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2013年5月28日 (火)

崎山湾酔夢譚

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ずっとむかし、昭和58年だから、いまから30年もむかしのことだけど、はじめて沖縄の西表島に行ったときのこと。
なにしろ初めてだし、まだインターネットなんてものもなかったから、現地の情報を入手するにはガイドブックで調べるくらいしか方法がなかった。
で、なにもわからないまま東京で民宿を予約して出かけた。

飛行機を乗り継ぎ、フェリーに乗って西表島の桟橋に到着すると、コンクリート打ちっぱなしみたいなえらい殺風景なところで、季節はずれだったせいか、わたし以外に観光客なんてひとりもいなかった。
どうやって宿まで行けばいいかと電話してみると、主人がバスで来ればいいという。
あいにくバスの時間までだいぶ時間がある。
もういちど電話すると、それじゃ迎えにいくからという。
自家用車でくるのかと思ったら、ラーメン屋が出前に使うようなスーパーカブだった。
汗くさいランニング姿の親父にしがみついて到着したところは、なんと赤提灯の安っぽいラーメン屋で、部屋は2階の物置きみたいなところだった。
ラーメン屋を民宿だなんて紹介すんなよと、わたしはいまでも当時のガイドブックに文句がある。
いまとちがってまだ西表が観光ずれしていないころの思い出である。

その後、沖縄には何回も出かけていて、数年まえには本島の近くにあるラガンヌ島という砂州の島、そのまえには宮古島の八重干瀬にも行ったことがある。
期待していたほど魚の数は多くなかった。
そんなことはない、あそこにはたくさんの魚がいるという人がいたら、その人は30年前の沖縄の海を知らないのである。

天国にいちばん近い島なんていわれていた竹富島も、初めて見たときの原始的な美しさはとっくに消滅していた。
いまでも美しいじゃないかという人は、現代的できれいなホテルやレストランのある観光地をステキと考える人なのだろう。
きっとディズニーランドも好きな人にちがいない (わたしはキライである)。

30年なんてほんのひと昔って感じなのに、このあいだの沖縄の変化には目をみはるものがあり、しかも変化の大半が、わたしみたいな天然自然を愛する人間には堕落としか映らないのは悲しいことだ。

去年の11月30日のこのブログで、沖縄の西表島にある崎山湾についてふれた。
30年まえの旅では、ダイビングボートに乗ってそこへ行く機会があった。
そのときそのあたりの海の美しさに仰天して、それ以来なんとかまたそこへ行きたいと念願してたんだけど、どうやらその機会がめぐってきたみたい。
わたしはもうすぐ、友人数名とそこへ旅立つ予定である。
ただ出発まえに、わたしが団体行動に不熱心だというんで、同好のメンバーがふてくされてしまったみたいだ。
次項でいささか弁解をこころみる。

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