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2013年9月

2013年9月30日 (月)

わがよき友よ

ちょっとした確執を抱いたまま、わたしの友人が遠くへ去った。
かりに彼の名前をY君ということにしておこう。
彼はいまごろは、おそらく沖縄行きフェリーの中だろう。

確執の原因はわたしの傲慢にあるらしい。
Y君は写真が好きだ。
写真についてはそれなり一家言をもっているといっていい。
わたしも写真は好きだけど、それについてなかなかうるさいほうなので、彼の写真について保留的な見解をもたざるを得なかった。

いったいおまえは他人の写真について、ごちゃごちゃいえるほど写真がうまいのかといわれると困るけど、じつはわたしも若いころ、プロの写真家になろうという大望をいだいたことがある。
しかしプロのものすごさを知るにつけ、とってもわたしみたいなずぼらな男につとまらない職業であることを自覚した。
すなおに自覚したくらいだから、わたしみたいに謙虚な男はいないはずだし、同時に自分がけっして写真が上手だなんて思ってないことも明白なんだけど。

ただ、いまでもいい写真を観るのは好きだ。
ナショナル・ジオグラフィックや報道写真展などの傑作写真を見ると、いい絵画に出会ったような気分になってしまう。
手前ミソだけど、写真というものの本質もあるていどわかっているとうぬぼれている。
写真はもちろん芸術だし、わたしの芸術を見る目はひじょうにきびしいのである。
だから写真家にはなれなくても、批評家のはしくれにはなれるのではないか。

そんなはしくれとしてY君の写真をみると、どうしてもベタ誉めしにくいところがある。
わたしの友人の中にはホメ殺しといいたくなるくらい、安易に彼の写真をほめまくる人間もいた。
まずいことにY君はおだてられると調子に乗ってしまうタイプだ。
それはまずいと思うけど、そういうとかならず、プロじゃないんんだからムズカシイことをいわないでと返事される。
ごもっとも。
わたしは彼の写真については沈黙を守ることにした。
彼がわたしを嫌ったとしたら、原因はそんなあたりにあったのだろう。

わたしは芸術に関しては妥協しようと思わない。
しかし誰にでも、どんな作品にでもきびしいわけじゃない。
熊本のKさんのリトグラフをひと目見て、すばらしい作品だと認めたのは、すくなくとも友人たちのあいだではわたしだけだった。
よい作品ならそれを認めるに、けっしてやぶさかではないのである。
Y君の写真でも、それを評価するのに個人的感情をさしはさんだおぼえはない。
だいたい個人的感情でいえば、Y君ほど愛すべきキャラはいなかった。
彼を海外旅行やパソコンの仲間に引っ張り込んだのはわたしなのだ。

彼が去ったあとでこんな弁解がましいことをいっても仕方ないんだけど、最近のわたしは何をいってもムダだという気持ちと、挫折した夢の苦い感慨が入り混じって、もうどうでもいいやという気分。
どうせおたがいに人生の終着点は近い。
わたしはいちいち自己弁護をするのにくたびれた。
わがよき友よ、無事で行け。
またそのうち、きみの新しい土地で会おうじゃないか。

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2013年9月29日 (日)

モクズガニ

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近いうち大きな天変地異でも起きるんじゃないかと思いたくなる今日の散歩。
いつも通り野川のほとりを歩いていたら、水の中にやけにザリガニの死骸が目についた。
最初は近所のガキどもが、獲ったザリガニを、死んでしまったためにそのへんの水中に投げ捨てたのかと思った。
しかし特定の場所だけではなく、1キロほどの範囲に腹を上にした大小のザリガニが点々と。
ザリガニの伝染病でも流行ったものだろうか。

しかもおどろいたことに、この近所に住み始めて17、8年のあいだ、これまで1度しか見たことのないモクズガ二を4匹も見た(2匹は死骸)。

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ほたるの里の近くにサワガニが棲息しているのは知っていたし、それは過去に何度か見たことがある。
しかしモクズガ二は1度だけ、ただの1匹しか見たことがない。
1匹だけでは繁殖しているのか、それとも誰かが飼っていたものが逃げ出したのかわからない。
自然繁殖しているものなら、もっと小さい個体も見つかるはずだから、たぶん後者だろうと思っていた。

