« 2013年4月 | トップページ | 2013年6月 »

2013年5月

2013年5月31日 (金)

古い情報誌

0000

まもなく30年ぶりの沖縄・西表島に出かける予定だけど、べつにそれに呼応したわけじゃなく、部屋の本箱を整理していたら30年まえの 「BRUTUS」 が出てきた。
1983年8月1日号だから、掛け値なしの30年まえだ。

このときの号は 「カメラの新境地を探検する」 という特集号で、カメラについてあれやこれやと書いてあるんだけど、性能、機種など隔世の感がある。
なんといったってオートフォーカス・カメラがおずおずと登場したばかりで、駆動機構をボディにつけるかレンズ側にするかなんて、メーカーも試行錯誤のころだ。
どかんと見開きのコマーシャルはキャノンA-1のもの。
もちろんフィルム・カメラだ。
コダックもまだまだ元気で、未来にぜんぜん不安なんか感じてなかったようである。
サクラカラーも見開きだけど、この会社いまはどうなっちゃってるのか。

まだパソコンなんてものの影もかたちもなかった時代だから、この本に載っているフィルターを使ったテクニック、ブレやボスタリゼーションなどの芸術的表現など、こんなもん、いまアドビのフォトショップがあれば、部屋でいながらにして出来てしまうじゃんという感じ。

カメラ特集以外に連載もあって、村上龍がキザな小説を書いているし、まだ宗教にかぶれるまえの景山民夫や、まだ髪黒々の天野祐吉さんのエッセイなどがある。
こういう情報誌は30年ぶりぐらいに見ると、タイムマシンに乗って過去への旅をしているようなもので、すこぶるおもしろい。
ゴミとして出すつもりだったんだけど、ちょいと読み始めたら止まらない。
まだほかに古い 「POPEYE」 や 「Number」 なんかがあるし、困ったモン。

添付した画像はこの本のなかのコマーシャルに使われていたもので、腰のあたりがワタシ好み。
このモデルさんもいまでは、たぶん、50歳ぐらいになっているはず。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年5月30日 (木)

口だし

467a 467b

崎山湾への旅では参加者全員が自由行動というスタンスでいくことにしたので、他人のやることに口は出さない。
とはいうものの、メンバーの中には初めて先島 (八重山諸島) へ行く者もおり、その人はあれも見たいこれも見たいと、めちゃくちゃ欲張ったスケジュールを組んでいるようである。
そんなことはやめなさいというと、他人に口をさしはさむことになってしまう。
こういうときブログは便利だ。
どうせやっこさんもこれを読んでいるに決まっているから、面と向かわずに、さりげなく口をはさむことができる。

この知り合いは石垣島から西表島、小浜島、竹富島、そして鳩間島までみんな見てくるつもりらしい。
これらの島はみんな近距離にあるから、今回の日程 (4泊5日) でそれは不可能じゃないけど、あまり感心しない。
これではたんに表面をなぞるだけのパックツアーになってしまう。
西表島、石垣島の観光だけで、それぞれ1日はたっぷりかかるし、ほかに小さな竹富島でさえじっくり見れば半日はかかる。

30年まえの旅は6泊7日で、もっともこのときはダイビング目的だったんだけど、わたしは西表島と竹富島を見物しただけで、石垣島は飛行場と港のあいだを往復しただけだった。
その後石垣島を再訪したけど、このときは石垣島だけで完全に2日がつぶれた。
そのかわり島を車で一周して、マングローブの林の奥ではトビハゼやシオマネキと遊んだり、サンゴ礁の海でシュノーケリングをしたりした。

ま、わたしのやり方を無理に薦めるわけじゃないけど、欲張らないでもうすこし腰を落ちつけた旅をしたほうがいい。
竹富島だけは見ておいたほうがいい。
赤瓦の屋根に乗ったシーサーの素朴な愛らしさにノックダウンさせられること請け合いだ。
そしてあまった時間は、もちろん泡盛を呑むためにとっておいたほうがいい。
オワカリかな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年5月29日 (水)

弁明

465b

どこへ行ってもたいていそうだけど、わたしの趣味はほかの人とちがっている場合が多い。
旅に出ても名所旧跡よりは、市場だとか下町だとか田んぼのある風景だとか、他人があまり興味をもたないものに魅かれてしまう。
食べ物なんかでも、わたしの好きなものは魚と野菜がメインで、とくに刺身が大好物で、肉や揚げものなんかあまり食べたいと思わない人間なのである。
わたしの知り合いで、今回いっしょに行く人間の中には、肉がないと生きていけないという者もいる。

世間には、どっちかというとそういう人のほうが多いみたいで、わたしはいつでもどこでも浮かびあがってしまう困った性格なのだ。
無理してヘソ曲がりしているわけじゃないから始末がわるい。
大勢で行く場合はまわりに合わせるべきだという人がいるかもしれない。
そうなると大勢の人はいいけど、わたしひとりがつまらない体験をしなければいけなくなる。

やっぱり根本的な問題は、団体行動がキライというわたしの孤独癖だろう。
そんならはじめからひとりで旅行に行けばよさそうなもんだといわれてしまいそう。
もちろん最初はそのつもりだった。
ただ、わたしが行こうとしている西表島の崎山湾は、その美しさをひとり占めするのはモッタイナイところだ。
ハワイでいっしょにダイヤモンドヘッドに登ったO君は、財閥のくせにひとりじゃどこにも出かけない人間だから、彼にもきれいな海というものを見せてやろうと思った。

O君に声をかけると、なんせ彼は情報漏えいのプロだからたまらない。
この話はあっという間に拡散して、それじゃあボクもアタシもと、たちまち参加者が30数名、というのはオーバーだけど、複数のメンバーが集まった。
こうなるとわたしのわがままはいよいよ際立ってしまう。
だからといって他人に合わせようとも思わない。
だいたいこのメンバーの中で、いちばん旅に思い入れを持っているのはわたしなのだ。

