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2013年8月

2013年8月31日 (土)

新しいパソコン

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デスクトップの調子がわるいのでリカバリでもしようかと考えたけど、じつはDVDドライブもとっくにイカれていた。
これではリカバリもできない。
うーんと悩んだものの、けっこう使いこんだパソコンだし、最近はパソコンに対する執念が乏しくなってるから、修理するより新しいものを買っちまえって簡単に考える。

むかしならネットで注文するまえに、CPUが××だのメモリが○○バイトだのといろいろうるさいことをいったものだけど、もうそんな気力も失せているので、ヨドバシカメラまでふらりと出かけて、デザインの気にいったものを選び、値段に上中下がありますというから、それじゃ中にしてくれと、寿司の折詰でも買うみたいな要領。

買ったのはレノボってメーカーの製品で、あとでこれは中国のメーカーであることがわかった。
中国ギライの知り合いが聞いたら怒髪天をつくかもってパソコンだけど、いまどきのパソコンに国境はないでしょ。
おおげさなものもイヤだからミニタワーにして、OSはウインドウズ8、値段はパソコンとしては実務用の標準ていど。
どうせまた3年ぐらいで壊れるんだろ。

買ってからつくづく思ったけど、どうしてスタート画面を一新する必要があるのか。
せっかく使いなれたウイン7だったのに、またああでもない、こうでもないと勉強のし直しで、けっきょく不要なタイル・アイコンはかたっぱしから粛清して、以前と同じようなスタート画面に設定した。
マイクロソフトの売らんかなというモデルチェンジに付き合っちゃいられんよ、ったく。

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2013年8月29日 (木)

姑息

消費税を上げるか据え置くかって問題じゃ、安倍クンが占い師に相談するんじゃないかと心配だけど、シリア問題は気が楽だ。
こちらは、とにかくアメリカに追従していればいいのである。
こういう問題ばかりなら総理が神経を病むことはけっしてない。
めでたしめでたし。

横浜のほうで教育委員会がまた教科書 (配付された副読本) にいちゃもんをつけていた。
毎度のことだけど、関東大震災のとき朝鮮人虐殺があったのを、「虐殺」 は小中学生に有害な言葉だから 「殺害」 に変えろってことらしい。
これってねつ造じゃないか。
ごまかしじゃないか。

わたしはわりあい右翼っぽい発言をしているみたいだけど、真実を知ってほしいと思っているだけで、インチキをしてそれをごまかそうとは思ってない。
南京で虐殺があったことも認めていて、ただその数字や背景、戦時の人間心理などを冷静に考えてほしいといってるだけである。

いま読んでいるポール・セローの旅行記では、インドの寺院でヤギの首が切り落とされ、それを子供たちが見ているという描写がある。
子供たちはさまざまなものを見て育つ。
ひとかけらの言葉に目かくしするよりも、そんな姑息な方法が子供たちのためになっていると信じる偽善のほうがよっぽど危険じゃないか。

関東大震災のとき朝鮮人虐殺があったこともまちがいない。
それに対して、そんなものはなかった、あったことはあったけど表現が気にくわないと文句をいうのはやりすぎだと思う。
え? ワタシ、もちろん工藤美代子さんの本も読んでますけどね (SAPIOで)。
どうも総理が右傾化しちゃうと、この国には大喜びでそれに追従しちゃう人が多いようだ。
そういうアホとわたしをいっしょにしないでくれる?

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2013年8月28日 (水)

困難な問題

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また世間の大勢にさからうようなことを書かなくちゃならない。
先日、図書館で借りてきたのは、つげ義春のマンガ以外に、ポール・セローって人の 「ゴースト・トレインは東の星へ」 という旅行記。
この作家の本ではこれ以前に 「中国鉄道大旅行」 という旅行記を読んでいて、それがなかなかおもしろかったから。

「ゴースト」 の旅は英国からスタートして、ヨーロッパ大陸へ渡り、オーストリア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリアなどを経由してトルコへ行くのである。
トルコからまだ旅は続いて、中央アジア、インド、そして東南アジアから、最終的には日本にまでやってきて、村上春樹の案内でオタクの街・秋葉原を見てまわる。
これがほとんど鉄道によるひとり旅だというのだからうらやましい。
しかしまだトルコあたりまでしか読んでないので、そのへんについていささかゴタクを。

あとがきによるとセローのこの旅は2008年ごろのもので、わたしがはじめてトルコに行ったのはその2年後のことである。
つまりわたしは彼とそれほど変わらないころのトルコを自分の目で見てきたことになる。
まだイスタンブールが反政府デモでごたごたするまえで、世俗主義がなんの不安も感じてないころのことだ。

セローは30年前にもいちどトルコにやって来ているのだけど、そのときは貧しかった国民が、現在ではみんなケータイを持ち、全員がEメールを使っていると書いている。

そして新しい旅では、彼はイスタンブールでトルコの作家たちと歓談しており、そこではある作家は 「ムハンマドは恋多き人でした」 と、イスラム教徒から標的にされかねないことを平気で書いていたそうである。
極端なハナシ、トルコによるアルメニア人虐殺を肯定して、国家侮辱罪で告訴された作家もいたけど、けっきょく罪にはならなかったらしい。
こんなふうに政治的にも誰もが自由な発言をしているし、交通の便がよく、こんなに居心地のいい国は世界でもめずらしいとセローはいう。
ちょうどイラク戦争のさなかで、トルコ人はみなアメリカを非難していたにもかかわらず、米国人であるセロー個人を責める人はいなかった。

セローは 「抑圧が作家によい影響を与える」 とさえいっている。
これは世俗国家のトルコが、いくぶん問題はあるにしても、きわめて健全に発育した国であるということの証明だろう。
わたしもそう思った。
わたしは堕落した資本主義国からの旅人だったにもかかわらず、イスタンブールではじつに自由に歩きまわり、レストランやバザールで陽気なトルコ人と会話し、美しい婦警さんにおずおずと道をたずねたりした。
世俗主義はいいもんだと思ってしまったくらいだ。