しかし今日のようすでは繁殖しているとしか思えない。
論より証拠、今日散歩のとちゅうで撮影したモクズガニの写真をお目にかけよう。
こんなものがまっ昼間に、人目につく場所にうろうろしているなんて、たしかにちょっと異常である。
福島の放射能でも流れこんだか、富士山の噴火でも近いのかしら。

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2013年9月28日 (土)

うわあ

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わっ、なんだなんだ。
目ざわりなカメムシが2匹になった。
ウチは化け物屋敷じゃないぞ。
さすがに鷹揚なわたしも堪忍袋の緒が切れた。
これがメスとオスで、ところかまわずまぐわって、そのへんに卵でも産みつけられたら。
うわあ。

そういうわけで2匹とも掃除機で吸い取って、きゃつらの本来棲息すべき暗いところへ。
お願いだからもう陽のあたる場所に出てこないでチョーダイ!

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2013年9月27日 (金)

カメムシ

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うちはまわりを樹木にかこまれた、すこぶる環境のいいところにあるもんで、都会ではめずらしい魑魅魍魎がしょっちゅう迷い込んでくる。
このたびはカメムシさんのお出ましだ。
大きさは2センチぐらいあって、この仲間としては大きいほうだから、クサギカメムシというやつらしい。
目ざわりだから掃除機で吸い取るか、箒ではたき落そうかと思ったけど、こいつはスカンクなみの秘技を持っている虫なので、ヤモリ、セミ、バッタならつまんでポイのわたしもおいそれと手を出せない。

なにか悪さをするんじゃないかと調べてみたら、果樹や豆類の害虫としても古くから知られた虫とあり、べつに刺したり血を吸ったりするわけでもなさそうだから、ほっぽらかしてある。
わたしの部屋の中にこいつが食べられそうなものは何もないので (冷蔵庫は密閉してある)、そのうち腹がへって落ちるだろう。
果報は寝て待て。
それにしても目ざわりだな。

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2013年9月26日 (木)

また山尺

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このブログで “山尺 (やましゃく)” なんてものに触れたことがある。
わたしが勝手につくった造語だけど、ようするに平地と山では、同じ距離でも実感として感じる長さがちがうということである。
平地で3キロというとたいした距離じゃないのに、山登りで3千メートルといったら、これはキツイ。
山尺は平地でも違いがある。
若いころは1時間で歩いた距離が、歳をとると2時間になるのは山尺が増大したのである。

いや、今日散歩にいって、わたしの平地における山尺もそうとうに増加したなとしみじみ。
帰りはタクシーを呼びたくなったくらいだ。
どうも毎日マンネリぎみの生活をしてるせいだな。
海外旅行なんかに行くと、生き生きしちゃって、現金なくらい山尺が減少するんだけどね。

自然観察園では紅いヒガンバナがそろそろ盛りを過ぎて、白いヒガンバナのほうが見ごろ。

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2013年9月25日 (水)

たびの素

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古い写真や手紙を整理していたら、むかし知り合った若い娘からの手紙が出てきた。
なにしろむかしだから、若い娘がいまでも若いままであるはずはない。
だから焼けぼっくいに火なんてことを期待されても困るんで、今回のブログはまったく過去の思い出だけのハナシである。

この娘と知り合ったのは小笠原へダイビングに行ったときのこと。
彼女は島内の焼き鳥屋でアルバイトをしていた。
キモ、タン、ハツなんかを食いながら聞いたところによると、彼女は気のむくままに、日本各地、そして海外へふらりと出かけて、しばらくアルバイトをしながら生活するという、旅好きなわたしにとって理想みたいな生き方をしている女の子だった。
そんな生き方ができる幸せな時代もあったのである。

といって、この娘が身をもちくずしたフーテンというわけでもない。
彼女は自分の体験を 「たびの素」 という、マル文字だらけの手作りみたいなミニコミ誌にして、定期的に刊行しているきわめてまじめ (かつ積極果敢かつ社交的) な娘だった。
つまり異国を知りたいという知的探究心と、フリー・ジャーナリストへの夢を同時にかなえちゃっている、なかなか見上げたこころざしの娘だったのだ。
添付した画像はそのミニコミ誌の表紙の一部で、じっさいの彼女はここに描かれている娘より丸っこい。

