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2014年5月

2014年5月31日 (土)

××さん

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××です、こんにちわと、やけに親しそうな人から電話。
誰だっけと訊くと、ローズなんとかの××ですという。
聞いたことがない。
追求してみたら、1週間ほどまえに、金取引がどうのこうのと電話してきた某社の営業マンだった。
そんなものに興味はないけど、そのときヒマだったからすこし相手をしたら、脈アリというわけでまた電話してきたらしい。
しかも彼はこのあたりの担当で、しょっちゅう近所を徘徊しているらしく、カーナビでわたしの住所を探し当て、駐車場ものぞいたらしい。
失敬なやつだ。

時間のムダだといってやったけど、それで引っ込むようでは営業マンの資格がない。
最近の経済情勢にかんがみて、どちらさんも老後の保障を考えなくちゃと、おおきなお世話をべらべら。
そういうものは郵便貯金におまかせしてあるといったら、低金利がどうの、デフレがああなる、インフレがこうなると得意そうにべらべら。
アノネ、わたしだって経済についてまるっきり無知じゃないんだよといってやったら、それじゃあ日銀の黒田総裁がもちだした最近の経済政策を知ってますかという。
なんだっけと応えると、それみたことかと得意そうにべらべら。
「量的緩和」なんだそうだ。
言葉は知ってるけど、ぜんぜん興味がないから、いきなり訊かれたって返事のしようがない。
まごまごしていると相手のペースにはまりそうである。

けっきょく、こっちもトシの功。
えっ、わたしが生きているあいだにどれだけ浮き沈みがあったと思ってるんだ。
いま現在は金の景気が上向いていたとしても、5年後、10年後のことがアンタにわかるのか。
そんなアテにならないものに老後を託すより、自分の趣味に金を使うほうがよっぽどエエ。
運命に抵抗しちゃいかんよ。
老人の貧乏人が老後のことなんか考えるほうが不謹慎だ。
現在は野垂れ死にの時代であると、あの曽野綾子サンも書いている。
おもいきり遊んで、金がなくなったらさっさと高いところから飛び降りるのがイチバンさ。

これでなんとか相手をケムにまいた。
いま西表島へ行く準備で忙しいんだ、ワタシゃ。
写真は西表島への途上にある多良間島。

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2014年5月30日 (金)

ウォークマン

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引き出しの奥からソニーのウォークマンが出てきた。
いったいいつごろ買ったものかぜんぜんおぼえてないけど、記録媒体がカセットテープだから、たぶん1990年ごろに買ったものだろう。
まだウインドウズ95がデビューするまえだ。
どうも最近わたしの部屋から、人類の世界遺産みたいなものがぞろぞろ出てくる感じ。
それはちとオーバーだけど、このへんからまた哲学的に思索を飛躍させるのがわたしのブログだ。

現代のソニーの凋落ぶりを説明するのに、よくウォークマンが引き合いに出される。
アップルのジョブズ君が、わたしだったらもっとコンパクトで便利な携帯プレーヤーを作れるとヒントを与えてくれたのに、モーター駆動のウォークマンに固執し、結局それがソニーの落ち目の始まりだったそうである。
巨大化して小回りのきかなくなった企業の、典型的な没落ケースだという人もいる。
しかしこれについてはソニーに同情すべき点もある。
長年技術をみがき、ようやく世界的ヒットをした商品をさらりと捨てて、ヘタするとこれまで格下とあなどっていた敵と同じスタートラインに立つなんて、誇り高き技術者集団にできることではない。

ソニーにとっちゃ気のドクだけど、わたしにとってはありがたい時代である。
現在のわたしは、どこへ行くにもiPodを持っていくけど、その便利さは (音楽だけにかぎっても) かってのウォークマンとは隔絶の感がある。
音楽が1曲3分としても、カセットテープでは、120分用を使ってさえ40曲しか入らないのに対し、iPodではうすべったいボディに、1500以上の音楽が入れてあるのだ。
現代は、ひとりの人間が一生かけて聞いた音楽を、すべて、胸のポケットに入れて持ち運べる時代なのである。

ソニーはウォークマンだけじゃなく、その中に入れる音楽コンテンツの制作もしている。
そういうところが著作権もなにも無視・軽視というアップルの行き方を真似できるもんじゃない。
コンテンツをどうやって売るか、どうやってコピーをふせぐか、どうやって利益を上げるか。
機材とコンテンツの両立を図っているうち、社運まで傾いてしまった。
いくら敵から塩をめぐんでもらっても、それを活用できなかったのがソニーの悲劇だ。

もはや役に立たないセミの抜け殻のようなウォークマンを見るたびに、これだって買ったときはけっこう高かったんだぜというぼやきもさることながら、アップルとソニーをダビデとゴリアテの図式になぞらえていろいろ考えてしまう。

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2014年5月29日 (木)

叫び

ムンクの絵に 「叫び」 という傑作がある。
あちらは有名だけど、それじゃこっちの絵はどうだ。
この絵を描いたのは小山田二郎。
ごらんのとおりの前衛的画風だけど、これにタイトルをつけるなら、「叫び」 というのがぴったりじゃないか。

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あいかわらず本棚の整理をすこしづつ続けておりますが、本棚のすみっこから、ずっとむかし、三鷹市美術ギャラリーで開かれた 「日本の自画像展」 という絵画展のカタログが出てきた。
ホコリをはらって、ひさしぶりにページをめくってみたら、古今の著名な53名の画家の中で、いちばんインパクトのあったのがこの自画像だ。

