しきたり
このブログの前項で、なんで初詣をするのか、どうしてお賽銭を上げるのかと、日本中の神社仏閣を敵にまわすようなことを書いた。
気の小さいわたしはたちまち反省する。
というより帰宅して部屋でじっくり考えて、なにしろ今年も正月早々ヒマなので、むかし見たこんな光景を思い出した。
奥多摩あたりだったと思うけど、ある村でおじいさんが、孫だかひい孫だか、晴れ着をきた女の子の手をひいて、民家のうら山のちっぽけな祠にお参りをしていた。
これはなかなかいい景色である。
子供も孫もいないわたしでさえそう思う。
こういうのが弥生のむかしから連綿と続いてきた、よい意味での日本人のしきたりであり、伝統なのだろう。
こういうものは廃れさせるものではない。
ちょっと残念だけど、日本人のこういううるわしいしきたりが続いているあいだにも、戦争や災害や個人の災難は降ってわいていた。
どうも人間の信仰心と災厄とはぜんぜんべつの問題らしい。
だからご利益なんてものは期待せず、みんながやっているからオレもでいいのではないか。
それによってこころのかたすみにちょいとした幸せな気分が生まれるなら、それで十分なのではないか。
こう考えれば、無神論者のわたしにも、初詣やお賽銭がけっして無用なものとは思えなくなる。
奥多摩で見た老人と幼女のなつかしさはどうだろう。
アホなことはいってみても、たとえば谷内六郎さんの絵をこよなく愛するわたしは、やはり日本の旧来の美徳にしみじみ感じ入ってしまうのである。
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