小笠原からもどったあと、写真を送るついでにつまらないことを書いてやったら、彼女はわたしの中に共通の趣味を見出したらしく、しばらく文通が続いた。
メキシコから手紙をもらったこともある。
わたしがはじめて海外に出かけたのは、彼女と知り合ってから10年ちかくあとで、そのころにはずぼらなわたしはもうこの娘と疎遠になっていたから、わたしのほうが外国から手紙を出したことはなかった。

ひょっとするとミニコミ誌からホームページやブログに切り替えた可能性もある。
そう考えてネットで検索してみたけど、「旅の素」 はあっても 「たびの素」 という言葉はひっかからない。
ゴムマリみたいに元気よく跳ねまわっていた娘は、夢や理想に燃えた一時期を卒業して、いまでは子供をかかえたどこかの主婦にでもなっちゃってんだろうか。

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2013年9月24日 (火)

疲れる

わたしのブログは反応のないのが特徴なんだけど、めずらしくときたま反応があるのが、2011年の10月に書いた 「衝突する宇宙」 という記事。
これはイマヌエル・ヴェルコフスキーってエセ学者の本について書いたものだけど、2年まえの記事なのにいまでもときどきコメントがつく。
たいていはこのエセ学者のエセ宇宙論に感動しちゃった人からのものだ。

ここ2、3日家をあけたら、またコメントがついていた。
あいかわらず曖昧模糊とした書きようで、本人にもゼッタイにわかってないと思われる難解なホームページのアドレスが並べてある。
それを読んでみれば、ヴェルコフスキーの主張の正しさがわかるってことらしいけど、アホらしい。

一例をあげると、このコメント氏はナショナル・ジオグラフィック (わたしもこの本のファンだ) の記事の、「重力による惑星形成の定説、見直し迫る」 という記事を取り上げて、それみろと大喜びだ。
ようするに惑星形成には、従来考えられてきたとべつの方法があるかもしれない、というだけのことなのに、ヴェルコフスキーの、金星は彗星が地球の引力に捉えられてできたものだという説に我田引水してしまうのである。
いっとくけど、このNG誌の記事は、系外惑星系 (わたしたちの太陽系よりも外にある太陽系の惑星) についての一学者の見解を報じたもので、ヴェルコフスキーとはなんの関係もないんだからね。

自分たちに都合のいい意見や見解はすぐさま取り入れ、ゴマンとある都合のわるい意見は全部無視という、こういう狂信的なバカに付き合っちゃいられんのだけど、寄せられたコメントに返事を書かないのもナンだから、つい返事を書いてしまう。
あー、疲れる。

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2013年9月20日 (金)

iPhone

新型のiPhoneに行列だそうだ。
ウインドウズやゲーム機でもそうだけど、ああいうところに並ぶ人ってのはどこか頭がおかしいに違いない。
まだ海のものとも山のものともわからないものを、そんなにアセって買おうという根性がわからない。

いや、わたしもアップル (の創業者) は好きである。
しかしなにごともたいていはそうだけど、完全なモデルチェンジなんてそうしょっちゅうあるわけじゃないし、たんなるバージョンアップで革新的な機能が持ち込まれるってことはあまりないものだ。
そういうことをちゃんと見極めてんのか。
だいたい、ひとつまえのiPhoneをちゃんと使いこなしたのか。
それとも金があまってんのか。
いや、金持ちなら、そんなものに飛びつくわけがないな。
ただの目立ちたがり屋という説もあるけど、テレビで観たら行列に並んでいる連中はみんな意思薄弱児みたいな顔をしていた。
死ね、死ね、死ね! あほたりんがと書こうと思ったけど、こういう手合いが浪費してアベノミクスに貢献してるのかと思うと、日本の未来のためにはむげなこともいえない。

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2013年9月19日 (木)

未成年子女

まだポール・セローの 「ゴースト・トレインは東の空へ」 という紀行記を読んでる。
セローはこの本の中で日本にもやって来ていて、東京で制服姿の女子高生を見て、彼女たちは日本の大半の男たちの欲望の対象になっているらしいと書いている。
世界的作家にこんなことを書かせたのは、このとき街を案内した人物に責任がありそうだけど、それが誰かということにはふれない。