小山田二郎は難病をかかえた不遇な人生と、あげた名声をみずから地に捨てるような奇矯な生き方をした画家である。
というものの、わたしはこのカタログを見るまで、この画家のことをぜんぜん知らなかった。
この絵に興味をもって画家のことを調べてみたら、ちょっと直視するのもムズカシイ、そんな悲惨な境遇の画家であることがわかった。
さればこそ、この作品にタイトルをつけるなら 「叫び」 で決まりだと思う。

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2014年5月27日 (火)

先が

おそれ多いことだから、名前は伏せるけど、最近婚約を発表したアノ方について。
彼女はAKBに参加してもおかしくない美人だ。
それも現代的で活発な女性らしい。
ケラケラと大きな口をひろげ、ぶっちゃけて笑うところが、おそれ多い人らしくなくてますますステキ。
これにくらべると旦那になる人の地味なこと。
秋葉原でフィギュアをあさるタイプにこういう人が多い。
元気のいい嫁さんは、あ、これならワタシのもん、好き勝手してやるわーという魂胆がみえみえ。
どうも先が思いやられるね。

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原始の島

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ダーウィンの 「ビーグル号航海記」 は、自称ナチュラリストのわたしには読んで楽しい本だけど、読みながらしみじみ思うのは、博物学者としてのダーウィンは幸せだったなということ。
なにしろ当時のヨーロッパから世界を見てまわるというのは、現代のわたしがどこかべつの惑星に放り込まれるようなもので、見るもの聞くものすべてが珍しモノづくしだったろうから。

また西表島にいく。
去年も行ったけど、あんときはグループで、他人のお付き合いも含まれていたから、西表島の自然を満喫したとはいえない。
今回はひとりで、のんびりゆったり、ふだんウチの近所じゃあまり見たことのない動植物のあいだを、じっくりさまよってくるつもりなのだ。
西表島は亜熱帯に属していて、植生や動物相は関東地方とはだいぶ異なるから、ナチュラリストもどきにとっては、まさに冥利につきる旅になるだろう。
本人に訊いたわけじゃないけど、ゴーギャンがタヒチに居座ったのも、やはり原始的な自然へのあこがれが大きかったはずだ。

最近のわたしはドジョウやゲンゴロウ、タガメが棲むような、手つかずの自然というものにひじょうなあこがれを持っていて、これは田舎で生まれて都会ですごした人間が過去をなつかしむ行為かもしれないし、あるいはわたしの人生のバックボーンをとうとうと流れる現実逃避と同じ種類のものかもしれない。
なんだっていいけど、そういうところでぼんやり過ごしてみたい。

今回は7日間の旅で、予約してある宿は最終日の分だけ。
あとは行き当たりバッタリでいくつもり。
ひょっとすると雨に降り込められて、宿に缶詰めになるかもしんないけど、それもまたおもしろい。
いろいろ楽しい妄想にふけっているうち、あ、出発まてあと1週間になった。

添付した画像は、飛行機から見下ろした沖縄のサンゴ礁にかこまれた島で、西表島ではありません。

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2014年5月26日 (月)

浮気性のオンナ

よそごとながらあせってしまう。
ロシアとウクライナの問題はいよいよひねくれてきた。
日本が制裁陣に加担したことで、プーチンは北方四島はどうなってもいいのかなんていいだした。
四島に興味はないけど、プーチンを怒らせたくないと、わたしのあせりはそのへんにある。
そもそもの問題はどこにあるのか、このブログでも考えてみようと思う。

きっかけはウクライナが長年連れ添ったロシアと離縁するといいだしたことにある。
相思相愛の関係で、それなり面倒をみてきたと信じていたロシアにすれば、冗談じゃない、そんならせめて結納の品ぐらい返せといいたくなり、それがクリミア半島の奪還だ。
それだけで収まれば問題はなかったのに、米国では、弱腰だと批難されかねないオバマ君が文句をいいだす。 制裁だといいだす。
ウクライナでは、やたらに張り切っちゃったロシア系住民が、プーチンの意向を無視して暴れだす。
日本やドイツは他人の問題に関わりたくなかったのに、とくに日本はそのうちアメリカに応援してもらう事態が発生するかもしれないので、イヤイヤながらアメリカ追従だ。
本心では日本びいきのプーチンも、冷徹な政治世界のつねで、中国にすり寄ったり、北方四島はどうなってもいいのかと日本をおどかす。
日本も困るけど、ここはアメリカ追従も止めるわけにいかない。

なんでこんなにややこしくなってしまったのだろう。
ようするにロシアが太っ腹をみせて、クリミア半島を返せなんていいださなければよかったのか。
いやいや、ウクライナがロシアと離縁するといいださなければよかったのか。
だいたい、どうしてウクライナはロシアと離縁するといいだしたのか。
どうもこのへんにカギがありそうである。

狡猾な政治家なら、ロシアにも米国EUにもいい顔をして、ごたごたを引き起こさない政治をやれそうなものだ。
ところがウクライナの政治家は、政治というのは儲かる商売と考えているろくでなしばかりで、つねにどっちの側から利益供与をたくさん受けられるかと、そんなことばかり考えている。
ロシアと結んだほうが儲けが多ければロシアとつながる政治家が出る。
すると利益のおすそ分けにあずかれない反対派のほうは、米国やEUと結んで儲けようとする。
そういうわけでふたつの勢力に分かれたろくでなしどもが、あっちにつくかこっちにつくかと鵜の目鷹の目で、政権交代のたびにころころと相手が変わる。
つまりこんな浮気性の女になりさがったウクライナがいけないというのが、わたしの見立てだけど。

