、さっさと終わらせたいんだけどね。

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モスクワの格安ホテルのパンク娘にゴマをすろうと、サンクトペテルブルクで安物のネックレスを買ってきた。
ふたたびホテル・カレトニードボルにもどったとき、コレといって差し出して、そしらぬふうで部屋にもどる。

最初にこのホテルに到着したとき、パンク娘のレイナとはべつの、黒いボディコンの娘が座っていたけど、彼女を見たのは当初の2日ぐらいで、その後はずっとレイナがひとりでフロント業務を仕切っていた。
しかも夜中の0時すぎにもまだ起きてパソコンをにらんでいたから、仕事はけっこうハードだし、見かけによらずまじめな娘らしい。

彼女がパンクだったのは最初に見たときだけで、その後は白いブラウスだったり、黒いボディコンだったり、派手目なところはあっても、いちおうまともといえる格好をしている。
鼻ピアスだけはそのままだ。
でも鼻ピアスだけでパンクと決めつけるのは、すでにまちがった考えかもしれない。
わたしは日本に帰国するさいの飛行機で、若い欧米人の娘ととなりあった。
ジーンズをはいた学生ふうの、わりあいまじめそうな娘だったけど、彼女も鼻にピアスをつけていた。
ちょっとどっきりさせられるけど、鼻ピアスやタトゥーは欧米ではもうふつうにみられるファッションなのかもしれないのである。

ネックレスを上げたんだから、もういいのではないかと、おじさんカメラマンはレイナちゃんに積極的に迫ってしまうのであった。
で、どうなったのか。
ドラゴンタトゥーのパンク娘は、あれよあれよという間に中年男のダニエル・クレイグとうらやましい関係になってしまうけど、あれは映画の話である。
現実にはそうかんたんに女の子と親密な関係になれるものではないということをつくづくと知らされたのでありました。

後日、レイナがわたしのやったネックレスをしているのを見つけたから、おっ、いい首輪してるじゃんと手をのばすと、彼女はガハハと笑って体をくねらせた。
そのおりに撮った写真がコレである。
なかなか可愛いところのある娘ではないか。

日本に帰国後にメールで写真を送ってやったら、型通りの返事がきた。
どうも自動返信システムによる返事だったらしいから、写真がちゃんと彼女に渡ったかどうかわからない。

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ロシアの旅/恋する熊の歌

サンクトペテルブルクのみやげだよといって、かほりクンにちっぽけな詩集 「恋する熊の歌」 を渡す。

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読んでみた感じでは、これはロシアの詩人がまずロシア語の詩をつくり、それをあとからあまり詩ごころをもたない人 (日本人?) が、日本語に訳したものだろうと思っていた。
ロシア語の原詩はどうかわからないけど、日本語に訳されたものは、詩としてはちょっとマズすぎる。

かほりクンにこの詩集を読ませたら、これはロシアの詩人が日本語で書いた詩を、日本人と共同でロシア語に訳したものですという。
まえがきにそう書いてあるらしいけど、そりゃ無理じゃないのと思う。
小説ならともかく、このていどの日本語しか使えない人間にフィーリングを表現できるだろうか。

このていどの日本語というのは、たとえばちょっと前のこのブログで取り上げた詩をひきあいに出すと、もともとの文章はこんなものだ。

  生まれてしまったらしようがない。
  いずれにしても敵に勝とう。
      詩人で生まれてしまったらしようがない。
    いずれにしてもいつか詩を書こう。
  日本人で生まれてしまったらしようがない。
  いずれにしてもいつか神になろう。

これは原文通りだけど、敵に勝とうなんて詩にしちゃあ不穏当だし、神になろうというのも意味がわからない。
有名作家でも文豪でもいいけど、その作品を勝手に添削してさしあげるのはとってもタノシイことだと、江國滋さんがなにかに書いていた。
ここはひとつ、わたしもこの詩を自己流で添削してさしあげよう。

敵というのは人生のことだと解釈して、わたしは勝手に 「いずれにしてもいつかこの人生に勝とう」 と改造してしまった。
「いつか神になろう」 という部分は、靖国神社の影響もあるんだろうけど、キリスト教世界の住人には、日本人の宗教観への無知があるんじゃないかって気がする。
日本人は死んだあと、ホトケ様ならともかく、ふつうは神になるとは思ってないはずだから、ここは日本人の精神に立ち返ろうという意味で、「いずれにしてもいつかそのこころに帰ろう」 なんて言葉にしたほうがよさそうだ。

そんな感じで勝手に直したのが4月5日の 「別れ」 の項にのせた詩だ。
どうみてもわたしの訳のほうがいい (と勝手に思っている)。

添付した画像は 「恋する熊の歌」 のさし絵。
日本の女の子がまだ神秘的な美しさでもって、外国の男たちのあこがれの対象になっている (場合もある) ということを証明するような絵だ。
かほりクンに和服を着せたら神秘的な美しさの見本になりそうだけど、詩集についてはあまりうれしそうな顔をしていなかった。
やっぱりネックレスにしたほうがよかったかしらん。

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2013年4月 6日 (土)

