ロシアの旅/またトレチャコフ美術館
トレチャコフ美術館については、最近になってグーグルのストリートビューで館内を観てまわれることがわかった。
どこまで観られるのか、まだすべてを検証してないけど、わたしがいちばん観たいと思っていた絵のある部屋は、大半がこれで観られるようである。
さて、トレチャコフ美術館を再訪問し、また200P出してカメラに撮影可のステッカーを張ったものの、水彩画については全面的に撮影禁止だった。
展示してあった絵に挿絵やスケッチみたいな小品が多くて、容易に複製がつくられてしまうなんてのが理由かもしれない。
肝心の水彩画だけど、わたしが期待していたような絵はなかった。
美術館ではしょっちゅう展示する絵を入れ替えていますからとかほりクン。
そんなことは知ってるけど、ちょっと残念。
ずっとむかしのトレチャコフ美術館展では、階段を上がった正面に大きな水彩画が展示されていて、たまたまやってきていた中学生の女の子たちが、わっ、きれいと歓声をあげていたくらいなのである。
たまたまこの日は、どこかの国で 「ロシア水彩画展」 なる催しをやっていて、そんな絵はみんな貸し出されていたのかもしれない。
で、けっきょくまたレーピンになっちゃったんだよね。
わたしは抽象絵画やモダーンアートを目のかたきにしている。
けっしてそんなつもりはないんだけど、この旅ではダ・ウィンチ以降、印象派以前の作品ばかりほめていることも事実だ。
美術館で観たいのはレーピンやロシアの絵画で、それ以外でもわたしがひいきにしているのは、たいていは写実派の作品である場合が多い。
理由はかんたんである。
たとえばここにあげたのは、ロシアが誇る抽象画家カンディンスキーの作品だ。
じっと見つめ、うーんと考えると、ロボットやエイリアンではなく、音楽を絵で表現したもんだろうという見当もつく。
伝統的な絵画に疲れた神経には斬新に写ることもわかるし、モダーンな様式の家から需要があることもわかる。
しかしこういう絵から、ロシアの美しい風景、描かれた人物の個性、ドラマチックな光景などをストレートに感じることは、わたしの脳みそでは不可能だ。
現代絵画や抽象絵画からもイマジネーションを喚起させられることはいくらでもあるんだけど、絵画の中を旅するには、やはり見てわかる光景が描かれているもののほうがいいというわけなのだ。
けっして抽象絵画やモダーンアートを否定しているわけじゃないんだけどね。
「ハーブ&ドロシー」 という映画があった。
小さなアパートに住むしがない庶民の夫婦が、身の丈にあった絵画をしこしこと収集しているうちに、それがやがてアメリカの国立美術館に収められることになるという、こういうのもシンデレラ物語というのかもしれない。
この夫婦が集めたのは現代絵画である。
現代絵画ならまだ無名の画家の作品もあるわけで、ひょっとすると将来大化けする可能性もないわけじゃない。
絵画の収集というのは、眼識のある人にとっては株なんかよりよっぽど確実な投資かもしれないのである。
おかげで欲の皮のつっぱったわたしも、絵画の収集を始めようかなんて思ったことがあるけど、あらゆる分野が開拓され尽くした現代絵画の世界では、同じレベルの絵だってはなはだ多いだろうし、その中から抜け出すには、画家の才能よりも商才と偶然の幸運と画廊のおもわくがモノをいうんじゃなかろうか。
やっぱり自信をもってやめておくことにした。
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