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2014年4月

2014年4月30日 (水)

モントレー・ポップ

Vvv111

iPodでブログの更新なんて、そんなものたちまちマスターして、また無聊をかこつ身の上。
ヒマつぶしで YouTubeになにかおもしろい映像は載ってないかとごそごそやっていたら、1967年のモントレー・ポップ・フェスティバルの映像がみつかった。

このころの野外ミュージック・フェスといったらウッドストックが有名だけど、当時はほかにも似たようなフェスはたくさんあったもので、これもそのうちのひとつ。
うわさは聞いていたし、そのもようはドキュメンタリー映画として公開されていて、これに出演していたジミ・ヘンドリックスの映像は観たことがある。
しかし、このドキュメンタリーをまるごと観たのは、考えてみたら、これがはじめてだった。

YouTubeでみつけたのは、公開されたドキュメンタリー映画と、映画で使われなかった映像を集めたらしいボーナス・パフォーマンスという映像で、どちらも2時間ちかくある。

登場するのは60年代から70年代にかけて活躍したなつかしい顔ぶればかりだ。
オーティス・レディングなんか、このフェスが一世一代のパフォーマンスだったんじゃないかと思える熱唱だし、ジミヘンはギターに火をつけちゃって、これはちとやりすぎ。
ボーナスのほうには、あまり映像で観たことのないアル・クーパーやマイク・ブルームフィルド、ブルース・プロジェクト、エレクトリック・フラッグなどが出ていたのが貴重だった。

あこがれだった女性歌手もいる。
ジェファーソン・エアプレインのグレース・スリックや、ローラ・ニーロも、ママス・アンド・パパスのミッシェル・フィリップスも、みんなみんな若くていちばん美しいころだった。
あのジャニス・ジョブリンだって、どこの女優かと思うほどキレイ。
彼女の 「ボール・アンド・チェイン」 を観て聴いて、つい目がしらがジーン。

いったいこのうちの何人がいまでも生きているんだろう。
するてえと、わたしにも人なみに青春というものがあったのだと。
それは幾山川を越えたはるか彼方になってしまったのだと、ま、いろんなことを考えて。

ここに載せた写真は当時知られたミュージシャン。
だまってすわっただけで名前が浮かぶ人は、かなり音楽好きな人だということがわかる。
ついでにトシもわかっちゃうけど。

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2014年4月29日 (火)

テスト

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なんとか iPodでブログの更新が出来ないかと、これが最初のチャレンジ。
iPodで更新ができれば、スマホもタブレットも買わずに済むわけだ。

というわけでいま一生懸命勉強しています。
おかげでゴールデンウィークも無聊をかこつ必要はなく、あいかわらず団塊の世代は元気いっぱいで、憎まれっ子世にはばかるも堅調すぎるくらい堅調だ。

今回の記事は iPodで更新したものです。
晩メシの写真も iPodで撮ったものですから、ホント、iPodだけですべて完結。
これで外国へ行っても、万全だ。

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血圧計

友人が遊びに来たので血圧を計らせてみた。
わたしの家には腕バンド型の血圧計があるのだが、これがいつもわたしの血圧を高めに表示する。
血圧計が故障しているのではないかと、ちょうど友人は低めの血圧を自慢する人間だから、試しに計らせてみたもの。

結果は、故障ではなかった。
わたしの血圧が高めなのも間違いではなかった。
だからなんだっていうのだ。
血圧なんぞを気にして、このトシまで長生きできるかってなもん。
肉食で飽食の生活をしている人はせいぜい注意してくんなさい。

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2014年4月28日 (月)

個人の勝手

ゴールデン・ウィークでのんびりゆったり。
この場合ののんびりというのは、いい天気なのにすることが何もないという悲惨な状態で、ほかの日なら金融商品は要りませんか、墓石の御用はありませんかなんて電話がかかってくることもあり、おまえはアホかなんて返事をして、すこしはヒマつぶしにもなるけど、連休中はそういう商売もお休みらしく、まったく日がないちにち無聊をかこつしかない。
仕方がないから部屋でブログの更新でもするかってなもんで、前項に続き、古い思い出を引っ張り出して、懐古主義にひたることにする。

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海外旅行で中国というと、まず若い女性には人気がない。
現在の上海なんかはかなり先進国化されていて、買い物が楽しいという娘もいるかもしれないけど、わたしがはじめて出かけたころ (1992) は、まだ改革開放がようやく軌道に乗ったころで、路上で人民服の男性に出会うこともめずらしくなかった。
街もごみごみした不潔な印象で、貧民窟みたいな建物があちこちに残っていた。
だから中国は、というのは早い。
作家の司馬遼太郎は、中国の蘇州についてこんな文章を書いている。

 蘇州の美しさの第一は、民家である。
 この古都は、城内に大小の運河を四通八達させている。
 城内の運河は、いずれも狭い。 水に浸っている岸は、積み石で固められている。 その切り石のなかには、あるいは二千年前のものもまじっているかもしれない。
 民家は、運河のふちに密集している。 どの民家も、白壁に暮らしの膏(あぶら)がしみついていて、建てられて何百年も経ている家も多いだろうと思われた。 古びて陋屋になりはてた家ほど美しく、その美しさは、水寂びともいえるようなにおいがある。

作家のいうとおり、美というものは、個人の勝手、他人の自由で、あばたもえくぼになり得るのである。
だから見た目が汚いという理由で中国を敬遠する人の気がしれない。
ましてイデオロギーを持ちだして敬遠する人の気はもっとしれない。

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2番目の写真は、わたしがはじめて蘇州に行ったとき、寒山寺のわきで見たレストランである。
運河のほとりにある古い家で、そのへんから足もとのおぼつかない孔乙己 (こういっき=魯迅の小説中の人物) が出てきそうなたたずまい。
なんともいえない風情があって、できることなら店内まで入ってみたかったけど、そのときはパックツアーだったから、ひとりで勝手に寄り道をするわけにはいかなかった。
運河のこちら側からながめただけで、指をくわえてもどってきた。
しかし執念にもえたわたしは、2年後に、こんどは個人旅行でこの店まで出かけてしまったのである。

店内に入ってみたら、壁なんかススけていて、外観よりさらにきたない店だった。
しかし、このいい感じをかもしだしているのは、まさにそのススけ具合なのだった。
わたしは窓ぎわにすわって青島麦酒を飲んだ。
気分からすれば、ヨーロッパあたりの、どんな有名レストランの、どんなワインにもまけない味だったといえる。
また行ってみたい。

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2014年4月27日 (日)

菜の花の思い出

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ゴールデンウィークが始まって、怠け者のわたしはなんとなくホッ。
のんびりゆったりした気分でブログの更新をする。
で、ナニを書くか。
NHKのBSで4月から 「世界・美の瞬間」 という紀行番組が始まった。
また録画しなくちゃいけない番組が増えてしまったようだ。

