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2013年8月28日 (水)

困難な問題

491

また世間の大勢にさからうようなことを書かなくちゃならない。
先日、図書館で借りてきたのは、つげ義春のマンガ以外に、ポール・セローって人の 「ゴースト・トレインは東の星へ」 という旅行記。
この作家の本ではこれ以前に 「中国鉄道大旅行」 という旅行記を読んでいて、それがなかなかおもしろかったから。

「ゴースト」 の旅は英国からスタートして、ヨーロッパ大陸へ渡り、オーストリア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリアなどを経由してトルコへ行くのである。
トルコからまだ旅は続いて、中央アジア、インド、そして東南アジアから、最終的には日本にまでやってきて、村上春樹の案内でオタクの街・秋葉原を見てまわる。
これがほとんど鉄道によるひとり旅だというのだからうらやましい。
しかしまだトルコあたりまでしか読んでないので、そのへんについていささかゴタクを。

あとがきによるとセローのこの旅は2008年ごろのもので、わたしがはじめてトルコに行ったのはその2年後のことである。
つまりわたしは彼とそれほど変わらないころのトルコを自分の目で見てきたことになる。
まだイスタンブールが反政府デモでごたごたするまえで、世俗主義がなんの不安も感じてないころのことだ。

セローは30年前にもいちどトルコにやって来ているのだけど、そのときは貧しかった国民が、現在ではみんなケータイを持ち、全員がEメールを使っていると書いている。

そして新しい旅では、彼はイスタンブールでトルコの作家たちと歓談しており、そこではある作家は 「ムハンマドは恋多き人でした」 と、イスラム教徒から標的にされかねないことを平気で書いていたそうである。
極端なハナシ、トルコによるアルメニア人虐殺を肯定して、国家侮辱罪で告訴された作家もいたけど、けっきょく罪にはならなかったらしい。
こんなふうに政治的にも誰もが自由な発言をしているし、交通の便がよく、こんなに居心地のいい国は世界でもめずらしいとセローはいう。
ちょうどイラク戦争のさなかで、トルコ人はみなアメリカを非難していたにもかかわらず、米国人であるセロー個人を責める人はいなかった。

セローは 「抑圧が作家によい影響を与える」 とさえいっている。
これは世俗国家のトルコが、いくぶん問題はあるにしても、きわめて健全に発育した国であるということの証明だろう。
わたしもそう思った。
わたしは堕落した資本主義国からの旅人だったにもかかわらず、イスタンブールではじつに自由に歩きまわり、レストランやバザールで陽気なトルコ人と会話し、美しい婦警さんにおずおずと道をたずねたりした。
世俗主義はいいもんだと思ってしまったくらいだ。

現在のトルコ、そしてエジプトではこれに逆行する動きが出ている。
これらの国では民主的な選挙でイスラム色のつよい政党が躍進してしまった。
それが国民の民意だというのだけど、そうだろうか。
上からの指示で人間を大量に動員できる政党にあっちゃ、そのへんの浮動票をアテにしている政党はかないっこない。

トルコでは選挙の結果に不満をもった民衆がデモをし、エジプトでは危機感をもった軍部が政権をひっくり返した。
西欧諸国 (および日本) は、本音はどうか知らないけど、民主的に選ばれた政権をひっくり返すのは乱暴でアルなんていっている。
わたしはちょっと残念に思ってしまう。
世俗政権が腐敗したからイスラムが躍進したのだという人がいるかもしれないけど、イスラム政党が権力をにぎれば、長いあいだには彼らもきっと同じことをする。
抑圧はさらにひどくなるに決まっている。
現在のイスラムは個人の発言について、以前ほど寛容ではないようにみえる。
魅力的なイスラムの女性にとっては、未来はきわめてクライとしかいいようがない。
だからわたしは宗教色のつよい政党が、政治に口を出し、権力をにぎることにあまりいい印象を持っていない。
アメリカには2大政党があるけれど、自由主義という基本理念だけは両党とも神聖にして犯すべからずであるように、わたしはトルコ、エジプトに、世俗主義だけは放棄しないようお願いしたい。
ポール・セローもきっといまの状態に危機感を持っているのではないか。

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