現在のトルコ、そしてエジプトではこれに逆行する動きが出ている。
これらの国では民主的な選挙でイスラム色のつよい政党が躍進してしまった。
それが国民の民意だというのだけど、そうだろうか。
上からの指示で人間を大量に動員できる政党にあっちゃ、そのへんの浮動票をアテにしている政党はかないっこない。

トルコでは選挙の結果に不満をもった民衆がデモをし、エジプトでは危機感をもった軍部が政権をひっくり返した。
西欧諸国 (および日本) は、本音はどうか知らないけど、民主的に選ばれた政権をひっくり返すのは乱暴でアルなんていっている。
わたしはちょっと残念に思ってしまう。
世俗政権が腐敗したからイスラムが躍進したのだという人がいるかもしれないけど、イスラム政党が権力をにぎれば、長いあいだには彼らもきっと同じことをする。
抑圧はさらにひどくなるに決まっている。
現在のイスラムは個人の発言について、以前ほど寛容ではないようにみえる。
魅力的なイスラムの女性にとっては、未来はきわめてクライとしかいいようがない。
だからわたしは宗教色のつよい政党が、政治に口を出し、権力をにぎることにあまりいい印象を持っていない。
アメリカには2大政党があるけれど、自由主義という基本理念だけは両党とも神聖にして犯すべからずであるように、わたしはトルコ、エジプトに、世俗主義だけは放棄しないようお願いしたい。
ポール・セローもきっといまの状態に危機感を持っているのではないか。

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2013年8月27日 (火)

当たるも八卦

消費税を上げたほうがいいか、据え置いたほうがいいか、意見が割れている。
どちらの言い分にもそれなり説得力があるので、安倍クンもさぞかし頭がイタイだろう。
さっさと決めろなんて騒ぐと、安倍クンは奥さんに相談するかもしれず、訊かれた奥さんだってわかるわけがないから、占い師かなんかに相談するかもしれない。
するてえと日本の未来は、当たるも八卦、当たらないも八卦なんてものにかかってしまうわけだ。
これってヤバいでしょ。
まあ、おとなしく様子見ってことでどうでしょう。

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2013年8月26日 (月)

つげ義春のマンガ

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図書館へ行ってつげ義春の本を借りてきた。
本といっても、ようするにマンガである。
大のおとながマンガを借りるのは恥ずかしいけど、最近の図書館は貸し出しもIT化されているので、たとえポルノ雑誌を借りてもきれいな司書の娘と対面するわけじゃないのがアリガタイ。

つげ義春は60年代の末に、「ねじ式」 というマンガで一世を風靡した漫画家だ。
わたしもとうぜん影響を受けた。
ただ、いくら絵が上手になってもこういう傑作が描けるわけじゃないことを、痛切に知らしめてくれた作家でもある。
ワタシみたいな絵のうまい?人が、おなじカット割り、おなじ人物をおなじ構図で描いても、けっしてこのような傑作になるわけではないのである。

借りてきたのは 「義男の青春」 という表題の短編集である。
ちょっとした人生の機微みたいなものを見逃さない、こんな地味な私小説みたいな短編を描かせると、ホント、この人は天才だなと思ってしまう。

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マンガ文化が隆盛の日本でも、昨今ではこの作家を知らない若い人も多いだろうから、どんな絵なのかを説明するために1、2のカットを紹介してしまおう。
この人の作品はリアルな細密描写と、ヘタウマといいたくなるような人物画がミックスされているところが特徴で、作品のテーマとしては 「ねじ式」 のようなシュールなもの、なんてことのない旅先での出来事をあつかったもの、戦後の貧しい時代をリアルに描いたもの、現在の自分の実生活にもとづいたらしいものなどがある。
多くの作品でそれが醸し出す、どこか無気力な雰囲気がすばらしい。
でもいまここでそれら全部に触れているわけにはいかない。

ヘタウマと書いたけれど、借りてきたマンガに登場する女性、たとえば 「義男の青春」 に登場する宿の女中さんなんか、妙になまめかしくて、井伏鱒二の小説に出てくるイロっぽい和装美人みたいである。
井伏鱒二とつげ義春の共通点については、このブログの2007年10月3日に書いた。

この本には、かなり卑猥なSEXシーンもある。
そこに登場するのは、すべておばさんみたいな体つきの女性ばかりで、モデルのようにスマートな体つきははほとんどいないけど、それがまたやけに生々しい。
足りないところは想像力でおぎなってしまうわたしにとって、ひさしぶりにむらむらと (いやらしい) 妄想をかきたててくれるマンガだった。

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2013年8月25日 (日)

はだしのゲンの2

先日のこのブログで 「はだしのゲン」 に触れたけど、気になってネットでいくらか調べてみた。
原爆が悲惨なのは当然じゃないかと思っていたら、このマンガには原爆以降、終戦もしくは敗戦後の日本人の生活描写もあるらしい。
米兵によるレイプ事件や陰惨な犯罪行為にもふれているようで、問題になっている残忍な描写というのはこのへんをいってるらしい。
ちょっと考えちまうよな。
原作者の中沢なんとかさんは原爆の体験者だから、それを書くのはけっこうだけど、手を広げすぎると、けっきょくは想像や世間に流布されていることが主体になってしまう。

ずっとむかし森村誠一という作家がいた (いまでもいます)。
映画の原作などで、いちじブームになった作家で、わたしの友人にもかなり熱中した者がいる。
もうすこし古い小説の愛読者であるわたしは、なんだ、二流作家じゃないかと相手にしなかったけど、この人も手を広げすぎた。
そのうちかっての日本軍の蛮行を告発するなんて、どこかの政党に後押しされたような作品を書き、その中に誤解や過ちがいくつも指摘されて、作家の評価を下げてしまったことがある。
どこかうさんくさいというわたしの予感が当たったようだ。