このシリーズのプロローグとして、その第1回に、アーモンドの花が咲き乱れるイタリアのシチリア島と、中国雲南省にあるいちめん菜の花畑の羅平という村が紹介されていた。
羅平という村では、桂林にあるようなぼこぼこと盛り上がった山々が、黄金の海に浮かんだ小島のようで、それはそれはみごとな景観。
中国通のつもりのわたしが聞いたことのない村だけど、世間には好奇心旺盛な人々が多いとみえて、シーズンには日本人の観光客も押し寄せるらしい。

じつはわたしも中国には何度も出かけていて、青海省や甘粛省の田舎で、バスの車窓から平野いっぱいにひろがる菜の花畑を見たことがある。
ここに添付した写真は甘粛省にある、天祝チベット族自治区というところで撮った、2005年7月6日の菜の花畑。
中国は広大だから、雲南省で3月に満開になる菜の花が、甘粛省では7月でまだすこし早いかなというところ。

テレビに影響されて、また旅の虫がむずむず。
羅平という村は有名になりすぎだけど、青海省や甘粛省にはまだあまり紹介されてない菜の花の名所がたくさんあるはずだ。
ああ、行きたいな。
でもせっかくかじった中国語もほとんど忘れちゃったしな。
パソコンの中国語環境もとっくに失われちゃったし。

極楽トンボみたいに花の楽園を夢見ながら、わたしは同時に幸福な体験を思い出してしまう。
天祝で菜の花を見たときの旅では、わたしはドン・キホーテで、サンチョ・パンサの役割をする中国人の娘との2人旅だったのだ。
うん、むかしはすこしはモテたこともあるんですよ、ワタシ。

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2014年4月25日 (金)

悩む

スマホを買おうか、タブレットにしようか、それともどちらも買わないでこのまんまでいようかと悩んでいる。
友人の中にはそういうものをみると飛びつく人もいるけど、わたしは慎重である。

わたしがパソコンを使うのは、たとえばブログやホームページを作ったり、写真をいろいろ加工したり、絵を描いたり、つまり自分の創作欲を満足させたいからで、本やマンガを読むだけならこれまでどうり紙の媒体を使う。
スマホやタブレットでもブログの更新ぐらいできるそうだけど、どのていど複雑な仕事ができるかわからないし、そのためにはやっぱり専用のソフトを買わなけりゃいけないだろう。
そんなものに新たに金を使うくらいなら旅行したほうがいい。

それじゃなんで悩むのだといわれてしまいそう。
じつは生きているあいだに、まだ1回、2回は外国に出かけたい。
あちらからリアルタイムでブログを更新できたらおもしろそう。
現地で写真を添付してブログを更新するのは、もうやっている人がいて、べつにむずかしいことではなさそうだ。
しかし、1回、2回のためにわざわざそういう端末を買うのもシャクだ。

シャクだけど、ブログを更新するとなったら、やっぱりなくちゃ話にならないし、いろいろ調べごとも必要になる。
いまやインターネットは万能の百科辞典だから、ネット端末があればなにかを調べるのにも便利だ。
調べごととなると、スマホじゃ画面が小さすぎるような気もする。
でもタブレットじゃ電話ができないもんな。
帯に短し、たすきに長しというわけで、ああでもない、こうでもない。
うーんと悩む。

問題は複雑だけど、買うとしたらアップルの端末に決めている。
スマホもタブレットも、作っているメーカーは多いけど、なんといってもジョブズ君のアップルだ。
持っているだけで喜びを感じるのはアップルだけだ。
そう吹聴したら、それまでアンドロイドのケータイを使っていた友人がたちまちアップルに乗り換えた。
彼はタブレットもアップル製品を買い、それがモデルチェンジすると、新製品をまた買ってしまった。
金があるんだからどうでもいいけど、彼の家の押入れはガラクタがあふれているんじゃないか。

ケータイぐらい持ってるんだろ。
機種を変更したと思えばいいじゃんともいわれそう。
しかし現在のわたしは、持ってはいるけどケータイなんてほとんど使わない、悠揚せまらぬ人生をおくっているのだ。
おかげでこの頑固者めと陰口をたたかれていることはとっくに承知だ。
しかし人間が機械に(そして時間に)追われるのはイヤという気持ちがある。
スマホもタブレットも他人との交流のためというより、ひきこもりをしても退屈しないようにと、つまり自分が人間らしい生き方をするために必要なのである。

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2014年4月24日 (木)

サギゴケ

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最初の写真は、春の野山でめずらしくないムラサキサギゴケという花。
せいぜい1センチくらいの小さな花である。
2番目の写真は、自然観察園で見つけた、春の野山でめずらしい白いサギゴケ。
まだこのブログでは紹介していない。

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2014年4月23日 (水)

井の頭公園

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やぼ用があって吉祥寺まで出かけてきた。
ついでに行きつけの中華料理店で700円のモヤシソバを食べ、この冬にかいぼりをして水質浄化と、外来魚の駆除をした井の頭公園の池をのぞいてきた。
ごらんの写真がきれいになった池。
あまり変わらんじゃないかというのは早計。
池の中に立っている杭なんかをみると、以前より透明度がよくなっているのがわかる。
これならニューヨークのセントラルパークの池に匹敵するんじゃないか (アメリカには行ったことないけれど)。

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でもコイがいなかったね。
鯉ってのは外来魚じゃないはずだけど、増えすぎて料理店にでも下ろされちゃったのかしら。

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2014年4月22日 (火)

漱石の本

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前項で夏目漱石について書いたけど、わたしはしごくまっとうなファンであるので、じつは彼の本をすべて読み通したわけじゃない。
ここでわたしの読んだ漱石の本で、好きなもの、そうでないものを上げてみよう。
なんで好きなのか、そうでないのかと書き始めると文学論になってしまい、それはひじょうに頭を使ってしまう。
そんな苦労をしたって一文にならないブログだから、理由は書かない。
わたしの、ただの漱石遍歴である。

わたしがいちばん読んだのは、たぶん 「猫」 だ。
つまり 「吾輩は猫である」 である。
この本は文庫本としても読みごたえのある分量で、しかもどこを切ってもおもしろいというバウムクーヘンみたいな本なので、しょっちゅうつまみ食いみたいな読み方をしていた。
忘れたころにまた読みたくなるので、手垢でよごれた文庫本は、過去に3、4回は買い直していると思う。
余計なことをつけ加えると、角川文庫のそれには、初版当時の中村不折と橋口五葉のイラストがついており、これがユーモアがあってとっても味わいがある。
わたしは角川より新潮文庫のファンなんだけど、この点だけは角川に軍配を上げなくちゃ。

「坊ちゃん」 については、これは愉快だけど、純然たる小説であるから、いちど読めば内容がわかってしまい、また読みたくなるまで時間がかかるので、「猫」 ほど熱心に読んだわけじゃない。
「草枕」 は旅行好きなわたしにとって、ある種のあこがれみたいな旅を描いた本なので、いまでも旅行に持っていったりする。
「三四郎」 も失意に終わる青春小説だから、失恋ばかりしていたわたしの愛読書だったねえ。

