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2013年12月

2013年12月31日 (火)

東京オリンピック

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さて、いったい何回目の孤独な大晦日、正月を迎えることだろう。
自ら選んだ道とはいえ、ああ、せつないね。
でも、そのかわりわたしは世間の大部分の人たちに縁のない、勝手きままな人生という対価を得たんだから、帳尻は合ったということにしよう。
女房はいないけど、ほんの少数の女性と浮名を流したこともあるんだし。

先日BSで放映された1965年の映画 「東京オリンピック」 を観ながらしみじみ。
この映画の監督は市川崑サンということだけど、映像制作に関心のある者にとって、これほどうらやましい映画作りはない。
なにしろいまもむかしも国の威信をかけた大競技大会だから、準備にお金と時間をたっぶりかけ、カメラの数は計り知れず、撮影されたフィルムも膨大な量になるだろう。
監督はこのあふれるような映像の中から、自由に取捨選択をして、カットをつなげるだけでいいのである。
芸術家としては常識と異端のはざまにいて、国のちょっかいをはねつけるだけの頑固な意思を持っていればいいんであって、すでにそれなりの名声を得ていた市川監督は最適だったかもしれない。

先日、知り合いの結婚式のビデオを作ったわたしなんか、実質的にわたしのカメラ1台だけ、一発勝負で撮り直しのきかないハラハラヒヤヒヤの連続だった。
監督・市川崑がうらやましい。

※画像はわたしが撮ったもんじゃありませんヨ、念のため。

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寒い

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サブーい!
今朝は寒かった。
それでもひさしぶりに散歩にいく。
写真は霜柱と落葉についた霜の結晶。
両方とも昼ごろまでには消える運命にある。

そういゃ、近松門左衛門の「曽根崎心中」の中に
 死にに行く身をたとふれば、あだしが原の道の霜
 一足づゝに消えて行く 夢の夢こそあはれなれ

なんてセリフがあったっけな。
どうも最近不吉なことばかり連想してしまう。
いえ、わたしゃ死にませんよ。
もうすぐ、またロシアに行くんだ。

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2013年12月30日 (月)

自殺の奨め

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「M★A★S★H」 は1970年の米映画で、世間の常識をあざわらうような痛快な戦争コメディである。
冒頭に流れるジョニー・マンデル作曲の主題歌もなかなかいかしてるけど、その歌詞はこんな具合 (字幕によると)。
 自殺は苦痛ではない 気分の変わるもの
 生きるべきか死ぬべきか なぜ聞くのだ
 やるやらないはわたしの勝手

世田谷区で自殺防止のための支援モデルが開始されるそうである。
そうかねえと思う。
そりゃ若者の自殺は社会の大きな損失だ。
彼らを生きながらえさせるための努力は必要だ。
しかし老人の自殺はその反対じゃないかい。
困難な未来のために、なぜ貴重な年金や医療費を浪費するのか。
ここはひとつ、老人の自殺の奨めのために、わたしがひと肌脱いで強力な論陣を張ろうか。
たてまえやきれいごとに利があるはずがないから、わたしの本音の意見には誰も、アノ朝日新聞でさえ反論できまい。

最近わたしにも認知症かなと思わせる出来事があった。
ふられた女のことや借りた金のことをすぐ忘れてしまうならいいけど、わたしもいよいよ末期症状かも。
なにか思い残したことがあったっけかなあ。

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年の瀬

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昨日の日曜日は寝坊してデイトがフイになり、仕方がないからひとりで街に出た。
ひさしぶりに古本屋に顔をつっこんでみた。
この古本屋の近くに 「ブックオフ」 が開店していたけど、本というものに愛情を感じない、ああいう形態の古本屋には反撥を感じているので無視。
それにしても昔ながらの、カビくさい古本の山に埋もれて、亭主がひとりで店番という古本屋は少なくなったねえ。
悪貨は良貨を駆逐するってことか。

棚に黄色い背表紙のよくめだつナショナル・ジオグラフィック (NG誌) のバック・ナンバーが数十冊。
その中から2冊ばかり引っこ抜いてきた。
帰宅してからよくみると、1996年と2000年の号だったから、いまから15年ちかく前のものだ。
とりあえずこれにお酒とおつまみがあれば、年末は至福の夜をすごせそう。

NG誌のうち1冊はリビアの特集で、むろんまだカダフィ大佐が健在のころ。
この風変わりな独裁者が民衆に惨殺されてからまだ2年しか経ってない。
本のなかに肩を露出し、ミニスカートで踊り狂うリビア女性の写真がある。
特権階級の娘たちらしいけど、当時はまだまだイスラムの戒律はゆるかったんだねえと考えてしまう。
カダフィが失脚したあと彼女らは国外逃亡でもしたんだろうか。
アフリカやトルコで吹き荒れた革命の嵐は、いったいなにをもたらしたのか。
わたしが深刻ぶってもしようがないけど、混迷のまま、まもなく2013年の終わりだ。

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2013年12月28日 (土)

今日の朝刊

朝早く、到着したばかりの朝刊を読んでいる。
今日は安倍クンの靖国参拝問題と、沖縄の辺野古の問題がメインのよう。

靖国についてウチの新聞は、米国やロシアの逆風意見まで取り上げて大騒ぎだ。
でも朝日のことだからいくぶんか割り引いて読まなくちゃいかんだろうと思われるところが気のドク。
たとえば米国の外交問題評議会のシーラさんという人が、参拝の影響について寄稿してるけど、これって朝日新聞の言いたいことを代弁しているようにしか読めない。
新聞というものは自分にとって都合のいい意見だけを載せて、いかにもこれが世論であると思わせることが可能だから、やはりへそ曲がり的に読むことが肝要だ。