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2014年5月25日 (日)

今朝の新聞の2

血圧の上がりそうな新聞の第2弾。
1面トップに、浜岡原発に事故が起こった場合の静岡県 (と政府) の対応について、問題アリという記事。
静岡県は事故の場合、住民の避難計画を立てていて、県内や隣県に96万人もの被災者を受け入れてもらう方針だそうだ。
ところが隣県では、数万人もの被災者を受け入れられないと、例によって自己中心的エゴイズムで文句たらたら。
被災者がいっせいに逃げ出したら、交通渋滞の対策はどうするのか、受け入れ期間をハッキリさせてくれなんて、バカげた理屈をならべたてている。
だから現在の対応は実現不可能な、絵に描いたモチだと、新聞は書く。

絵に描いたモチはどっちだ。
上記の記事は最悪の場合を想定してるらしいけど、ま、日ごろの注意は必要なものだから、1000年にいちどの事故であっても、対応を考えておくことについては文句をいわない。
じっさいにそんな事故が起こったら、理屈もヘチマもないでしょ。
誰も彼も、他人を踏んづけてでも逃げるに決まってるし、道路が渋滞すれば山道をはってでも逃げるだろう。
弱者や老人はおいてけぼりにされ、両親や子供を背負って逃げる人間は、とちゅうで力尽きて、放射能以前にぶっ倒れる。
受け入れないといったって、押し寄せた被災者を隣県が拒否できるはずもないし、いまさらそれを阻止できるはずもない。
被災者に食料の供給はどうするんだといったって、死ぬくらいなら雑草でも、そのへんのイヌやネコでも食べるだろうし、また日本のコンビニがフル稼働してくれるのではないか。

世界の各地でさまざまな災難にあった難民の移動が起きている。
彼らはほとんど着の身着のままで、他人が助けてくれるという保証なしに、とりあえず現在の場所から逃げるというのがお定まりの境遇だ。
原発事故にかぎらない。
戦争や富士山の噴火でも、日本人がそういう切羽つまった状態におちいる可能性はある。
ウチでは引き受けられませんなんて、ノーテンキに紛糾しているのは日本ぐらいのものだ。
こういうぎゅうぎゅうづめの先進社会に生きる人間の宿命として、そういうこともあるだろうなと、日ごろからあきらめておくほうが早いや。

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今朝の新聞

こころ安らかに生きたいと念願しているわたしなのに、今日は早朝からまた血圧が上がりそうな新聞記事。
ウチの新聞の3面をぜんぶ使って、ふたりの大学教授という人が集団的自衛権について対談してるんだけど、ふたりとも日本政府の行き方には反対の立場。
こういうふたりが対談をするのだから、内容は政府はケシカランで意気投合。
つまり反体制を自認するウチの新聞のタイコ持ちみたいな記事だ。

べつにこういう意見の人がいたってかまわないけど、飲み屋で上司の悪口をいってウサ晴らしをしているサラリーマンみたいな、こういう馴れ合い対談になんの意味があるんだろう。
反体制的で知られるウチの新聞をわたしは愛読してますけどね。
でも自分の主張のために、ヒモつきの公明党を頼りにしたり、こんな大学教授をひっぱり出すの止めてくれる?
ふたりの大学教授に謝礼を、まさか払ってないと思うけど、これでいくらかもらってるとしたら、うん、大学教授のアルバイトとしては割がいいほうじゃないか。
あの吉野屋だって、アルバイトの時給は1000円ぐらいだぞ。

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2014年5月24日 (土)

アンジェラ・ブラウン

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「セント・ジェームス病院」 という米国のブルースが好きだということは、このブログに書いたことがある。
ヒマにまかせて、YouTube に載っているこの曲のカバーをかたっぱしから聴いてみた。
日本でこの曲を知っている人がどのくらいいるか知らないけど、あちらでは禁酒法時代から歌われていた有名な曲らしく、歌っている歌手や演奏しているグループは、さまざまな分野からそうそうたるものである。
ジャズ畑からはルイ・アームストロングの演奏が有名だし、ロック歌手ではエリック・バートンのアニマルズから、ポール・バターフィルド、エリック・クラプトンなんかも演っている。

今回聴いた中ではアンジェラ・ブラウン (Angela Brown) という歌手の歌がピカ一。
わたしはこの歌手を知らなかったんだけど、YouTube の映像でみると、ビッグ・ママやエラ・フィッツジェラルドみたいなたくましい黒人の女性歌手で、ライブハウスみたいなところで派手なパフォーマンスをしながら歌っている。
だからたぶん、あちらでは有名なソウル歌手なんだろうと思った。