ちょっと意表をつくところでは 「夢十夜」。
うまく文章で表現するのがむずかしいけど、見ているときは現実、覚めてみるとあり得ないという、ほんとうに夢のようにとりとめのない文章で、漱石ってのはこういう作家だという固定概念を持っていたわたしは、彼の新しい部分を発見したような気分になったものだ。

その後の漱石については、だんだん読みにくくなり、まともに読んだのは 「坑夫」、「こころ」 ぐらい。
「虞美人草」、「それから」、「門」、「彼岸過迄」、「行人」、「道草」、「明暗」 なんて作品になると、目を通したはずだけど、ほとんど内容は記憶にない。
むしろ 「文鳥」、「永日小品」、「思ひ出すことなど」、「硝子戸の中」 のような、自分の体験をそのまま書いたエッセイみたいなものをよく読んだ。
「猫」 もそうだけど、どこから読んでもそれなり味わいがあっておもしろいっていう本は、つまりエッセイのようなものは、わたしみたいなさすらいの本キチにはぴったりなのだ。

こういう調子だから、わたしはけっして漱石についてエラそうなことはいえない。
しかし、いまでも村上春樹を読むくらいなら、漱石のほうを読みたいと思う。
えっ、トシがわかるってか?

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2014年4月21日 (月)

こころ

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ここ2、3日、ウチの新聞 (朝日) は夏目漱石の賛辞記事でいっぱいだ。
なんでも100年まえのちょうどこのころ、漱石が朝日新聞に 「こころ」 の連載を始めたんだそうで、それを現在の朝日新聞が復刻連載を始めたのだ。
新聞はインターネットにその地位をおびやかされて青息吐息だから、なんとか劣勢を挽回しようとあの手この手をふりしぼっていて、この連載もそうしたふりしぼりの一環らしい。
100年の節目にやるなら、漱石が朝日新聞に連載した最初の作品 「虞美人草」 のときにやるのがスジだけど、これは 「こころ」 に比べると読みにくく、読者の人気もイマイチだから、「こころ」 になったらしい。
でもあまりベタ褒めされると、ひいきのひき倒しみたいでとまどいがあるな。

わたしも夏目漱石が好きである。
「猫」 や 「坊ちゃん」 を読んだころは、てっきりユーモア小説を書く作家と思っていたので、「三四郎」 や 「こころ」 を読んだときにはちょっと失望した。
失望はしたけど、その深刻な内容には、ちょうどわたしも失恋や、生きるという問題に直面して悩みはじめたころだから、いろいろ考えさせられるものがあった。

漱石の小説の本質についてややこしい理屈はいわない。
社会人になってから、わたしはいちどだって、意気軒昂で、人生を果敢に切り開こうなんて思ったためしがない。
わたしの人生は失意や挫折ばかりだった。
こういう人間には漱石の小説がぴったりくるのである。
若いころからハンサムで、体育会系で、女の子にモテモテの人間が漱石を好きだなんて聞いたことがない。

というわけで、なつかしい気持ちで連載を読み始めた。
でも、こういう小説は若いころに読んでこそ価値があるもので、わたしにかぎれば、なつかしい恋人に再会したような気分だけど、おたがいに相応の歳になっちゃって、もう肉欲に燃えようって気にはならないよな。

ウチの新聞も酔狂なことを始めたものである。
漱石の小説はとっくに著作権が切れていて、インターネットでも無料で読めるのだ。
ネットに毒されて、そもそも新聞を読まないいまどきの若者に、新聞小説がなにかインパクトを与えるだろうか。
ま、ヘタな小説を読まされるよりはマシか。

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2014年4月20日 (日)

HD

DELLからようやくリサイクル処理の書類が届いた。
しかしパソコンの場合、モニターやスキャナーとは異なる注意が必要だ。
つまりハードディスク (HD) をどうするかってコト。
わたしのパソコンのHDには、他人に見られて困るいやらしい画像だとか、読まれて困る日記みたいなものがそっくり残っているのだ。
これをなんとかしないと、おいそれとゴミに出せない。

以前、香港だったか台湾だったかの金持ちの御曹司が、金持ちという特権をおおいに利用して、女優やタレントと浮名を流し、よせばいいのにそのさいちゅうの写真をため込んでいたら、それがなんかのまちがいでネットに流出して、とんでもないスキャンダルに発展してしまったことがある。
いったん流出したらそれを完全消去するのは不可能だし、その相手のなかには清純派女優なるひともいて、そういうひとがアダルト映画もまっ青という恥ずかしいポーズをさらけだしたのだから、当の女優さんにしたら首でもくくりたい心境だろう。

そういうこともあるからHDの扱いには注意がいる。
ディスクの中身を消去する、あるいは読み取り不能までに破壊する、それもできるだけお金をかけずにするにはどうしたらいいだろう。

ディスクの表面を釘でひっかけばいいそうだけど、HDケースは頑丈にできていて、ディスクを露出させるのがむずかしい。
友人はガスコンロでケースごと加熱してしまえという。
油につけろという輩もいた。
天ぷらをあげているわけじゃあるまいし、わたしはあまり面倒なことはしたくないタチだ。

調べてみたらパソコン量販店で、HD専門の破壊を受け持っているところがあるようだ。
でも、発想を逆転してみたらどうか。
DELLといえばでっかいパソコン・メーカーだ。
リサイクルやHDごと廃棄してほしいと依頼してくるパソコンの数は大変なものにちがいない。
そんなところで、いちいち顧客のHDの中身をのぞいていたら、その手間ヒマはとてつもないものになってしまう。
考えてみれば、個人のパソコンで、いまどきいやらしい画像を集めてないパソコンなんてひとつもないだろうし、わたしみたいな平均的庶民の日記にマル秘情報なんてあるはずもない。

世の中の膨大な数のHDをチェックして個人情報を集めるくらいなら、もっと手間のかからない方法がいくらでもある。
米国への入国にさいして必要なESTA (電子渡航認証システム) だって、そこに書き込んだ情報はそのままCIAに直行してるに決まっている。
管理厳重なはずのわたしのパソコンでは、YouTube をのぞくと、頼みもしないいやらし系の映像がまっ先に出てくるけど、あれはわたしの個人的嗜好がどこかにもれちゃっているのだ。
つまり、いまどきHDの中身なんぞを気にするほうがおかしいのである。
という開き直りの根性で、不要パソコンはそのまんまDELLに送り返すことにした。

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2014年4月18日 (金)

マルケスの訃報

朝日新聞とガルシア・マルケスの関係は知らないけど、夕刊にマルケスのでっかい訃報。
過去に夏目漱石も執筆していた朝日新聞は、芸術や文芸ニュースになると張り切る傾向がある。
読売と記事の大きさを比べてみたいものだ。

マルケスについて、このブログの2008年10月と2010年6月に書いたことがある。
さすがは高尚なブログ、といわれるような内容じゃなかった。
「百年の孤独」 をハードカバーで持っていたけど、ついに読み通せなかったという内容だから、このブログをさかのぼって、その記事を読みなおしてごらんなさいとはイイマセン。