「はだしのゲン」 でも、わたしは作品の価値以上に評価されている部分があるような気がしてならない。

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2013年8月23日 (金)

藤圭子

藤圭子さんの自殺について思うこと。
わたしがブログに日本の芸能界について書くのはめずらしい。
自殺そのものについては関心がない。
有名人でも自殺する人はいるし、わたしだってそのうち高いところから飛び降りるかもしれない。

わたしが気になったのは、出世して有名人になった娘がいながら、そういう娘と同居するわけでもなく、孤独に悩んでいたらしいということ。
年下の男性と同居していたってことだけど、年令差を考えると、孤独にひしひしと迫られる高令者の悲哀のようなものが感じられてしまう。
ま、娘との別居は本人が望んだのかもしれない。
そのあたりをこちらで勝手に想像すると。
ウチの母さん、ネクラだから話が合わんのよと、米国育ちのあっけらかんとした娘に敬遠されていたのかしら。
藤圭子というキャラクターからすると、ありそうな話にも思えてしまうんだけど。

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水の中

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防水カメラのテストで撮った近所の川の中の写真である。
水草の手前に魚が1匹写っている。
ちとさびしいけど、これが海なら水草はアマモかホンダワラだ。
そういう海草ならもっとにぎやかなはず。
アマモやホンダワラは、魚や甲殻類の子供たちにとって揺りかごみたいなものだから、小動物がたくさん住みついているのである。
子供たちが棲みつくと、それを食べようという不届きな輩も集まってくる。
だから海草のあいだというのは、食ったり食われたりという自然界の法則を写す小さな宇宙なのだ。

それなのに川の水草はそうではない。
散歩のたびに考えてしまうのは、なんで川には生きものが少ないのかということ。
モンガラカワハギやメガネモチウオが棲めとはいわないけど、そのへんの石にウニやイソギンチャクやヒトデがついていて、もっと生きもののバラエティーがあると写真を撮るのも楽しいのに。

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2013年8月22日 (木)

前橋育英

甲子園では群馬県の高校が優勝だ。
じつはわたしも郷里は群馬県なんだよね。
それじゃあうれしいかというと、もともと高校野球に興味がないこともあって、サッパリ。
それでもおまえはと群馬県の人から文句をいわれそうだけど、考えてみるとわたしが国を出てから、人生の2/3以上の年月が経ってるもんな。
しかも最近では海外に打って出て、いちおうコスモポリタンのつもりだから、せせっこましいナショナリズムに騒いじゃおられんの。

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ぼやき

わたしは右も左も蹴っとばせって勢いでブログをつづっているけど、有名人でないことのありがたさは、世間さまにさからうようなことを書いても苦情が来ないこと。
わたしが、たとえば有名タレントや政治家でもあったら、原発や尖閣やアベノミクスについてうかつなことは書けないし、どうしても世間に迎合するようなことしか書けなくなるだろう。
世間に迎合するようなことばかりでは欲求不満がたまるばかりだ。

欲求不満の解消のために書いているとはいうものの、やっぱり読まれないよりは読まれたほうがいいから、わたしの文章ではできるだけ読みやすいように、わかりやすい文章にしたり、センテンスを短く区切ったり、写真やユーモアをちりばめたりしてるんだけど、どうもつらつら考えてみると、これでも昨今のマンガは読むけど、本は読まないという輩には効果がないのかも。
そういう連中は文字が縦横にびっしり並んでいるというだけでもう拒否反応を起こすんじゃないか。
ちと空しくなることもあるけど、旅行をしてないときにはほかに趣味もないしねえ。
あらためて昨今の新聞や出版業界の苦境が思いやられる。

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2013年8月21日 (水)

支離めつれつ

中国ウォッチャーにとって目がはなせない簿熙来もと書記の裁判。
彼と細君の初公判をひかえ、彼らの息子がちゃんとした裁判をしてほしいと発言しているそうである。
そんなこといったって水に落ちた犬は徹底的に叩かれるお国がらだ。
息子というのは米国でフェラーリを乗り回し、複数の美女をはべらしていた、太子党を象徴するような若者だが、現在は党のゆるやかな管理下におかれているらしい。
息子がこんな贅沢できたということ自体、簿もと書記のかんぐられても仕方のない私生活を証明しているようなもん。
それでもやっていることはみんな同じようなことだから、中国政府としてはあまり被告に発言をさせない方針らしい。

ゆるやかな管理下におかれている息子だけど、現代だからよかった。
むかしだったら簿もと書記は一族もろとも断罪だ。
この場合の断罪というのは文字どおりの断罪で、中華包丁のお化けみたいなやつで、胴体をまっぷたつにされるのだ。
これをやられたいちばん有名な人物が、秦の始皇帝に仕えた李斯という大臣だ。
彼は死にさいして、もういちど黄色い猟犬を駆って、またすばしこいウサギを狩ってみたかったといったそうだけど、そりゃあとの祭りだわさ。
こういう死刑がなくなっただけでも、中国はだいぶグローバル化されたといっていいのかもしれない。

どうも暑さのせいか、ブログの記事もいいかげんなところでオシマイだ。
でもまじめにこのブログを読んでいる人もたくさんはいないだろうから、なんでもいいや。
いまテレビで南米のイグアスの滝をやってるよ。
涼しそうで、あ、行ってみたいわあと思ってしまう。

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2013年8月20日 (火)

はだしのゲン

中沢なんとかさんの 「はだしのゲン」 を有害図書に指定したの、それがケシカランのとちょっとした騒ぎだ。
どうもこの世間には、なんでもかんでも臭いものにフタという人たちがいるようだ。
子供たちに見せたくないなら、ほかにもっと問題マンガはいくらでもあるだろうに。