どうしたらいいかと悩んだあげく、提案したのが、今回の旅ではまったく参加者の自由行動にまかせるスタンス。
意見の合わない人間が集まった場合、これがベストの方法だろうと思う。
でもそれはわたし方向からの見立てで、団体でワイワイ騒ぐのが好きだという人間の側からみれば、やはりわたしは反抗分子のよう。
子供のこころをもった人、好奇心に富んだ人、天然自然を愛する人になら、とってもとってもすてきな旅を保証してあげるのにね。

崎山湾は、秘境といわれる西表島のなかでも、ほとんど開発されてない西のはずれのほうにあって、グーグルの航空写真でにながめても、このあたりにはまだ道路もできてないようだ。
日本アルプスのてっぺんの山小屋でさえカフェができる現在、自然があるがままのすがたで残った、ほんとうの意味で秘境とよべるのはこのあたりじゃないかと思う。
どこかのバカが西表を世界遺産に推薦して、ぶしつけな観光客が押し寄せないうちに、それを自分の目で確認するのはひじょうに貴重な体験になること請け合いなのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年5月28日 (火)

崎山湾酔夢譚

465a

ずっとむかし、昭和58年だから、いまから30年もむかしのことだけど、はじめて沖縄の西表島に行ったときのこと。
なにしろ初めてだし、まだインターネットなんてものもなかったから、現地の情報を入手するにはガイドブックで調べるくらいしか方法がなかった。
で、なにもわからないまま東京で民宿を予約して出かけた。

飛行機を乗り継ぎ、フェリーに乗って西表島の桟橋に到着すると、コンクリート打ちっぱなしみたいなえらい殺風景なところで、季節はずれだったせいか、わたし以外に観光客なんてひとりもいなかった。
どうやって宿まで行けばいいかと電話してみると、主人がバスで来ればいいという。
あいにくバスの時間までだいぶ時間がある。
もういちど電話すると、それじゃ迎えにいくからという。
自家用車でくるのかと思ったら、ラーメン屋が出前に使うようなスーパーカブだった。
汗くさいランニング姿の親父にしがみついて到着したところは、なんと赤提灯の安っぽいラーメン屋で、部屋は2階の物置きみたいなところだった。
ラーメン屋を民宿だなんて紹介すんなよと、わたしはいまでも当時のガイドブックに文句がある。
いまとちがってまだ西表が観光ずれしていないころの思い出である。

その後、沖縄には何回も出かけていて、数年まえには本島の近くにあるラガンヌ島という砂州の島、そのまえには宮古島の八重干瀬にも行ったことがある。
期待していたほど魚の数は多くなかった。
そんなことはない、あそこにはたくさんの魚がいるという人がいたら、その人は30年前の沖縄の海を知らないのである。

天国にいちばん近い島なんていわれていた竹富島も、初めて見たときの原始的な美しさはとっくに消滅していた。
いまでも美しいじゃないかという人は、現代的できれいなホテルやレストランのある観光地をステキと考える人なのだろう。
きっとディズニーランドも好きな人にちがいない (わたしはキライである)。

30年なんてほんのひと昔って感じなのに、このあいだの沖縄の変化には目をみはるものがあり、しかも変化の大半が、わたしみたいな天然自然を愛する人間には堕落としか映らないのは悲しいことだ。

去年の11月30日のこのブログで、沖縄の西表島にある崎山湾についてふれた。
30年まえの旅では、ダイビングボートに乗ってそこへ行く機会があった。
そのときそのあたりの海の美しさに仰天して、それ以来なんとかまたそこへ行きたいと念願してたんだけど、どうやらその機会がめぐってきたみたい。
わたしはもうすぐ、友人数名とそこへ旅立つ予定である。
ただ出発まえに、わたしが団体行動に不熱心だというんで、同好のメンバーがふてくされてしまったみたいだ。
次項でいささか弁解をこころみる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年5月27日 (月)

支援競争

今朝の新聞もつっこみどころがいっぱいだねえ。
ネタが多すぎると文章をまとめるのに苦労するんだけど、そん中からアフリカ会議について。
いや、もう落日の日本を象徴するような記事。

最近景気のいいアフリカで先進国の支援競争が始まっているのだそうである。
日本は景気のいいころさんざん恩を売ったはずなのに、冷酷な国際関係のもとでそんなものは一顧だにされない。
アフリカの小さな国に港を作ってあげましょうといっても、いや、中国がやってくれるからいいですといわれてしまうんだそうだ。
べつにいじわるじゃなく、これが上がり調子の国と下り調子の国の差で、あちらにしてみればとにかくたくさん出してくれるところを頼りにするだけ。

日本人は義理だ人情だなんてものを大切にして、けっきょくおいしいところはみんなよその国に持っていかれる。
そういう点じゃさすがに4000年の人治の歴史をもつ中国は、人心を、いや、為政者のこころをつかむのが上手だ。
日本がもっぱら地味な民生の部分を支援するのに対し、中国は政治家がよろこぶ建設や開発部分を集中的に支援するのだそうである。
アフリカの道路工事現場で、どこの国の支援ですかと訊いたら、中国に決まってんだろといわれ、日本の二の字も出なかったそうだ。

アフリカや中近東あたりじゃ、政府の高官が露骨にワイロを要求するところもあるそうで、つまり体よくたかられているようなもん。
ずっとまえに見たドキュメンタリー番組では、イラクの石油相が日本の交渉相手にむかって、日本ももうすこし国際競争力をつけたほうがいいとのたまう場面があった。
これはおそらく、日本はもうすこしワイロの相場について勉強したほうがいい、という意味なのだろう。
支援だなんだといっても、けっきょくモノをいうのはそのへんの気配りってことになる。

ま、悲しむことばかりじゃないさ。
発想を変えれば、たかられる対象が日本から中国に移っただけじゃないか。
中国がアフリカで幅をきかせるためには、そうとうの金をつぎこんでいるはずだし、そのくせ将来国が左前になってそういうものを出し渋れば、売ったはずの恩がたちまち忘れ去られるというのがこの世界の道理だ。
いくら金を出して政府高官を手なづけても、あのへんじゃ政府がころりとひっくり返るのが日常茶飯事だし。
栄枯盛衰は世のならいである。

