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2013年5月 7日 (火)

本2冊

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前項に書いたとおり、連休中はほとんど晴耕晴読。
知り合いにお付き合いしてちょこまかと出かけただけで、あとはひさしぶりに読書ざんまい。
休み中に読破しようと、図書館でレイチェル・カーソンの 「海辺」 と、ピーター・レイビーって人の 「大探検時代の博物学者たち」 という本を借りてきた。
両方とも博物学の本で、カーソンは公害問題をあつかった古典 「沈黙の春」 を書いた人だけど、もうひとりのレイビーについてはたまたま図書館で見つけたもので、ぜんぜん知らないヒト。

「海辺」 に描かれている世界は、ちょいとしたナチュラリストならご存知のことばかりで、博物学というより散文詩を読んでいるような感じ。
「大探検時代の博物学者たち」 は、西洋人が植民地を求めて世界を荒らしまくっていたころ、それとはべつの立場から、人々の知的好奇心を満たすために活躍した博物学者たちの列伝のようなもの (もっぱら英国の科学者が中心だけど)。

しかしここで書評をしようってわけじゃない。
いずれの本もまじめな科学の本なので、ふざけたことを書くわけにはいかないし、頭をしぼってまじめな批評をしても、いくらかもらえるわけじゃないのである。
ただ 「大探検時代の」 の中に取り上げられている女性博物学者のメアリー・キングズリーとマリアンヌ・ノースについてだけ書いておこう。

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まずキングズリーだけど、彼女はビクトリア朝時代の女性で、まだ暗黒大陸といわれていたころのアフリカを探検して、カヌーに上がってこようとしたワニの頭を櫂でぶんなぐったりした人である。
もっともこれは自分の身を守るためで、けっしてワニ皮のハンドバッグを作ろうっていう魂胆じゃなかった。
罪もない動物を殺してはく製や標本にするのが博物学と信じられていた時代に、彼女はけっして野生動物をむやみに殺戮する人ではなかった。

びっくりするのはキングズリーが当時の英国婦人の衣装のまま、つまり映画 「メリー・ポピンズ」 の主人公のような古風ないでたちのまま旅をしていたことである。
このひだがたっぷりした衣装のおかげで、動物を捕らえるための罠に落っこちたときも無事だったそうだ。
この本の中に彼女がジャングルの中で水浴をする描写がある。
欧米の女性は水浴びが好きであるけど、写真で見るかぎりキングズリーはハリウッド女優みたいなタイプではないから、べつにイヤらしいことを想像されても困る。

どうも英国にはこういう勇敢な女性の系譜があるようだ。
ひとつにはかっての英国が世界中に植民地を持っていて、必然的に女性が世界に出てゆく機会も多かったってことかもしれない。
モームの小説の中には、よく西アジアや東南アジアの、本国と隔絶した場所で宿を営む英国婦人なんてのが出てくるし、このブログでとりあげたことのある明治時代の日本を旅したイザベラ・バードや、現代の辺境をひとりで旅したクリスティナ・ドッドウェルも英国女性である。

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「大探検時代の」 に取り上げられているもうひとりの女性マリアンヌ・ノースは、本来画家とされている人である。
彼女は写真でみるとけっこう美人だけど、そうじゃなかっていう説もあり、けっきょくどっちだかわからない。
美醜はさておき、わりあいめぐまれた環境にそだった人であるけれど、父親の死とともに自由な精神が解き放たれ、上流階級の窮屈な生活より山谷を自由にかけまわることに専念するようになる。
荒野の画家といわれたドロシー・ブレットやジョージア・オキーフの先駆者であったようだ。

ノースは植物を描いた画家として有名だけど、キングズリーと同じように、やたらに皮をはいだりむしったりして蒐集するナチュラリストではなかった。
彼女はもっぱら絵で植物を記録した。
マクロ写真で植物を記録するワタシみたい。

キングズリーもノースもけっして正規の科学者ではなかったけど、この章の結びは 「情け容赦なく略奪するやり方に対し、自然へのべつのアプローチがあることを提示した」 となっている。
わたしもひたすらマクロ写真で花や昆虫を撮りまくっているけど、自然を愛するのにこういうやり方もあるのですよと、彼女たちに励まされるような気がしてしまう。

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