じつはわたしは、べつの観点からこのマンガが好きじゃない。
漫画家くずれの重箱のすみをつっつくようないちゃもんに聞こえるかもしれないけど、絵がキライ。
アニメでもなんでも、なにかを訴えようとするなら、まず絵そのものも個性的であってほしい (しりあがり寿さんの絵みたく)。

絵がつまらないと、作品を見ようという気もおきないから、このマンガをじっくりながめたことがいちどもない。
ただ、これはまったくわたしの個人的な好みの問題なので、世間さまがそう思わなくってもいっこうかまわない。
“個性” と “主張” を両立させられる作家なんて、そんなにたくさんいるわけじゃないので、こんなキビシイ要求をしていたら、話はなんにも進まないし。

それじゃあおまえは原爆の悲惨さに目をつぶるのかといわれてしまいそう。
そんなことはない。
わたしは海上自衛隊にいたころ、呉の江田島に8カ月ほど暮らしたことがあって、広島の原爆資料館にも何度か出かけたことがある。
皮膚が焼けて垂れ下がった人など、目をおおいたくなるような写真も見た。
現実は、たぶん 「はだしのゲン」 より何倍も悲惨だった。

でもそんなことをいったって、わざわざ広島まで見学に行ける人ばかりじゃないだろう。
このマンガを通じて原爆の悲惨さを知った人がいてもかまわない。
絵がキライというのは、あくまでわたしの閉鎖的な個人的意見である。

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2013年8月18日 (日)

日差し

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毎日暑い日が続いている。
日差しが強いものだから、わたしの知り合いは外出するとき、いつもひじまでかくれるような長い手袋をしてくる。
日焼けがコワいんだそうだ。
日焼けがこわくちゃ農家のおかみさんなんかつとまらない。
そういうと、だって日焼けは皮膚ガンのもとだからと弁解する。
農家のおかみさんは昔から生存していて、しかも元気な人が多いというと、ガンはともかく、しみソバカスのもとだからという。
ご存知のとおり、骨の生成には日の光が重要な働きをするものである。
太陽に当たらないと骨粗しょう症になるぜというと、うむむと複雑な困惑の表情をうかべる。
皮膚ガンやしみソバカスもコワイけど、骨粗しょう症になるのもイヤらしい。

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またスズメおどしのきらめく季節になった。
わが家の魑魅魍魎のひとつが流しの中をうろうろ。
おとなの夏休みは今日で終わりで、明日からまた仕事。

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2013年8月17日 (土)

馬の胴体の中で

いうだけいってさっぱりしちゃったのか、今朝の新聞には、終戦の日の安倍クンの発言に対する海外の反響がひとこともないね。
前日までは 「ついに最後の一線を越えた」 なんて、中国・韓国とも激しい怒りの声に満ちていたのに。
靖国参拝は断念させたんだから、ま、いいかと、あとはまたひたすら日本との友好にまい進してくれるならいいんだけど。

それにしても毎年くりかえされる靖国問題。
日本の軍部が悪いってことで、日本国民のなかにも東条英機をヒトラーになぞらえる人もいる。
まえから気になっていたんだけど、日本とドイツを同じ見方で断罪しようというのは正しいことだろうか。

小熊秀雄という作家がいた。
彼は戦前の左翼作家で、当時は世論がこういう作家にきびしかったから、彼は仕事を干され、困窮のうちに亡くなった。
官憲のせいにするのは簡単だけど、当時はおおかたの国民が左翼作家を反社会的な存在と考えていた。
国全体がファッショだったようなものだ。

 私は生まれながらの唖(おし)でなかったのを
 むしろ不幸に思いだした
 もう人間の姿も嫌になった
 ふるさとの馬よ
 お前の胴体の中で
 じっと考えこんでいたくなったよ
 『自由』 というたった二語も
 満足にしゃべらして貰えない位なら
 凍った夜、
 馬よ、お前のように
 鼻から白い呼吸を吐きに
 わたしは寒い故郷へかえりたくなったよ

これは発言を封じられた小熊秀雄の詩である。
国民のなかにもっと、エジプトの民衆みたいに政府に対して反抗的な人が多かったら、彼に手をさしのべる人もいたんじゃないかと思う。
でも戦前は政府の方針を支持している人のほうがずっと多かった。
みんな指導者のいうことを素直に信じていた。
赤紙1枚で召集される兵士の背景に、日の丸の小旗をふる大勢の民衆がいるけど、あの人たちがすべて政府のやり方に反抗していたらどうなっただろう。

そんな従順な国民が、敗けがこんでくると、なんだなんだこれはと文句を言いだす。
悲惨な結果になったのはぜんぶ政府がわるかった、軍部が悪かった、東条英機はヒトラーだって叫びだす。
これって、震災まえは文化生活に安住していて、震災後はあそこがケシカラン、ここが気にくわんと文句をいう人たちとどこか似ているように思ってしまう (のはへそまがりのわたしだけだろうか)。

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2013年8月16日 (金)

エジプトの光と影

国民の民意は尊重されなければいけない。
エジプトの政変は民意を踏みにじるものだ。

これをほかの誰かがいうと本当っぽく聞こえるけど、アメリカがいうと、また本音とたてまえがあるんでしょと思われてしまう。
疑いを晴らすためにオバマ君が暴力はイケマセンと演説し、エジプト軍との合同演習を中止するといっても、またまたご丁寧なことでといわれてしまう。
誰が見たって、わたしが見たって、アメリカにとっちゃムスリム同胞団より、エジプト軍主導の政府のほうが扱いやすいもんね。

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今朝の新聞

今朝の新聞を読む。
終戦の日の首相の式辞について、加害責任や不戦の誓いに触れてないのがケシカランという記事。
1面トップにも書いてあるし、2面3面にもでっかく書かれているから、ウチの朝日新聞がいいたいことはおそらくコレだろうと思われる。