セローは日本にあふれるマンガや看板やネオンサインの色情狂的光景に批判的である。
世界的作家というものはきわめて常識人であるらしい。
それじゃあ外国では未成年女子は欲望の対象にならないのだろうか。
つまらないことに興味をもつようだけど、これは人類学的大命題かもしれないから、あえて書く。

わたしは外国に行ったことがあるけど、女子高生の性がどうなっているかどうか調べたわけじゃないので、あちらの事情についてはよく知らない。
香港で日本式のミニの制服を着た女子高生が、夜間にひとり歩きしているのを見て、あれえっと意外に思ったくらい。
そんな無知なわたしでも、アメリカの女子高生なんか日本よりずっとススンでいるように見えるけど。
むかし観たアメリカ映画の 「アメリカン・ビューティ」 には、さえない中年男を籠絡するべっぴんの女子高校生が出てきたぞ。

今朝の新聞にはモデルのなんとかいう女の子の写真が出ていた。
大人びた、なかなかのカワイ子ちゃんだけど、記事を読んでみたらまだ12歳の小学生だそうだ。
これじゃあ日本の男たちの欲望の対象はますます引き下げられてしまいそうだ。
でも日本人のために弁解しておくと。
こないだ観たセルビア映画には、パソコンのテレビ電話で中年男とテレフォン・セックスをし、ウブな友人を仲間に引き込んじゃう不良少女が出てきた。
これがどうみても中学生か高校生にしかみえない未成年女子。
イヤらしい映画ばかり観てると思われるのは心外だけど、けっしてあちらの男性が潔癖なわけでもなさそう。

ひるがえってわたしの子供のころを顧みると。
そのころの女子中学生なんて、まだほっぺが赤くて、服装もあか抜けてなくて、とっても大半の男たちの欲望の対象にはなりそうもなかったねえ。
12歳の小学生が魅力的で、一億総変態というのは、それだけ文明が発展し、わたしたちの生活が豊かになったってことの証明なのかもしれない。

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2013年9月18日 (水)

今年もヒガンバナ

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そのうち知り合いの結婚式に頼まれて行くことになった。
ワタシの腕をみこんでビデオ撮影の依頼である。
んなこといわれたって、ワタシはビデオ・カメラを持ってない。
かってのワタシなら、フィルム時代のシングル8、スーパー8カメラから始まって、VHS、8ミリ・ビデオ、デジタル・テープ時代のカメラと、とっかえひっかえカメラを買い換えた、凝り性の素人ビデオ・カメラマンだったんだけど、昨今では金のかかる趣味はもっぱら旅行に傾注してるもんで、カメラも持ってないのだ。

捨てる神あれば拾う神もナントカやら。
ハワイや沖縄へいっしょにいったことのあるO君が、彼は撮影に興味がないくせにカメラは持っているというヘンテコな男だけど、最新式のビデオ・カメラを貸してくれることになった。

そこで今日はいい天気の下、借りたカメラのテストをかねて、いつもの散歩コースをぶらぶら。
台風が不純物を一掃してくれたおかげで、川の水はきよらか、風はさわやか、カワセミは2羽連なってすいすいってヤツ。
自然観察園ではヒガンバナがあとひと息、見ごろはつぎの週末あたりのよう。
でもこんどの連休は、ワタシ家を留守にする予定なので、今年の曼珠沙華は去年の写真でごまかすかもしれません。ご注意。

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2013年9月17日 (火)

初体験

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ブログを開始して6年もたって、初めての経験だ。
今日の昼まで4、5日ブログを読めない状態が続いていた。
あいつもとうとうオダブツか、あるいは不渡りでも出したかと、いろいろ邪推されそうだけど、真相はこうだ。

わたしはブログの中で、ときどきネットで見つけた画像を挿絵がわりに使用する。
所有者の了解を得てないから、これはれっきとした著作権法違反である。
そこはそれ、べつに営利目的で使うわけじゃないし、その画像が必要だから使っているんだし、たいていはちゃんとネットで見つけたと断わっているし、そんな厳格なコトいってたら世間の個人ブログの多くが該当しちゃうし、文句をいわれたらさっさと削除するつもりだし、だいたいそんなご立派で影響力のあるブログでもないし、そもそも世間に宣伝なんかしてないし、ただただ欲求不満の解消のためにやってるブログなんだしと、まあ、勝手な屁理屈をふりまわしていたんだけど、とうとう画像の所有者から文句がきてしまった。