それでも中編の 「エレンディラ」 や、短編集のなかにいくつかおもしろいものがあったことは事実。
そのおもしろさは頭のなかに保存してあるし、保存したあとはとっくに本を整理処分してしまい、もういちど買ってまでまた読みたいとも思わない。
彼の作品が 「青空文庫」 に入るまで、ワタシゃ生きておれんよ。

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リサイクル

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長年パソコン生活を続けていると、ガラクタがたまる。
壊れたパソコンやスキャナー、映らなくなったモニター、キーボードやマウスなどだ。
あの世に持っていくわけにもいかないから、生きているあいだに整理しようと思うけど、コレってけっこうめんどくさい。
まずメーカーに連絡をとって、リサイクル処理用の書類を送ってもらわなければならない。
書類がきたら、梱包して郵便局に持ち込むんだけど、モニターってのは平べったいから梱包しやすいかというと、柄と台の部分が不規則なかたちでガサばる場合が多い。
この部分だけのために大きめのダンボール箱を調達して、すきまに丸めた新聞紙をつめこんで、どうにか梱包を終えて、発送し終えて郵便局からもどるとぐったり。

なんとかモニターはかたづけたけど、まだデルのパソコンについては、メーカーからリサイクル書類が届かない。
ちゃんとリサイクル・マークはついてんだぞ、さっさとせんかい。
スキャナーについては、ワタシが住んでいる三鷹市は、通常の粗大ゴミとして処理してくれることがわかった。

ガラクタがひとつなくなるたびに、ガンコな便秘がすっきりしたような気分。
まだ潜在的なガラクタはあとにいくつも控えているんだけどね。

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2014年4月17日 (木)

松葉海蘭

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ウの目タカの目で、なにか新しい花でも咲いてないかと近所をうろつきまわっていたら、駐車場の砂利のあいだからひょろりとのびた小さな花を見つけた。
ネジバナに似ているけど、まだそれが咲く季節じゃない。
とりあえず写真におさめて、帰宅してからネットで調べてみた。

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どうやらマツバウンラン (松葉海蘭) という草の花のようで、これまで散歩道の河川敷であまり見たことがなかったのは、こいつが競合する植物のいない荒地みたいなところ (たとえば砂利を敷いた駐車場) を好むせいらしい。
他人と競争したくないっていうひかえめな性格が、うん、身につまされちゃうな。
うまく育てれば群生するみたいだけど、わたしが見たのはひょろひょろと、ちょうどネジバナのようにまばらに咲いていた。

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2014年4月16日 (水)

永遠の〇

こないだの日曜日、知り合いが 「永遠の〇(ゼロ)」 を観たいといいだした。
公開されてからだいぶ経つ映画だから、そんなもん、まだやってるのかと訊くと、有楽町で1館だけ上映しているとのこと。
やれやれと、うんざりしながらおつきあい。

映画については、あまりアホらしくてなにか書こうって気にもなれないものだった。
書こうって気持ちにならないなら書かなければいいものを、たまには映画の話題もという不必要な責任感にせまられて、やむをえず書く。

物語は太平洋戦争で、ゼロ戦乗りだった祖父の不名誉を挽回しようという孫たちのハナシ。
そこまではいい。
飛行機がせせこましい動きをみせるCGも安っぽいし、登場人物がヤクザ映画もどきに大声でわめき、主人公だけがやたらにヒューマニズムをふりまわし、しかもこれでもかこれでもかってお涙ちょうだいの内容には唖然とした。
日本映画の悪しき伝統そのまんま。
悲しい映画であっても、それをユーモアでくるむような手法は使えんものかねえ。

こういう映画を観て思うのは米国映画と日本映画のちがい。
「ゼロ・グラビティ」 を観たときも思ったけど、あちらでは大勢のスタッフが意見をたたかわせ、あそこがおかしい、ここはこうなるはずだと、欠点をさまざまに修正しつつ1本の映画を完成させるらしい。
米国のマスプロ的生産方法には抵抗があるものの、すくなくても考証・設定やCG描写などの欠陥は表に出さないし、あらゆるスタッフの意見を取り入れようという配慮がうかがえる。
大衆受けという大命題があるにしても、これだけは個人主義の米国が集団主義の日本と逆の発想をしているのである。

日本では、ほんの少数の人間の考えだけでことが運ばれ、誰かが制作中に、コレっておかしくないですかなんて意見を具申してもハナっから無視されるんだろう。
ことを運ぶのがキューブリックのような天才であれば別だけど、調べてみたら監督は 「三丁目の夕日」 という、悪ふざけみたいな映画をつくった人だった。
どうりで戦後の焼け跡がぜんぜんそれらしくない。

原作はまともでも映画化されると徹底的に低俗化されるのがふつうだから、読んでもない原作についてごちゃごちゃいいたくないけど、ストーリーにも納得できない部分がある。
厭戦主義者ということで上官にボコボコにされる飛行士が、飛行学校の教官なんかできたのか。
こういう人間はさっさと前線に送りこまれるか、優先的に特攻隊に送られてお終いじゃないのか。
原作者はこれを反戦や人間心理を描く作品ではなく、たんなるミステリーのつもりで書いたのかもしれないけど、ちと納得できない。

映画でどうしても残念に思うのは、主役は積乱雲のうえを飛ぶ戦闘機なのだから、こういうものをもっとゆったりしたカットでつなげれば、かぎりなくロマンや詩情をかきたて、そしてここが肝心なところだけど、寓意でもって悲劇性をきわだたせてくれる映画になったはずなのに、状況説明だけの単細胞的なカットがつぎつぎと現われるだけで、ロマンのロも詩情のシも出てこない。
マンガみたいな映画と書こうとしたけど、マンガのほうから苦情が来そう。
やっぱり時間のムダだった。

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2014年4月15日 (火)

鯉のぼり

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3日もブログを更新しないでいると、アイツは死んでるんじゃないかと思われてしまう。
このブログはわたしの安否情報の役目も果たしているので、なかなか休むわけにはいかないのである。

朝日新聞では漱石の 「こころ」 の連載を始めるそうだ。
100年まえの連載をまたやろうというもので、なんとか読者をひきつけようと、ネット時代の新聞は大変なのだ。
そうかといって漱石について書こうとすると、これはトッテモ頭を使いそう。
けんのん、けんのんというわけで、今日はまた頭を使わない記事。

2、3日まえの新聞に、日本では在来種のイシガメが、外来種のアカミミガメに駆逐されて気息えんえんだと書いてあった。
それじゃわたしがイシガメだと思っていたウチの近所のカメもそうかい。
というわけで、ちょいと観察に行く。
ちょいと出かけるだけで、カメやカワセミをかんたんに見られるのがウチの近所のいいところだ。

なるほど、これまであまり深刻に考えなかったけど、日なたぼっこをしているのは耳のあたりに赤い班のあるアカミミガメばかりだ。
これでは固有種の絶滅の危機だ。
でも、アマゾンの原住民がメイド・イン・チャイナのTシャツやスニーカーを身につけているように、人間界ではとっくに固有種なんて絶滅しているではないか。
ダブル・スタンダードだな。
日本の女の子が白人が好きなように、イシガメだって舶来のカメがいいわってことで、ハーフガメが増えているのかもしれない。
アカミミガメもDNA鑑定が必要だ。