報道によると中国は、今回の件では反日デモを抑え込んでいるらしい。
へえ、無理を通せば中国もひっこむのかと思うのは早い。
中国にもいろいろ事情があるんだろうけど、わたしはそれだけ中国が余裕をもってきたとみる。
悠久の歴史をもつ中国は何ごとにもあせらないのだ。
民主的な選挙をする日本では、どうせそのうち首相は変わる。
靖国なんぞを持ち出して、日本の民意をますます反中国にするよりも、ここはすこしおとなしくしていて、まず自国の力をたくわえよう。
現在のアメリカにみられるように、強大な軍事力をもつ大国になってしまえば、誰も文句をいわなくなる。
それまでじっとガマンの一手と、中国の指導者たちが考えてないという保証はない。
つまり、いたずらにつっぱらないということで、あちらの政治家のほうが安倍クンよりも大人だってことだ。

わたしもこれまで安倍クンに一定の理解を示していた。
いったいいつまで同じことを繰り返してんだと、中国・韓国に腹立たしい気持ちを抱いていたことも事実。
しかしこのへんがそろそろ理解の限界点のようだ。
これから先は安倍クンの脳ミソを疑いつつ判断することにする。
有能な政治家なら、ごり押しやつっぱりは顔に出さず、協調の姿勢を前面に出し、かげでひそかに力をつけるほうがいいと思う。

辺野古については沖縄の県知事さんがぼろくそに叩かれているけど、猪瀬クンがかたづいたからってわけじゃないだろうねえ。
新聞てのはほんとうに政治家や知事を叩くのが好きだ。
とくにウチの新聞は、自民党に迎合する政治家や知事を好んで叩く傾向がある。
辺野古を選択せざるを得なかった知事さんの苦しい胸のうちはいかがなものだろう。
知事を責めるより、ゼッタイに基地なんか引き受けそうにない一般日本人に文句をいったらどうだ。
すくなくとも沖縄以外の人間は、もうしわけありませんと仲井真サンに手をあわせなければいけないのじゃないか。

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2013年12月27日 (金)

わるい予想

Zg

正月は映画でも観にいくかっていろいろ研究してみる。
研究しないことにはどんな映画がいいのかさっぱりわからない。
金曜日の夕刊は映画の特集版だから、その映画評を読む。
「ゼロ・グラビティ」 という映画がおもしろいらしい。
しかし公開直後の映画だから、いくら朝日新聞だってこれをけなすわけにはいかないだろう。
新聞の批評をまともに受け取るとたいてい損をする。

この映画はSFらしい。
なんでも宇宙空間で事故を起こして船外に取り残されたスペースシャトルの飛行士が、幾多の苦難の果てになんとか生還する話だそうだ。
もうこれを聞いただけでアホな映画なんだろうなと思ってしまう。
観ないで決めつけるのはイケナイような気もするが、とにかく最近のアメリカ映画は低能児向けの作品ばかりなのだ。

ただ気になるのは、売り文句が “漆黒無音の宇宙空間” というもので、これはあの名作 「2001年宇宙の旅」 を連想させる。
「2001年」 では漆黒無音の宇宙が無限のイマジネーションをかきたてて、哲学的といってもいい深遠な感動を味あわせてくれた。
「ゼロ・グラビティ」 がそんな感動を味あわせてくれるかっていうと、ゼッタイにそんなことはないと思う。
観ないで決めつけるのはイケナイような気もするが、なんせ主演がサンドラ・ブロックとジョージ・クルーニーなのだ。
どうせ現実を無視したご都合主義のハリウッド映画に決まっている。

そんなわたしの予想が当たっているかどうか、これはやっぱり観に行かなくちゃ話にならない。
正月映画はこれで決まりだな。

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2013年12月26日 (木)

靖国参拝

夕刊を見たら、安倍クンが靖国参拝という大きな見出しが目に飛び込んできた。
右翼宰相の自信と驕りもここにきわまったという感じ。
ただわたしも靖国については、中国・韓国の言い分になんか惰性のようなものを感じていて、もういいかげんにしてくれと叫びたい気持ちがあるから、それをケシカランという気にもなれない。
右翼や保守にかぎらず、わたしと同じような感情はたいていの日本人がもっているのではないか。

どうも国際関係は、誰にも止められない新しい段階に突入しつつあるようだ。
中国の台頭、米国の衰退、そして日本のなめられてたまるかというツッパリ精神が、平和なんてものを吹き飛ばすような。
国民も軍人も政商も、だれも戦争をしたがっているわけじゃないけど、大きなうねりが戦争反対という平和主義者の声も、右翼も左翼もノンポリも、渋谷の街を徘徊するミーちゃんハーちゃんたちも、みんなゆっくりと押し流し、やがて巨大な奔流になりつつあるんじゃないか。
歴史というのはこういうものかもしれない。
大津波の映像をリアルタイムで見たわたしだけど、日本人の戦争をリアルタイムで見たいとは思わないんだけどね。

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2013年12月25日 (水)

わびしい月

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正月にひとり者が家にいるのも不景気な話だし、だいたい世間の目も気になる。
でもどこへ行っても混雑していて、お金もかかるしなあと悩んで、けっきょくまた部屋でごろごろして寝正月で過ごすしかないみたい。
この時期ってのは俳句の季語になるんじゃないか。
12月は 「師走」 が有名だけど、「侘び月」なんてのはどうだろう。
昨今はホームレスなんかが増えて、年末をことさら侘びしいと考えている人も多いはずだ。
  わび月や 窓のむこうの 腐れ柿

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2013年12月24日 (火)