それを無視していたら、ついに強制的にブログを読めなくされてしまったのである。
なにも意識して無視していたわけじゃない。
あらかじめブログ主催者のニフティのほうから、メールで権利侵害ですと警告があったらしい。
あいにくそれがわたしがふだん使っているメール・ボックス宛てではなく、べつの、最近ではほとんど使ってないニフティのメールだったために、機能不全になるまでぜんぜん気がつかなかった。

というのが真相。
あわてて弁解メールを送って、該当する画像と記事を削除して、ようやくブログ再開だ。
問題の画像というのは、たぶんアレだろうと思っていたら、ぜんぜんそうではなく、佐賀県の 「干潟よか公園」 まで行けば、誰にでも撮れるありきたりの写真だったのがちとシャクだけど。

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2013年9月12日 (木)

VANのワイシャツ

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なんか疎外感を感じるよな。
じっさい疎外されてんだろうけど、ま、わたしもキラワレおじさんだから、みんなから敬遠されるのは仕方がねえけどね。

あいかわらず部屋の整理をしてます。
そしたらクローゼットの奥のほうから、若いころ購入したワイシャツが出てきた。
どのくらい若いころかというと、自衛隊にいたころだから、わたしがまだ20歳のころだ。

当時は衣食住つきの生活をしていて、給料はもらってもそれを使う機会があまりないという幸せな時代。
同輩のなかには酒や女に浪費する手合いも少なくなかったけど、わたしはなにしろ、まだ田舎から出てきたばかりの、ウブで純情な青少年だったから、そういう世界にもあまり縁がなかった。

で、服装に金をかける。
典型的な田舎者だけど、街でVANだとかJUNなんかに目がくらんで、当時大枚をはたいて購入したのが、今回発見したクローゼットの奥のワイシャツだ。
さすがに日本のブランド商品だけあって、品物は保証つき。
ン10年を経過したのにすこしもへこたれていない。
もっともわたしの人生の中に、フォーマルなワイシャツを着る機会は、冠婚葬祭のときぐらいしかなかったけど。

品物に変化がなくてもわたしのほうは大ありだ。
ワイシャツがクローゼットの奥でこんこんと眠っているあいだに、わたしの胴まわりは、このサイズがかっては着られたのかとおどろくほど増大した。
青春は遠くなりにけりかな。
VANジャケットっていう会社にも紆余曲折があったようで、何年かまえに倒産したってハナシを聞いたことがあるから、気になって調べてみたら、まだ細々と営業しているようである。

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2013年9月11日 (水)

ぼやき

部屋の整理をしていたら、若いころに書いた文章が出てきた。
天才というのは双葉からかんばしいそうだけど、じっさい有名作家の若いころの文章が発見されたりすると、さすがとうなりたくなるようなものもあることは事実。
でも、わたしの場合はそうじゃないねえ。

ヘタクソなのはまだしも、不必要なくらい意識的に作家や詩人をきどっていて、ハッキリいわせてもらえば精神分裂症の患者が書いた文章みたい。
やっぱしわたしは栴檀じゃなかったんだとガックリ。
そういうことに気がついただけでも、ちっとは進歩したってことかしら。
いま書いているこのブログの文章だって、30年後に再読してみたら、やっぱりどこかオカシイ人が書いたように思えるのかも。

いいんだ。
いまさら作家にも詩人にもなりたいと思ってないし。
無名のままで好き勝手なことを書きなぐっているほうが、ゼッタイに欲求不満の解消にはいいと思う。

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マンガ

わたしの青春そのもののような本を整理することにした。
というとなにやら御大層だけど、つまりマンガである。

手塚治虫の 「どろろ」 全4巻、楳図かずおの 「イアラ」 全6巻、つげ義春 「ねじ式」、「紅い花」、あがた森魚の 「赤色エレジー」 など。
ほかに眺めているだけで幸せになる谷内六郎さんの画集全5巻もある。

オークションに出すか、古本屋に持っていけばいいという人がいるかもしれないけど、わたしはそれほどマメじゃない。
だいたいほとんどが文庫本だし、現在でもちゃんと売られている本ばかりなので、それほどの稀覯本 (きこうぼん)・珍本の類というわけでもない。

