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2013年7月31日 (水)

また政治家の肩をもつ

Ab

朝日新聞は改憲という言葉をひじょうに危険視しているようで、昨日の夕刊でも作家の某氏をかつぎ出して 「改憲はいまではない」 という論陣を張っている。
これにたてつくのはおそれ多いけど、改憲てそんなにわるいことか。

日本の憲法九条は戦争への歯止めとして機能してきており、70年ちかく日本人は戦争でひとりの人間も殺してないという
そう信じている人は多いけど、戦争をせず、殺してもいなかったのは、ほんとうに憲法九条のおかげだろうか。
またへそ曲がりのいちゃもんに聞こえるかもしれないけど、現状に安住している日本人が多いから、あえて苦言を申し上げる。

歴史をふりかえれば、日本は戦後ずっと復興と繁栄だけに専念してきた。
それが軌道に乗り、繁栄した日本は近隣諸国を凌駕して、経済はもとより、潜在的な武力でもアジア最強の国家になった。
米国の核の傘に守られている日本にケンカをふっかける国もなかったから、戦争をする必要もなかったし、だいいち米国が許さなかっただろう。

そのうちしだいに国際情勢はキナくさくなってくる。
しかし憲法九条があるおかげで、日本はベトナムにもカンボジアにも兵を派遣する必要がなかった。
イラクやソマリアでもぜったいに武器を使用するなという但し書きつき派兵だ。
なるほど、憲法九条の威光はあらたかのように思える。

しかし、たとえばヨーロッパではで、ユーゴスラヴィアで悲惨きわまりない内戦が起こり、日本と同じ敗戦国のドイツでさえ、これをしずめるために多国籍軍に兵士を派遣している。
しかもユーゴスラヴィア内戦では、あきらかに多国籍軍の武力によって紛争が終結した。
なんでもかんでも平和憲法にしがみつき、他国の悲劇に目をつぶっていればいいというわけじゃない。

じつはわたし自身は改憲について、まだまだ結論が出せずに悩んでいる。
そこでわたしのことはさておいて、政治家の立場でものを考えてみるんだけど、そもそも日本が改憲を叫び出したのは、最近の国際情勢にひっぱられてという側面がある。
米国の傘がほころびてきており、いっぽうで中国がゆいいつの超大国になるかもしれないというとき、平和憲法にしがみついていることが政治家のあるべき姿だろうか。
予知不可能な震災でさえ、政治家はボロクソにいわれる。
あるていど予知できる脅威に対してなにもしないのでは、政治家としては失格ではないか。

軍備の増強は他国を不安におとしいれ、軍拡競争をまねくだけだということはよくわかっているけど、そういうことはまず現在の中国にお説教するべきじゃないか。
昨日の夕刊で作家の某氏は、民族感情にもとづく昂ぶりはかならず判断を誤らせるといっているけど、それは民主主義国の日本ではなく、現在の中国にむけて発すべき言葉ではないか。
某氏はさらに、わたしたちはまだ改憲に取り組む段階に達してないという。
これはなにを根拠にいっているのだろう。
70年ちかく平和を維持してきた日本人は、いつになったらその段階に達するのだろう。
国際情勢は日々変化しており、現状はわたしが政治家だったら、とても安閑としてはいられない。

でもこういう意見が大勢を占めるようになると、どんどん戦争が近づくんだろうなあって、いろいろ悩んでしまう。
改憲反対か賛成か、あっさりどっちかに決められる人がうらやましい。

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