国民栄誉賞

新聞の投書欄に、野茂英雄にも国民栄誉賞を与えろという意見があった。
わたしもそのとおりだと思う。
すくなくても現時点では、松井秀喜よりは野茂のほうが賞にふさわしい。
なんで野茂がもらえないのか。
決まってる。
松井は優等生で、なんせ優等生ばかりの巨人の選手だったくらいだけど、野茂の場合は反体制の香りがふんぷんとしている。
プロ野球機構という、体制的で保守のかたまりみたいな組織に反旗をひるがえして、単身米国に渡っちゃった男だ。
日本の政治家はこういう人物を毛ギライしてんだよね。
でもまあいいさ。
野茂が除外されたおかげで、国民栄誉賞というものが政治家の人気とりの道具で、いかに権威のないものかよくわかったと思う。
新聞もそんなもんでいちいち騒ぐな。
え、最近誌面が刷新された朝日新聞、オマエのことだよ。

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ロシアの旅/出迎え

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サプサン号を下りると、ホームの上までかほりクンが出迎えに来ていた。
Mさん夫妻は忙しくて迎えに来れないそうで、これからまた彼女のお世話になることになるのだ。
彼女のほうも、これはアルバイトと割り切っているのか、ほかに理由があるのか、わたしみたいなおじさんを相手にするのをいやがるようすはない。
そのまままた格安ホテルのカレトニードボルまで付き合ってもらうことにした。

かほりクンにパンク娘のレイナと交渉してもらって、部屋は以前と同じ部屋に決まり、わたしは荷物をかつぎこむ。
感心なことにかほりクンはけっして部屋の中までは入ってこなかった。

さて、わたしがふたたびカレトニードボルに泊まるのはハプニングである。
ロシアの旅行ではバウチャー方式といって、日本を出発するまえにすべての宿泊先、移動手段を決めておかないとビザがおりないことになっている。
しかしわたしはサンクトペテルブルクからもどったあと、どこへ泊まるかまったく予定をたてていなかった。
たまたま最初に泊まったカレトニードボルが気にいったので、またそこへ泊まることにしたのだけど、こんな自由気ままなことが許されるのだろうか。

路線バスや新幹線による移動も、(イミナさんがやってくれたのかもしれないけど) わたしはまったく事前報告なんかしていない。
わたしの場合、ビジネス旅行というたてまえにしてもらえたせいかもしれないけど、これなら中国やトルコの旅と変わらない、まったくの自由旅行ではないか。

こんな旅が理想なので、機会があればわたしはまた、今度こそ旅行手続きを自分ひとりで何もかもやってみたいと思っている。
しばらくまえに自転車旅行中の日本人が、ロシアで交通事故にあって亡くなった。
「やってくれるね、ロシア人!」 という本によると、たったひとりでロシアの辺境を旅したカメラマンもいる。
ロシアの自由旅行はけっして不可能ではなさそうなのである。
ネット上にロシアの紀行記も多いけど、個人で旅行をした人がいれば、旅のエピソードではなく、出発まえの手続きについて詳細に語ってほしいものだ。

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もう暗くなっていたので、帰りはわたしがかほりクンをプーシキン駅まで送っていくことにした。
駅のちかくの喫茶店に入り、しばらく話をする。
ロシアにも日本式の、女の子がわいわい騒いでいるような喫茶店があるのである。

ここで談話しながら、うーむと考える。
どうしてかほりクンはわたしみたいなおじさんに快くつきあってくれるのだろう。
きっと彼女はわたしに恋をしているにちがいない。
とはまちがっても思わないけど、彼女との会話の中にちと気になる言葉も。

かほりクンは5歳まで日本にいて、両親が離婚したあとは母親といっしょにモスクワに住んでいる。
日本にいたころは外国人みたいだというのでいじめられたそうである。
ロシアに来てからはロシア人じゃないみたいというのでいじめられたそうだ。
いじめがどのくらい人間のこころに傷をつけるのかわからないけど、彼女はひょっとするとこころ寂しい子なのかもしれない。
どうも感情をおもてに出さない子なので、わたしはどこかはかなげな彼女をみていろんなことを考えてしまう。

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ロシアの旅/車窓より

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サプサン号の欠点は座席が固定されていて、サンクトペテルブルクから乗ると、進行方向とは逆に、後ろ向きに坐ることになることだ。
おかげで過ぎ行く景色を後追いでながめるような塩梅になるけど、サンクトペテルブルクを去る旅人にはこのほうがふさわしいかもしれない。

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サンクトペテルブルクを出発してすぐ、線路のわきにシラカバにかこまれた大きな墓地があるのを見た。
無数の十字架が雪に埋もれていた。
なかなか由緒ある墓地らしいから、埋葬されている人たちもかなり長期にわたっているだろう。
つまりここにはロシア革命からソ連、ロシアへと変遷した歴史そのものが埋まっているといっていいのではないか。
死者たちは生前にいったい何を見たのか。

この旅では、わたしはあちこちで尋ねてみた。
ソ連時代のロシアではひどい目にあったんじゃないですかって。
日本人ならたいていの人が、そのころの抑圧的な政治、モノ不足の社会、硬直した官僚主義、文句をいったら即ラーゲリか粛清だったなんてことを知っているはずだ。
ところがわたしが聞いたかぎりでは、あまりソ連時代を悪くいう人がいない。
人間は過去の痛みをすぐ忘れ、現在に不満を持ちやすい動物だから、いくらか割り引くとしても、これでは日本人が思っているほど悲惨な社会ではなかったんじゃないかと思えてしまう。
これは西側のプロパガンダだったのかも。
やっぱり現地に行ってみなけりゃわからないことは多いようだ。