それでも愛した本を品物みたいに右から左へ売り飛ばすよりは、自分の手で成仏させるほうがなんぼかマシだ。
ということで、欲しいという友人がいるなら譲ってしまうつもりだし、いなければそのまま可燃ゴミに直行。
わたしのこころに影響を与えるという役割は果たした本ばかりである。
ありがとう。 さようなら。

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2013年9月 9日 (月)

唯見長江天際流

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友人が引っ越すというので、昨日は彼の家で、えい、持ってけ、ドロボーという感じの家具の無料バザール。
わたしも身軽になりたいところだから、欲しいものがあっても頂いてくるわけにはいかない。
お目当てはバザールのあとの呑み会だから、それでいいんだけどね。

この友人というのは、いろんな意味で古くからの盟友みたいなものだから、引っ越されてうれしいわけはないんだけど、わたしにだって田舎暮らしの願望みたいなものはある。
新天地をめざすなら元気なうちのほうがいい。
花に嵐のたとえがあるならば、サヨナラだけが人生さ。

今年の夏もようやく終わりの雰囲気。
この寂寥感はどうしたものか。
わたしがパソコンで使っているハンドルネームは 「酔いどれ李白」。
もともと李白の詩が好きでつけた名前だけど、彼の七言絶句をひとつ友人に進呈しよう。
李白が友人を送ったさいの歌だ。
 故人西辞黄鶴楼     故人西のかた黄鶴楼を辞し
 烟花三月下揚州     烟花三月揚州に下る
 孤帆遠影碧空尽     孤帆 (こはん) の遠影碧空 (へきくう) に尽き
 唯見長江天際流    唯見る長江の天際に流るを

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2013年9月 8日 (日)

うんにゃ

またへそ曲がりを宣言するようなものだからあまり触れないようにしてるんだけど、嬉しくも楽しくもない。
あ、オリンピックの話。
それよりもまたバブルみたいな狂騒曲が始まるんだろうなって思うだけ。
サッカーでも日本が勝つたびに、渋谷なんか大勢が繰り出してどんちゃん騒ぎだもんね。
でもなあ。
わたしはいちど日本のオリンピックを見た世代だから、まだ見たことのない若いモンにせいいっぱいの理解を示すようにするけど、老婆心ながら足が地についた騒ぎにしてほしいやねえ。
うんにゃ。

よく考えたらまだ7年先の話だな。
東海大震災や原発事故や富士山爆発や金融崩壊がおきてないかしら。
わたしみたいな悲観主義者がそれまで生きていられるかしら。

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2013年9月 7日 (土)

端境期

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今週は雨にたたられたりで、ひさしぶりの散歩。
といっても、1週間か2週間ご無沙汰したくらいで、いつものコースになにか大きな変化があったというわけじゃないけれど。

集中豪雨があったせいで川の中はとってもきれい。
今年の野川もひじょうに魚影が濃い。
自然観察園でいま盛りなのはシュウカイドウだけど、わたしゃこの花があまり好きじゃない。
いまは端境期なので花が少ないが、もう半月もすればツリフネソウとヒガンバナが満開になりそう。
秋アザミも先端がピンクになって、準備はOKという感じ。
うす汚いアオサギがものうげに立ちつくす。

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2013年9月 6日 (金)

鉄道大バザール

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まだ 「ゴースト・トレインは東の星へ」 が読み終わってないのに、同じ作家の 「鉄道大バザール」 という本を借りてきてしまった。
わざわざ中央図書館から取り寄せてもらい、いったん返却した 「ゴースト」 もまた借りてきてしまったから、わたしの家にはいま2冊の彼の本があるわけだ。
いや、正確にいうと3冊である。

わたしがポール・セローという作家の本を知ったのは 「中国鉄道大旅行」 が最初である。
むかし中国のことならなんでも知りたいと考えていた一時期があって、たまたまなにかの広告で見つけた本だったんだけど、読んでみるとこんなにおもしろい本はなかった。
この本は現在でもわが家にあるから3冊というわけだ。
どれもハードカバーで厚みのある本だから、読み終えるには時間がかかりそう。
これは、つまり楽しみがそれだけ長続きするということだ。