ふざけるな! 朝日。
それでも、たとえば米国なんかの事情を知ってるといえるのか。
あちらでは大統領が変わると、政策もころりと変わってしまう場合が多いのだ。
それが世界の指導者たるものの趨勢なのに、これまで歴代首相が触れてきた村山談話を、こんどの首相が触れないのはケシカランといいたいらしい。
わたしは安倍クンを特別にひいきにしているわけじゃないけど、なんでまえの首相の見解をあとの首相がなぞらなけりゃいけないの。

人にはそれぞれ個人的な意見、考えというものがある。
自分の意見をどうどうと主張するのが民主主義というものだ。
おかげでなにをやっても議論百出で、なにも決まらないという弊害があるけれど、ここではとりあえずそれを封印。

朝日新聞は首相が、ただもうこれまでのやり方をひたすら続けていればいいと思っているらしい。
これはまあ、たいていの日本人の考え方といっしょだ。
これだから世間ではリベラルだと思われている朝日は、じつはがちがちの保守だといわれてしまうのだ。
そういっているのはわたしだけかもしれないけど、時代は変わるというのはボブ・ディランの歌。
いまどき侵略だなんて、軍国主義だなんて、とんでもない時代錯誤ですよと、ようく中国・韓国に説明してあげてほしい。

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2013年8月15日 (木)

涼を求めて

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あいかわらず暑い日が続いているけど、今日は涼を求めて奥秩父まで足をのばしてきた。
青梅街道の県境近くに笠取山という山があって、この山の山頂ふきんからしたたり落ちるひとしずくが多摩川の源流とされている。
わたしはこの山が好きで、かって何度も登ったことがあるんだけど、登山コースのわきに、さすがは多摩川の源流といいたくなるようなきれいな水が流れていることを知っていた。
で、今日は沖縄旅行のさいにぶっ壊れた防水カメラ (修理がすんでもどってきた) のテストのつもり。

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このあたりまで来るとさすがに空気はひんやりで暑さ知らず。
植物の存在がどれだけ遮熱に効果あるかをしみじみと感じさせる。
ここに載せた写真は登山コースのわきにある清流で撮ってきたもの。
ナショナル・ジオグラフィックでは採用してもらえそうにないけど、ブログに載せるくらいならなんとかという写真だ。
水は、手を入れるとこごえそうなくらい冷たかった。

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2013年8月14日 (水)

危険な兆候

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ミャンマーよ、おまえもかと、旅行会社のなげき節が聞こえてきそうな今朝の新聞。
エジプトやトルコが政情不安で、ドル箱を失って困っている旅行会社に、今度は平和な観光立国であるはずのミャンマーがおだやかじゃなくなるかもしれないうわさ。

今朝の新聞の1面に、赤い衣装のミャンマーの坊さんの顔をあしらった米タイム誌の表紙が。
タイム社が表紙にあつかう人物は、良きにつけ悪しきにつけ、問題人物であるのが普通だけど、この坊さんには 「仏教テロの顔」 というキャプションつき (添付した写真の左側のシト)。

記事によると、反イスラム仏教徒としてけっこう過激な発言をしている坊さんだという。
仏教徒というのは世界の3大宗教の中でもっとも穏健な人たちだと思っていたけど、ミャンマーのこの坊さんはそうではないらしい。
『野生の象と人間はいっしょに住めない。 追い出さなければ人は殺されてしまう』
これがイスラム教徒に対する彼の信念だ。

この坊さんを見ていて、すぐに旧ユーゴスラヴィアで民族紛争をあおったスロボダン・ミロシェヴィッチという男のことが思い浮かんだ。
米タイムがわざわざ表紙にあしらったのも、おそらくわたしと同じことを連想したからだろう。

ミロシェヴィッチは多くの民族が入り混じる旧ユーゴの中で、セルビア人の代表として、他の民族を排除する民族浄化ということを始めた大統領である。
つまり旧ユーゴの中のいち共和国であるセルビア領内に、(それまで平和に共存していた) 他の民族の存在を認めないといいだした男だ。
これがやがて他の共和国にも飛び火して、旧ユーゴの紛争は第2次世界大戦以降で最悪という殺し合いに発展してしまう。
『人権を叫ぶ人たちはイスラム教徒の側にだけ立っている』
これは坊さんの発言だけど、ミロシェヴィッチが民族対立をあおったときの発言とまったく同じである。

これを危険視したタイム社が表紙に取り上げると
『私の敵はタイム誌という武器を使って反撃してきた。 私がいなければミャンマーを自分のものにできると考えているからだ』 という。
オイオイオイというところ。

ミャンマーに旧ユーゴと同じような民族 (この場合は宗教) 浄化の嵐が吹き荒れるかどうかわからないけど、これはひじょうに危険な兆候である。
現在は世界中に不平不満がくすぶっている時代なので、こうした坊さんの過激な発言がきっかけになって、やがて手のおえない怪物に成長することがあり得るのである。

困る、困ります。
わたしもそのうちミャンマーに行ってみたいと思ってますんで。
お坊さんの本分はお経を上げることと、煩悩のかたまりみたいな大衆をなだめることにあってほしいやね。

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2013年8月13日 (火)

かみなり

自虐的な気分で散歩にいく。
暑いのはわかっている。
暑いのはわかっているけど、暑さ日本一を売りモノにしてしまう自治体もあるくらいだ。
夏は暑いに決まってると開き直る気持ちがなけりゃ、年寄りはやっちゃいられんよ。

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ここ2日ばかり、夕方になると激しい雷雨があって、おかげで川の清掃をしてもらったようなもの。
今年の野川は水中に水垢みたいなものがからみついて、ドブみたいで写真を撮ろうって気にもなれなかったけど、今日のようすではまた清流にもどったような感じ。

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集中豪雨もわるくないと考えながら歩いていたら、おどろいた。
せんだっての雷雨で雷が直撃したらしく、コースの途中にあるモミの大木がまっぷたつ。
ホント、縦にまっぷたつだ。スッゲエ。
ものの本によると、というかネットで調べてみたところでは、モミの木というのは昔から雷が落ちやすい木なんだそうだ。
くわばら、くわばら。