ところがさらに映像を追求していたら、ドレスアップしてクラシック (オペラ) のコンサートで歌っている映像が見つかってしまった。
ということは、本職はオペラ歌手なのか。
もしかすると同名異人かもしれない。
顔を見ればわかるだろといわれそうだけど、クラシックとライブハウスにいるときではだいぶ雰囲気がちがうし、顔まで別人に見えてしまうのでワカラン。
グーグルで顔写真を検索すると、若いころの写真もごたまぜでよけいワカラン。
まあアメリカの歌手、しかも黒人歌手なら、ジャンルがどうのとこまかいことは気にしないかもしれない。
とにかく彼女の歌う 「セント・ジェームス病院」 は、すばらしい熱唱で感動的である。
こういう歌を発見すると、生きていてよかったとつくづく思う。

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2014年5月23日 (金)

稲村岩

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夕刊に登山家の重廣恒夫さんという人が
「みなさんの近くにもいい山がたくさんあります」
「自分で行きたい山を見つけて登りませんか」 と提言している。
それを聞いて思い出した。

奥多摩の日原村から渓流をはさんで目の前に、コッペパンを立てたみたいなユニークな岩山がそびえている。
山というに値しないような中途半端な大地のでっぱりなので、名前も稲村岩というそっけないものである。
半日コースのハイキングで登るに好適なくらいの山だ。
もちろん登山家に知られた山じゃないだろうけど、わたしはこういう、世間から相手にされていない不遇な山が好きである。

そのかたちに魅かれ、とんがったてっぺんに何があるだろうと好奇心にかられ、ある日弁当を持って登ってみた。
とはいっても、これはいまから25年もまえの、思い出に属する話である。

登山コースは稲村岩の背後にまわりこみ、鷹巣山から続く鞍部から、アリの戸渡りみたいなところを伝ってゆく。
ここは海岸によくあるような、侵食されてギザギザになった岩が屏風みたいに続くところで、ちっとは岩登りの気分が味わえる。
これを越えると稲村岩の頂上だ。
石がごろごろしたせまい山頂からは、日原村やその近くの石灰採石場が眼下に一望に見えて、見晴らしはなかなかのもの。

山頂には、御神輿に乗せるのにちょうどいいくらいの祠がふたつあったけど、そのひとつは傾き、もうひとつは仰向けにひっくり返っていた。
転倒している祠を起こしてやろうかと思ったけど、日本の神さまは遊びの邪魔をされるのがきらいであると思いおこしてやめた。
遠野物語には、お地蔵さんを縄でひっぱって遊んでいた子供たちを大人が叱ったら、あにはからんや、叱った大人のほうにバチが当たったって話がある。
日本の神さまはへそ曲がりが多いから、さわらぬ神に祟りなしっていうのはこのへんから来たのかも。
頂上のありさまは、何となく神さまたちの寄り合いの後のようであった。

わたしもだいぶトシをとった。
稲村岩は現在のわたしにふさわしいレベルの山かもしれない。
あの神さまたちはどうしているだろう。

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2014年5月22日 (木)

血圧147

なにかを書こうって気にならないのは、すでに棺桶に片足をつっこんだってことかもしれない。
あいかわらず後ろ向きのブログだけど、ネタらしいネタのない今日の新聞に瞠目すべき記事が!
いや、記事じゃなくて週刊文春の宣伝の中に、「『健康診断は受けなくて大丈夫』 は本当か」 という見出しがあり、「血圧147健康値」 がどうしたこうしたと。
そら見たことか。
血圧なんぞで心配するやつはアホさ、というわたしの信念が裏書きされたってことだ。
こういう記事を読むとほっとする。
安心して仕事に出られそう。
もう、あいかわらず憎まれるくらい元気です。

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2014年5月20日 (火)

保険屋

スーパーで買ってきたこぶりなアジの開きを焼いて、バリバリと音を立てて食べる。
ずいぶん乱暴な食べ方みたいだけど、骨ごと食べてしまうからバリバリだ。
おかげでこの歳になって、虫歯何本かと、事故でぶっ欠いて修理したさし歯はあるだけで、ほかはいちおう自前の歯ばかり。
病気をして保険金をもらったこともないから、保険屋さんにとっちゃいいお得意さんだ。

そんな保険会社からパンフレットを送っていいですかと電話があった。
興味はないけれど、てきとうに返事しておいたら、数日後にでっかい封書が届いてしまった。
それもほっぽらかしにしておいたら、説明に伺っていいですかと追電話。
どうせ来るならAKBみたいなカワイ子ちゃんを寄こしてくれと、人間もワタシくらいになると図々しい。
うちの外まわりはおばさんばかりですと、相手もなかなか正直。

指定日の指定時間にチャイムが鳴った。
どんな女の子が来たのかと期待してドアを開けたら、今年の大学卒業生みたいなリクルート・スーツの若者(男)だった。
これだけでもう不機嫌。

現在加入している保険のうち、ガン特約の部分をアップするなんてのはどうでしょうというから、ま、この歳までガンなんてものに抵触したことはないからなと返事をする。
いえ、40代、50代よりも60代、70代のほうがかかる可能性が高くなります。
しかも入院すると、平均して1日1万8千円ぐらいかかりますという。
なんだい、その平均てのは。
たとえばお見舞いにきてくれた人にタクシー代を払ったりします。
たまげた。
いつから見舞われた人が、見舞う人に日当を払うご時世になったんだ。
わたしが知らないだけで、これが当節の常識なのかねえ。

ふざけるなということで、もちろんこの特約は無視したし、保険会社が人をオドカして勧誘をはかるってことがよくわかった。

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2014年5月19日 (月)

