ロシアⅡ/ノボデヴィチ墓地
お墓が好きだなんていうと、また、この変人がといわれてしまいそう。
でもお墓が好きって人はほかにもいるんだよ。
わたしは墓地へ行くのがいつも好きだった
はじめは遊びに栗拾いに
それからこころをかきむしる墓碑銘を読みに (中略)
初めの信じやすい衝動にうらぎられて
わたしはもう墓碑銘を読まない
墓石の上には茶色の栗の実が音をたてて落ちている
ああ 栗の実を拾う少年はいまどこに
しかしわたしはまた墓地にいく
昔のように
古い塀づたいに歩いていけばほぼその中ほどに
忘れられたひとつの墓が見つかる
これはずっと前にも引用したことがある、1984年にノーベル文学賞を受賞したチェコの詩人ヤロスラフ・サイフェルトの作品だ。
あの世なんて信じてないわたしだけど、お墓は亡くなった人を思い出し、自分が故人になったつもりで、人生の悩みや疑問について自問自答できる場所なのだ。
墓碑銘が読めればもっと楽しいはずだけど、それはちとムリ。
でもロシアの墓地は彫刻美術館みたいなところがあって、さまざまな意匠をこらした墓石をながめているだけでも楽しい。
おかしな道を教えられて迷ったものの、どうにかノボデヴィチ修道院にたどりついて、ところがまたそこで失敗。
墓地は修道院の外、南側の壁に接していると、ガイドブックにそう書いてある。
だからわたしは修道院には入らず、壁にそってぐるりとその周囲をまわってみた。
修道院のかたわらに雪の積もった平地があって、冬に見ると畑でもあるのかなと思ってしまうけど、夏の写真で見るとこれは池のようだった。
池のまわりに遊歩道がある。
ぼんやり歩きながら思索にふけるにはいいところで、チャイコフスキーもここで 「白鳥の湖」 の構想を練ったそうだ。
しかし墓なんかありそうもない。
子供を遊ばせていた奥さんに尋ねると、修道院の正門のへほうを指してなんとかかんとか。
さっぱりわからないから、すこし先で散歩していた老人にまた訊いてみた。
見つからないのも当然だった。
壁の外側にあるとばかり思っていたけど、墓そのものも壁に囲まれており、この壁は修道院の壁とつながっているから、知らない人間には墓も修道院の内側にあるように見えてしまう。
壁の外側をいくら探しても見つからないのは当然だった。
上の写真は、手前の赤レンガが墓地の壁、白い塔から先は修道院の壁ってことになる。
下の写真は墓地の入口。
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