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2014年6月

2014年6月30日 (月)

西表島/浦内川クルーズ

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サンゴ礁の海とならんで、今回の旅でもっとも手つかずの自然に肉薄したのが、浦内川クルーズだ。
これは上流にあるマリユドゥの滝、カンピレーの滝へ行くために、河口の船着き場と、上流の船着き場までを結ぶ連絡船なんだけど、まるでアマゾンの熱帯雨林を船で行くようなめずらしい体験ができる。

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30年まえの記憶を引っ張り出してみると、夏のシーズンには往来するクルーズ船が多いから、帰りは何本も出ている船のどれでも適当なもので帰っていいことになっていた。
ところが今回はキビシく、行くときに帰りの船をちゃんと決めておいて、その船で帰らなければいけないという。
過去になにか乗客が行方不明になるようなトラブルがあったのかもしれない。

帰りの船にアクシデントがあった場合はどうしよう。
そんなことはありえないと思うけど、たとえば歩いて帰ってくることはできますかと、試しに訊いてみた。
笑っちゃいけない。
大震災のときは多くのサラリーマンが徒歩で帰宅した。
あらゆる場合に対処しておくことは、登山家の常識である。
徒歩でもどってこれるなら、森の中を歩いてみたいと思う気持ちもすこしある。

帰ってこれますよ。
ただ、3日か4日はかかるでしょうと、船着き場にいたトレッキング・ガイドらしい快活な青年が答えた。
クルーズ船に乗っている時間はせいぜい20分ぐらいだけど、そのあいだ、陸地はすべて樹木の密集した亜熱帯の森なので、重装備の登山者でないかぎり、この森を踏破するのは困難であるようだ。                                                                            

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浦内川は西表で、いや、沖縄でいちばん大きな川だそうである。
船の操舵手の若者はガイドをかねていて、いろいろ説明をしてくれる。
河口からしばらくは海水と真水の入り混じった汽水域で、両岸はびっしり生い茂るマングローブの森である。
マングローブというのはひとつの木の名前ではなく、汽水域に好んで生える植物の総称で、西表のマングローブはオヒルギ、メヒルギ、ヤエヤマヒルギの3種が80パーセントを占めますと、これはガイド君の説明。
川は大蛇のようにまがりくねっていて、平底の観光船はその上をすべるように進んでいく。

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ハワイで似たようなクルーズ船に乗ったことがあるけど、こちらはテーマパークではなく、本物のジャングル・クルーズだ。
マングローブの背後はヤシ、ソテツ、アダンなど、南国ふうの植物を含むうっそうとした森である。
とちゅう水辺から森の中へ4つ足の獣が走り去るのを見た。
大きさからしてヤマネコではなく、イノシシのようだった。
ヤマネコは絶滅を危惧される希少種だからめったに見られないけど、イノシシは数が多く、ときどき狩られてカレーの鍋に入ったりしているそうである。

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ガイド君が、ここは 「犬の子3匹」 という淵ですと説明する。
むかしここで泳いでいた子イヌが3匹、とつぜん行方不明になりましたとのこと。
つまりこの川には巨大な怪獣がいて、3匹を丸呑みにしたのだということらしい。
そういえば浦内川についていろいろ調べていたら、河口で刺し網に巨大なサメがかかったそうで、ネットにその写真まで載っていた。
怪獣の正体はこれだったかもしれないけど、かわいそうにこのサメは、湯引きをして酢味噌で人間に食べられちゃったそうだ。

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沖縄でいちばん大きな川といっても、クルーズ船が行けるのはとちゅうまでで、あとは岩がごろごろした渓流になってしまうから、ふたつの滝へ行くためには船の終点から山道を歩かなければならない。
そのために来たのだから、もちろんわたしは歩くのである。

このときのクルーズのようすを2分ほどのショート・フィルムにして YouTube に上げてあるので、どうしても見たい人は以下のアドレスか、River Urauchi で検索すること。
https://www.youtube.com/watch?v=W7Is6LYLs0s