平和ボケ

今日の朝刊に大きな見出しで 「政府、韓国軍へ弾薬譲渡」 という文字。
これまで平和を遵守してきた日本が、いよいよ武器三原則を拡大し、戦争に直接かかわり始めたということ。
平和の大切さを訴える人はたくさんいる。
戦争はゼッタイに反対という人もいる。
なんでもかんでも政府のやることはみんな反対という人もいる!
ウチの新聞 (朝日) はとうぜん日本政府の姿勢に反対である。

わたしは以前から疑問に感じていたけど、戦争はこちらから侵略に打って出るばかりじゃない。
よその国から侵略された場合はどうなのか。
残酷な独裁者が自国民を大量に殺害し始めた場合はどうなのか。
無抵抗の人々が助けを求めているのに、よその国のことだからといってそれを拒絶するのは正義だろうか。
原因も時代の変化も無視して、とにかく戦争はダメと主張することが、いったいいつまで可能なのか。
友よ、その答えは風に吹かれている、なんちゃって。

先日の新聞に出ていたけど、もと総理の宮沢喜一サンは、安倍クンと違って護憲主義・平和主義者だったそうだ。
皮肉なことにそんな総理の時代にPKOによる海外派兵の扉が開かれた。
時代の変化にさからえる政治家なんかいないのである。
時代はわたしたちが体験したことのない速さで変わりつつある。
わたしたちは大きなうねりに流される木の葉のようなものであり、過去とはぜんぜんちがったアプローチで戦争への道をひた走っているのかも。

今回の弾薬譲渡は踏絵のようなものだ。
南スーダンが内戦状態になり、韓国軍の宿営地に大勢の避難民が避難してきているという。
この避難民を守るために弾薬を提供することが責められるだろうか。
こういうとき、あいかわらず平和という言葉にしがみつき、武器輸出はダメ、なんでもかんでも戦争はダメという平和ボケした人たちをみると、おまえらアホかといいたくなってしまう。

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2013年12月23日 (月)

やれやれ

知り合いに頼まれていた結婚式のビデオがようやく完成した。
今日は、いっしょに結婚式に参列した連中とともにその封切り鑑賞会。
わたしとしては自信満々の作品だけど、それにしてはしらじら。
自分も出演しているビデオに興味がないはずはないと思うんだけど、あまりほめたり讃えたりすると、ただでさえ高慢ちきなわたしがさらに調子にのるから、シカトしとけってつもりらしい。
ざけやがって。
べつに無理して見てもらいたいわけじゃないから、シカトするならしやがれ。
おまえらの分はDVDに焼いてやらんからなと思う。
でもずっと以前からわたしは無力感を感じているのだ。

連中の中には違法コピーのプロがいて、なに、そんなもん、1枚だけのDVDを知り合いから借りて、人数分だけコピーしてしまえばいいと考えていることは明白。
同じような悩みをかかえるアマチュア映像作家はけっこう多いようで、ネットにはパスワードの設定方法なども載っているけど、この点ではコピーする側に利があって、はっきりいえばしろうとが完璧なセキュリティを設定するのは不可能にちかい。
わたしはとっくにあきらめた。
芸術祭に出品するような傑作じゃないし、べつに売って儲けられるような作品でもない。
コピーしたけりゃ勝手にしろと。

こっちがいくら時間と手間をかけても、連中にはそうした苦労がわからない。
これじゃやる気もなにもなくなってしまう。
せめてブログにぶちまけて、お前らの腹づもりはちゃんとわかってるんだということだけは表明しておこう。
なめんじゃねえや、てめえら、コノ。
ビデオとは関係ないけど、掲示板につまらないことを書きこむ手合いもいる。
どういうつもりで書いたのか、読む人が読めばみんなわかるのに。
やれやれと、あきらめの心境。
また血圧が上がりそう。

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2013年12月20日 (金)

また血圧

目下のところ快調で健康で、バリ島に行ったときも、だらしない若いモンを尻目に、さっさと起伏の多い棚田をかけめぐってきたわたしだ。
先日の健康診断で血圧が高いといわれたのがゆいいつの汚点か。
上の数値が高いのはもちろん、下の数値も高い。
下が100を超えたら即クスリですよと医者はいう。
そんなこといわれたって、だいぶ以前からとっくに下も100を超えている。
今日、このブログを書くために、ためしに計ってみたらやはり超えていた。

こういうときはどうすればいいだろう。
クスリなんか飲みたくない。
病院にも行きたくない。
規則正しい生活なんかとてもできそうにないわたしである。

だいたいおかしいではないか。
何度もブログで告白しているけど、わたしぐらい健全な食生活をおくっている者はいないのである。
野菜が大好きで肉類はキライ(魚だけは別)。
食事なんか抜いてしまうことが多くて、ときどきこれでは飢え死にするんじゃないかと心配になるくらい。
見た目もけっして肥えているわけじゃあない。
バリ島では同行者から、トシの割にはお腹が出てないねと賞賛されたくらいだ。
しかも我が家は長寿の家系である。
親父はやせっぽちの体質だったのに血圧が高いといわれ、それでも認知症にもならずに天寿をまっとうした。
おふくろなんかまだ生きているくらいだ。

それなのになんで血圧の心配なんかしなくちゃいけないのか。
もう勝手にしやがれと、最近ではほうっておくとどうなるかという人体実験をしてる気分。
この血圧でいつまで無事でいられるかギネスの記録に挑戦だ。
癌にたちのいいガンと悪いガンがあるように、血圧にもたちのいいのと悪いのがあるんだろうと、はかないのぞみをかける毎日である。
そのうち脳卒中で半身不随になるのかも。
元気なうちに自分でどうにかカタをつけるべきか。
どうせ面倒をみてくれる家族はいないんだし。

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2013年12月19日 (木)

