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2014年5月30日 (金)

ウォークマン

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引き出しの奥からソニーのウォークマンが出てきた。
いったいいつごろ買ったものかぜんぜんおぼえてないけど、記録媒体がカセットテープだから、たぶん1990年ごろに買ったものだろう。
まだウインドウズ95がデビューするまえだ。
どうも最近わたしの部屋から、人類の世界遺産みたいなものがぞろぞろ出てくる感じ。
それはちとオーバーだけど、このへんからまた哲学的に思索を飛躍させるのがわたしのブログだ。

現代のソニーの凋落ぶりを説明するのに、よくウォークマンが引き合いに出される。
アップルのジョブズ君が、わたしだったらもっとコンパクトで便利な携帯プレーヤーを作れるとヒントを与えてくれたのに、モーター駆動のウォークマンに固執し、結局それがソニーの落ち目の始まりだったそうである。
巨大化して小回りのきかなくなった企業の、典型的な没落ケースだという人もいる。
しかしこれについてはソニーに同情すべき点もある。
長年技術をみがき、ようやく世界的ヒットをした商品をさらりと捨てて、ヘタするとこれまで格下とあなどっていた敵と同じスタートラインに立つなんて、誇り高き技術者集団にできることではない。

ソニーにとっちゃ気のドクだけど、わたしにとってはありがたい時代である。
現在のわたしは、どこへ行くにもiPodを持っていくけど、その便利さは (音楽だけにかぎっても) かってのウォークマンとは隔絶の感がある。
音楽が1曲3分としても、カセットテープでは、120分用を使ってさえ40曲しか入らないのに対し、iPodではうすべったいボディに、1500以上の音楽が入れてあるのだ。
現代は、ひとりの人間が一生かけて聞いた音楽を、すべて、胸のポケットに入れて持ち運べる時代なのである。

ソニーはウォークマンだけじゃなく、その中に入れる音楽コンテンツの制作もしている。
そういうところが著作権もなにも無視・軽視というアップルの行き方を真似できるもんじゃない。
コンテンツをどうやって売るか、どうやってコピーをふせぐか、どうやって利益を上げるか。
機材とコンテンツの両立を図っているうち、社運まで傾いてしまった。
いくら敵から塩をめぐんでもらっても、それを活用できなかったのがソニーの悲劇だ。

もはや役に立たないセミの抜け殻のようなウォークマンを見るたびに、これだって買ったときはけっこう高かったんだぜというぼやきもさることながら、アップルとソニーをダビデとゴリアテの図式になぞらえていろいろ考えてしまう。

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