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コンパクトカメラで撮ったカメはあまり絵にならないから、今日も春景色をふたつ。
ほたるの里ではいよいよコイノボリが上がった。
2番目のタコが逆立ちしたような影はコイノボリの吹き流しだ。

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2014年4月13日 (日)

ネルの着物

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前項を書いたあとで 「葉ザクラ」 という言葉がちと気になった。
田中冬二の詩に 「暮春・ネルの着物」 という作品があって、その中にこの言葉が出てくるのである。
読みたいと思ったけど、わたしの書斎は大粛清のさなかで、彼の詩集もとっくに処分されてしまったみたい。
こういうときはどうするか。
この詩人は明治の人だから、ひょっとするともう著作権が切れて、ネットの 「青空文庫」 に作品が掲載されてるかもしれない。

そう思ったけど、生まれは明治でも、亡くなったのは昭和55年だそうで、おもに活躍したのは昭和に入ってからの人だった。
これではトッテモ著作権が切れているはずがない。   
前出の詩は戦前の1929年に発表した詩集のなかに含まれているものなので、公開されてからは85年が経過している。
こういう場合はどうなるのか。
まあ、そうカタイこといわなくてもいいじゃんと、また勝手な言い分で、ネットで見つけたそれを紹介してしまう。
営利目的では使用しておりません。

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  葉ざくらの頃の
  ネルの着物は かなしいものである
  わけて 青いゆふぐれの
  ネルの着物は かなしいものである
  ああ このものういゆふぐれの散歩に
  私はアスパラガスをたべよう

これがその詩の全文で、葉ザクラ以外に 「ネルの着物」 や 「アスパラガス」 という言葉も出てくる。
ネルの着物はまだしも、アスパラガスなんて言葉が戦前からあったのかと、ちょっと意外。

ネルというのはやわらかくて軽い毛織物のことで、わたしも子供のころ、親が親戚からもらってきた寝間着を着せられたおぼえがある。
保温性があってわたしが愛用したものだけど、それがフランネルの略語であることは、だいぶあとになって知った。
その肌合いをなつかしく思う気持ちが、わたしにもほんのすこし。

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2014年4月12日 (土)

野性

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もう大沢村に20年ちかく住んで、写真に撮ったことのない花なんてめったにないとぼやいたこともある。
しかし花というものは、園芸用に栽培されているものも含めれば、わが家の近所にじつにおびただしいから、そういうものも数に入れていいなら、まだ未紹介の花はいくらでもあるだろう。
わたしゃできるだけ野生にこだわるつもりなんだけど、そのへんの線引きがむずかしい。
このブログで紹介してきた自然観察園の花だって、アレって人間が植えたり手をかけたりしているものがほとんどだから、完璧な野生植物とはいえない。

しかし、たとえばあの可憐なスミレなんて、けっこうしたたかなところがあって、園芸用の小さな品種が庭から抜け出して、道路のアスファルトのあいだから花を咲かせていることがある。
肥料だ水だという人間の世話を拒絶し、自主独立の気概をもった花ならば、それ以前は人間のペットに所属していた花でも野生と認めてやっていいのではないか。
このブログではそう紹介してもいいのではないか。
このブログはわたしの個人的なブログだから、わたしの主眼で勝手に決めてもいいのではないか。
べつにそんなに目くじら立てていうべきことでもないけど。

今日ぶらぶらしていたら、土手の雑草のあいだに見なれない花が咲いていた。
1~2ミリの小さな花が集まった、葡萄の房みたいな花で、過去にこんなの写真に撮ったおぼえがない。
大発見だと思って帰宅したあと調べたら、べつに珍しくもなんともなかった。
これは 「ムスカリ」 といって、園芸の方面ではかなり有名な花だそうだ。
その種がたまたま風に運ばれたか、乙女の手からこぼれたかして、雑草のあいだにぽつんと咲いていたものだから、新種の野生と思ってしまったんだけど、うん、ヌカよろこびだったな。

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最後の写真はそろそろ葉ザクラになりかけている春の主役。

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2014年4月10日 (木)

雑感

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うちの大家さんはアパートの庭をリニューアルするつもりらしい。
重機が入って庭を掘り起こしている。
やかましいのはガマンするけど、樹木が多く、都心としてはめずらしい自然の豊富なわが家の庭が一変してしまうのは困る。
しかし困っても他人の庭なんだから文句もいえない。
まだ庭にはケヤキの大木が残っているけれど、大半の木はもう根っこまで抜かれてしまった。
いったいどんな庭になるのか、心配顔でながめている今日このごろ。
ケヤキのてっぺんに巣をつくるカラスも同じ心配をしてるんじゃないか。

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2014年4月 9日 (水)

春もよう

あいかわらずネタ切れ・・・・・いや、STAPの小保方ちゃんだとか、みんなのワタナベ君だとか、集団的自衛権だとか、XP問題だとか、ウチの新聞へのいちゃもんだとか、書きたいネタはいくらでもあるんだけど、こういう話題だと頭を使わなくちゃいけないし、ヘタに揶揄するようなことを書いて世間のひんしゅくを買うのもナンだから、30分で書くわけにはいかないのである。
そういうときは散歩に行って、撮ってきた写真でごまかす手があり、これだと頭はあまり使わない。

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今日は散歩には好適な日だった。
土・日はウチの近所はおおいに混雑するけど、平日はそれほどでもない。
しかし平日だって日光やそよ風の量が変わるわけじゃないのである。
暑からず寒からず、ホント、歩いていて鼻歌の出るようないい日だった。
ヘラクレスと取っ組み合いをした神話中のアルキュオネウスは、大地にふれるたびに元気になってヘラクレスをてこずらせたそうだけど、わたしもこういう日に森や林の中を散策していると、胃の調子もいいし、日ごろのうっ屈も吹き飛んでしまうのだ。

撮ってきた写真の、最初の2枚はデジタル処理をしてある。
わたしの知り合いの素人カメラマンの中にはデジタル処理をきらう人もいるけど、わたしは節制がないから、おもしろい効果が得られるならそれを使うのをためらわない。

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あとの2枚は自然観察園にて、シュンランとニリンソウ。
なんか新しいアングルはないかと、いろいろ工夫してるんだけど、わかるかなあ。

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最後の1枚は、今年はじめての魑魅魍魎サンであります。

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2014年4月 8日 (火)

実態

ロシア紀行が終わっちゃっていささかネタ切れ。
こういうときはネタ切れをネタにしてしまう手がある。

このブログを読んでいる人は、わたしが朝から晩までブログばかり書いてるんじゃないかと、そして部屋にひきこもりのあわれな老人を想像している人が多いんじゃないか。
なんといっても先月なんか更新の皆勤表彰ものだったのだから。