でもそのころにはアベノミクスがはじけて、日本も支援される国にまでおちぶれているかも。
そのときこそ、こっちからいってみたいもんだねえ。
おたくももうちっと支援の相場を勉強したほうがエエですよって。
これじゃあどっちが支援されてるのかわかんない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年5月26日 (日)

モーリタニアのタコ

今朝の新聞に目を通していたら、最近はアフリカが重要だってことで、アフリカ特集だ。
「タコと日本人三方良し」 という記事があって、日本人がモーリタニアの漁民にタコツボ漁法を教え、いまやタコの日本向け輸出がモーリタニアの有力産業になっているという記事。
モーリタニアにとっても、現地の漁民にとっても、日本にとってもいいことだから、三方良しなんだそうだ。
現地のタコにとって、はなはだ迷惑という視点が抜けてます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年5月25日 (土)

最近の世相

株が乱高下ってことだけど、だからどうしたのっていうしかない。
それ見たことかと政策や日銀総裁をけなすのは、結果がわかったあとで文句をいうみたいで、あまりカッコよくない。
興石のじいさんが、アベノミクスじゃなくアベノリスクだなんてだ洒落をいったについては、むふんと口もとをゆがめるしかない。

つまり、なんだな。
株を上げるだけならかんたんだってことだな。
日銀総裁って人が盛大なホラを吹くだけでいいってことか。
これなら誰にでもできる。
わたしにもできる。

だいたいワタシ、あの黒田サンていう人キライ。
日銀の総裁に就任したとき、にたらにたらと薄ら笑いをうかべて登場した。
現状を正しく認識していれば、おのれに課せられた任務の前途多難さを思い、苦渋と困惑がごたまぜになったような顔をして当然のはずなのに、オレもいよいよ一国一城のあるじかってうれしそうな顔してんだもん。
ま、なにがどう転んでもこの人あたりになると路頭にまようことはないし、お役人の楽しみっていったら出世ぐらいしかないもんな。
今日のニュースじゃ中国に、あの中国にさえ先行きを心配されていた。

株の大暴落の日のネット・ニュースに、「声優の平野綾さんがツィッターをやめる」 という報道。
声優の平野というと和田誠夫人のレミさんしか思い浮かばないけど、調べてみたらこちらはカワイ子ちゃんのタレントだった。
フォロワーが38万人いたそうで、わたしのブログとはけた違いだのにモッタイナイ。
というより、やっぱりそんなものだろうとの感慨アリ。
タレントのたわいないおしゃべりに一喜一憂しているアホ・ファンに、いったいなにを期待していたのかしら。
このカワイ子ちゃんは本音でモノをいうのが好きらしいので、いつかファンと衝突するのは時間の問題だったようだ。

今日のニュースじゃ全柔連の福田理事がセクハラで退任するそうだ。
さぞかし汗くさいマッチョマン・タイプの人かと思ったら、76歳のおじいさんじゃないか。
こんな年寄りがキスをしたぐらいで騒ぐやつがいるか。
「あら、理事さん、お元気ねえ」 と余裕で切り返すぐらいの度量のあるオンナの人はいないもんかねえ。
こういうおじいさんをテレビに引っ張り出して、さらし者にするのが楽しいのか。
わたしもオンナの人と2人きりになるとキスをせまる傾向があるから、最近の世相を憂いてしまう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年5月23日 (木)

競馬で儲ける

三浦サンが80歳でエベレスト登頂だってことだけど、だからどうしたのっていうしかない。
わたしがひとりでロシアを旅してきたぞとイバっても誰も感心しないのといっしょ。
それより競馬で1億4千万円儲けたって人が、脱税をしたとかしないとかっていうハナシのほうがおもしろい。

金銭にはわりあい淡白なわたしだけど、ええ、競馬ってそんなに儲かるのってなモン。
この新聞記事の主人公さんは、過去のデータを徹底的に分析し、自分なりの予想ソフトを作って、3年間で30億円の払い戻しを受けたのだそうだ。
そんなソフトがありうるのか。
JRAもまっ青ではないか。
わたしも部屋にひきこもって、データを集めたり分析したりするのが偏執狂的に好きだから、競馬で合法的に金儲けをするのにむいているかもしれない。
何億という金額に目がくらんだわたしは、新聞記事をよくよく読んでみた。

この記事の主人公さんは、2007~09年に28億7千万円を競馬につぎこみ、30億円余りの払戻金を受け、約1億4千万円の利益を出したのに、税務申告を怠ったのだという。
どこまでが経費になるのかなんて論争はこのさい無視するとして、いまどきこんな利率のいい金融商品があるだろうか。
もっともこの儲けの中から5千万円は税金でもっていかれるらしいし、それを引いた利益から利率を計算すると、けっしてべらぼうにおどろくほどのものでもないけど、それでも欲ボケしたわたしにはおどろくべきニュースである。

さっそくマネしようかなんて考えた。
でもねえ。
わたしの知り合いにも競馬狂だった人がいて、損をしない程度でいいのなら、結果をプラスにするのはそれほどむずかしくないという。
だからやってみる価値はあるかもしれないけど、そのためにはおそらく朝から晩まで競馬のデータをとっていなくちゃいけないだろう。
自分の好きなことなら熱中するわたしだけど、あいにく競馬に興味はないから、これはシンドイ。
だいたい何億なんて金を競馬につぎこむくらいなら、そんな金があるくらいなら、その金で世界中を旅して歩くほうがいい。
ささやかにつぎこんで小遣いていどにに儲けるなんざ、短気なわたしにはムリ、ムリ。
今夜も仕事そっちのけでまた金にならないことに熱中して。
やっぱりダメだな。 金儲けの才はまったくないみたいだな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年5月21日 (火)

