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2013年6月23日 (日)

八重山行き/あんとぅり

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かまどま荘の船でシュノーケリングに参加したとき、網取湾に上陸した。
網取は地元の言葉で 「あんとぅり」 と読むらしく、この海岸にはそう刻まれた石碑が建っている。

じつはわたしはまちがっていた。
わたしは30年まえ (昭和58年) にこの湾に上陸して、その海岸なかんずく海中の美しさに仰天し、今回の旅もその美しさが今でもそのまま保たれているのかを確認するのが目的だった。
ということはすでに書いた。
わたしはそこを崎山湾だとばかり思って、このブログでは崎山湾、崎山湾と連呼してきたのだけど、じつは30年まえに上陸したのはその手前の網取湾だったのである。

なんでそれがわかったかというと、今回の旅で崎山湾と思える場所に上陸してみた。
風景はむかしのままだったけど、上陸してすぐの場所に東海大学の研究所ができていた。
帰京してからあらためてグーグルの衛星写真で確かめたら、研究所があるのは崎山湾ではなく網取湾だったというわけだ。

崎山湾でも網取湾でも美しさが変わるわけじゃないからどうでもいいんだけど、30年まえと比べるとそこはいくらか様変わりしていた。
まず桟橋が立派なものになっていた。
はじめて見たときは、戦争中の遺物のようなくずれかかった桟橋だったけど、いまのそれはボートも横づけできるちゃんとした桟橋になっていた。
桟橋が立派になったのは、大学の研究所ができたせいで、昭和58年にはそんなものはなかった。

研究所といってもふだんは無人のままなので、はじめて見たときの原始のままの静寂はじゅうぶんに感じることができる。
ざっと遠景をながめてみると、まわりの風景はまったく変わっていない。
たぶん海の中も変わっちゃいないだろうと安堵する。

船長、つまりかまどま荘の主人がそのへんをひとまわりしてみましょうというので、海の中を視察するかわり、研究所のまわりを一巡してみた。
網取湾にもかっては集落があったそうである。
森の中には、サンゴの石垣や屋根瓦など、その建物跡がかろうじて残っていた。

この集落の人びとが離村したのは昭和46年だそうだから、沖縄の本土復帰の1年前で、わたしがはじめて訪れたときより10年ちょっと前である。
「あんとぅり」 の石碑には離村にいたった理由が刻まれていた。
それを読むと、この僻地の村にも300年以上の歴史があったことがわかる。
つまりこの村も、近代化やグローバル化という、なんとなく素晴らしそうで、じつは冷酷無慚な大津波の襲来により消滅したといえる。
それだけの期間、平和でつつましく生きてきた村が。

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