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2013年8月12日 (月)

蕎麦屋

暑い日にはさっぱりしたものにかぎるというわけで、昨日は最寄り駅のそばの高級蕎麦屋に出かけた。
ちょっと値段が高いけど、わたしみたいな味覚音痴にさえ、旨いということが一目、いや一食瞭然なので、たまに出かける貴重な店である。

この店の蕎麦 (味が本格的だから “ソバ” なんてカタカナを使うのはおそれ多いのだ) を比喩するのに、食通で作家の開高健さん式でいくならば、蕎麦の一本一本が銀色に妖しく輝き、竹久夢二の描く和装美人のような腰があって、するりとしたのどごしは官能的なくらい。
日ごろぜんぜん縁のない上流階級のおしとやかで美貌の若妻を、てごめにするような快感とでもいうか。

いっしょにいった知り合いは、メニューが少ないのがキライなんてほざいていたけど、そのくせいつも盛り蕎麦しか食わないけど、本格的というのはこういうことだよと諭してやる。
諭してやるわたしはいつもトロロ蕎麦である。
また何かいわれそうだけど、好きなものを食べるのがイチバンである。

この貴重な店がつぶれてなくなっていた。
オイオイってとこ。
やっぱりこのあたりじゃハイブロウすぎたのかもしれない。
いくら旨くても客が来なくちゃ話にならない。
経営というのはむずかしいものだ。

仕方ないからもう一軒の店に出かけた。
こちらも、先の店には落ちるけど、味はまずまずの店である。
つぶれた店が上流階級の人妻なら、こちらはそのへんを群れをなして歩いている女子大生みたいな味とでもいうか。
わたしはこういうのもキライではない。
ついでにいうと、どこにでもある、カレーライスや天丼もやっているような大衆ソバ屋は、あれは十年ごしの古女房の味である。
それにしても上流階級が廃業したのは残念だなあ。

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2013年8月11日 (日)

ザマミロと気持ちワルイ

日本のSNSであるMixiが斜陽だそうだ。
そのせいか、あちらのSNSであるフェイスブックやツィッターも危機感を持ったらしく、わたしんところにもお誘いがしきり。
時代も変わったもんだ。
つい最近まで時代の寵児みたく騒がれていたものが。
入会にさいしてエラそうに条件なんか持ち出していたものが。
ザマミロ。

ザマミロは余計だけど、わたしはそういうものに断じて入らない。
だいたい仲間うちで、「いいね!」なんて支えあって喜んでいるサークルのどこがいいんだろう。
気持ちワルイ。
気持ちワルイも余計だけど、ワタシゃこれからもブログ一本やりだ。
ま、べつに期待してもらわなくてもいいからね。
欲求不満の解消のために書いてるものを、読んでくださいとお願いできません。

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2013年8月10日 (土)

借金1千兆円

日本の借金が 1,000,000,000,000,000円を突破したそうだ。
ゼロが多すぎてひとつかふたつ間違えている可能性もあるけど、つまり1千兆円だ。
わたしが一生遊んで暮らせる金額だ。
という程度のスケールじゃない。
わたしと同じ程度の道楽者が10万人いても、そのごくつぶし連中を一生遊ばせておけるほどの金額だ。

なんでこんなに借金がふくらんだのか。
わかっている、簡単なことだ。
答えをいうまえに、2、3日前の新聞記事によると・・・・・・・

EUの中で青息吐息のメンバーをかろうじて支えているドイツだけど、健全財政を維持するために血の出るような緊縮財政を続けているという。
ドイツでは速度無制限のアウトバーン(高速道路)が有名だけど、最近は路面を修理する金がないというので、あちこちで制限速度が設定されているそうだ。
一般道路も穴だらけで交通に支障をきたしているらしい。
そこまでケチに徹して、なんとか健全財政を保とうとしているのである。
そんなドイツだから、メルケルさんも経済担当相も、借金しまくって景気を好転させようという日本のアベノミクスを、そんなんで本当に大丈夫なのかいと疑惑のまなざしで見ているという。

道路に穴があいていて、交通事故でも起こしたらどうするんだと訊く人がいるかもしれない。
日本ならすぐに訴訟沙汰だ。
訴えられるのは行政だ。
行政がいちばん取りっぱぐれがないから、まず国や市町村が訴えられる。
ドイツはちがう。
ドイツの裁判官は、ふざけんな、道路の修理をしてないから注意をしろということはあらかじめ広報してある、そんなところで飛ばすほうが悪い!
とはっきりいえる人なのだろう。

このブログにも書いたことがあるけど、公衆トイレなんかも掃除する金がないから汚いままかもしれない。
日本ならすぐに文句をいう人が出る。
オレたちは税金を払ってんだぞ。
政府は国民に健全で快適な生活を保障する義務がある、なんてエラそうなことをいいだす輩が多いから、日本の借金はかさむ一方なのだ。
日本の裁判官が勇気をもって、ごたごたいうな! 便所の壁にちゃんと、掃除する金がアリマセンとワープロで打った張り紙がしてあんだろ、汚いのがいやならボランティアで掃除しろ!
万事この調子ではっきりいいさえすれば、1千兆円の借金なんぞ遠からずしてゼロになるに決まっている。

ただナチスの時代に悪化した財政で苦しんだドイツには、国民のコンセンサスがあるけど、日本は和気あいあいのなれあい社会で、政治家も役人も国民もみんな甘ったれるのが大好きだから、なかなかそうはいかないかもしれない。

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2013年8月 9日 (金)