ついつい関係ないことを考えてしまうのは、なにしろたったひとりで4時間の旅だ。
空想にふける時間も妄想にひたる時間もたっぷりあるのである。

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雪とシラカバのロシアの墓地はなかなかすてきだった。
わたしは墓地の中をぶらぶらするのが、それが自分とはぜんぜん関係ない墓でも、好きである。
三途の川から迷い出た亡者みたいで、そりゃおまえもそろそろ棺桶に片足つっこんでいるからだよといわれてしまいそう。
でもこういう性格は若いころからのものだからねえ。
だから田舎にハイキングにいってお墓があったりすると、つい寄り道をして碑銘を調べてみたりしてしまうのである。

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とちゅうウトウトしたこともあったから見逃したかもしれないけど、サンクトペテルブルクとモスクワのあいだに大きな街はあまりないようで、サプサン号は農村や原野の中をひたすら疾駆していく。
森や林や広々とした平原や、おもちゃのような家が集まった村落がつぎつぎと現われる。
そんな農家をながめておとぎ話の小人の家のようだなあと思う。

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列車の単調なピッチにひたりつつ、まだいろんなことを考える。
かほりクンも金髪クンも、サンクトペテルブルクには行ったことがないといっていた。
モスクワに住むロシア人にさえ、そこは遠いところらしい。
やはり、誰がなんといってもわたしは幸運だったのだ。

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モスクワが近くなったところで列車はがらがらと鉄橋を渡った。
まわりは広々とした雪原で、これはヴォルガ川の支流が湖になっているところらしい。
空想も瞑想もそろそろ終わりにしなければならない。

サプサン号の車窓から見た映像を1分ほどのショートフィルムにしてあるので、興味のある方は YouTube を 「サプサン号の旅」 というキーワードで検索するか、以下のアドレスから
http://www.youtube.com/watch?v=IxUjIozYXa4

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2013年4月 5日 (金)

ロシアの旅/サプサン号

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モスクワとサンクトペテルブルクを結ぶ列車では、「赤い矢号」 という列車が有名だったらしいけど、わたしがモスクワまで乗ったのは、2009年12月に運行を開始した 「サプサン号」 というロシアの新幹線だった。
サプサンというのはロシア語でハヤブサのことだそうだ。
「赤い矢号」 はこの区間を8時間で走っていたというけど、「サプサン号」 は4時間足らずで走ってしまう。
わたしが乗ったのは1等車で、料金は日本円で1万7千円ぐらいするから、日本の新幹線の東京~岡山までくらいに匹敵する。

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なんでこんな高い列車に乗ったかという弁明をしなければならない。
なんせわたしはひとり旅だ。
一般自由席なんかに乗った日には、荷物が心配でおちおちトイレにもいけない。
で、サンクトペテルブルクのライサさんにチケットの手配を依頼するとき、一等車か個室か、なんでもいいけど、スリや泥棒が乗ってなさそうなクラスをと注文してしまったのである。
中国でなんども列車に乗ったことのあるわたしには、共産圏の列車は安いんじゃないかという偏見があったんだけど、注文した時点ではロシアの鉄道についてなにも知らなかったのだから、乱暴といえば乱暴だ。

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おかげでロシアの新幹線に乗るはめになったんだけど、これはハテ、幸運だったのか不運だったのか。
車窓から見える景色は、8時間で走っても4時間で走っても変わるわけじゃあるまい。
ゆっくりのんびりの旅を愛するわたしだけど、意外と短気なところがあって、景色が同じなら早いほうがいいと、きっと思うにちがいない。

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値段が高いのはケシカランけど、泥棒に遇ったと思えばいいのではないか。
ロシアの鉄道省を泥棒よばわりしたらまずそうな気もするけど、食事までついているからメシ代も一回浮いたと思えるし、ビールもタダだから飲み代も浮いたといえる。
早くモスクワにもどれば、そのぶんひとつかふたつは見物できるところが増える。
とまあ、いろんな屁理屈をならべたけど、いちばん大きな幸運は、まだネットにもあまり乗車記のない列車にいちはやく乗れたということかもしれない。

KGBの配慮かどうか知らないけど、わたしのとなりに最初から最後まで誰も座らなかったから、わたしは座席を占領して、移りゆく景色をのんびりたっぷり堪能することができた。
ごらんのとおり、座席はゆったりしていて、食事飲み物つきである。
きれいなお姉さんたちが食事を運んでくる。
わたしは最近日本の新幹線に乗ったことがないからわからないけど、こんなサービスを日本でもしてるんだろうか。

しかし旅好きにとって最大のサービスは、やっぱり居ながらにして移りゆく窓外の景色といっていいだろう。

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ロシアの旅/別れ

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コンサートの翌日はモスクワにもどる日である。
朝早く目をさまし、ひとりパソコンに向かいながら考える。

わたしが出会ったロシア人たちは、みんなまっとうな社会人として骨太の人生を送っている人たちである。
それにくらべるとわたしはクラゲなすただよえる人生を、この歳まで実践してきただらしない男だ。
早い話が、逆に彼らが日本に来たとしても、わたしにはウサギ小屋みたいなアパートに招待することもできないのである。
いったい今回の旅の幸運はなんだろう。
なんでわたしはこんなすばらしい夢を見ることができたのだろう。

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かほりクンへのみやげのつもりで買った 「恋する熊の歌」 という詩集の中に、こんな詩がある。
例によってちょっとぎくしゃくしたところがあるのでわたし流に直してみた。

  生まれてしまったならしようがない
  いずれにしてもいつかこの人生に勝とう
     詩人で生まれてしまったならしようがない
     いずれにしてもいつかその詩を書こう
  日本人に生まれてしまったならしようがない
  いずれにしてもいつかそのこころにかえろう

