ターナー展
さわやかな秋晴れにひきこもりでは仕方がないというので、昨日は都心まで出かけてきた。
観たい映画も催し物もとくにあるわけじゃなかったから、さしあたって目標がない。
総武線に乗って途方に暮れているうち、上野の美術館がターナー展をやっていることを思い出し、あまり熱意がわかないけど、とりあえずそれを観に行くことにした。
ターナーというと漱石の 「坊ちゃん」 の中に名前が出てくるというのが有名だ。
しかし有名な作家をけなすのが得意なわたしのことである。
今回の展覧会はぜんぜんつまらなかったとしかいいようがない。
それでも会場の東京都美術館は、もう一寸刻みでしか歩けないくらい物好きでいっぱいだった。
どうしてつまらなかったかというと、わたしは絵を観ると、つい想像をふくらませて、その描かれた風景の中をさまよってしまうタチである。
そういう目的では、たとえばロシアの画家たちの、具象的な絵はひじょうに具合がよかった。
ところがターナーの絵は、どこか曖昧模糊とした部分があって、描かれた風景を想像しにくいところがある。
たまに想像できても、ただの風光明媚な観光地みたいなところじゃ、歩いてみようって気にならない。
似たような傾向の絵として、ターナーの 『死人を海に投げ込む奴隷船』(上) と、わたしがロシアで観てきたアイバゾフスキーの 『第九の波』(下) をくらべてみよう。
ターナーのほうが進歩的な絵に見えるけど、アイバゾフスキーのほうが場所や状況を想像しやすく、波のようすもはるかに本物らしく、迫力や感動も 『第九の波』 のほうがずっと大きい。
でも 『奴隷船』 なんかまだマシなほうで、ターナーの絵を間ぢかにながめると、その大部分は平坦で、刺激にとぼしく、わたしには古い教本どおりの絵にしか見えなかった。
ある場所にモネの 「印象・日の出」 みたいな絵があったけど、説明を読んでみたら未完成の作品と書いてあった。
これじゃあ前衛というわけにもいかない。
夏目漱石が英国に留学したのは明治26年(1893) のことである。
これはフランスで印象派の活躍がピークに到達した直後ぐらいだから、留学先が仏であれば、漱石は絵画の革命をその目で観ることができたはずだ。
そしたら彼はのちのち、モームの 「月と6ペンス」 みたいな小説が書けていたかも。
残念なことに英国ではまだまだ旧弊なアカデミズムが幅をきかせていたから、漱石はターナーの絵あたりを感心してながめているしかなかった。
そもそも漱石の青年時代は、油絵なんてまだめずらしいものだったはずである。
日本画や浮世絵しか知らない人間が、タイムマシンに乗っていきなり西洋の油絵世界にワープしたら、興奮して、やたらに感動してしまうこと請け合いだから、漱石が「坊ちゃん」の中で、どうです、教頭 (赤シャツ)、あの松の枝ぶり、まるでターナーじゃありませんかと野だいこにいわせても不思議じゃないのである。
しかしわたしは漱石よりずっとあとの人間で、ターナー以降の印象派も、前衛や抽象絵画も、現代の落書きみたいな絵も知っている。
こういう人間がターナーを古いとしか思えなくても、また不思議じゃないのである。
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