1面トップ

新聞の1面トップに 「原発事故全員不起訴へ」 という見出し。
不起訴へということは、いちどは起訴されたということだから、全員というのはどんな人たちだいと記事を読んでみたら、東電幹部だけじゃなく、菅もと首相までいるのにおどろいた。
わたしは菅クンに義理も恩義もないけれど、そりゃ無理でしょ。
また世間には怒り狂っちゃう人がいるかもしれないけど、日本は法治国家だから、いまいましいとか、市民運動上がりはキライだという感情だけで、人を罪に落とすわけにはいかないんだよね。
大震災が起こるまえに、50メートルの高さの鉄壁防波堤を造りたいから電気料金を値上げしますといったら、たいていの人がそんな無駄遣いをしてと反対したんじゃないだろうか。
みんな同じ穴のムジナじゃん。

同じ1面にもと法制局長官という人が、法治や平和主義の観点から批判記事。
なにを批判しているかっていうと、つい最近交代した法制局のトップが、安倍クンの走狗となって憲法解釈を変えるんじゃないかということ。
でも、もと長官さんの意見は、けっきょく個人の信条のひとつにすぎないよね、それもいささか時代錯誤の。
現在は、これまで通りに自分のカラに閉じこもっているほうがいいか、いやいや、これからはどんどん国際貢献に出ていくべきだ、というふたつの考えがせめぎあっている状態だ。
どちらにも言い分があって、どっちがいいとかんたんに結論を出せる問題じゃない。
大半の世間の人は、閉じこもっていればこれまで通り平和が保てると思っているらしいけど、いいのかねえ、時代に取り残される一方で。

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2013年8月 8日 (木)

侍のモラル

オバマ君が怒り狂っている。
ロシアが情報漏えいのスノーデン君を、アメリカに引き渡さなかったのがケシカランというんだけど、またしてもアメリカの自己中心的なわがままだ。

司馬遼太郎の 「街道をゆく」 の中に、江戸時代の大名同士のトラブルの話が載っていた。
徳川政権下の江戸には大名や旗本の屋敷があちこちにあったけど、ある旗本の屋敷でそそうをした下男が、手打ちになるところを、となりの大名の屋敷に逃げ込んでしまった。
こちらを頼りにして逃げ込んできた者を、あっさり相手に引き渡すというのは、当時の侍のモラルからしてあり得ない。
というわけでひと悶着が起きるのだけど、今回のスノーデン君の亡命を認めたロシアの心情はこの大名に似ている。

米国流の考えでは犯罪者であるとしても、そしてロシアにとって迷惑な話であっても、主体性をもった大国として、ロシアが亡命を求めるスノーデン君をアメリカに引き渡せるものではない (相手の顔をうかがってばかりいる日本とはちがうのだ)。

そういうロシアの心情を理解せず、オバマ君は米ロ首脳会談を中止するとほざく。
ま、どっちも相手を必要としているという事情があるから、これも情報漏えいの追従者が出ないようにという一時的なポーズなんだろうけど、アメリカって国はほんとうに身勝手な国だなと思う。
こんな調子だから内部通報者がつぎからつぎへと出てくるんだよ。

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2013年8月 7日 (水)

奇説

「原爆の日」 のつぎは 「終戦の日」 だ。
また靖国がどうなるかって、中国や韓国もかたずを呑んでいるにちがいない。
いったいいつまで続く泥ねいぞって気持ちだけど、昨日の夕刊に古市憲寿クンという若手の論客が、「知ったかぶりをして戦争を語るのはやめよう」 という奇説を発表していた。
なんだ、この若ぞうがと疑惑いっぱいのまなざしで読み始めたんだけど、これは卓見だ。

この時期になるとあちこちで、戦争を忘れるな、風化させるなということで、いろんな催し物が開かれたりする。
ウチの朝日新聞なんか 「語り継ぐ戦争」 なんてキャンペーンを、この時期以外にもやっている。
日本の右傾化を案ずる人たちも、ようするに日本がまたかっての軍国主義に逆戻りし、同じことを繰り返すんじゃないかと心配しているらしい。
だからすぐに過去の歴史をひっぱり出して、教訓にするとほざく。
戦争を忘れさえしなければ、悲劇をけっして繰り返さないと信じているらしい。

しかし世界はどんどん変化しているのだ。
植民地主義や覇権の時代がもういちど来るだろうか。
腕力がすべての大国アメリカでさえ、ベトナムやイラク、アフガンで手痛い反撃をくらって、けっして相手を制圧できなかった。
いまや中国がくしゃみをするとアメリカが風邪をひく (日本はいつも肺炎だ) という時代だ。
これほど利害が網の目のように入り組み、インターネットで地球がひとつになり、若者があのころに比べればはるかに世界というものを知ってしまった現代に、侵略で領土を拡張できると考える指導者がいるだろうか。
いったいどうやったら時代錯誤の軍国主義を復活させられるのだろう。

さて、若ぞうの古市クンだけど、彼は戦争を語るのはやめようという。
日本でも中国、韓国でも戦争を知らない世代がどんどん増えている。
戦争を知っている世代はどんどん少なくなり、南京で殺されかかった人も、強制連行されたとする慰安婦もまもなく死に絶えるだろう。
現在のあちらの若い人たちにとって、日本というと、おもしろいマンガを生産するファッション先進国というイメージかもしれない。
そんならいっそのこと、そういう若い人たちに全部まかせてしまったほうが、新しい関係が構築できるんじゃないか、いまみたいに罵り合いばかりの関係はやむんじゃないかと、古市クンはいうのである。

うーむ、若ぞう、いいことをいうじゃないかと、十年一日のごとくほこりだらけの過去をひっぱり出してよろこんでいる世論にさからって、わたしも古市クンを支持してしまう。

未来の戦争は過去をそのままなぞるものではないはずだ。
戦争がまったく新しい原因で起こるものなら、それは若い人たちが自分で対処すべきで、古い人間がエラそうなことをいっても始まらない。
日本も中国、韓国も過去を教訓にするばかりで、結果として憎しみをいつまでも忘れないとしたら、本末転倒じゃないだろうか。