真意はわからないけど、生まれてしまったんだからしようがないという言葉がひっかかる。
そうさ。悩んでみてもしようがない。
クラゲなすただよえるわたしは、こんな性格に生まれてしまったのだからしようがないと思うしかない。

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朝食にいくとキャンデス・バーゲンちゃんに替わって、この日はオードリー・ヘプバーンみたいな娘がいた。
テーブルにはほかにロシア人親子ひと組と、あまり美しくない若い娘がひとり。
オードリーと、この娘の写真を撮る。
娘もかんたんに撮らせてくれたから日本人と仲良くなりたかったのかもしれないけど、なにしろぜんぜんロシア語はわからないもんだから、サンキューといってそれでお仕舞いである。
これではとてもわたしには映画みたいな色男はつとまらない。

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昼の12時にライサさん夫妻がわたしを迎えにホテルにやってきた。
ライサさんはわたしに会うなり、いきなり抱きついて親近感を示そうとした (ようにみえた)。
知り合い同士ですぐに抱き合うのは、ロシア人にとって不思議でもなんでもない光景だけど、ここではわたしがそういうことに不慣れな日本人であることをさとって、寸前で思いとどまったようにみえる。
彼女はわたしへのおみやげだといって、小さな額入りの風景画をくれた。

駅では荷物が多すぎて、駅舎の写真を撮っているヒマがなかったけど、わたしが乗る予定の 「サプサン号」 の写真はなんとか撮ることができた。
ライサさんたちは車内までわたしの荷物を運んでくれて、そこでお別れだった。
わたしはかんたんなロシア語でお別れの挨拶をする。
かんたんな、かんたんな挨拶で。
スパシーボ (ありがとう)。 ダスビダーニャ (さようなら)。
素晴らしい人たちと知り合いになれたサンクトペテルブルクともお別れである。

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2013年4月 4日 (木)

ロシアの旅/クラシック・コンサート

夕方になってリーザ嬢が迎えにきた。
お父さんの車はどうなりましたかと訊いてみると、なんのことかしらというような顔をする。
どうやら父親は娘に、駐車違反の件を話してないらしい。

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彼女といっしょにロシア美術館から近いコンサート・ホールに行く。
なんというホールなのかと気になったけど、あとでもらったプログラムにはミハイロフスキー劇場と書いてあった。
かってはレニングラード国立劇場だった伝統ある劇場で、こちにもおもてからみると扉がいくつか並んでいるだけのあまり目立たない劇場である。
目立たないというのはロシアではめずらしいことではないのかもしれない。
わたしはモスクワにもどったあとで、もうひとつ劇場に行ってみたけど、そっちも建物は大きいものの、入口は小さなものだった。

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伝統の重みは劇場に入ってすぐにわかった。
扉の内側は、こじんまりしているものの、タキシード、イヴニングドレスの紳士淑女たちの社交場といってもおかしくないきれいな劇場で、本来はバレエやオペラの劇場らしく、バレリーナや歌手たちの写真をかざった資料室まである。
ジーンズにウォーキングシューズでいいのかいと心配になるようなところだったけど、リーザ嬢もジーンズにブーツ姿だったし、ほかのロシア人たちもわりあいラフなスタイルの人が多かったから、劇場もむかしみたいにうるさいことをいえない時代になっているのだろう。

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わたしたちの席は5階まである観客席の4階だった。
こんなこともあろうかと、わたしはバードウォッチング用の強力な双眼鏡を持参していた。
もっともこの日の演目はクラシック・コンサートだから、オペラグラスがぜったいに必要というわけでもなかったけど。
上から1階席をながめると、いかにもセレブといった感じの、フランス映画にでも出てきそうなイブニングドレスの美人も見える。

以下、プログラムにしたがうと、この晩の演奏はサンクトペテルブルク国立交響楽団で、指揮とソリストがセルゲイ・スタドラー (Sergey Stadler) となっていた。
プッチーニのバイオリン協奏曲がこの日のメインで、休憩をはさんでほかにベートーベン、リスト、ベルリオーズ、シューマンなどの曲がならび、合唱団まで登場したロッシーニのオペラ 「ウイリアム・テル」 からの曲がフィナーレというプログラム。

セルゲイ・スタドラーという人は、太ったバイオリニストで、指揮をかねた熱演だ。
知らなかったけど、日本でも数枚のアルバムを出している有名なバイオリニストらしい。
ただ、わたしはクラシックではバイオリンよりもピアノのほうが好きで、ピアノ曲ならラフマニノフ、シューマン、モーツァルトと、いくらでも挙げられるけど、バイオリン曲となるとさっぱり。

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わたしはピアノの曲が好きでしてねとリーザ嬢と世間話をする。
彼女の母親のライサさんはピアノを弾くらしいけど、リーザ嬢は現代っ子らしく、ギターをやっているそうである。
エレキではなくクラシック・ギターだそうだ。

コンサートのほうは、最後に合唱団まで登場して、おごそかなうちにも盛大に終了したのでありました。
演奏のあいだ、わたしが寝てしまうのではないかと、リーザ嬢がこちらをちらりちらりと観察しているのがわかった。
いえ、寝ませんとも。

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ロシアの旅/近所のカフェ

わたしは日本にいるとき、あまり外へ飲みに出かける人間じゃないけど、外国にいるときは、これは好奇心というものにも突き動かされて、出かけることがある。

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ホテルの近所に半地下になったカフェがあった。
通りからのぞくと、客も若者が多いし、ウエイトレスは普段着の若い娘である。
マフィアが仕切る暴力バーにも見えなかったから、サンクトペテルブルクの散策を終えてホテルにもどったあと、ふらりと出かけてみた。