アホいっちゃいけない。
まだわたしは現役で仕事をしてるし、メシも自炊しているし、寝すぎなくらいよく寝るし、たまには散歩にも出かけ、週末にはデイトもしているのだ。
それでよくブログなんか書いているヒマがあるなと思われるかもしれないけど、つまり、わたしは文章を書くのが速いのである。
このブログ記事なんか、佼成、見直しを含めて、30分もかからなかった。
ま、そのていどの文章ざんすけどね。

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2014年4月 7日 (月)

ウチの新聞

ウチの新聞がアンケートをしてるけど、どうも誘導尋問みたいなところがあって、これじゃあウチの新聞のためのアンケートじゃんといいたくなってしまう。
1例をあげると
憲法9条によって集団的自衛権を行使できないというのが政府の見解ですが、これについてどう考えますかという設問がある。
いまのご時世、これを 「行使できないほうがいい」 「行使できるほうがいい」 という二者択一で質問すれば、日本はともかく、中国、韓国の国民の答えは訊かなくてもわかるではないか。

わたし自身もそうだけど、ある問題についてはっきり結論が出せないということはよくある。
しかし、YesかNoか、2つの選択肢しかなければ、ま、どっちかというとイエスだなと返事をしなくちゃいけない場合がある。
こんなアンケートで世論を探り、しかも結論を出そうってのがそもそも無理じゃないか。

わたしはウチの新聞に怨みがあるわけじゃないんだけど、ときどき公明正大ということについて、もっと考えてほしいと思うことがあるのである。

そんなことより日曜日のウチの新聞に、マンガ家の伊藤理佐サンが文章を書いていた。
ハッキリした日にちは知らないけど、最近タモリの 「笑っていいとも!」 という番組が終わったそうで、なんでもすごい長寿番組だったっていう話である。
それをいちども観たことがないのはワタシだけかと思っていたら、彼女もほとんど観たことがなかったというから、うん、やっぱりマンガ家というのは (挫折した人も含めて)、へそ曲がりが多いんだなとすなおに感動してしまう。

ほとんど観たことがないのに理佐サンはタモリの信奉者だそうだ。
というのも、過去に番組の中でタモリが、お化粧よりもお風呂に入るほうが美肌にいいと口走ったことがあり、それをたまたま聞きつけた理佐サンは(子供を抱いて)せっせとお風呂に入り、入るたんびにタモリ教祖に手をあわせているんだそうである。
こういう話題だとほのぼのしてしまう。

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2014年4月 6日 (日)

善福寺公園

知り合いが花見に行きたいという。
ちょうどロシア紀行も終わったところだから、うん、いいんじゃないかと、出かけることにした。

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ウチの近所は知る人ぞ知る花見の名所で、サンダルをつっかけて2、3分も歩けばサクラなんてめずらしくない。
しかしそういうところはお手軽すぎてキライだそうだから、どこかもうちっと名所の名にふさわしい場所はないかと思案して、昨日は手近なところで善福寺公園に行ってみた。
ここは荻窪から中野へ、そして歌で有名な神田川にそそぐ善福寺川のみなもとである。

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思っていたほどサクラは多くなかったけど、そのかわり人混みも井の頭公園ほどではなく、ならんでいる人もいなかったから、ひさしぶりにボートをこいできた。
いやあ、あいかわらず憎まれっ子世にはばかるって感じで、団塊の世代はいうことなしの元気いっぱいだ。

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写真はすべて善福寺公園にて。
最後の写真は木の洞に咲いちゃったスミレの花で、まえからこういう天然の鉢植えっていう写真を撮ってみたかったのである。

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ロシアⅡ/帰国

「ひとつ」 はロシア語でアジーンという。
モスクワに到着してメトロの切符を買うとき、100ルーブルを出したら、駅員のおばさんが指を1本立てて、アジーン?と訊いた。
1枚ですか。
おかげでわたしにとってロシア語の知識がひとつ増えたことになる。

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ここに載せた写真は、モスクワの地下鉄プロ-シャチ・レヴォリューツィ駅構内にあるイヌの銅像で、鼻にさわると幸せになれるんだそうだ。
いろんな人がさわっていくものだから、鼻の部分だけテカテカ。
自分の写真はあまりブログに載せないようにしてるんだけど、ま、いい男に写っているからいいだろう。
そう思ったけど、世間から反感をもたれても困るから白抜き。

イヌの鼻をなでたにもかかわらず、今回の旅はそれほど幸せなものではなかった。
コンサートや観劇に行ったわけでもないし、新幹線に乗ったわけでもなく、美少女ガイドもいなかった。
わたしはどこかそのへんに行ってくるような調子で、モスクワの街をぶらぶらしただけで帰ってきてしまった。
これはつまり、ロシアといえども、わたしがいつも出かける吉祥寺や新宿の街と、たいして変わらないお出かけ先になったってことである。
いつも出かける街にそんなにおもしろい話がごろごろしているわけはない。
モスクワもそのくらい気楽なところになったということだ。

旅行に行ってもみやげは買わない主義のわたしだけど、どうにもならない義理で買わなければならない場合もある。
前回の旅では空港でチョコレートを買っていった。
しかしわたしはお菓子の銘柄なんてものにまったく無知だから、あとで差し上げた相手に聞いたら、それはベルギー製だったそうだ。
今回はゼッタイにまちがいないロシア製のチョコ。
なんで間違いがないかっていうと、パッケージに印刷されているのが、あのロプヒナちゃんなのだ。
カラカラと安っぽい音がしたのが気になるけど、わたし自身はひとつも食べてみなかったから、美味しいかどうかわからない。

それはさておき、ロシアという国について、もっと入国を簡単なものにしてほしいとは、このブログで何度も言及している。
ビザが必要であるのはやむを得ないにしても、せめてバウチャーという方式だけは撤去してもらえないだろうか。
あらかじめホテルや移動方法を決めておかなければいけないなんて!
ふらりと空港に降り立って、ぶらりと街へ出て、ふらふらと安いホテルを物色できたらなんて素晴らしいことだろう。

ネットで調べると、ロシアに着いてから、そのへんで適当なホテルを探したなんて人のブログも見つかるから、だいぶこの規則も緩和されているような気配はある。
しかし旅行会社に問い合わせてみても、そういうところは手数料で稼いでいるのだから、ええ、大丈夫ですよ、ホテルなんか現地で勝手に探してくださいとはいわないような気がする。
なにかトラブルがあったら困るから、正規の旅行会社ならやはりたてまえ論を持ち出すしかないのではないか。
これについては現地に行ってぶっつけ本番で試してみるわけにもいかないから、ロシアで自由旅行をした人がいたら、ネットでどしどし体験談を報告してもらいたいものである。

成田で入国審査のとき、審査官がわたしのパスポートを見て、ひとりでロシアに行ってきたんですかと訊く。
ええと答えると、すごいですねという。
なにがすごいんだか・・・・・
アジーン。

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2014年4月 5日 (土)

ロシアⅡ/お別れ

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そんなこんなで午後3時ごろになった。
金髪クンがいたおかげで、あちこちでロシア人と会話できて楽しかったけど、彼ともいよいよお別れだ。
日本に帰ってくるつもりはないのかいと訊くと、日本ではおかしな動物みたいな目でじろじろ見られて、いやでいやでたまらなかったそうである。
いろんな悩みがあるものだ。