××万人目

橋下クンはよけいなことをいって火の粉をかぶることになったけど、世の中にはわかっていても口に出してはいけないことがあるものだ。

今日の新聞に、スカイツリーに客が634万人突破という記事。
ずいぶん中途半端な数字だと思ったら、ツリーの高さが634メートルなんだと。
ナルホドと納得。
で、634万人目の客に記念品を贈呈とかなんとか。
それも他人がやることだからなんだっていいけど、こういうことは動物園や遊園地でもよくやってるよね。
あなたが××万人目の客ですって、選ばれるのはいつも家族連れ、それも小学生か中学生の子供がいる家族ばっかりだ。
恋人同士なんてのが当たる場合もあるけど、たいてい幸福ではちきれそうっていう若いカップルに決まっている。

ランダムに選んでいるなら、たまには酔っぱらって赤い顔をしたおじさんだとか、倦怠期でいがみあっている夫婦が当たってもよさそうなものだけど、そういうことはゼッタイにない。
おかしいじゃねえか。
というような疑問は口に出していけないのである。
世の中にはこのていどの欺瞞はいくらでもあるのだ。
わたしだってたまには、競馬場やオートレース、パチンコ屋などが、あなたが××人目の客ですってセレモニーをやって、もっと人間くさい人たちが選ばれるのを見てみたいんだけどね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年5月20日 (月)

版画

000

添付したのはこのブログの今年1月17日に紹介した、わたしの幼なじみのカトー君の新しい版画作品  (本来は縦長の絵なのでブログ用に改変してあります)。

水彩やリトグラフに見えるけど、れっきとした木彫作品だそうだ。
どうやって制作しているのか興味があるけど、彼は正しい版画家の義務として、目的の枚数を刷り終えたあと、オリジナルの版木は廃棄してしまうという。
そういう作品を勝手にブログに載せていいのかという人もいるかもしれないけど、版画の味わいはデジタル変換された絵から複製できるものではないから、ま、いいんじゃないか。

わたしは絵画については、抽象的なものより具象的なもののほうが好きで、ロシアでももっぱらダ・ウィンチ以降、印象派以前の作品あたりを重点的に観てまわっていた。
そういうわけで前回彼に会ったとき、その女性を描いた作品に魅了され、ここはひとつ、若い娘の作品で勝負すべきだよなんてよけいなおせっかい (なんだかここんところよけいなおせっかいが多いみたい) をやいておいたんだけど、その答えがこれだ。
べつになんてことのない絵じゃないかという人は、想像力の欠如である。
そういう人は映像でも、そのものズバリの本番がないと満足しない人にちがいない。

わたしはピカソの絵から生身の人間を想像することはできないけど、服を着た女性をながめて、その下の裸体を想像するようなことは、どっちかというと得意なほうだと思う。
そういう人間からみればこの絵はひじょうに官能的なのである。
この絵からは、すでに男を知った女性の脂粉の香りがただよってくる。
若いころのわたしなら、ああ、たまらない!と、ドリンク剤の数本も用意してかからなければいけない絵なのだ。

現代絵画の小品をしこしこと蒐集しているうち、それが膨大なコレクションになってしまい、やがて全作品がアメリカ国立美術館に寄贈されることになるっていうアメリカ映画があったけど、わたしもこんな絵なら自分の愉しみとして集めたい。
そんな価値のある絵だ。
いまならまだ買える。
ただ残念なことに、わたしの部屋に飾ったのでは絵のほうに迷惑だ。
ペットでも絵画でも嫁さんでも、そのものに本当に愛情をそそぐなら、それなりの環境を用意して迎えなければいけないということがある。
冷蔵庫に期限切れの食品が収まっているようなだらしない男所帯で、芸術作品を飾ろうなんという野望はもつべきではない。

ひさしぶりにカトー君と会ったら、メビウスの輪みたいな無限軌道をもつ木工品を見せてくれた。
それもいいけど、もっとじゃんじゃん女性の絵を彫らんかい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年5月17日 (金)

木更津フイッシュアイ

465

新聞に 「ふしぎ探検隊」 という連載があって、今日は木更津にあるフイッシュアイというものが紹介されていた。
なんかの実験のために造られたまるい池が、けっきょく実験は中断したまま放置され、上空から見ると魚の眼に見えるのだそうだ。
あたりの地形まで魚の頭みたいでまさにぴったりってことだけど、新聞記事では地形まではわからない。
わからないと知りたくなるのが人情で、さっそくグーグルの衛星写真で調べてみた。

わたし以外にも知りたくなった人がいるんじゃないかと、よけいなおせっかいで、その写真を添付する
魚に見えるかほかのものに見えるかどうかはともかくとして、ここは野鳥や干潟の動物が豊富なところだそうなので、そのうち双眼鏡をもって行ってみようかと思う。

ところで橋下クンの発言については、アメリカの国務省まで抗議の表明だそうだ。
その発言をフォローしたわたしのブログにもなんかいってくるんじゃないかと戦々恐々としていたけど (入国禁止なんてことになったら困るのだ)、いまんところそんな音沙汰なし。
まあ、あっちはメジャーでこっちはマイナーですけどね、プン。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年5月15日 (水)

本音主義

沖縄の女性県議さんや、新聞の投書欄にも橋下クンの発言をとがめる意見。
自民党の野田聖子チャンもけしからんといっている。
慰安婦は必要だというのは女性を屈辱しているからイケナイらしい。

かりに軍隊に慰安婦なんてものがなかったらどうなるか。
やっぱり現地調達ってことになるだろうねえ。
慰安婦を制度として採り入れなかった国では、女はそのへんにいるのを適当につかまえてすませろってことになる。
ムチャ?