皇帝制度

猪瀬クンも日本に生まれてよかった。
北朝鮮なら辞めるだけじゃすまない。
機関銃で蜂の巣、とりまきもろとも処刑されている。

それにしても北朝鮮の残虐ぶりは、現代のグローバル国家の住人にはとても理解できない。
殺さなくたってほかに方法があるだろうと考えてしまうけど、これが皇帝制度による人治国家のオソロシさなのだ。
それについては大先輩の中国の歴史をみると、失職、即死刑なんてことは数えきれないくらいある。
しかもそれほど昔のことじゃなく、つい先ごろの毛沢東の時代まで、この伝統はえんえんと続いていた。
毛沢東に見せしめとして粛清された人間のうちでは、わたしは皇帝である毛に忠言しただけで粛清されてしまった彭徳懐という人物をよくおぼえている。

つまり中国の皇帝というものはこの世界で唯一無二のものであり、アメリカ大統領や日本の安倍クンのように取り換えのきくものではないということだ。
そのくらい価値のあるものだから、いったんその地位をつかんだ者は、自分をおびやかす者をけっして許さないのである。
これにくらべると、民主主義国の元首というものは誰でもなれるかわり、価値がだいぶ下がっていて、もらえるものはせいぜい5000万円ぐらいかもしれない。

こんな皇帝制度をひきついだ北朝鮮では、官職にとりたてられると、お金でもオンナでも、もう庶民の手のとどかないあらゆる贅沢が我がものになる。
贅沢のスケールが大きいかわり、いったん失職すればつぐないも大きい。
だから、いまは処分する側の正恩クンだって、いったん失職、いや権力を失えば、それこそムッソリーニの二の舞でもおかしくないのである。

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2013年12月18日 (水)

ソチ五輪とオバマ君

オリンピックに政治を持ち込むなっつうのに、なんかまたアメリカがロシアにいやがせらせをする気らしい。
国境を越えて無人攻撃機を飛ばし、テロリストを裁判もなしに殺すアメリカが、また人権問題を持ち出してきた。
同性愛者差別がケシカランということだけど、いまは過度期だからね。
潜在的な同性愛者がアメリカなみにいるものなら、ロシアだってそういう人たちの権利は、ほうっておいたってそのうち認めざるを得なくなるに決まっている。
まあ、いいか。
オリンピックというのはアメリカ大統領を見にいくところじゃないんだから。

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地衣類

知り合いに頼まれていた結婚式のビデオ編集が一段落。
あとはあちこち手直しをするだけ。

なんかブログネタはないかと夕刊を見る。
地味なところに意外なネタがあるかもしれないから、一面や社会面ではなく、目立たないページを読んでみた。
「都心の大気汚染改善」 だって。
根拠は、皇居のなかに見られるコケが大幅に増えたからだそうだ。
大気汚染に弱いウメノキゴケなんてのも見つかったという。
それはいいことだけど、それでもって明日への希望や、生きる意欲が湧くっていうわけでもないなあ。
ほかの人はどうなんだろう。

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2013年12月17日 (火)

ぶうたれる

人間がゆとりを失っている。
ということを書くと、なにをいまさらっていわれそう。
でも、やっぱり書く。
このブログは末端労働者の味方なのだから。
わたしもここんところ散歩に出かけるゆとりを失っているし。
出かけてもどうせ花なんか咲いている季節じゃないし。

ちょいとまえにあったJR北海道の不祥事。
徐行無視で速度超過50キロだって。
事故を起こしてないからよかったけど、以前にも関西のほうで、こういうことが大事故につながったってことがあったねえ。
運転手がわるいんじゃなく、どうせ杓子定規のマニュアルにそって仕事をやらせる、非人間的な運転システムに問題があったにちがいない。

警察官が成績を上げるためにワナをしかけていたなんてニュースもあった。
検挙件数が少ないのであせった警察官という図式のようだけど、検挙が少ないってことは犯罪が少ないってことで、万々歳じゃないのか。
警察官はそこに存在するだけで犯罪抑止になる。
せっせとまじめに巡回をしていれば、検挙件数なんてどうでもいいじゃないの。
ちょっとまえにわたしも右折禁止場所で右折して、たまたま目の前にあった交番のお巡りさんに捕まっちゃった。
その後同じところを通ったらまた捕まっている車がいた。
よほど間違いやすい場所のようで、ああいうところの交番のお巡りさんはノルマをこなすのも楽だ。

保冷車が手抜きをしていたという運送会社。
原因は時間的、物理的にムリだったってことらしいけど、そんなことはプロの運送屋なら最初からわかりそうなものじゃないかい。
保冷車が必要とされるのは夏だけだから、人員も車もおいそれとは増やせないもんで、積み替える時間がありません、保冷車が足りませんという現場の声を、会社の上層部は無視のかまえ。
なんでもいいからマニュアル通りにやっとけって、これ絶対にムリでしょ。

郵便局のほうじゃ配達員に年賀ハガキの売り上げノルマ。
インターネット・メールの普及や、義理人情や古風なしきたりに無関心という人心の変化で、減ることはあっても増える可能性のない年賀状の実情を無視。
そんなことはプロの郵便屋さんならわかっていそうなものだけど、聞いたところじゃ年賀ハガキの売り上げは、郵政会社の儲けの柱のひとつなんだそうだ。
で、とにかく、なんでもいいから以前と同じ枚数だけ売っとけって、これも無責任。

どうも最近こんなことが多すぎるよな。
ダメならダメで、しようがねえなあで済めばいいけど、いまみたいに労働者の権利が弱くなると、クビにされるのは恐ろしい。
しわ寄せをくらうのはいつもいつも末端の労働者。
なんでこんなセコい社会になっちゃったのか。
やっぱり頼りになるのは朝日新聞か。
弱者の駆け込み寺だったフォーカスはとっくに廃刊しちゃったしなあ。

