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2014年1月22日 (水)

ざんげの軌跡

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わたしは筋金入りの死刑容認派である。
世のなかには私利私欲のために、このうえなく残忍な方法で殺人をおかす者もいるのだ。
殺された人の無念さを想像すると、とても死刑を廃止しようって考えになれない。
これは理屈じゃなく、人間としての感情だ。

そんなわたしだけど、他の信者の裁判の証人に立ったオウム真理教の中川智正死刑囚については、その信念がぐらぐら。
新聞やテレビが語るところからすると、真摯に反省しているようにみえる。
もちろん反省したからカンベンしてやれってわけじゃない。

わたしは自分が頭がイイと勝手に思っているけど、中川死刑囚がわたしより頭がいいのは世間も認めるところだろう。
なんといっても彼は大学の医学部を出ているのだ。
世間知らずの若者だった彼は、私利私欲というよりも、(おそらくは) 現実社会を見つめ、人生に悩み、解決策を得られないまま、あやまった道に帰依して大罪を犯すにいたった。

死刑の判決を受けて、刑務所で考える時間はありすぎるくらいあっただろう。
いったいどんなことを考えたのか。
わたしより頭がいいはずの彼が、自己を見つめなおし、なんらかの結論にいたって証人尋問の場に立ったのだとしたら、その思索の軌跡を知りたい。

彼を処刑するのは残念な気がしてしまう。
死一等を減じるかわりに、国外追放、中東やアフリカの難民キャンプでボランティア活動30年を命ずるなんてわけにいかないものか。
まよいから覚めさえすれば、彼のような人間は・・・・・ 飢餓や病に苦しむ人たちにとって、この地球にとって・・・・・ まだまだ使い道はあるんじゃないか。

そんなことをわたしが考えたって仕方がないのである。
これはまず第1に被害者の遺族が考えるべき問題だけど、事件からすでに20年ちかい歳月が流れた。
肉親を殺されたそのうらみつらみは、まだ純然たるものなのだろうか。

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