ヨーロッパなんて長い戦争ばっかりの歴史があるけど、どこの国でもいつの時代でも、勝ったほうはやりたい放題だ。
敗戦国の女性は戦勝国の男のなぐさめものになるのが当然で、むかしの戦争はあんがいそんなところが目的だったのかもしれない。
そりゃローマ時代の話だろ、十字軍の時代の戦争じゃないかという人は、まさかいないだろうねえ。
中国の戦争なんて伝統的に給料は払わん、食べ物も女もみんな現地で調達しろってのがふつうだったし、第二次世界大戦のロシア軍も占領したドイツで盛大に現地調達をした。
ボスニアやアフリカの内戦ていう近代の戦争でもレイプは日常茶飯事だった。
戦勝国でこんな話があまり聞かれないのは、勝ったほうはあとでもみ消しが可能だったからで、沖縄やベトナムあたりじゃアメリカだってだいぶ現地調達に精を出したようだ。

そういうことはしてはイケマセンですむなら簡単だけど、そりゃ男ってもんの本質を理解してない発言だよなあ。
日本軍はそういうことをよく理解していた。
兵隊が現地で一般女性に手を出さないように、慰安婦という制度をつくって、もちろんそこで働く女性にはそれなりの給料を払って、欲望はもっぱらそこで発散させるようにした。
給料を払わずに女性を拉致してきたとすれば、けっきょく現地調達を奨励しているようなもので、慰安婦制度なんてものをつくる意味がない。
そういう日本人の相手を思いやる?苦心が曲解されているのは残念だ。

たてまえとしては、慰安婦なんて制度が許されるわけないんだけど、そういうものが必要悪として存在していたことも事実。
慰安婦は身を挺して現地女性の貞操を守っていたことになる。
ようするに橋下クンが責められているのは、慰安婦の是非ではなく、言ってはいけない本音の部分をいったのどうのってことなんだよね。
わたしのブログは本音主義なので、たてまえ論には組してません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年5月14日 (火)

よけいなお世話

464

おお、ひさしぶりにブログ更新欲がむずむずする事件。
こういうネタをおおいに活用するわたしもヒトがわるいよな。

あの橋下クンが沖縄の基地司令官に向かって、米軍ももっと風俗を活用してほしいと請願したそうである。
不祥事、おおむね性犯罪の多い米軍にかんがみ、沖縄県民のためにした発言だったようだけど、そこまでおせっかいやくか、フツー。
慰安婦は必要だという彼の信念に共鳴してますけどね。
今回はどうも橋下クンの、近い将来消滅する予定の維新の会にアセったいさみ足だったようだ。

だいたい沖縄の米軍による性犯罪が、人口比などから考えて、突出しているほど多いのかしら。
なにしろ沖縄だから、なにしろ米軍だからってことで、酔っぱらって小学校に侵入したとか、電信柱に立ち小便をしたなんてことも、みんな事件にカウントされてんじゃないのかねえ。

ワタシはむかし横須賀の自衛隊にいたことがあるけど、当時のあそこには米軍相手の風俗が多かった。
こういうところで働く女性だって、広義に解釈するまでもなく、やっぱ慰安婦といえる。
こういうものはどこの軍隊にも必要なものだし、需要が多ければ供給もかならずあるものである。
昨今の女の子なら、沖縄に海水浴に行って、その費用は現地の風俗で稼ぎ、ついでに米軍兵士とねんごろになって、生まれた子供は将来芸能界にと考えているのがいないともかぎらないっていうのは考えすぎだけど、沖縄だってちょいと気のきいた兵士ならとっくにそういうところを利用しているだろう。
米軍司令官だって自分とこの兵隊が警察沙汰を起こすくらいなら、そっちで発散するようにと本音じゃ考えているに決まっている。
他人が心配してさしあげる問題じゃない。

ちなみに沖縄で日本人相手の風俗は、国際通りではなく、Pという大きなホテルの近くにある。
しかし新婚旅行で行く者はいても、わざわざ風俗を体験するために沖縄に行くやつはいないから、あまり繁盛してないようだった。
橋下クンの発言が、不景気に悩むその業界になりかわってお願いしたものなら、業界からのロビー活動というわけで、パチンコ業界と癒着する政治家と同じスジのものだけど。
あ、またすぐに脱線する、このブログ。

慰安婦だの風俗だのって話題はあくまで男性目線の意見だから、世間にごまんといる女性を敵にまわしたくない人や、まだ女にもてたいと考えている男 (ワタシみたいなの) は、あまり口に出さないほうがいいです。
これもまたよけいなおせっかいかな。

PS.添付した画像はPホテルの近くに咲いていた花で、沖縄の風俗へ行くにはこれが目じるしだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年5月13日 (月)

ビョーキ

またビョーキが始まりました。
1円にもならないことに熱中するっていう病気。
昨日おとといと、徹夜で、メシもろくすっぽ食べないでがんぱっています。
ああああ、この執念を株式投資か競馬にでもつぎこんでいれば、ワタシもいっぱしの家庭人におさまっていたかもしんないのに。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年5月12日 (日)

汚名挽回

今朝の朝刊の23面いっぱいを使って、朝日新聞が 「乃木坂46」 のカワイ子ちゃんをいたぶる記事。
乃木坂46というのは、あのAKBの2番煎じをねらうアイドル・グループらしい。
メンバーは知的アイドルをめざしているんだそうだ。

記事というのは、つぎの文章の中のおかしな表現を見つける、あるいは指定された言葉を使って短文を作りなさいっていうもの。
「気のおける間柄」 「汚名を挽回する」 「新曲のさわり」 なんて設問が3つばかり。、

そんなことを最近の若いカワイ子ちゃんにやらせるなんて、しかも問題を出したのが朝日新聞の校閲センター出身の記者だなんて、そりゃフェアじゃないでしょうと批判がましくながめたけど、なんの、カワイ子ちゃんもけっこうやるものだ。

だいたい、このうち 「気のおける」 と 「新曲のさわり」 については、ワタシにも難なく答えられたけど、「汚名を挽回する」 のどこがおかしいのか、うーんとしばらく考えこんじゃった。
もと校閲記者さんが美少女たちをまえに得々と解説するのを聞いて、なるほどと思う反面、そんな重箱のすみをつっつくようなコトしなくてもいいじゃんと思う。
専門家がみたら、わたしのブログだって間違いやおかしな表現だらけだと思う。
仕方ないでしょ。
わたしには校閲係りというのがついてないんだから。
ただだらしなく文章を書きなぐっているだけなんだから。
それでもならして50人ぐらいの読者はいるんだから。
文部省に推薦してもらおうとも思ってな、ん? 文部省ってもうないんだっけか。
それ、ウィキべディア。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年5月10日 (金)