店内のようすは、トルコで見た洞窟レストランのような雰囲気。
テーブル席がいくつかと、すみっこにバー・カウンターがある。
ロシアのたいていのカフェ、レストランにはクロークがあると書いたけど、ここにはそういうものがなかったので、コートは自分の座席の横に置いた。
あとでモスクワにもどってから、かほりクンと入ってみた喫茶店にもなかったから、こういう店も増えているようだ。

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カウンターの中にジーンズの若者が働いていたので、写真を撮らせてもらった。
こういう場合、女の子のほうも捨ててはおかないのがわたしのイケナイ性格だ。
女の子の表情には、いやあねえという気分がいくらかうかがえるけど、どちらも日本人の注文にイヤな顔はしなかった。

ロシアで商売を始めると、マフィアにみかじめ料を請求されたり、悪徳警官から賄賂を要求されたりするので、なかなかうまくいかないという話を聞いたことがある。
しかしこの店の若い男女の店員や、パンク娘へのみやげを買った雑貨屋などを見ていると、ロシアでも法治の精神が根づいて、まじめな市民がまじめに商売できる環境が整いつつあるんじゃないかと思えてしまう。

ワインを注文してみた。
注文にきた若い娘に、赤ならなんでもOKということで、REDぐらいの英語は通じた。
ほかになにを注文したらいいのか、そもそもロシア語がわからないんだけど、メニューをみたら英語も併記してあったから、無難なところでピザを頼む。
ふだんのわたしならピザなんか食べるはずはないんだけどね。

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もぐもぐピザを食べながら、店内を観察してみた。
昼食には遅いし、晩食には早い中途半端な時間だったので、客は若いアベックが2組ほど。
壁にライカの写真が何枚かかかげてあった。
ライカで撮った写真ではなく、ライカ・カメラそのものの写真だったから、ここはライカが出資している店なのか。
んなバカなと思っただけ。

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最後にチャイ (お茶) を頼んだ。
なんとかかんとかいわれたけど、わからないから、なんでもいいや (OK、OK) と返事をしておいたら、出てきたのはグラスの中に刻んだ柑橘類を入れたものだった。
これに熱い湯をそそぐ。
こんなお茶ははじめて見たけど、香りがいいし、けっこう美味しくて病みつきになりそう。

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2013年4月 3日 (水)

ロシアの旅/イサク聖堂

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エルミタージュのまえを通り過ぎて、そのままイサク聖堂まで歩く。
とちゅうの公園に有名な青銅の騎士の像があったはずだけど、わたしは地図やガイドブックと首っぴきで歩いているわけではないから、帰国してからそのことに気がついた。

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地図と首っぴきにならなくても、イサク聖堂については、なにしろどこからも見える大きな建物だから間違いようがない。
この聖堂には周囲に巨大な円柱が屹立している。
円柱の高さや太さよりも、1本が114トンというその重さがスゴイ。
サンクトペテルブルクは、もともと軟弱な河口のデルタ地帯に建設された都市だから、柱の重さで沈んでしまわないようにするには大変な苦労があったそうである。

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わたしは柱の1本に傷があるのを発見した。
イサク聖堂の金色の屋根は、大戦中にドイツ空軍の絶好の目標になったというから、これはそのころの爆撃によるものかもしれない。
修理するのも大変だし、戦争を忘れないための記念碑にもなるというのでそのままにしてあるのだろう。
それとも金がないのか。
この日は屋根の一部を修理中だったけどな。

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ここでは自分でチケットを買ってみた。
250Pである。
チケットを受け取り、通路をちょっといくと、正面に彫刻でかざられた頑丈な木の扉があった。
見たところ、押しても引いてもビクともしない感じの、東大寺の仁王門のような扉である。
ムダかもしれないけど、押してみた。
わたしの細腕ではビクともしない。
うしろからきた娘が、それちがうわよ、入口はこっちと教えてくれた。
わたしが押したのは建設当初からついている聖堂本来の扉で、観光客のためにはもっとスマートで小さな入口がべつにあったのである。
他人が見たらそうとうにまぬけな光景だったみたい。

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内部はストロボだけが禁止で写真撮影はOK。
わたしはトルコのアヤソフィアや、マルタ島の聖ヨハネ大聖堂で、内部の壮大さ、華麗さに感銘をうけたことがあるけど、イサク聖堂は同じ様式ながら、それらをしのぐ大きさである。
これまでに金ピカの屋内装飾はいやというほど見てきたけど、広さ、高さともに圧倒的で、あっけにとられてドーム天井を見上げていると首が痛くなるくらい。
名所旧跡にはあまり感心しないのがたてまえのわたしだけど、ここではまたそれなりの感動があった。

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建物の屋根がドームになっているのは、日本人はついイスラム様式なんだろうと考えちゃいそうだ。
そうではなく、じつはそれよりずっと古いギリシア正教の影響なんだそうである。
しかしここは学問的、専門的、シロウトにはどうでもいいことにはできるだけふれないつもりのウチのブログなのだ。
そんなムズカシイことよりも、どうして遠くのそれらがロシアの宗教になったのかという話のほうがおもしろい。