運動靴

昨日は運動靴を買いに行った。
べつにスポーツをしようってだいそれた考えではなく、ようするに普段ばき、街へ出るにも、ちょいとした山歩きにも、なんでも使うスニーカーとして。
わたしにはひとつ希望があったんだけど、いっしょに行った知り合いが流行に敏感なヒトで、いや、流行りものに流されやすいヒトで、こないだテレビで見た、底が波型になっているやつがいいと、行くまえからうるさい。

店に行ってうんざり。
絶滅寸前の恐竜みたいに、わたしからするとゲテモノとしか思えない、派手な色とデザインの靴ばかりだ。
知り合いが波型底の靴を探してみたけど、この店には置いてなかったみたい。
だいたい、アンタはねとわたし。
靴底の材質だとか、かたちだとか、新機能だとか、たかが運動靴にこだわりすぎる。
もうン十年も使っていて、そんなに大事にしてもらうような足じゃない。

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もっとシンプルな靴がいいとごねる。
じつはわたしの希望というのが、40年以上まえの宮谷一彦のマンガの中で、ロック・バンドのドラマーがはいていた3本ストライプの運動靴。
添付したのはネットでみつけた写真だけど、コレコレ、ゲテモノの中でさんぜんと輝きそうなシンプルな運動靴だ。

いろいろ調べてみたら、横に3本ストライプの入った運動靴はアディダスが商標権を持っているんだそうだ。
でもここに添付した画像はムーンスターという国産メーカーの製品らしい。
国産メーカーといっても製造は中国かもしれない。
いろいろややこしいけど、でも40年以上まえに、いまみたいに運動靴のメーカーにこだわる文化があったっけ?
わたしは田舎者だから、サイズが合えば、そしてマンガの主人公に似ていれば、なんだっていいやというスタンスだったけど。

けっきょく添付画像ほどシンプルな靴は売っておらず、似たような靴でガマンすることにした。
ところでわたしの履きものに影響をおよぼした宮谷一彦画伯はまだ生きてんのか。

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2014年5月16日 (金)

ホットリップス

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今日のウチの新聞は、1面全部と、ほかのページも大々的に使って、「集団的自衛権行使へ転換」 に抵抗するための大特集だ。
憲法学の東大教授や、もとの自民党議員さん、影響を受ける企業、投書したがる国民などを動員し、戦争への道だ、立憲主義の危機だなんて意見を並べているから、なんかとてつもない事件のように思えてしまうけど、これはウチの新聞だけを読んでいるからで、たぶん世間にはそう思わない人も多いにちがいない。
ちがいないどころか、そう思わない人のほうが多いに決まってる。
つい先日、南シナ海での中国の横暴を見せられたばかりではないか。

それはさておき、今日のウチの新聞は上記の転換を阻止するために、公明党までひっぱり出した。
創価学会の大作サンの本に平和を愛するなんてことが書いてあるんだそうだ。
そうか、そうだったのか。
公明党ってのは創価学会とつながりのある政党だったのネって、いまごろ知ったような顔をするけど、そういう政党の手も借りなくちゃ主張が成り立たないなんて。
朝日新聞はキライじゃないけど、苦し紛れにそのへんの猫の手も借りるってのはやめてくれんかねえ。
宗教団体のトップの意向で、右を向いたり左を向いたりなんて、これぞ衆愚政治の典型じゃないか。
風向きが変わったとき、いちばん危険なのはこういう人たちだ。

このさい公明党は与党を離脱すべきだなんて意見も多いけど、それができないことは公明党の幹部がいちばんよく知ってるだろう。
なんたって、野党に転落したら、その他大勢のひとつ、影響力皆無の外野勢力になるだけだもんね。
そりゃ大作サンが許さないにちがいない。

こういうご時世には花の写真でも添付しているほうが気が楽だ。
近所の川岸に咲いていた、やたら派手な花。
こんな派手な花が自然のままで咲くわけはないから、近所の人が公共の敷地に勝手に植えたものらしいけど、これはホットリップスという花だそうだ。
言い得て妙だねえ。
ものいえば唇寒しってことわざ通りになるかな。

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2014年5月15日 (木)

醜悪

ちょっとまえの新聞に、有名な画家の最近の写真が出ていた。
しばらく見ないでいたら、白髪の無精ヒゲをのばし、ひたいには黒いシミがいくつも浮かび、なにか病気でもしたのか、パンパンにふくらんだまん丸な顔の、はっきりいえば醜悪な老人になっていた。

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画家という職業のよさは、ふつうの人なら定年になった歳でも仕事を続けられることだし、彼ほど有名なら食うに困ることはないにちがいない。
でも、この人ももはや人生になんの楽しみも見い出せないんだろうなあって思ってしまう。
創作や思索に生きがいを見出すというと聞こえはいいけど、老人のそういうものはたいてい、人生についての悔いや煩悶から生じるもので、そうでなければ惰性でやっているようなもんだ。
そんなもので明日も元気に生きようという活力がわくはずがない。

他人がどうなろうとわたしがかかわる問題じゃないけど、わたしはそんな複雑な人間ではないから、女の子に相手にされないトシになったら、これは生きていても仕方がないなと、以前からそう思っているのである。
わたしもそのうちこの画家と大差のない老人になるだろうから、しみじみ。
介護が重大な社会問題になる時代に、わたしはどうやって生きりゃいいのかって、いろいろ考えてしまうよな。

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2014年5月14日 (水)