バーゼルワールド

463xxx

手作りの昼メシを食いながら朝刊を(すみからすみまで)再読していたら、ありました、ありました、格好のブログ・ネタが。

今朝の朝刊の1面をつぶしてセイコー時計のコマーシャル。
そこにバーゼルワールドという言葉が出ていた。
車に各地のモーターショーがあるように、これは世界中のブランド時計の新作発表の場であるそうだ。
ブルガリだとかロレックス、オメガ、ラドー、タグホイヤーなど、わたしとまったく縁のない高級時計がずらりと勢ぞろいするところだそうである。
縁はなくても時計というやつは、その硬派のデザインが男ごころを魅了してやまない。

じつはわたしはデザインというものにひじょうに関心があるのだ。
自動車でいえばトヨタのプリウス、あの未来的なデザインはとてもすてきだと思っているのだが、友人の中にはそれをぜんぜん認めない者がいる。
それで論争を始めると、相手のほうが口は達者だから、わたしは一敗地にまみれ、くやし涙にくれることになるのである。
これというのもわたしが無名だからいけないのだ。
こういうわからず屋を納得させるには、あのCAR GRAPHICで、なんとかいう有名なデザイナーがプリウスを褒めていたと書くだけでいい。

さて、ブランド時計を買う金のないわたしだけど、そういうもののデザインにはすごくひかれてしまう。
動かなくてもいいし、時計本来の役割を果たさなくてもいいから、インテリアの小物として部屋に飾っておきたいくらいだ。
そう考えたあとでいい方法を思いついた。
大きな声ではいわないけど、また香港にでも出かけてみようかと思う。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

本の追記

朝刊さえあればブログのネタのひとつやふたつ、たちまちデッチ上げてみせると豪語するワタシだけど、今朝の朝刊をながめたらおもしろい記事がなーんにもないね。
マクロ写真でごまかそうと思っても、今日は撮影に出かけてないし。
それでちょっと過去のネタをひっぱり出す。

「大探検時代の博物学者たち」 という本のことをブログに書いた翌日の夕刊に、トゥアレグ族の記事が出ていた。
トゥアレグ族はサハラ砂漠に暮らす遊牧民だけど、最近のゴタゴタした周辺諸国の騒乱にまきこまれ、伝統的な生活があやぶまれているという。
新聞記事は彼らの窮状にもっと注意をはらってほしいというもの。
注意をはらわなけりゃならない窮状が多すぎるのが最近の世情の難点だよな。

それを読んでふたたび 「大探検時代の」 という本のことを、追記みたいなかたちで考えた。

大探検時代にアフリカは暗黒大陸なんてよばれていたけど、よく調べるとアマゾン流域やニューギニアなんかに比べれば、ずっと多くの王国、国家がならび建っていたということで、けっしておくれた大陸ではなかった。
ただ、その文化の大半がキリスト教徒を敵視するイスラム文化であったため、ヨーロッパからすれば未開で野蛮な土地ということになる。
服を着ていない、あるいは異様なファッションというのは、それぞれの地域の特色であって、それをもって文明化をうんぬんしていたら、当時の日本なんざ度し難い野蛮人の国ということになってしまう。

このトゥアレグ族という名前、どこかで見たなと思ったら、「大探検時代の」 に登場する女性博物学者のうち、アレクサンドリーヌ・ティニをサハラ砂漠で殺害したのが彼らだった。
ティニは猛獣に殺されたわけではなく、絶壁から落ちたわけでもなく、熱帯の瘴癘で倒れたわけでもない。

彼女の死のようすはよくわからないけど、惨殺されたと書いた文章もあるから、イスラム原理主義者の巣窟に飛び込んだアメリカ人みたいなものだったのかも。
これは、いわば異なる文化の衝突の犠牲者で、現在世界中でくりひろげられている対立と同じ種類のものではないか。
そうか、キリスト教徒とイスラム教徒の対立はそんなに根深いものだったのかと納得する反面、トゥアレグ族の生活基盤は強盗だったなんて説もある。

宗教対立だったのか、ネギをせおった鴨だったのか、そのへんに責任を持ちませんけど、数は少なくてもアフリカや中東の遊牧民族は手ごわい。
このブログでメアリー・キングズリーとマリアンヌ・ノースという、名をなした2人の女性博物学者を取り上げたけど、女性といえども危険はつねに身のまわりにあったのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年5月 9日 (木)

5月のメルヘン

463

この季節になると体がうづいてくるのは人間だけではありません。
アシの草むらのなかで1匹の雄のウシガエルが、伴侶を探してボオッとうなり声を上げておりました。
声を聞きつけて雌のウシガエルがやってくるのを待っているのです。
ただ声を聞きつけてヘビがやってくる可能性もあります。
用心深い彼はひと声鳴いてはすこし場所を変え、またそこで鳴くということを繰り返しておりました。

ある場所で、ヘビに下半身をくわえられている雌ガエルに出会ってしまいました。
彼にふさわしいなかなかすてきな雌ガエルですが、さて、こういう場合はどうすればいいのでしょう。
人間ならば警察に電話をすればいいのですが、カエルの世界にそんなものはありません。
まわりを見まわしてみましたが、たとえ棍棒のようなあったとしても、カエルにそんなものをふりまわすことはできないのです。
そのあいだにも雌ガエルはじりじりとヘビに呑み込まれていきます。
雌ガエルの表情からは、カエルにあまり表情はないのですが、それでも彼女の助けてちょうだいというせっぱつまった声が聞こえるようでした。

うーむと雄ガエルは思案しますが、どうしようったってどうにもなりません。
雌ガエルはヘビの口もとに、顔だけがなんとか見えるところまで呑みこまれていきました。
そんな雌ガエルの顔を見ているうち、彼もかってカルガモのひなを丸呑みにしたことを思い出しました。
絶望的なまなざしで見つめていたカルガモの母親の顔が目にうかびます。
彼はじたばたあばれるひなを、ひじょうな満足感をもって、ゆっくりと呑みこんだのでした。

