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2014年1月13日 (月)

横須賀美術館

520

うしろ向きに生きているわたしが、ときどきさらにうしろをふり返ることがある。
そんなときには宮沢賢治の童話や谷内六郎さんの絵が恋しくなる。
つまり郷愁ってものに魅かれるわけだ。

そういうわけで昨日は横須賀まで出かけた。
この街の美術館には谷内六郎さんの絵が常設で展示されているのである。
しかも、かって海上自衛隊にいたことのあるわたしにとって、横須賀のあたりはなつかしい思い出がごろごろしているところなのだ。
美術館のある観音崎にも思い出があるけど、その当時の景色がその当時のままであるはずは、もちろんナカッタ。

肝心の谷内六郎さんの絵を美術館で観るのに、いくらか不安があった。
谷内さんの絵でいちばんよく知られているのは週刊新潮の表紙に使われた連作で、こういうものは印刷されるとお役御免だから、そもそもほかの絵画のように芸術作品として描かれたわけではない。
マンガの原画などもそうだけど、印刷されたあとが作品なのであって、印刷されるまえはスクリーントーンや印刷指示の書き込みなど、作品以前のアラが目についてしまう場合がある。
しかも谷内さんの絵は、なにも知らない人が見たら、小学生が描いたのかいと誤解しかねない単純な水彩画がほとんどだ。
ひょっとすると原画を観てもがっかりしてしまうだけかもしれない。

じっさいにはどうだったのかつうと
がっかりなんかしなかった。
ほとんどがどこかで観た絵だけど、過去に観たものはすべて印刷後のものばかりだから、うす暗い館内で、きちんと額に入れられた原画はやはり芸術作品だった。
このあたり、わたしの谷内さんへの思い入れはただならぬものがあるから、つい入れ込みすぎかもしれない。
なんだってかまわない。
マンガだろうが落書きだろうが、こころをしめつけるようなものがあれば、それはわたしにとってかけがえのない芸術なのである。

わたしは谷内さんと思い出を共有しているのだ。
空を写す水田、火の粉をまきちらす機関車、医院の赤い電灯、氷と染め抜いた茶屋の旗、火の見やぐらと夕焼け、さかさにのぞいた望遠鏡、西洋の教会やレンガ工場に感じた不安、畑のまん中に屹立して孤独や永遠を感じさせるポプラの木、たそがれどきに黒いシルエットになった竹やぶが人のかたちに見えるとか、その他その他、この人が描いた心象にまでつきぬける風景は、みんなわたしの思い出の中にもある。
自慢にはならないけど、子供時代にいじけっ子だったわたしは、そうした風物を見るこころまで谷内さんと共有していたかもしれない。

谷内六郎館の窓から、半透明のスクリーンごしに東京湾がのぞめる。
その向こうを汽船がひっきりなしに通過していく。
誰が考えたのか知らないけど、あるいはたまたまの偶然かもしれないけど、このスクリーンごしの風景がそのまま谷内六郎的世界でおもしろいと思った。

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