ロシアの旅/別れ
コンサートの翌日はモスクワにもどる日である。
朝早く目をさまし、ひとりパソコンに向かいながら考える。
わたしが出会ったロシア人たちは、みんなまっとうな社会人として骨太の人生を送っている人たちである。
それにくらべるとわたしはクラゲなすただよえる人生を、この歳まで実践してきただらしない男だ。
早い話が、逆に彼らが日本に来たとしても、わたしにはウサギ小屋みたいなアパートに招待することもできないのである。
いったい今回の旅の幸運はなんだろう。
なんでわたしはこんなすばらしい夢を見ることができたのだろう。
かほりクンへのみやげのつもりで買った 「恋する熊の歌」 という詩集の中に、こんな詩がある。
例によってちょっとぎくしゃくしたところがあるのでわたし流に直してみた。
生まれてしまったならしようがない
いずれにしてもいつかこの人生に勝とう
詩人で生まれてしまったならしようがない
いずれにしてもいつかその詩を書こう
日本人に生まれてしまったならしようがない
いずれにしてもいつかそのこころにかえろう
真意はわからないけど、生まれてしまったんだからしようがないという言葉がひっかかる。
そうさ。悩んでみてもしようがない。
クラゲなすただよえるわたしは、こんな性格に生まれてしまったのだからしようがないと思うしかない。
朝食にいくとキャンデス・バーゲンちゃんに替わって、この日はオードリー・ヘプバーンみたいな娘がいた。
テーブルにはほかにロシア人親子ひと組と、あまり美しくない若い娘がひとり。
オードリーと、この娘の写真を撮る。
娘もかんたんに撮らせてくれたから日本人と仲良くなりたかったのかもしれないけど、なにしろぜんぜんロシア語はわからないもんだから、サンキューといってそれでお仕舞いである。
これではとてもわたしには映画みたいな色男はつとまらない。
昼の12時にライサさん夫妻がわたしを迎えにホテルにやってきた。
ライサさんはわたしに会うなり、いきなり抱きついて親近感を示そうとした (ようにみえた)。
知り合い同士ですぐに抱き合うのは、ロシア人にとって不思議でもなんでもない光景だけど、ここではわたしがそういうことに不慣れな日本人であることをさとって、寸前で思いとどまったようにみえる。
彼女はわたしへのおみやげだといって、小さな額入りの風景画をくれた。
駅では荷物が多すぎて、駅舎の写真を撮っているヒマがなかったけど、わたしが乗る予定の 「サプサン号」 の写真はなんとか撮ることができた。
ライサさんたちは車内までわたしの荷物を運んでくれて、そこでお別れだった。
わたしはかんたんなロシア語でお別れの挨拶をする。
かんたんな、かんたんな挨拶で。
スパシーボ (ありがとう)。 ダスビダーニャ (さようなら)。
素晴らしい人たちと知り合いになれたサンクトペテルブルクともお別れである。
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