どうにもならないものはどうにもなりゃしないんだ。
とうとう雌ガエルはヘビのお腹にすがたを消してしまいました。
いまはぽっこりふくらんだヘビの胴体になんとかそのあり場所がわかるだけです。
雄ガエルは複雑な未練を残しつつ、その場を去ることにしました。
これが野生の世界というものさ、野生動物のおきてというものさ。
去りぎわの彼はまるで悟りきった人間の哲学者のようでありました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年5月 8日 (水)

特殊効果

現在使っているコンパクト・デジカメは買ってから10カ月ほどたつ。
最近のカメラにはばかばかしいような機能がてんこ盛りのようだけど、わたしはもっぱら通常設定のまま使っているので、そういうものにあまり興味がなかった。

先日、散歩のおりにはじめてそうした機能のいくつかを使ってみた。
大半はくだらないものだけど、中にはおもしろい効果が出せるものもある。
前々項でコイノボリノの写真に使ったのは 「ドラマチック」 という名前の機能で、そういわれればなんとなくドラマチックな写真に見える。

462a

ここに載せた2枚の写真のうち、最初のほうは 「ウェディング」 という、ソフトフォーカスの効果を出すフィルター機能を使ったもので、結婚式にふさわしいロマンチックな写真が撮れるっていうもの。
こんな写真がお手軽に撮れるならけっこう使い道はありそう。

462b

もう1枚は 「ミニチュア」 という機能を使ったものだけど、前後の被写界深度を極端に浅くしただけで、通常の街の風景が一変して、まるでチョロQをならべたジオラマのように見えてしまう。
これでコマ撮りをし、あとで連続再生をすると、オモチャをひとコマづつ動かしたアニメに見えて、YouTube なんかでも話題になっているものである。
くだらないと決めつけるのは簡単だけど、アイディア次第では使い道はあるものだ。

デジタル効果をきらう人もいるけど、わたしは好奇心が強いほうなので、おもしろい効果が出せる方法があるなら、そういうものをどしどし使うことをためらわない主義。
あ、またいいヒマつぶしを見つけちゃった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年5月 7日 (火)

本2冊

461a

前項に書いたとおり、連休中はほとんど晴耕晴読。
知り合いにお付き合いしてちょこまかと出かけただけで、あとはひさしぶりに読書ざんまい。
休み中に読破しようと、図書館でレイチェル・カーソンの 「海辺」 と、ピーター・レイビーって人の 「大探検時代の博物学者たち」 という本を借りてきた。
両方とも博物学の本で、カーソンは公害問題をあつかった古典 「沈黙の春」 を書いた人だけど、もうひとりのレイビーについてはたまたま図書館で見つけたもので、ぜんぜん知らないヒト。

「海辺」 に描かれている世界は、ちょいとしたナチュラリストならご存知のことばかりで、博物学というより散文詩を読んでいるような感じ。
「大探検時代の博物学者たち」 は、西洋人が植民地を求めて世界を荒らしまくっていたころ、それとはべつの立場から、人々の知的好奇心を満たすために活躍した博物学者たちの列伝のようなもの (もっぱら英国の科学者が中心だけど)。

しかしここで書評をしようってわけじゃない。
いずれの本もまじめな科学の本なので、ふざけたことを書くわけにはいかないし、頭をしぼってまじめな批評をしても、いくらかもらえるわけじゃないのである。
ただ 「大探検時代の」 の中に取り上げられている女性博物学者のメアリー・キングズリーとマリアンヌ・ノースについてだけ書いておこう。

461b

まずキングズリーだけど、彼女はビクトリア朝時代の女性で、まだ暗黒大陸といわれていたころのアフリカを探検して、カヌーに上がってこようとしたワニの頭を櫂でぶんなぐったりした人である。
もっともこれは自分の身を守るためで、けっしてワニ皮のハンドバッグを作ろうっていう魂胆じゃなかった。
罪もない動物を殺してはく製や標本にするのが博物学と信じられていた時代に、彼女はけっして野生動物をむやみに殺戮する人ではなかった。

びっくりするのはキングズリーが当時の英国婦人の衣装のまま、つまり映画 「メリー・ポピンズ」 の主人公のような古風ないでたちのまま旅をしていたことである。
このひだがたっぷりした衣装のおかげで、動物を捕らえるための罠に落っこちたときも無事だったそうだ。
この本の中に彼女がジャングルの中で水浴をする描写がある。
欧米の女性は水浴びが好きであるけど、写真で見るかぎりキングズリーはハリウッド女優みたいなタイプではないから、べつにイヤらしいことを想像されても困る。

どうも英国にはこういう勇敢な女性の系譜があるようだ。
ひとつにはかっての英国が世界中に植民地を持っていて、必然的に女性が世界に出てゆく機会も多かったってことかもしれない。
モームの小説の中には、よく西アジアや東南アジアの、本国と隔絶した場所で宿を営む英国婦人なんてのが出てくるし、このブログでとりあげたことのある明治時代の日本を旅したイザベラ・バードや、現代の辺境をひとりで旅したクリスティナ・ドッドウェルも英国女性である。

461c

「大探検時代の」 に取り上げられているもうひとりの女性マリアンヌ・ノースは、本来画家とされている人である。
彼女は写真でみるとけっこう美人だけど、そうじゃなかっていう説もあり、けっきょくどっちだかわからない。
美醜はさておき、わりあいめぐまれた環境にそだった人であるけれど、父親の死とともに自由な精神が解き放たれ、上流階級の窮屈な生活より山谷を自由にかけまわることに専念するようになる。
荒野の画家といわれたドロシー・ブレットやジョージア・オキーフの先駆者であったようだ。

ノースは植物を描いた画家として有名だけど、キングズリーと同じように、やたらに皮をはいだりむしったりして蒐集するナチュラリストではなかった。
彼女はもっぱら絵で植物を記録した。
マクロ写真で植物を記録するワタシみたい。

キングズリーもノースもけっして正規の科学者ではなかったけど、この章の結びは 「情け容赦なく略奪するやり方に対し、自然へのべつのアプローチがあることを提示した」 となっている。
わたしもひたすらマクロ写真で花や昆虫を撮りまくっているけど、自然を愛するのにこういうやり方もあるのですよと、彼女たちに励まされるような気がしてしまう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年5月 6日 (月)