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2013年12月16日 (月)

砂漠

アラビアのロレンスは二度死ぬ。
本人は1935年にオートバイ事故で死んでいるけど、映画の中でロレンスに扮したピーター・オトゥールが亡くなったのは昨日のことだそうだ。
わたしの世代にとって訃報が絶え間ないこのごろ。
いや、ロレンスの映画もよかったけど、背景の砂漠の映像がすばらしかったねえ。
こうみえても、わたしも中国の西にひろがるタクラマカン砂漠を、ひとりで彷徨したことがあるんです。
いまから13年まえのことですが。

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2013年12月15日 (日)

中国の戦略

中国が月に無人探査機を着陸させたそうだ。
世界最大の人口をほこる国、つまりそれだけ優秀な人間も多いはずだから、あの国が本気になって、きちんと統制のとれた仕事をすれば、アメリカ、ソ連がやったことをなぞるのはそれほどむずかしくないだろう。
こんなニュースをみると、新興の中国が落ち目のアメリカ、ならびに日本や欧州を追い越して、世界一の大国になる日も近いんじゃないかと思えてしまう。

中国の戦略としてはこうだ。
ネット社会を統御するのはむずかしく、将来にわたって共産主義なんてものが維持できるかどうかわからないけど、いますぐ民主的で自由な国に変身したらかってのソ連の二の舞だ。
チベットだのウイグルだのモンゴルだの、聞いたこともない少数民族まで、なにしろ抑圧で有名な共産主義・中国ぐらい嫌われている国はないのだから、あっちこっちから独立の機運がたかまって、国家が崩壊してしまうに決まっている。
中国としてはなんとかソフトランディングしたい。
そのためにはどうすればいいか。

なにがなんでも、まず豊かで強大な国になってしまうことだ。
民主化が避けられないなら、大国になったあとでじょじょに民主化を導入すればよい。
アメリカを見よ。
アメリカも寄り集まり国家だけど、そこから独立しようって国はあまりない。
寄らば大樹の影ってやつで、誰だって豊かな国のおすそわけをもらうほうが得だと考える。
独立して貧乏するより、中華民族の1員となって、自分たちも豊かになろう。
チベットもウイグルもそう考えるであろうと、中国の指導者たちは考えているのであろう (わたしが考えているわけじゃないヨ)。

ま、歴史にはハプニングがつきもので、中国のおもわく通りにことが運ぶかどうかわからないけど、とりあえず月に着陸して、強大な国になろうという野望だけは、ちゃくちゃくと進展しているようにみえる。
月でも地球の領土観が通用するものなら、早い者勝ちということになって、静かの海、豊かの海に中国の領海線が引かれ、あとから着陸した日本はそんなのありかよって、自分たちも月面に航空識別圏などを設定して、現在の地球上の問題をあっちでぶり返すことになるのではないか。

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2013年12月13日 (金)

凋落の始まり

そこまでやるかって驚きなのが北朝鮮。
粛清された者が即死刑だなんて、しかもそれが自分の叔父であっても容赦なし。
正恩クンが天才なのか馬鹿なのか、判断がつきかねていたけど、どうやら明らかになった感じ。
ちょっと歴史にくわしい人なら、この国の様相は始皇帝亡きあとの秦の晩年に似てきたと思うんじゃないだろうか。

秦の始皇帝が死んだあと、末っ子の胡亥があとを継ぎ、正当な後継者である長子を死刑にし、重臣たちをかたっぱしから粛清して、皇帝の地位を盤石なものにした。
と思ったのは本人だけで、これが秦凋落の始まりになった。
世間に流布されていることわざに、祖父、父親がきずいた財産を、三代目がフイにするというのがある。
正恩クンよ、おまえもかというところ。

処刑された張成沢という人は、いまや北朝鮮でも数少ない正恩クンの身内に当たる人である。
そのためか、ついボスに気安く接し、改革開放をすこしづつ進めたほうがいいですよなんて提言したことがあったかもしれない。
能なしほど自分をエラく見せたがるものだから、正恩クンにしてみれば、あいつは態度がデカい、オレに生意気にお説教をするなんてと腹立たしい気分があって、それでもふつうなら叔父を死刑にまではしないのだけど、ここはそれ、文句をいうと身内でさえ処刑だぞという見せしめでやっちまったのかも。
日本でも最近石破クンあたりが恫喝政治をしてるようだけど、おどかしで政治が運営できると考える政治家はよくいるものだ。

あるいは正恩クンは既得権益者たちの讒言にうまうま乗せられてしまったのか。
史記を書いた司馬遷もやはり讒言に遇い、皇帝の怒りにふれて、なんと去勢されてしまった。
あとで皇帝は後悔したそうだけど、切られた “モノ” 、抜かれた “タマ” はもとにもどらない。
処刑された身内が生き返るはずもない。
始皇帝の末っ子も情け容赦なく兄弟一族をみな殺しにしたけど、天罰はてきめんに下って、彼が反乱に遭ったとき、すでに味方をすべき親族はひとりも残っていなかった。

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2013年12月12日 (木)

ジェノサイド

Mangu

今日の新聞に中央アフリカで宗教対立、また500人が殺されたって記事。
500人ぐらいじゃ、最近はあまりおどろかないのがコワイけど、新聞の目立たないところに地味な記事があって、日本でもジェノサイドが進行中だって。
奄美大島に棲息するマングースが、最盛期には6千頭いたものが、現在は駆除作戦が功を奏して200頭以下に減ったんだそうだ。
マングースの絶滅する日は近い。
お母ちゃん、ボクたちなんかわるいことをしたの?って、マングースの坊やのつぶやきが聞こえてきそう。
彼らは好きでこの島に棲みついたわけじゃないんだけどね。
※とまどいぎみのマングース画像はネットで見つけたもの。