トキワツユクサ

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目をギラつかせながら、どこかにめずらしい花が咲いてないかと探しまわっているワタシ。
6月に田植えをする予定の田んぼのへりで、見かけないちっちゃな花を発見。
白い花びらが3枚で、大きさは1センチちょいくらい。
調べてみたら、トキワツユクサという花だった。

ツユクサというと青い花で、花びらは2枚という印象があるし、野山ではぜんぜんめずらしくない花である。
トキワがつくと、過去に見たおぼえがない。
おお、これはと、新種を発見した博物学者の心境。
ただしネットによると、繁殖力のひじょうに強い植物だそうで、群生した写真も見つかるから、わが家の近所は例外なのかも。

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マクロでながめると、おしべのまわりにもしゃっと毛が生えていて、よく考えたら、むかし顕微鏡の学習でのぞいたムラサキツユクサに似ていた。
ただ、ムラサキツユクサはけっこう背丈があって目立つ植物だけど、こちらはほんとにヒッソリ。
そういうわけで、けっしてめずらしい花ではなく、これまでも毎年咲いていたのに、ウカツなわたしは気がつかなかったらしい。

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2014年5月12日 (月)

編集委員さん

昨日のウチの新聞で、特別編集委員て人がかなり長い記事を書いていた。
表題は 「ロシアとどう向き合うか」 というもので、委員サンは自分の過去の経歴 (ソ連担当の記者だったこと) や、上司、もと駐ロシア大使などの意見を持ちだして、最近のロシアの非道ぶりを説明しているんだけど、これが日本を代表する新聞の書くことかと、その浅読みにおどろいてしまう。

この編集委員さんはもっぱら他人の意見を参照しており、彼の上司のもと記者にいわせると、プーチンはナショナリズムという虎に乗って暴走してるんだそうだ。
また、もと大使にいわせると、ロシアは国名が変わっても拡張主義は変わらない国だそうだ。
ホントかね。
と、ワタシみたいな素人でも思ってしまう。

わたしの見るところ、ウクライナの併合騒動は、もともとプーチンには限定的な作戦だったように思える。
円満な夫婦だと思っていたウクライナが、いきなりほかの男に走れば、せめて結納金ぐらい返せといいたくなるだろう。
プーチンがクリミアを返せといったのはそのていどのことで、それ以上拡張させるつもりがなかったことは、今回の親ロ派の住民投票の内容でもあきらかじゃないか。
なんでも投票用紙はプリンタで打ったお粗末なもので、選管のハンコも押してないだらしないものだそうだ。
これじゃつい最近選挙をした、ワタシの所属する小規模団体のほうがまだマシだ。
金持ちのロシアが投票を支援してないことはあきらかだし、プーチンは暴走する親ロ派に対して、住民投票は待てとまでいってるじゃないか。

いったいなにを根拠に、現代のロシアは拡張主義だというんかね。
ナショナリズムを政治に利用するのは、日本の安倍クンだってやってることだろ。
今回の騒ぎはプーチンにとっても予想外の展開をみせているようで、彼がふだんからそれほどナショナリズムを対外政策に活用しているようには思えない。
そんなものより天然ガスの輸出のほうが、他の国への政策戦略としては有効だ。

編集委員さんの記事では、プーチンの今後について、欧米の経済制裁で、ロシア経済が低迷するかもしれないなんて書いているけど、アホいっちゃいけない。
国民の顔を伺わねばならないオバマ君がいいだしたアメリカ主導の経済制裁から、早く抜けたいと考えているのは、ドイツ、日本だけじゃないだろう。
ロシア国民が経済制裁ていどでへこたれないことは、第二次世界大戦が証明しているし、現在の北朝鮮を見たってわかる。

ロシアやウクライナの複雑な国内事情をかんがみないで、これじゃあとても編集委員の資格はないぞ。

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痛恨のきわみ

iPod の中に音楽を詰め込んで聴いている。
先日はたまたま、ギル・エバンス・オーケストラが演奏するジミヘンの 「ジプシー・アイズ」 という曲を聴き直してみた。
そして痛恨のきわみという出来事を思い出した。
ギル・エバンスがジミ・ヘンドリックスといっしょに演奏する予定が、寸前のジミヘンの死亡で流れてしまったことである。
ギルのほうは、かってマイルス・デイビスと組んで、ジャズ・コンチェルトの傑作を発表した人だから、これが実現すれば歴史的傑作が生まれていた可能性がある。
ロック (とジャズ) を愛する団塊の世代にとって、いま考えてもかぎりなく残念としかいいようがない。

上記の 「ジプシー・アイズ」 は、ジミヘンが作った曲を、ギル・エバンスのオーケストラが演奏したもので、もちろん作曲家本人は参加してないけど、がむしゃらに弾きまくるジミが、洗練されたジャズ・オーケストラの上でどんな演奏をしたか、わたしはそれを聴いてみたかった。
音楽は空中に消えて2度ととらえることができないといったのは、エリック・ドルフィー。
夢も空中に消えて2度と実現することはないと、残念しごくなのはワタシとその同世代。

もうひとつ、当時のことで気になっていたこと。
クリームというスーパー・グループに凝りまくっていた当方としては、メンバーのその後が気になっていた。
メンバーのひとり、ジャック・ブルースがその後カーラ・ブレイのバンドに参加したことは、もっぱら彼の動向の追跡調査から知った。
主役のカーラ・ブレイが、フランス映画の主人公のような美女であることも、こんな具合に追跡していって知ることとなった。