連休の終わり

460

ゴールデンウィークが終ってしまいました。
この連休は晴耕雨読に明け暮れようと思ったんだけど、晴れの日が多かったから晴耕晴読だよな、コレって。
いえ、行きましたよ、あっちこっち。
もっぱら安・近・短ですけどね。
秩父のシバザクラとか、東京駅のKITTEだとか、わたしひとりならゼッタイに行きそうもないとこばかり。
明日から またしばらくは 「忍」 の毎日だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年5月 2日 (木)

花と虫

459a

また花の写真かいと笑われそう。
誰に?
バズーカ砲みたいなレンズをつけて、うちの近所でカワセミを狙うカメラマンさんたちに。

それはまあ、カワセミの写真を撮るのは大変だ。
カワセミには羽がある。
せっかくカメラを設置したとたんに、ぱっと50メートルぐらい先に飛んでいってしまう。
あわててまたカメラと三脚をかかえて移動しているカメラマンがたくさんいる。

それにくらべたら花は楽だ。
じっとしているから、上から横から斜め下から、どんなアングルでも自由に狙うことができる。
わたしだって花ばかり撮っていたいわけじゃないけど、いやがらないで撮らせてくれる若い女の子のモデルはなかなかいないのである。

459c

でもカワセミばかりがめずらしいわけじゃない。
たぶんカワセミを追いかけているカメラマンさんたちは、クローズアップにしたときの花の神秘な造形を知らないのではないか。
色といい、かたちといい、生態といい、四季折々にこれほど千変万化の表情を見せてくれるモデルはなかなかいないのだが。

エラそうなことをいったけど、それにしたっていつも同じアングルではつまらない。
今回は逆光のマクロ写真を狙ってみた。
わたしだっていろいろ工夫しているのである。

459b

花ばっかりではなくたまには虫の写真も載せておこう。
孵化したばかりのバッタの子供だけど、コレって、頭は向こう側だかんね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

他人のブログ

ヒマつぶしにネットサーフィンをしていたら、ちょっと気になるブログ発見。

原作を先に読んだんです。
漫画だし、あたし漫画読むの10分かからないので。
(ええ、漫画家泣かせですが、何度も読む質ですので)
漫画のね、紙を超えて来るそのヤバさが好きで、
ええ、期待しましたよ。かなり。映画にも。

ここにあげたのは 「ヘルター・スケルター」 って映画についての、このブロガーの批評のほんの一部だけど、気になったのは批評じゃなくその文章。
わたしらの世代からすると、話し言葉をそのままならべただけみたいな文章で、文章の末尾に 「爆」 とか 「笑」 とかつけるのも今ふうだ (絵文字だけはあまり使わないみたい)。
ヘタするとどこかのパープー娘が書いてんのかなと思わせるブログだけど、内容をよく読んでみるとけっしてそんなことはなさそうである。
書いている内容はもっぱら映画評で、わたしに負けずおとらずの毒舌ぶりだ。

興味のある人は CinemaniA  という言葉をキーワードに探してみればよい。
これだけじゃなかなか見つからないから So-net という言葉も組み合わせること。
わたしと同じようにあまり宣伝をしない、本人のストレス解消のために続けているブログみたいだけど、アクセス数はわたしのものよりひと桁多いようだ。

いったいどんな人が書いているのかとプロフィールをながめてみた。
ブロガーは東京都出身で、血液AB型の女性らしい。
写真でみると若くてなかなかの美人だが、これ、本人の写真かどうかわからない。
本人の写真としても、現在の写真かどうかわからない。
文章のあちこちで、若くはないと本人自らがいってるくらいだから。
しかし彼女がまな板に上げている映画からすると、せいぜい30代までぐらいらしい。
アクセス数が多いのはこの写真のせいかもしれない。

彼女がブログを更新するのは、平均すると月に2~3回だけど、いったん書き出すと止まらないって感じ。
最近の映画はほとんど批評に値しないと考えているわたしとは、あまり批評の中味が一致しないんだけど、技巧や小細工ぬきで思いのままに書きつづったみたいな文章だけは、キラキラした個性があっておもしろい。
字幕翻訳者の戸田奈津子さんについて書いているあたりからすると、現代っ子らしく英語もけっこうわかるらしいし、爪を隠した鷹の知性がそこかしこに感じられてしまう。
だいたい、まじめな毒舌っていうのはけっこう知性を要求するものなのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年5月 1日 (水)

無線LAN

連休の中日は曇天という予報だったけど、いま現在、天気はよくなる傾向があります。
いくらよくなっても散歩ぐらいしかやることがないのが困ったモン。
連休中まいにち散財するわけにもいかず、そもそも混雑する時期には旅行にも出かけない主義だから。

そういうわけで朝からパソコンがお相手。
今日からわが家も無線LAN開始です。
おそすぎた感じがしないでもないけど、べつにそんなもの必要なわけでもないので放っておいたら、ケーブルテレビから費用はこれまで通りで、新しいチューナーを設置できますけどと連絡があって、金がかからないならいいんじゃないかとOKしたら、そのチューナーに無線LANがついてたってワケ。

新しいチューナーは 「スマートTVボックス」 というそうで、アップルのパソコンみたくまっ白でカッコいい。

わたしの知り合いの中には、やたらに新しい機械を導入するのが好きで、わざわざお金を出して無線LANを設置した人もいますけど、わたしの場合は果報は寝て待つスタンスで、タダ。
これまで使っていた有線は古いデスクトップにつなげて、おかげで2台いっぺんにインターネットができるようになりました。
だからどうしたって訊かれるとはなはだ返答に困ってしまいますけど。
部屋の中だけで使っているパソコンだから、無線でも有線でもあまり関係ないしねえ。

でもタダってのが気になるね。
2台のパソコンで同時にインターネットやったら、料金が2倍に増えて、ケーブルテレビがほくほくってことないだろうねえ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2013年4月 | トップページ | 2013年6月 »