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2013年12月11日 (水)

ジム・ホール

今日の夕刊にシャズ・ギタリスト、ジム・ホールの訃報。
それで以前書いておいたブログ記事を思い出した。

団塊の世代にとって、ジム・ホール Jim Hall という有名人は2人いる。
ひとりは今回亡くなったギタリストのジム・ホール。
ネットで検索してひっかかるのは、ほとんどがギタリストのほうのジム・ホールだ。

わたしがギタリストのホールを知ったのは、エラ・フィッツジェラルドのベルリン・ライブを聴いたときだった。
エラはここでわたしの好きな 「サマータイム」 を歌っているけれど、この曲の背後にとてつもなく甘いギターが流れる。
ほんのわずかな伴奏だけど、じつにいい感じなので、このギターは誰なのかと関心をもったのがジム・ホールとの出会いだった。

その後、彼のレコードを何枚か買ってみた。
その中でとくにほれこんだのは、ビル・エバンスとデュオである 「アンダーカレント」 で、ギンギンのロックを鼓膜が破れるほど聴いていると、たまには正反対の音楽が聴きたくなるものだけど、このアルバムはそうしたときにぴったり。
「アランフェス組曲」 のような彼がリーダーのディスクもあったけど、どうもホールという人は伴奏者や共演者になったときのほうが実力を発揮するタイプのようだ。

さて、もうひとりのホールは、シャパラルという前衛的なレーシングカーで、スポーツカー・レースに挑戦し続けたカー・レーサーのジム・ホール。
わたしがまだ若いころ、ル・マン24時間レースの写真をながめていたら、リアに巨大な翼をつけたレーシングカーが、ダンロップブリッジのあいだから姿を現わしたものがあった。
これがシャパラルで、翼はやがてレーシングカーの大半に乱立するようになるけど、このころまだそんなものをつけた車なんてほとんどなかったから、そりゃ目立った。
レーサーのジム・ホールは、なんでもテキサスの石油成金だそうで、そのせいか、金にいとめをつけない自由奔放なアイディアをつぎつぎと実践してしまう人だった。

シャパラルはしまいには真空掃除機の原理を利用して、地面にぴたりと貼りつくというとてつもないレースカーに発展する。
しかも吸い込んだ小石やゴミを後方の車にあびせるという荒わざを備えており、ほかのレーサーから苦情が出て、この珍奇な発明が禁止になっちゃったのは、それが原因らしい。
残念ながらレースの結果よりもアイディアのほうが先行する場合が多かったようだけど、わたしにとっては2人のホールは甲乙つけがたい魅力をもった人である。

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高血圧

先日はわたしが所属する団体の健康診断。
医師がしぶい顔をして、血圧が高いですねという。
そんなことはもうここ数年あたりまえになっているからおどろかない。
肉や油っこい食べ物は控えるようにしてくださいという。
うーむとわたし。

自慢じゃないけど、わたしは肉や油っこいものが大キライだ。
みんなと食事に行くと、連中はブタのひれ肉やニワトリのから揚げなんてものを食べ、わたしははじっこのキャベツやトマトをつまんでいるのだ。
わたしの好きなものは野菜と魚(それも生の)である。
こんなわたしが高血圧だとしたら、世間の誰もが高血圧になるに決まっている。

一本とられた医師はくやしそうに、それじゃ運動不足だなという。
それなら納得だ。
わたしぐらい怠惰な人間はいないのだから。
心配はいらない。
運動すれば下がるなら、明日から運動すればいいだけのハナシだ。
そう考えつつ、あいかわずちっとも運動をしないんだけど。

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2013年12月10日 (火)

帝王学

親父が息子に帝王学を伝授する。
いいか、トップの地位を維持するためには、同じていどの実力の子分が並び立つよう、つねに微妙にコントロールして、ひとりだけ突出する子分をゼッタイにつくらないこと。
出る杭は打つという強固な姿勢を示し、必要なら定期的に見せしめをつくり、まわりを恐怖せしめておくことだ。
帝王というものは孤独なもので、たとい親戚だといってもこころを許しちゃいけないぞ。

うん、わかったよといって、いまのところうまくいってるのが北朝鮮のぼんぼんで、しくじったのがみんなの党の渡辺クンてところ。
どっちも暴走ぎみだけど、ま、実力がともなわなければうまくいかないのはいっしょ。
北朝鮮のぼんぼんも塀の上のツナ渡りに見える。

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2013年12月 8日 (日)

カティンの森

すこしまえにЧекист、英語でChekist という凄惨な映画を観たと、このブログに書いた。
そんな凄惨な映画の第2弾というか、BSでアンジェイ・ワイダの 「カティンの森」 という映画が放映された。
歴史に詳しい人ならタイトルを聞いただけで内容がわかりそうな映画である。

第2次世界大戦のときに、ソ連軍がポーランドの将校を大量に虐殺した場所がカティンの森だ。
虐殺というとついドイツの十八番のように思ってしまうし、じっさいにソ連はこれをドイツの仕業ということにしていたけれど、冷戦後になってスターリンの命令でソ連軍が行った蛮行であることがあきらかになった。
敵国の (あるいは自国の) 優秀な人間を抹殺してしまえば、あとは簡単だと考える独裁者は往々にしているもので、スターリンの行為はのちのち北朝鮮やカンボジアで繰り返されることになる。
その凄惨さから、NHKもさすがにゴールデンタイムの放映は控えざるを得なかったようだ。
                                             