ホテルにもどり、フロントのきれいな娘から預けたバッグを受け取り、空港へ向かう。
空港へ行くまえに、金髪クンと2人で、ベラルーシ駅近くのレストランで食事をした。
壁ぎわに磁器の皿などが並べられていて、青山、西麻布ふうの店、といいたいところだけど、残念ながらベラルーシ駅のまわりは、庶民的な雑踏の街だ

ここで、今回の旅で初めてボルシチを食べた。
以前の旅でも食べたことがあるけど、ふだんあまりなじみのない食べものであるから、正式の食べ方なんていまでもよく知らない。
白いクリームをかきまぜて食べるのが一般的な食べ方だそうだ。

わたしはほとんどベジタリアンだけど酒は飲む。
金髪クンは酒を飲まないけど肉は大好きである。
ビールを飲む男と肉を食べる男で世間話をする。
彼は自然食品の愛好家で、田舎から行商にくるおばさんから玉子を50個まとめ買いするのだそうだ。
そりゃコレステロールの原因じゃないかと冗談をいってみた。
でも半分は彼女に食べさせますからという。
毎日目玉焼きばかりが原因で彼女と別れる話が、モームの 「アシェンデン」 にあったっけ。
せいぜい注意しなさいといっておく。

テーブルの上のお知らせをみて、金髪クンが、その月が誕生日の人は15パーセント割引ですという。
来月だったらねえとわたし。
わたしの誕生日は3月である。
3月になるといくつになるのかなんてことはどうでもいいけど、ただ、わたしの歳でモスクワひとり旅ってのはめずらしいかもしれない。

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ベラルーシ駅で金髪クンと別れた。
別れぎわに彼は、夏になったら日本に行ってみたいですという。
ロシアが二重国籍を認めているかどうか知らないけど、彼は日本国籍を取得しているから、現在は日本人でもあるのだ。
彼女といっしょにおいで。
そのときは讃岐うどんでもなんでもご馳走してあげるからといっておく。
エクスプレスの改札で、わたしたちはロシア式にしっかりと抱擁しあった。

空港まではひとりでエクスプレスに乗った。
いちど下見をしているからなにも問題はなかったし、空港で出国手続きもあっけないくらい簡単に済んだ。
待合室で飛行機への搭乗を待ちながら外をながめると、雨が降っているようでガラスを通した景色がにじんで見えた。
まるで古い日活映画のラストシーンのようだなと思う。
こういうことを書くから歳がバレてしまうんだけど。

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2014年4月 4日 (金)

ロシアⅡ/墓地と美術館

ホテルの近所をぶらぶらしただけでは、午前中をつぶすのがやっと。
そこで、ロシアにもういちど来られるかどうかわからないから、お別れのつもりでまたトレチャコフ美術館とノボデヴィチ墓地に行ってみることにした。
トレチャコフ美術館はホテルから近いし、墓地もすでに見てきて地の利はこころえているから、これならなにかトラブルがあっても飛行機に乗り遅れることはないだろう。

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金髪クンにこんな話をしたら、ボクもノボデヴィチ修道院とトレチャコフ美術館には行ったことがありませんといいだした。
それでこの日の午後は、彼を連れてこのふたつの見学に行くことにした。
まえに紹介したノボデヴィチ修道院の、行水をするカラスとそれを見つめる修道女のエピソードはこのおりのもの。

修道院と墓地をぶらぶらする。
わたしは修道院にあまり関心のないほうだけど、金髪クンはまだ若くてなんにでも興味をもつ歳ごろだから、それなりおもしろそうである。
建物のパネルをながめて、へえ、これは古いロシア語です、ボクには読めませんなどという。
墓地では、あ、これはロシアのえらい科学者ですとか、こっちは有名な芸能人ですと説明してくれた。
ただ、彼の年令ではライサ・ゴルバチョフといってもピンと来ないようで、こういう若者がノボデヴィチ修道院の墓地を見ても、わたしと同じ感傷をもつことはないと思われる。

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墓地からトレチャコフ美術館にまわり、ここで彼にチケットの購入をまかせたら、ロシア人料金で入れてしまった。
そのほうが100ルーブル安かったけど、前回の旅を含めれば、わたしはもう4回目の訪問になるのだから、ロシア人と同じ待遇にしてもらってもバチは当たらないだろう。
クロークに荷物やコートを預けるとき、担当のおばばが絵葉書を持ち出してなにかいう。
彼女のアルバイトらしかったけど、わたしは他人が撮った写真はめったに買わない主義である。
ニェット。

2番目の写真は、イワーノフの「民衆の前に現われたキリスト」をながめる金髪クン(右側のいちばん手前)。
彼といっしょに見学して思ったことは、やはり他人がいるとおちついて絵の鑑賞なんかしていられないということである。
わたしみたいに絵画のまえに出ると、思索や空想でぼんやり感を誘発されてしまう人間にはなおさらのこと。
美術館はひとりで行くのがいちばんいい。
愛するロブヒナと今度こそお別れだけど、機会があれば、いや、機会を無理にでもこしらえて、わたしはもういちどロシアを訪問したいと思っている。
サンクトペテルブルクのエルミタージュも、まだわたしのこころのうちで未消化のままなのだ。

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最後の写真は、まえに紹介しそこねた魅力的な彫刻で、もったいないからここで紹介。

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2014年4月 3日 (木)

ロシアⅡ/ひまつぶし

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帰国日になった。
よくあることだけど、帰国のフライトは夜である場合が多い。
そうなると、ホテルは昼までに出なければいけないから、それまでどこかで時間をつぶさなけれぱならない。
パック・ツアーならてきとうな場所を半日観光して過ごすだろうけど、わたしの場合ひとり旅だから、なにかトラブルでもあったら飛行機に乗り遅れてしまう。
そういうわけで最終日はあまり遠くまで出歩かないようにしているんだけど、ホテルにいられないのだから臨時のホームレスになったような気分だ。
中国で何度も経験してるけど、この時間つぶしはけっこう辛いことである。

朝食をすませたあと、できるだけのんびりと荷物をまとめ、午前中はホテルの近所をぶらぶらすることにした。
わたしの部屋の窓からみると、数百メートル先に古い搭のようなものが見える(写真の○印がそれ)。
そこまで出かけてみた。

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これはまわりをレンガの塀にかこまれた古い教会のようだった。
塀ごしにながめると、マカオの聖ポール天主堂にあったような、ついたてみたいな壁が見える。
教会としてはいまでも現役かもしれない。
塀の外側に公園があって、乳母車を押した奥さんたちが散歩している。
しかし観光名所として整備されておらず、観光客に開放もされてないようなので、外からながめただけで終わり。
門にかかげられていたパネルを載せておくから、理解できる人はそれをドーゾ。