※この文章は古市クンの意見の主旨をもとに、わたしが勝手にでっち上げたもので、まちがいがあったらわたしの責任であります。

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2013年8月 6日 (火)

禁忌

わたしのブログは政治や政治家ばかりじゃなく、世間の常識やたてまえ、そしてそれを無邪気に信じている一般大衆を揶揄するようなことばかり書いてるけど、仕方がない。
なんといってもわたしは世間の常識にあらがい、フツーの人のものの考え方に衝撃を与えることを最大の愉しみにして、生きているっつうか、それしかないっつうか。
どうせ先は短い(かも知れない)んだし。

ところが世間にはそんなわたしの上をいく非常識な大バカ者がいるということが、今日の新聞に出ていた。
コンビニの店員がアイスクリームのボックス内で寝転んでみたり、売り物の食品相手にふざけてみたり、しかもその写真や映像をYouTubeに上げてよろこんでいるんだそうだ。

ま、いまに始まったことじゃないな。
ネット上には一部の青少年による、まゆをひそめたくなるような映像がときどき見つかる。
彼らににとっちゃこれはぜんぜん非常識じゃないらしいけど、ナニ考えてんのかねえ。

わたしだって最低限のラインは守っているんだぞ。
だから原爆の日や、沖縄の米軍ヘリの墜落についちゃ、おいそれと揶揄しようって気にはなれない。
そういうわけで今日はブログのネタがないや。
暑いから散歩に出かけるのもおっくうだし。

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2013年8月 5日 (月)

スーパー堤防

新聞にスーパー堤防の是非についての記事。
首都や近畿圏の低地に限定して巨大な堤防を造るんだそうだけど、そんなもん役に立つのかと異論が続出してるんだそうだ。
役に立たなくったっていいじゃんか。
政府だってそんなものが役に立つとは思ってないだろう。
それよりアベノミクスの配当をどうやって国民に分配するか。
企業にもっと給料を上げろといったって、そもそもアベノミクスの将来に不安を感じている企業はなかなかそうはいかない。
てっとり早いのが公共投資だ。
工事を増やせば、国民の下々にまで景気の恩恵が行きわたる。

そういうわけで政府はスーパー堤防をせっせと造るわけだ。
日本は民主主義の国だから、もちろん、こういうアリガタイことでもかならず文句をいう輩が出る。
先日は、世田谷ナンバーを新しく作ろうという、どうでもいいような問題にまでいちゃもんをつける人がいたのにおどろいた。
いちゃもんのひとつが、住所が特定されやすくなるってものだったけど、この苦情人はなにか犯罪行為に加担してんのかって思ったくらい。
そんなヒマがあったら家で寝ているほうが健康にいいと思う。

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ヘクソカズラ

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先だってのブログ記事でワルナスビという植物について触れたことがある。
本人はそんな気がないのに、勝手に悪もの扱いされた植物も気のドクだけど、目クソ鼻クソなんて書かれてよろこぶものがいるだろうか。
植物の中には屁糞蔓 (ヘクソカズラ) なんて名前をもらっちゃった気のドクな草がある。
めずらしい花じゃない。
この季節になるとあっちこっちで、金網や生垣の植物なんかにからみついて、1センチほどの小さな花をたくさんつけている。
キレイというには小さすぎて目立たないし、名前からしてあまり役にたたない植物かと思ったら、これでも薬草になるんだそうだ。
例によってマクロで拡大してみた。

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いちばん下はたセミの抜け殻で、アブラゼミとはべつの、もっと小さなセミのもの。
広島に原爆が投下された年も、やはりセミがうるさく鳴いていたということを、なにかの本で読んだことがある。
そんなことを抜きにしても、セミの抜け殻というやつはなんか悲しみを感じさせるものである。

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2013年8月 2日 (金)

愛すべきヒト

ベルルスコーニさんが有罪だそうだ。
そりゃ18歳のオンナの子とナニしちゃあいけません。
このヒヒ親父め、とうとう運のつきかと思ったら、罪状は税金詐欺だそうだ。

それにしたってイタリアの国民のおおらかなこと。
ウィキべディアでベルルスコーニさんのことを調べたら、麻生クンも足もとにおよばない失言放言の数々だ。
こういうキャラはやっぱり愛すべきだな。

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麻生クンとあまちゃん

麻生クン、まだ叩かれてます。
本気でナチスを礼賛する政治家は日本にはいないと思うけど、でもわたしみたいな毒舌家でさえ、ナチスって言葉を使う場合は注意するよなあ。

「あまちゃん」 の最終回が収録を終えたそうだ。
またしても、いちどもまともに観ないまま終わる連続テレビ小説だ。
いえ、ちらりと観たことはあります。
海女の話だっていうから、水中シーンがたくさんあるんじゃないかって期待して。
それが、なんかAKBの誕生ドラマみたくなっちゃって。
連続テレビ小説じゃなく、連続テレビ漫画ってことにしたほうがエエ感じ。

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2013年8月 1日 (木)

今日の新聞

おー、麻生クンが叩かれているよ。
今朝の朝刊で叩かれ、今日の夕刊ではもう謝っちゃってる。
あの歯に衣きせぬ物言いで、しょっちゅうポカばかりしている政治家ってのは得がたいキャラなんだけどな。
ま、さんざん叩いてやっとくれ。
わたしゃ麻生クンのキャラを、まっとうでつまらないほかの政治家より愛しています。

そんなことより朝刊に、米国にまで慰安婦像ができたという記事。
わたしも慰安婦の強制連行された事実はないという立場だけど、こういうのはどうすればいいだろう。
こっちがひとこと反論すると、三つも四つにもなって返ってくるうえ、人道主義なんかを持ち出されちゃ日本に勝ち目はないしなあ。
地道に訴えていくしかないか。
でもわたしのブログは見ている人があまりいないみたいだしねえ。
日本も米国のロビー活動にもっと熱心になり、慰安婦像のとなりに慰安婦の真実館なんてものを造って広報をするか。

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