なんでもむかし、ロシアでもどこかヨーロッパの宗教を取り入れることになり、いろんな宗教を視察した結果、ギリシア正教とその建物がいちばん荘厳で華やかで、カッコいいってことで選んだのだそうだ。
ずいぶんいいかげんだけど、ものの本にそう書いてあったから、これは冗談ではなくほんとうのことらしい。
いかにもロシア人的おおらかさがあってタノシイではないか。

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聖堂を出てからうしろをふり返ったら、丸屋根の下に数人の観光客が見えた。
イサク聖堂には展望台があって、そこからの眺めは天下一品だということを、あとでガイドブックを読んで知った。
おんどれと思ったものの、引き返すのもメンドくさいし、もういちど250P払うのもシャクなので、とうとう展望台に上る機会を逃してしまった。

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ロシアの旅/アトラスの像

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ふたたびトロイツキー橋まで引き返す。
橋を渡り始めたあたりでカメラのバッテリーが切れた。
手袋をぬいで新しいバッテリーと交換すると、これだけで手が猛烈にかじかんだ。
はっきり感じるほどじゃないけど、どうやら帰りは橋の上で向かい風になっていたらしい。
頬もひやひやするので心配になった。
ロシアでは知らないうちに顔が凍傷になることがあるそうである。
まだ橋を渡りきるまで4、500メートルあり、しかも橋の上では逃げ込む場所もないから、あわててネックウォーマーを鼻まで引き上げた。

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なんとかトロイツキー橋を無事に渡りきってホッとした。
市街地に入ってしまえば、屋内の暖房熱がもれてくるせいもあるらしく、凍傷になるほど寒くはないのである。
写真の1~4枚目までは、トロイツキー橋からエルミタージュまでの道ぞいで見た景色。

サンクトペテルブルクというと、ロシアの古都であると思っている人が多いかもしれないけど、この街を造成するための最初の杭を打ち込んだピョートル大帝は、日本でいえば江戸時代の人である。
歴史でいえばサンクトペテルブルクはモスクワよりも新興の都市で、江戸から連綿と続く東京よりも新しい街なのだ。

新しいわりには貫禄がある。
東京では赤坂プリンスホテルが解体中。
とるにたりない人間のわたしは、このビルの建設開始も知ってるし、いままたそれが片付けられるところも見ている。
日本ではビルの寿命は30年から40年だそうだ。
これでは貫禄なんかつきっこない。

サンクトペテルブルクは街の名称を何度か変えている。
レニングラードだったこともあるし、ペトログラードと呼ばれたこともある。
ペトログラードという名前はいまでも使う人がいるようだ。
サンクトペテルブルクという名前は発音しにくいので、わたしもペトログラードにしたかった。
しかしサンクトペテルブルクと呼ぶと歴史の重みとロマンを感じるけど、レニングラードやペトログラードだと、わたしには大戦中の陰うつな響きや、灰色の軍港の印象しか思い浮かばないので、やっぱりサンクトペテルブルクがいちばんいい。

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トロイツキー橋からエルミタージュに向かうと、その手前に頑固そうな建物があった。
頑固そうというのはおだやかじゃないけど、玄関のまえに巨大な石像がいくつも屹立していて、屋根をささえているところが、なんとなく頑固そうに見えたもんで。

写真がそれだけど、めだつ建物だから劇場か博物館のようなものかねえと考えた。
この日は出入りする人もいなかったから、休館日だったのかもしれない。
と思ったけど、じつはこれは新エルミタージュといって、エルミタージュの本館 (冬宮) とは別棟になっているものの、内部では通路が連絡していて、2日前に本館を観てまわったとき、すでに見学したところだった。

屹立して屋根を支えているのは、ギリシア神話に登場する、天空をささえる巨人アトラスの像であるという。
女性像はいわずもがな、男性像についても古典彫刻のそれは美の極致という感じ。
短足胴長の日本人からすると、いや、ロシア人、ローマ、ギリシア人にもこれほどの肉体美はあまりないと思えるから、これも一種のデフォルメかもしれないとやっかみ半分で見る。

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2013年4月 2日 (火)

ロシアの旅/オーロラ号

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トロイツキー橋を渡り切るとT字路になっていて、かどが公園になっており、金色のイースター・エッグみたいなモニュメントが立っている。
てっぺんに十字架がついているけど、交通標識にしちゃおおげさで、いったいなんなのか見当もつかない。

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ここからネヴァ川ぞいに右折した。
このあたりに帆船が係留されていたけど、これはレストランだった。
冬のあいだ、まして昼間ではほとんど開店休業の状態らしかった。

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ネヴァ川から分かれる支流のたもとにオーロラ号はつながれていた。
艦の近くにはみやげもの屋がたくさん並んでいる。
みやげものに関わりたくないから道路の反対側から近づくと、帝政時代の衣装を着た男女が目ざとく寄ってきて、写真を撮りませんかという。
コスプレに興味はないし、こんなのを撮ったらあとで請求書がくるに決まっているから、いんぎんにお断りをする。

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オーロラ号は革命に功績があっただけではなく、「坂の上の雲」 の日本海海戦にも参加したことがあるそうである。
日本側からこの戦いに参加した軍艦三笠は、横須賀に係留されて博物館になっていて、わたしは両方を見たことになる。

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軍艦を観たって仕方がないというので、岸壁に立ってながめただけで、艦内まで入ってみなかった。
またおまえはナニをしに行ったんだといわれそうだ。
しかし、わたしは日本海海戦についても人並みの知識はあるつもりだけど、標本になっている軍艦を観たいとはぜんぜん思わないのである。
幼児を連れた母親が近くで艦をながめていたので、この寒いのになあと感心しただけで終わり。
川の向こうに、あまりこの街にそぐわないサムスン電子のつまらないビルが見える。