この3冊の本を比べると、「バザール」 は1975年、「中国」 が1986年、「ゴースト」 は2008年の旅ということになっている。
中国の旅はいわずもがな、トルコの鉄道のように、わたしの乗ったことのある鉄道が出てくるので、そういうものの追体験としてもおもしろい。
これはやっぱり最初から読まなくちゃなと、あとの2冊を読んでいるうちに、やっぱり順序からして 「バザール」 を読もうという気になったのである。

人間なんて誰でもいつか老いぼれる。
そのうち視力も衰えて読みたい本を読むのにも苦労するようになる。
そういうわけで、おもしろい本に出会ったら、なにはさておき、仕事をおっぽらかしてでも読んどくことだ。
そういうつもりで今日は仕事をおっぽりだしているんだけど、家族持ちだとこうはいかない。

セローの旅行記は思索や洞察に富んでいるけど、そういうムズカシイことはさておいても、たとえば 「バザール」 の中に、列車の中で知り合った英国人が
「ガイドブック片手に名所を歩き回る」
「いやだね。真っ平だよ」
「俺は静かにじっとしていたい。ひとつの国を自分の身肌で感じ取りたいんだ」
というセリフを吐く場面がある。
こんな部分を読むと、ついわが意を強くしてしまう。
わたしの旅はホテルでごろごろしてることが多いのだ。
文句をいわれたら、これからは黄門さんの印籠のように、この本を前面にかざすことにしよう。

海外旅行というとパックツアーしか知らない人もいるだろうけど、わたしのようなのんびりした旅を愛する人もたくさんいるようである。
旅行記を読んで旅行した気になる人も多いらしい。
図書館で借りた 「バザール」 は、表紙が黄ばんで、だいぶあちこち擦り切れていた。
たしかに、わたしのようなぼんくらが同じ場所を同じ乗り物で旅するより、セローの本を読むほうが、よっぽどたくさんのものが見え、その国のことがよくわかりそうである。

わたしだって材料だけならセローにまけないくらい持っているけど、あちらのごとく世界的作家ではないから、そういうものから他人が読んでもおもしろい文章をつむぎだす能力がない。
せめて安いジンをオンザロックでちびちびやりつつ、雰囲気だけでも文豪の真似をして、夏の夜を更かしているのである。

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2013年9月 4日 (水)

特定秘密保護法案

「特定秘密保護法案」 というものを提出する気だそうだ、安倍内閣が。
なんだか仰々しいけど、ようするに国の機密情報をもらした公務員を、厳罰にしようってハラらしい。
すぐにウィキリークスのアサンジ君が頭に浮かんじゃう。
しかしあれはアメリカの話だ。
日本はテロリストにもあまり関心を持ってもらえないノーテンキな国なのだ。
えっ、隠すような秘密があんのか。
そういう態度だから国民から疎遠になるばかりなんだよな。

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2013年9月 2日 (月)

くそっ

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新しいパソコンをわたしの使いやすいようにせっせとカスタマイズしてんだけど、どうにもこうにも使いにくくて困る。
最近のマイクロソフトの混迷ぶりを物語るように、OSもあっちへこっちへと迷走しているようだ。
おまけにウイルスや、勝手にコマーシャルを表示するソフトの集中攻撃にさらされているみたいで、買ったその日から、モニターにおかしな画面がやたらあらわれる。
そういうものを削除するためには専用のフリーソフトが必要だそうで、これをダウンロードしてみたら、全部英語なところへもってきて、またIDやパスワードを設定しろなんて画面が出てきて、そんなことをしたらよけいおかしくなりそう。
調べてみたらウイン8のネット上の評判もあまりよくないようだ。
くそ、アップルにしといたほうがよかったかなと悔悟の日々。

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2013年9月 1日 (日)

ヤモリ

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過去を清算する
部屋にあったフィルムを処分する
ネガもポジも
かってのわたしの夢がひとつひとつ失われてゆく
青春も 友人たちも 女の子たちも 
海も山も 中国の旅も  

そしてさっぱり
過去をふりきっても
わたしがもういちどやり直せるかどうか

台所に立っていたら、窓ガラスの向こうに小さな虫が。
それを追ってちょろちょろと我が家の魑魅魍魎のひとつが。
パクッと呑みこんで、彼は満足そう。
わたしのほうは訃報がひとつ。
まあ、そういうこともあるだろうと、平静ではいるんだけど。

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