ロシアの旅/アトラスの像
ふたたびトロイツキー橋まで引き返す。
橋を渡り始めたあたりでカメラのバッテリーが切れた。
手袋をぬいで新しいバッテリーと交換すると、これだけで手が猛烈にかじかんだ。
はっきり感じるほどじゃないけど、どうやら帰りは橋の上で向かい風になっていたらしい。
頬もひやひやするので心配になった。
ロシアでは知らないうちに顔が凍傷になることがあるそうである。
まだ橋を渡りきるまで4、500メートルあり、しかも橋の上では逃げ込む場所もないから、あわててネックウォーマーを鼻まで引き上げた。
なんとかトロイツキー橋を無事に渡りきってホッとした。
市街地に入ってしまえば、屋内の暖房熱がもれてくるせいもあるらしく、凍傷になるほど寒くはないのである。
写真の1~4枚目までは、トロイツキー橋からエルミタージュまでの道ぞいで見た景色。
サンクトペテルブルクというと、ロシアの古都であると思っている人が多いかもしれないけど、この街を造成するための最初の杭を打ち込んだピョートル大帝は、日本でいえば江戸時代の人である。
歴史でいえばサンクトペテルブルクはモスクワよりも新興の都市で、江戸から連綿と続く東京よりも新しい街なのだ。
新しいわりには貫禄がある。
東京では赤坂プリンスホテルが解体中。
とるにたりない人間のわたしは、このビルの建設開始も知ってるし、いままたそれが片付けられるところも見ている。
日本ではビルの寿命は30年から40年だそうだ。
これでは貫禄なんかつきっこない。
サンクトペテルブルクは街の名称を何度か変えている。
レニングラードだったこともあるし、ペトログラードと呼ばれたこともある。
ペトログラードという名前はいまでも使う人がいるようだ。
サンクトペテルブルクという名前は発音しにくいので、わたしもペトログラードにしたかった。
しかしサンクトペテルブルクと呼ぶと歴史の重みとロマンを感じるけど、レニングラードやペトログラードだと、わたしには大戦中の陰うつな響きや、灰色の軍港の印象しか思い浮かばないので、やっぱりサンクトペテルブルクがいちばんいい。
トロイツキー橋からエルミタージュに向かうと、その手前に頑固そうな建物があった。
頑固そうというのはおだやかじゃないけど、玄関のまえに巨大な石像がいくつも屹立していて、屋根をささえているところが、なんとなく頑固そうに見えたもんで。
写真がそれだけど、めだつ建物だから劇場か博物館のようなものかねえと考えた。
この日は出入りする人もいなかったから、休館日だったのかもしれない。
と思ったけど、じつはこれは新エルミタージュといって、エルミタージュの本館 (冬宮) とは別棟になっているものの、内部では通路が連絡していて、2日前に本館を観てまわったとき、すでに見学したところだった。
屹立して屋根を支えているのは、ギリシア神話に登場する、天空をささえる巨人アトラスの像であるという。
女性像はいわずもがな、男性像についても古典彫刻のそれは美の極致という感じ。
短足胴長の日本人からすると、いや、ロシア人、ローマ、ギリシア人にもこれほどの肉体美はあまりないと思えるから、これも一種のデフォルメかもしれないとやっかみ半分で見る。
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