彼らはジャズ・オペラみたいな大作を発表しているけど、これはドン・チェリーやチャーリー・ヘイドンのようなジャズ畑の演奏家、ロック畑のリンダ・ロンシュタットみたいな歌手まで参加した、なんだかよくわからないアルバムである。
わからないけどおもしろそうなので、これをライブで観たかった。
残念ながら彼らの演奏は記録映像としては残ってないようだ。

そう考えて、そうか、YouTube があるじゃんと思い当った。
調べてみたら、カーラ、ブルース、それに当時一世を風靡したジョン・マクラフリンがリハーサルをしている場面らしい映像が見つかった。
4分ほどの短い映像だけど、これがあるおかげで、こちらはなんとか痛恨のきわみにならないですんだ。

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2014年5月11日 (日)

無害動物

ちょっとまえの夕刊に木村伊兵衛さんの記事。
伊兵衛さんは、新聞の見出しによると 「今日的写真の先駆者」 ってことである。
そんなことは知っている。
当然ながら “よいしょ記事” になっていることも、まあ、仕方のないことだ。

新聞には伊兵衛さんの隅田川の花火や、月島の子供たちのスナップが掲載されていた。
うらやましい。
わたしも彼と同時代に生まれたかった。
いまじゃヘタに子供にカメラを向けると、親がすっとんでくる時代だ。
こういう親に、なんで撮ってはいけないのかと訊くと、裸にして写真を撮る不届きものがいるからとでも答えるのだろう。
そんなことはありませんと弁解しても、このあいだ子供を預かって死なせたベビーシッターの男のように、じっさいにそういうことをする馬鹿がいるからむずかしい。

仕方がないから若い娘の写真なんかは隠し撮りをする。
するとさらに不審がられる。
がられたくないから、ますます深くひそかに潜航することになり、こちらの目つきもますますイヤらしくなる。
それはべつの問題だろうといわれるかもしれないけど、かくもスナップにとって現代はじつに不遇な時代なのだ。

こうなったら政府に、「無害動物です」 という鑑札でも発行してもらうか。
するてえと政府の認可事業がまたひとつ増えることになり、役人の天下り先が増えることになって、そういうことにカシカラン主義のわたしの信条に反することになってしまう。
たかが写真ぐらいでも、すっきり解決する問題はなかなかないものだ。

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2014年5月 9日 (金)

一強独善

明日はわたしの所属する団体の総会というものがあって、役員選挙があるんだそうだ。
へえ、こんなところにもサル山の政治の縮図みたいなもんがあるんだねって、そう思っているのはワタシだけか。
身内のそういうことにはぜんぜん興味がないんだけど、国際情勢のほうは目がはなせないぞ。

集団的自衛権というと、目下の日本の世論を二分する、いや4・6か、3・7分けかもしれないけど、大きな問題だ。
そこへこれを推進する安倍クンにとって強力な助っ人があらわれた。
ほかならぬ中国である。
今回の中国とベトナムのトラブルを見ていれば、誰だってこれはヤバい、やっぱりアメリカと仲良くしておかなくちゃと思う。
いざとなったらアメリカに後ろ盾になってもらう。
そのためにはアメリカの戦争の応援もしなくちゃまずい。
かくして集団的自衛権を肯定する国民ばかりが増え、反対派のニガ虫を噛みつぶした顔が見えるようだ。

中国にとっては敵 (日本) に塩を送る結果だけど、あの国はますます一党独裁、いや、一強独善だからね。
周辺国家をぜんぶ敵にまわしてもかまわんと、態度がますますでかくなるのがコワイ。

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2014年5月 8日 (木)

幸喜クン

木曜日の夕刊に劇作家・演出家の三谷幸喜クンがエッセイを連載していて、毎週毎週これでもかってぐらいヨイショ記事を書いている。
彼の立場からすれば、自分の劇に出演する役者をけなすわけにいかないことはよくわかるけど、わたしみたいな皮肉屋からすれば、他人を褒めすぎるってのは薄気味悪い人間関係を連想させるだけだ。
いつだったかは、役者ばかりじゃなく、人形浄瑠璃の人形にまでおせじをいっていた。

万事こんな調子で、しかもいささか大量生産じゃないかと思えるくらい劇や映画を生産しているところをみると、はたして彼の劇ってほんとにおもしろいのかなと疑問を感じてしまう。

劇は観たことがないけど、彼の映画ならちょっと観たことがある。
とちゅうで投げ出したから、作風がビリー・ワイルダーに似ているかどうかわからないし、わたしの好みじゃないことだけはわかった。
でも彼をけなすのは本意じゃないし、これはたんなるワタシの感想ってことにしておこう。

そんな彼が、今日の夕刊ではタケノコご飯の作り方を書いていた。
なんだかホッとする記事だ。

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タイの事情

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混沌とした世界情勢の昨今は、わたしみたいにノーテンキな旅行好きにも、ひしひしと実感としてせまってくる。
ウチには旅行会社からせっせとパンフレットが舞い込むんだけど、かってドル箱だったエジプト・ツアーが、最近はとんと募集してないものな。