もっと時間つぶしをしようと、そのへんをぶらぶら。
近所にオメガプラザという大きなビルがあって、たくさんの人が出入りしている。
そのビルへ行くのに、メトロの駅からマキシマパノラマのわきを抜けると近道なので、みんなホテルの門を入っていく。
うちのホテルにやたらに労働者ふうの人間が出入りしているのはこれが原因だった。

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さらにぶらぶらしていたら、モスクワ川のほとりに出た。
このあたりのモスクワ川は、まだ遊歩道などが整備されてなかった時代の隅田川という感じで、無愛想なコンクリートの堰堤が続いているだけの、ながめて楽しい景色じゃない。

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このあたりの道路ぎわに洗車場がならんでいた。
無駄な抵抗じゃないのといいたくなる雪どけ道ばかりのモスクワだけど、ベンツやトヨタなど高級車の持ち主はやっぱり車をピカピカにしておきたがるものらしかった。
洗車場を見てもおもしろくもなんともないけど、時間つぶしにはなった。
最後の写真は、冬のモスクワを走る車はどうなるかの見本。

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2014年4月 2日 (水)

ロシアⅡ/レストラン

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帰りはカローメンスカヤの駅に出て、そのあたりのレストランで食事をしていくことにした。
この駅のまわりはにぎやかなところで、トラムも走っている。
金髪クンが帰りはトラムで帰りませんかといいだして、そのあたりで尋ねてみたら、トラムはわたしのホテルの近くを通ってないことがわかって断念した。

道路の向こう側にTAKAOというネオンが見える。
金髪クンが日本食レストランですよという。
和食がユネスコの遺産に登録されたせいかどうか知らないけど、モスクワに日本食レストランの数はたいへん多いそうである。
寿司なんかとても食べられたものじゃないけど、たいていのものはロシアでも食べられるそうだ。

モスクワ大学の見学をしたとき聞いた話では、大学の近くにできたばかりの讃岐うどんの店があって、金髪クンの恋人も大好きだという。
そのときにはっきりそういってもらえば、わたしもロシアのうどんなるものを食べてみたかったのに。

カロメン駅では、わたしたちは道路のこちら側の高級そうなレストランに入った。
なに、明日は帰国日だから、もうお金をみんな使ってしまってもかまわない。
いざとなればカードもあるし。

お金の支払い以外は金髪クンにまかせることにした。
彼はダウンの下がロゴ入りのTシャツに、両サイドにポケットのついたカーゴパンツで、カジュアル丸出しのスタイルだから、こんなラフな格好では2階には上がれないっていってますよという。
そんなセレブが集まる店なのかと、このときだけはしぶい魅力?のわたしが交渉して、2階に上げてもらった。
2階はダンスホールをかねたレストランになっており、男女の歌手が歌っているだけで、べつにネクタイ着用の店にも見えなかった。
金髪クンが青臭いガキと思われたのかもしれないけど、パリのクレイジーホースみたいな卑猥なショーをしているわけでもなかった。
わたしたちはすみっこの席に座った。

食事中もロシア人の男女がフロアでばたばたと踊り始める。
わたしはワインを飲む。
金髪クンはけっしてアルコールを飲まない。
ゆったりと飲んだり食べたりできる、ロシア最後の夜なんだけどね。

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注文した料理がまちがってましたと金髪クン。
○○の肉が△△の肉になってましたと。
そうかいと、わたしがロシア人的おおらかさで文句をいわないのは、どうせ肉なんて好きじゃないし、肉の部位なんてわからないから。
しかし彼は肉食のプロだし、モルモン教徒みたいに潔癖な若者だから、わざわざウエイターをつかまえて文句をいっていた。
そのため帰りにチップを払わなかった。

最近はレストランの写真をすぐに口コミ・サイトに投稿してよろこんでいるバカが多いから、そういう手合いに間違えられたくないってんで、△△の肉料理の写真はなし。
高級レストランに入ったという証拠のために、メニューをながめる金髪クンと歌手の写真だけ載せておこう。

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2014年4月 1日 (火)

ロシアⅡ/ハチミツ市場

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公園のゲートに向かって歩いていたら、かたわらにハチミツ専門の市場があった。
ロシア人のハチミツ好きは、ちょっと日本人には考えられないくらいで、常設の市場以外にも、夏になるとあちこちの屋外に市場が立つらしい。
市場に興味のあるわたしはここにも寄っていくことにした。

この公園の市場はパイプを組んだ屋根つきの常設市場で、畳2枚くらいのスペースの小さな店がたくさん集まっている。
店主はたいていひとりで、養蜂業者の奥さんあたりが経営しているらしかった。

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わたしはハチミツというと、花の名前を冠した、琥珀色のどろりとした半液状のものしか思い当らないけど、ここにはこれがハチミツかといいたくなるような製品もある。
白や灰色やベージュの半練り状で、わたしの知っているものとは色も形状もだいぶちがう。
それぞれの店でなにかをブレンドして、その店独特のハチミツを作ってしまうらしい。
それが安っぽいプラスチックの容器に入っていたりするから、どうみても大企業によるマスプロ商品じゃない。
ローソクや石鹸のようなハチミツの副産物も売られていて、日本みたいに添加物や混ぜ物にうるさいことをいわなければ、見ていてなかなかおもしろい。

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日本人ですというとみんな親切であるところは他の市場と同じだった。
耳かきみたいなスプーンでなめてみろと勧められる。
店が多いから全部の店でそんなことをしていたら日が暮れてしまう。
それでも何回かお店の勧めにしたがって、はあはあ、なるほどと味わってみた。
日本ではあまり見たことのない松の蜜というのがあって、これは苦味のある甘さ。
栗の花の蜜もあった。
蜜からはぜんぜんその匂いはしないけど、栗の花には青春の象徴みたいな、独特の匂いがあるなあと金髪クンに話す。

種類だけではなく、産地もさまざまらしい。
最後の写真に写っているお母さんの後ろのポスターには、「アルタイ山脈」 「シベリア」 と書いてある。
シベリアの蜜ですよと金髪クンがいう。
シベリアというと雪と氷というイメージで、そんなところにも花が咲くのかと思ってしまうけど、うん、咲くんだろうな。
北アルプスだってお花畑があるんだから。

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わたしは中国の僻地で見たハチミツ売りのことを思い出した。
チベットに近い青海湖のあたりでは、季節によっては地平線の彼方まで黄色い菜の花が埋め尽くし、スペインのヒマワリかそれ以上の景観になる
菜の花は中華料理で使われるナタネ油を採るためだけど、副産物としてハチミツの採集も行われていて、それが路傍で石油缶サイズのポリタンクで売られていた。
わたしもハチミツは好きだけど、とても買おうって気になれない量だ。
日本のように流通経路や道路のインフラが整備されていない中国では、大量消費地まで運ぶのが大変なので、けっきょく道路ぞいで観光客相手に売るしかないようだった。

金髪クンは健康食品にうるさくて、天然食品や有機栽培にこだわり、アルコールさえ口にしない若者だけど、シベリアのハチミツがえらく気にいったようで、あとであのおばさんの店にまた来ようなんていっていた。

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