永遠の〇
こないだの日曜日、知り合いが 「永遠の〇(ゼロ)」 を観たいといいだした。
公開されてからだいぶ経つ映画だから、そんなもん、まだやってるのかと訊くと、有楽町で1館だけ上映しているとのこと。
やれやれと、うんざりしながらおつきあい。
映画については、あまりアホらしくてなにか書こうって気にもなれないものだった。
書こうって気持ちにならないなら書かなければいいものを、たまには映画の話題もという不必要な責任感にせまられて、やむをえず書く。
物語は太平洋戦争で、ゼロ戦乗りだった祖父の不名誉を挽回しようという孫たちのハナシ。
そこまではいい。
飛行機がせせこましい動きをみせるCGも安っぽいし、登場人物がヤクザ映画もどきに大声でわめき、主人公だけがやたらにヒューマニズムをふりまわし、しかもこれでもかこれでもかってお涙ちょうだいの内容には唖然とした。
日本映画の悪しき伝統そのまんま。
悲しい映画であっても、それをユーモアでくるむような手法は使えんものかねえ。
こういう映画を観て思うのは米国映画と日本映画のちがい。
「ゼロ・グラビティ」 を観たときも思ったけど、あちらでは大勢のスタッフが意見をたたかわせ、あそこがおかしい、ここはこうなるはずだと、欠点をさまざまに修正しつつ1本の映画を完成させるらしい。
米国のマスプロ的生産方法には抵抗があるものの、すくなくても考証・設定やCG描写などの欠陥は表に出さないし、あらゆるスタッフの意見を取り入れようという配慮がうかがえる。
大衆受けという大命題があるにしても、これだけは個人主義の米国が集団主義の日本と逆の発想をしているのである。
日本では、ほんの少数の人間の考えだけでことが運ばれ、誰かが制作中に、コレっておかしくないですかなんて意見を具申してもハナっから無視されるんだろう。
ことを運ぶのがキューブリックのような天才であれば別だけど、調べてみたら監督は 「三丁目の夕日」 という、悪ふざけみたいな映画をつくった人だった。
どうりで戦後の焼け跡がぜんぜんそれらしくない。
原作はまともでも映画化されると徹底的に低俗化されるのがふつうだから、読んでもない原作についてごちゃごちゃいいたくないけど、ストーリーにも納得できない部分がある。
厭戦主義者ということで上官にボコボコにされる飛行士が、飛行学校の教官なんかできたのか。
こういう人間はさっさと前線に送りこまれるか、優先的に特攻隊に送られてお終いじゃないのか。
原作者はこれを反戦や人間心理を描く作品ではなく、たんなるミステリーのつもりで書いたのかもしれないけど、ちと納得できない。
映画でどうしても残念に思うのは、主役は積乱雲のうえを飛ぶ戦闘機なのだから、こういうものをもっとゆったりしたカットでつなげれば、かぎりなくロマンや詩情をかきたて、そしてここが肝心なところだけど、寓意でもって悲劇性をきわだたせてくれる映画になったはずなのに、状況説明だけの単細胞的なカットがつぎつぎと現われるだけで、ロマンのロも詩情のシも出てこない。
マンガみたいな映画と書こうとしたけど、マンガのほうから苦情が来そう。
やっぱり時間のムダだった。
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