残念なことだと思っていたら、今度はタイで混乱だそうだ。
美人のインラックさんが失職だって。
首相が、契約社員のように、あっという間に解雇されるなんてことがありうるのか。
ありうるんだろうな。
東南アジアだけではなく、途上国なんかには、政治ってのは儲かる商売だと思っている政治家が多いからねえ。
そういう国で、民主主義だの常識だのヘチマだのって議論はムダだ。
こんなのを見ていると、まじめに政治をしている日本の政治家のエラさがしみじみ。

タイだってドル箱だぞ、旅行会社にとっちゃ。
こうやって混乱する国が増えてくると、べつの意味で地球がどんどん狭くなるような気がする。

添付した写真の、どこかの局の女子アナかとみまごう美人がインラックさんだ。
イロ気にとぼしいASEAN首脳の中では貴重な華だったんだけどねえ。
ASEANがこんなふうにゴタゴタしていたんでは、ベトナムが持ち込もうという揉めごとに対応できないじゃん。

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2014年5月 7日 (水)

客人

昨夜はワタシのうちに客人があった。
最近わたしのまわりにはビデオの編集に凝っている人が多く、彼もそのひとり。
いやぁ、ちょっと訊きたいことがあって仕事まえに寄ったんだといい、仕事をお っぽり出してネクタイのまま朝までいすわり、ワタシの作ったスパゲティを食べ、ようやく完成した映画を、今度の土曜日に友人たちに公開するんだといって、意気揚々と帰っていった。
奥さんに怒られなければいいが。

でもその気持ちはわかる。
自分が編集した映画の最後に 「制作/どこのなにそれ」 と名前を入れるときの晴れがましさ。
友人たちの驚く顔を想像するタノシサ。
じっさいには、驚くのは最初だけで、すぐにみんな飽きて関心を持たなくなるのが普通なんだけど。

さて、わたしも連休が終わって、そろそろやる気のスイッチを入れなけりゃいけない。
でも弛緩した頭がぼうっとしたままで、今日もけっきょく頭を使わないブログで終わりのよう。

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2014年5月 6日 (火)

お気楽

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昨日は立川まで出かけて 『ネイチャー』 という3D映画を観てきた。
ついでに昭和記念公園でポピーが満開だそうだからそれも見た。
晩メシは駅ビルで酸湯ラーメンだ。

という塩梅で、事実をたんたんと書くだけ、思想も哲学もない、また頭を使わないブログだ。
写真も iPodで撮ったものだから、頭だけではなくパソコンも使わない。

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2014年5月 4日 (日)

花みっつ

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ぶらぶら散歩。
頭を使わないブログ。

最初の写真は、以前にもとりあげたけど、この季節になると近所のテニスコートのわきに群れをなして咲く花。
そのときは名前を調べるのがうっとうしいというんで、写真しか載せてなかったヒルザキツキミソウ。
つぎはマクロでながめたカラスノエンドウ (ヤハズエンドウ) で、本体は1センチもない小さな花。
マメ科の植物だから根っこにたくさんの根粒をつけている、ということを小学校で教わったおぼえがある。
最後の、イロ気にとぼしい花はヘラオオバコという草だそうだ。

・・・・・・もう味も素っ気もないブログ。
連休だっていうのに頭なんか使ってられない。

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2014年5月 3日 (土)

ウオッカ

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たまにアルメニア・コニャックを買うネット通販の酒屋からウオッカが届いた。
アンケートに答えるとタダでもらえるもので、たぶん宣伝用ボトルかミニボトルみたいなものだろうと思っていたら、500ミリリットルの本格的なものだった。
ウレシイ。

とはいうものの、わたしはウオッカがあまり好きではない。
でも、ジンもそうだったけど、最初は呑みにくい酒というものはあるものだ。
ジンもそうだったけど、呑みなれてくるとやみつきになる酒というものもある。
これもそのうち、また呑みたいと思うようになるかもしれない。
すると結果的にこの通販会社の注文がふえるかも。
だとすれば、この通販会社、輸入と販売をしているこの会社、の店長さんは上智大学出の美人(らしい人)だけど、男ごころを籠絡するのがなかなか上手な人だ。

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2014年5月 1日 (木)

うるさい?

ゴールデンウィークにわたしみたいなおじさんが働くのは罪である。
わたしが稼げばそのぶん若い人の稼ぎが減るわけだ。
働かざる者遊ぶべからずというわけで、あいかわらず家にひきこもり中。
ここんところそんな日ばかりなので、さすがに退屈。
図書館にでも行くか。
と思って調べてみたら、昨日は行きつけの駅前プレイス(武蔵野市立図書館)は休館日だった。
今日はたぶん出かけると思う。

日本の図書館には不満がある。
先だって、例によって iPodで音楽を聴きながら本を読んでいたら、係りの女の子が絶望的な表情で、哀願するような顔で、やめてくださいという。
彼女にお願いされるようなおぼえはないから、なにかと思ったら iPodの音楽が洩れているんだそうだ。

ホントかよ?
あわててイヤホンをはずしてみたけど、わたしの耳じゃ辛うじて聴こえるていどだ。
iPodを持っている人は試してほしいけど、たぶんまわりの人にも蚊の泣くような音にしか聞こえまい。
そんなくらい、いいじゃねえか。
音楽を聴きながら本を読むことに極上の至福を感じているワタシとしちゃあ、こんな些細なことにいちゃもんをつける図書館がキライ。
どうして日本人はそんなつまらないことを気にするんだろう。
可愛い女の子に文句をいう勇気もないから、だまって引き下がりましたけど、ホント、キライです。

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