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オーロラ号の向かいに、大きな時計のついた青と白のきれいな建物があった。
門からのぞくと庭に、軍服のようなおそろいの制服を着た若者が、教官に率いられて行進しているのが見えた。
場所がら海軍兵学校のようなものかもしれない。
サンクトペテルブルクは、ロシアでは数少ない海に面した大都市だから、海軍兵学校があっても不思議ではないのである。

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海に面した大都市というと、さて、どんな反応が返ってくるだろう。
サンクトペテルブルクが海に面していることは知っていても、それじゃあどこの海にどんなふうに面しているのかと訊かれると、とまどってしまう人が多いのではないだろうか。
日本とあまり縁のない地方なのでやむをえないけど、スカンジナヴィア半島との位置関係はここにあげたグーグルの地図のとおり。

サンクトペテルブルクがサンクトペチェルブルクになっちゃってるけど、ロシアの領土としては、かろうじてバルト海が見えるところって感じ。
バルト海は北海をへて北大西洋とつながっちゃいるけど、そこまで出るのは大変だ。
日本海海戦のときはロシア艦隊はここから出港し、地球を半周して、えんえん日本海まで遠征したわけだから、くたびれてしまってこてんこてんにやられたのも当然だ。

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最後の写真はオーロラ号近くの公園にあった彫刻で、港に近いせいか、女神も船の模型を持っている。
わたしは模型の船ではなく、女神の胸のあたりに注目してしまったのだけど。

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ロシアの旅/トロイツキー橋

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なにも問題はなかった。
公園をつっきって、ネヴァ川にかかるトロイツキー橋のたもとに立った。
この橋は時間がくると、かっての勝鬨橋のようなはね橋になるそうである。
寒いのに時間がくるまで待っちゃいられないというんで、橋がはねるのは見なかったけど、冬のあいだははねないという説も聞いたことがあるので、それでよかったかもしれない。

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橋の長さは500メートルほどあり、両側に歩道もあって歩いている人もいる。
両側の欄干のあいだに、ガス灯みたいな古風な街灯が等間隔にならんでいる。
なんという様式なのかしらないけど、パリのエッフェル塔と同じ人間によって設計されたんだそうだ。
そういわれれば鉄骨を組みあげたところなんか、なんとなくエッフェル塔を横に寝かせたような感じに見えないこともない。

橋の向こう岸はペトログラード島という、ネヴァ川の河口にできた大きな島で、そちら側から橋をわたってくる車が、橋を渡ったところにある交差点で渋滞を起こしていた。
現代という車社会にマッチさせるためには橋の増設が必要だけど、サンクトペテルブルクのようなクラシックな街に、景観をこわさない新しい橋を作るのはむずかしい。
いっそのこと川底にトンネルを掘ってしまえということは、とうぜんプーチンも考えているだろう。
トンネルなら日本の出番かもしれない。
イスタンブールのボスポラス海峡にトンネルを掘ってしまう日本の技術力をもってすれば、ネヴァ川のトンネルなんか赤子の手をひねるようなものではないか。
こうして日露のきずなは深まり、日本人ならノービザで誰でも気楽にロシアを旅できる時代が来ないだろうか。
期待しているけど、それまでわたしが生きているかしらねえ。

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橋の下を流れるのはネヴァ川である。
この日は典型的な冬のロシアらしい灰色の曇り空で、橋から見下ろすと川はまっ白に氷結していて、まさに映画 「アレクサンドル・ネフスキー」 で描かれたドイツ騎士団やスウェーデン軍との氷上の戦いを思い出させる (ちなみにネフスキーというのはネヴァ川の勝利者という意味)。
ただ冬期でも船の航行はあるようで、砕氷船がひとすじの航路を確保していた。
カモやカラスが氷の上を飛び交っている。

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それほど寒いのに川面には、氷に穴をあけて釣りをしている人が数人。
橋のたもとあたりには氷結していない部分もあり、マガンが群れていた。
マガンは冬になるとわたしの家の近所にもやってくるけど、彼らの中には、故郷はサンクトペテルブルクというのもいるかもしれない。

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橋を渡った向こう岸に、金色の、針のように天をさす搭が立っていた。
この塔がある場所はペトロパヴロフスク要塞といって、上から見ると函館の五稜郭のようなかたちをした人工の島だというけど、金ピカのとがった塔というのは、わたしにはあまりいい景色と思えない。
上から見る方法もない。

橋を渡ったあたりからサンクトペテルブルクの街をふりかえると、平面的にひろがった街の上に、イサク聖堂と血の上の教会がひときわ高くそびえているのが見えた。

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2013年4月 1日 (月)

ロシアの旅/街歩き

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旅の10日目、サンクトペテルブルクに着いて4日目。
ライサさん家族の好意はよくわかっているけど、この日のわたしは、疲れた、腰がいたい、今日は半日寝ていますといって、部屋にひきこもってしまうことにした。
じつはこれはライサさんに頼らずに自分で街をぶらついてみようという作戦だった。
この日は夕方からクラシック・コンサートに行く予定になっていたけど、とにかくそれまでは自由な時間が持てるわけだから、それを利用してひとりで気ままに、サンクトペテルブルクをさまよってみるつもりだったのである。