アンジェイ・ワイダといえば 「灰とダイヤモンド」 という名作で知られる監督だけど、「カティンの森」 はそれに比べると寓意性、象徴性にちと欠けるものの、なにしろ殺戮される側の名監督がそれを描いた映画だから、まあ最近ではめずらしい、「戦場のピアニスト」 みたいな重厚な作品に仕上がっている。
ポーランド人のワイダ監督にすれば、ソ連が崩壊して言論の自由が復活したいま、この映画だけは撮っておかなければならないという使命感のようなものがあったにちがいない。

話は変わるけど、ポーランドというとドイツやソ連に侵略された悲劇の国ということで、戦争被害者という目で見られることが多いけど、わたしはそれ以前の歴史もすこしはかじったことがあって、ポーランドが他の民族への加害者になった過去があることも知っている。
ヨーロッパという地域はひとくくりにできない複雑な歴史を持ち、卍どもえのようなさまざまな民族間の対立抗争があった場所であることを忘れちゃいけない。
いま秘密保護法でごたついている日本なんか、これに比べたらむかしから天国みたいなところに思えてしまう。

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2013年12月 7日 (土)

また秘密保護法

今朝のウチの新聞 (朝日) を見ておどろいた。
一面に白抜き文字の大きな見出しで、すわや東南海大地震でも起きたか、北朝鮮で革命でも勃発したかって勢いだ。
つまり 「秘密保護法が成立」 ってことだった。

ここしばらくウチの新聞は特定秘密保護法を阻止すべく、有名人、識者を総動員し、先日なんか社会面を全部つぶして反対キャンペーンをくりひろげていた。
この法をやむなしと考える人の意見はゼッタイに載る状況じゃなかった。
どういうわけか反対意見を述べるのは戦中派のお年寄りが多くて、若い人の意見はほとんどないのが気になったけど、これじゃあウチの新聞を読んでいる者はひとり残らず、この法案が通るとたちまち言論統制、治安維持法の時代が再来すると思ってしまうんじゃないか。

政府の肩をもつわけじゃないけど、なんでわれらが選んだ政党のうち自民党、公明党、みんなの党、維新など、主だった政党がみんな賛成にまわったのか、そのあたりの理由がさっぱり見えてこない。
この法案でいちばん被害を受けそうなマスコミの、切羽つまった気持ちはわかるけど、これってやっぱりまずいんじゃないか。
こういうのも一種の言論統制じゃないのか。

このブログに書いたけど、現在と過去では時代が異なる。
戦前はいまよりも世界は遠く、人間は単純で、国民もだましやすかったし、日本はなんといってもアジア最強の国家で、国際テロなんてものもなかった。
時代は変わったんだよということを認識すれば、こんな反対一辺倒の世論になるはずがない。

わたしだってぜんぜん心配してないわけじゃない。
役人や官僚というものは、自らの地位保全を国家の利益より優先させる傾向があるから、こんな法案ができるとナニをするかわからない。
彼らがまちがった方向に進んでいるとわかったら、秘密保護法にふれて刑務所行きになることを覚悟しても報道するのがマスコミの役目ではないか。
現在のネット社会では、こんな法律ぐらいで国民の目や耳、口をふさぐわけにはいかないだろう。
すべからく新聞社というものは、ネット社会に闇の報道網をはりめぐらし、ウィキリークスと連携して、政府のウラをかく方法でも考えるべきである (と思う)。

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2013年12月 5日 (木)

ストーンズ

おお、ローリングストーンズがまた来日だそうだ。
先日来日したポール・マッカートニーや、かってのビートルズは、本来ライブ向きのバンドじゃないと思っているけど、こちらはライブでも純粋に楽しめるバンドだ。
観に行きたいけどなあ。
東京ドームで双眼鏡で観ても仕方ないもんなあ。
いいトシこいたおじさんが若いもんに混じって、メンバーの平均年齢が69歳のバンドを観るのにもすこし抵抗があるし。

新聞によると、一時バンドに在籍していたミック・テイラーもいっしょに演るらしい。
わたしは彼のギターの愛聴者なので、うーん、たぶんテレビで実況してくれんじゃないかって、NHKのBSあたりに期待してます。

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2013年12月 4日 (水)

誘拐婚

昨日の夕刊に林典子というフォト・ジャーナリストの記事。
彼女は中央アジアのキルギスで、いまも見られる誘拐結婚を取材し、「ビザ・プール・リマージュ」 という報道写真の祭典で最高賞を受賞した人である。
この賞をもらう前に、彼女の写真はあのナショナル・ジオグラフィック (NG誌)、写真について世界的に権威のある雑誌にも紹介されていたから、受賞の下地はできていたわけだ。

ひどい話である。
キルギスでは若い娘が街を歩いていると、とつぜん大勢の男女によってたかって車に乗せられ、そのまま男の家に連れていかれて、結婚を強要される。
ショックなのは、彼女を説得するのが、男の身内のおばさん、おばあさんたちであること。
NG誌にはおばさんたちに包囲されて目を白黒させている娘や、花嫁の象徴のスカーフをかぶせられそうになってジタバタしている娘の写真も載っていた。
取り上げようによってはマンガにもなる光景だけど、誘拐された本人たちにとってはそれどころじゃないだろう。
それでも長年続いた風習で、終いにはあきらめてしまう女性も多いらしい。

こういうのもその国独特の文化というのかどうか、女性である林典子さんは断じてそうじゃないと結論づけている。
独身男のわたしだけど、この問題について考えてみよう。

さあ、嫁さんを見つけてくるかと出かけていって、街でいいオンナを見かけたら、うん、あれにしようって、畑でダイコンを引っこ抜いてくるような調子で女性を拉致してくる。
うらやましいなんていったらブログが炎上してしまうから、そういうことはけっして言わないけれど、おおらかな (ふざけた )国があるものである。
でも写真で見るかぎり、地方都市や農村が主要舞台で、キルギスでもグローバル化された大都会ではもう行われていない風習だろう。