ぜんぜん目的がないのもナンだから、とりあえずオーロラ号まで行ってみることにした。
オーロラ号というのは、ロシア革命に功績のあったとされる巡洋艦のことで、現在はサンクトペテルブルク港外に係留され博物館となっている。
ということはすでに書いた。

地図をみるとサンクトペテルブルクの主要部は、エルミタージュを中心とした半径2キロぐらいの範囲におさまってしまいそう。
ここにあげたのはグーグルの航空写真で、○マークがわたしの泊まっていたホテル・グリフォン、△マークはカザン聖堂で、□マークは血の上の救世主教会である。
上のほうにネヴァ川にかかるトロイツキー橋が見えるけど、そこまでは運河づたいに北上すればいいことがわかる。
ホテルから橋まではおおむね1キロ半ぐらいで、この橋を渡ってしまえばオーロラ号までせいぜい1キロ。
このくらいなら散歩するのにちょうどいいではないか。

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ホテルを出発したのは昼の11時ごろ。
この日は冬のロシアらしい曇り空だったけど、雪が降ってきたとしてもそれほどしつこい相手ではないはずだから、かまわず出発した。

のんびり歩いていくと、血の上の教会のあたりで民族楽器を叩いている若者に出会った。
寒いのにご苦労さんということで、100メートルくらい手前で投げ銭を用意しておいた。
チップは払わない主義のけちなわたしであるけれど、芸術家に対してはわりあい気まえがいいのである。

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血の上の教会のわきには感じのいいレストランがあった。
キリル文字でPARKSと書いてある (らしい)。
腹はへってなかったから写真を撮っただけで無視。

つまらないことをだらだら書いているけど、そんなのんきに歩いていて大丈夫なのかいという人がいるかもしれない。
わたしはわりあい方向感覚のいいほうだし、サンクトペテルブルクは計画されてつくられた都市らしく、道路が広くて整然としており、ひじょうにわかりやすい。
突出した建物はイサク聖堂とか血の上の教会、ペトロパヴロフスク要塞の針のような塔など、数えるほどしかないから、どこにいてもそういうものが目印になるのである。

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ぶらぶら歩いて雪におおわれた公園にさしかかった。
ここがサンクトペテルブルクでなかったら、どうってことのない公園だ。
冬のさ中ということであまりひと気はないけど、それでもイヌを散歩させている人や、通勤途上らしい若い娘も歩いている。
スリや強盗がいたとしても、まさか日本人がひとりでこんなところをのほほんと歩いているとは思わないんじゃなかろうか。

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ロシアの旅/おみやげ

ロシアに関心のある人なら誰でも知っているだろうけど、マトリョーシカというものがある。
こけし人形みたいなもので、それ自体が入れ物になっており、中から小さな人形がつぎからつぎへと出てくるものである。
わたしにとってこんなつまらないものもない。

わたしは外国に行ってもみやげというものを買わない人間である。
理由はただひとつ、できるだけ身軽な旅を理想としているので、そんなものにわずらわされたくないのである。
でもたまには義理や人情から、どうしてもみやげのひとつぐらい買ってこなくちゃいけない場合もある。
ハワイに行ったときそんなことがあった。
そういうとき便利なのは、日本にいて外国のみやげがネット通販で買えるシステム。
それ用のギフトカタログも出ているから、これを相手に渡して、なんでも好きなものを選びな、金はこっちが払うからと出発まえにいってひんしゅくをくらったこともある。

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みやげに熱意のないわたしだけど、モスクワの格安ホテルのパンク娘になにかみやげを買っていこうと決心していた。
みやげを買っていけばなにかイイことがあると期待したわけじゃないし、ぜんぜん期待がないというと今度はウソっぽくなるけど、彼女ともっと仲良くなりたかったのである。
機会があればまたモスクワを再訪することがあるかもしれないし、そんなとき便宜をはかってもらえるかも。

むかしは日本のパンストがロシアの女の子に絶大な人気があったらしい。
いまはそんなケチな考えは通用しないと思うけど、最近の日本の女の子がはいている売春婦みたいな先鋭的派手派手パンストならどうだろう。
まだロシアのパンストは日本ほどとんがってないようだし、パンク娘のレイナなら喜びそうな気もする。
どんな反応を示すかいちど試してみたいけど、今回はそんなもの用意してないのが残念だ。

ホテルの近所に半地下になったアクセサリー屋があった。
入ってみると若い娘が2人で働いていた。
ごちゃごちゃとわけのわからないものを並べている。
観光客相手のみやげもの屋ではなく、ロシアの若者相手の雑貨屋のようだった。
観光客を相手にする店だと、もともとの値段がいくらなのか見当もつかない品物が多いけど、こちらは値段も質実剛健で、ふっかけてあるわけではなさそう。
※写真はこの店で撮ったもの。

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ネフスキー通りをひとりでぶらついているときは、半地下になった店の看板にARTという英文字が目についた。
道路からのぞいてみると、油絵や水彩画の小品や手作りのアクセサリー、置物などが見える。
せまい店内にハンドクラフト製品をごちゃごちゃと押し込んだような店で、こちらも観光客相手ではなく、もうすこし地に足のついた店のようだった。

こんな店をのぞいて歩き、ネックレスや指輪が、ちょうど日本でも都会の路上で売られている手作りアクセサリーみたいで、安くてもオリジナルっぽく見えたので、それをひとつ購入した。
パンク娘は黒や白の服でいることが多いので、銀色のネックレスにした。
まあお待ちなせえ。
パンク娘の素顔は、このあともうすぐ紹介する。

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