誘拐するといっても、ヘタすると人妻に当たる可能性はないのだろうか。
こんな危険な国でひとり歩きをする独身女性は多くないだろうし、誘拐するまえにいちいちアンタは独身かと訊くわけにもいくまいから、この可能性はかなり高そうだ。
それとも目星をつけた相手について、ちゃんと興信所に調査を依頼してから襲うのだろうか。
また、これはわたしの個人的感想だけど、相手が土屋アンナや滝川クリステルみたいな美人だと、こっちは田舎の兄ちゃんである場合が多いから、気おくれして手を出しにくい。
美女で才媛なんか誘拐した日にはあとが大変という気もする。
けっきょく自分にふさわしい相手を探すことになって、これはけっこう大変なのではないか。

こう考えてみると誘拐婚にも問題は多そうである。
え、問題をノーテンキな方向にはきちがえているって?
林典子さんは人権問題ととらえているようだけど、もちろんそういう考えもアリマス。
でありますので、お見合いという平和なシステムにめぐまれた日本人は、その幸福をしみじみと噛みしめるべきではないでしょうか。

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2013年12月 3日 (火)

正恩クンは

ヤフー・ニュースをのぞいてみたら、北朝鮮で張成沢という幹部が失脚したらしいとの観測。
まだ観測だからなんともいえないけど、この人はあの国のナンバー2といっていい人だから、北朝鮮ウォッチャーにとってかなり重大なニュース。
失脚すなわち粛清だなんて、あいかわらず世界遺産なみの貴重な皇帝制度を維持した国であるなあと思いつつ、これはしばらく目をはなせない。
崩壊か、軍部の造反か、正恩クンの未来ははたして。

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累積アクセス数

わたしのブログは@niftyのものだけど、そのニフティから、今度アクセス解析のページの装丁が変わりますってお知らせがあった。
全面的に変わるのはまだ3カ月先らしいのに、今日見たらもうだいぶ変わっていた。
これまではアクセス回数や訪問者数が一目瞭然だったのに、今度はよくわからないグラフが表示されていて、馴れればこっちのほうがわかりやすいらしいけど、馴れるのがめんどくさい。

アクセス数なんぞ無理して増やそうと思わないわたしだけど、これまでチリも積もればなんとかってやつで、積み上げたその数が185,086だ。
新しくなったページでは、累積アクセス数はどこに表示されているのだろう。
もうすこしで20万になるから、それまで現状のままにしておいてくれるとよかったのに。

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2013年12月 2日 (月)

モーターショー

昨日はモーターショーを見てきた。
2年前にも見に行こうと思って、野暮用で断念したことがある。
そういうわけで、わたしがモーターショーに出かけるのは、日本中がバブルに沸いていたころ以来だから、もう3、40年ぶりになるんじゃないか。

512a

たまげたのは観衆の多さ。
覚悟はしていたけど、なんだ、あれは。 車の屋根しか見えないじゃないか。
むかしのモーターショーに比べるとだいぶ地味なショーなのに、あいかわらず物好きが多い国だ。
そういう物好きのすきまをかいくぐって、わたしもそうとうに物好きのよう。

今回の見ものはポルシェでもベンツでも、アウディ、レクサスでもなく、ニッサンのGTRでもない。
それじゃきれいなモデルさんかというと、そうでもない。
ここに挙げたものはみーんな高嶺の花だ。
わたしの見たいものはもっと手の届きそうなもの。
たとえば、まだ発売日は未定だけど、ホンダの軽スポーツカーS660。

512b

なんといっても軽だから、これなら買える。
そう思うファンの人垣にかこまれて、ブースのまわりは、はじめて上野にパンダがやってきたときのような行列だ。
わたしが幼少のみぎり、庶民の手の届くスポーツカーといえば、ホンダのS6、S8か、トヨタのヨタ8ぐらいが関の山で、当時から貧乏人だったわたしにはやはり高嶺の花だったけど、これらがひじょうに魅力的だったことは間違いない。
あ、欲しいなあと思ってしまう。
でも2人乗りだもんな、荷物積めないものなと、最近のわたしは比較的冷静だ。

ベンツやポルシェのまわりも大混雑だった。
しかしわたしの予想では、このうちの99パーセントの人が買えるはずがないと思う。
それどころかこういう場所でなかったら、さわったり坐ったりなんてとてもできない人たちだと思う。

なさけない話ばかりしてないで、もっとでっかい夢をもったらどーなんだと叱責されそうだけど、そんなもんあるわけがない。
自動車の未来なんてあるはずがない。
電気自動車だとか水素燃料エンジンだとか、人が運転しなくてもいい自動操縦車だとか、未来は輝いていると思うのは若いモンの話で、わたしらの世代が生きているあいだにそんなものが実現するかどうかわからないし、してもそのころには運転免許返納の後期高齢者になっているんじゃないか。
世の中うまくできているもので、自動車の繁栄とともに生きて、クルマは人間が運転するものと信じてきた世代は、その終焉とともにオダブツになるのである。

おりしも今月のCAR GRAPHICは、この雑誌の創刊時から編集長をつとめてきた小林彰太郎さんの追悼号。
わたしは中身が宣伝ばかりで閉口したころからこの雑誌の愛読者だったから、痩身の、最後まで徹底して痩身だったこの編集長をよく知っている。
わたしの車に対する考え方を大きく啓蒙した本で、車買うくらいなら海外旅行だという信念は、逆説的に聞こえるけど、じつはこの本によって得たものなのである。

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最後の写真は会場で見かけたSF的モーターサイクル。
車の未来を信じてないわたしだけど、こんなものが公道を走るのを見てみたい。

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