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アナと雪の女王

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わたしは知る人ぞ知る3Dアニメのファンなんだけど、それをいつもはフンッといって馬鹿にする知り合いが、めずらしく向こうから観たいと言い出したのが 「アナと雪の女王」。
で、昨日はその鑑賞に行ってきた。
わたしは3DアニメでもSFっぽいものが好きだけど、「アナ」 は乙女チックなファンタジーらしいので、あまり気がすすまなかった作品である。

今回は立体、つまり画面から飛び出す方式のほうが上映終了で、飛び出さない3Dである。
このへんがややこしいけど、最近は画面から飛び出す映画が増えてきて、知り合いはこっちのほうを3Dアニメだと思っているようだ。
飛び出さないころからのファンであるわたしは、「トイ・ストーリー」 や 「ニモ」、「モンスターズ・インク」 みたいな映画は、飛び出さなくても3Dアニメだと思っているので、なんか新しい呼び名を考えてもらわないと話が混乱していけない。

しかも音声は日本語に吹き替えずみだった。
どうせ英語版だって声はあとから入れてあるんだから、なんでもいいやってものだけど、売りモノの歌のシーンが、伴奏が邪魔して歌詞をよく聞き取れない。
おかげで最初のほうはストーリーもよくわからない。
小さな子供も観る映画なのだから、そのあたりを考えてほしかった。

タイトルバックをながめて気がついたのは、ディズニーが総力をあげた映画らしく、とうとうピクサーのピの字も出てこなかったこと。
ピクサーのスタッフはどうなっちゃったのか。

そんなことはどうでもいいことで、映画は、唐突に道化役のスノウマンや沢庵石みたいな石器人の集団が出てきたり、雪と氷でできた2本足歩行のモンスターが襲ってきたりと、ディズニー映画のワンパターンを踏襲した部分があるものの、大人でも十分に楽しめる感動作だった。
派手で、華麗で、幻想的で、3Dアニメもとうとうここまで来たかという技術的興味もある。

「アナ」 のまえにアンジェリーナ・ジョリーが、いかにもワルそうな魔女に扮した映画の予告編があって、これもファンタジーみたいだけど、生身の人間がCG (コンピューター・グラフィック) 製の怪物とからむと、どうも妙な偏見が先に立っちゃって、わたしにはホラーとしか思えなくなってしまう。
「アナ」 の登場人物は、人間とあまり変わらないプロポーションなので、一歩まちがうと生身の人間がやったって同じじゃんと思いたくなってしまうけど、これがファンタジーとホラーの分岐点だな。
いくらか頭でっかちで目ん玉が大きい、これぞアニメというキャラだけで、やはりわたしには、「アナ」 は素敵でかわいらしいファンタジーに思えてしまう。

スタジオ・ジブリの2Dアニメの予告編もあった。
なんで宮崎アニメが人気があるのか、むかしから現代に至るまでサッパリわからんのわたしには、もういいかげんにさらせよってトコ。
3Dアニメの動きのなめらかさ、質感の豊かさ、奥行きの広さに対抗するためには、2Dアニメは画風そのものから、きわだって個性的なものにしないと太刀打ちできっこないのに、あいかわらず水でうすめたような写実主義的な登場人物ばかりだ。
金と名声が残っているうち、ピクサーのスタッフをジブリで吸収して、3Dに鞍替えしたらどうなんかね。
ちっとは 「アナ」 のヒロインの、そこはかとない色気を見習えと、そこまでいうと、あ、やっぱりオタクだと思われてしまいそう。

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2014年6月29日 (日)

西表島/海中道路

由布島をのんびり見物しているヒマがない。
天候をにらんで大急ぎでとって返すことにした。
帰りはおじさん暴走族化してやたらに飛ばす。
このバイクは時速35キロ以上で警告ランプがつくんだけど、それより出ていたかどうかは、官憲がコワイからはっきり書きませんけどネ。

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船浦港の近くに 「海中道路」 とよばれる海岸の堰堤の上をはしる道路がある。
ここまでくればもう上原までたいした距離じゃないから、安心してバイクを停めて景色をながめていくことにした。
堰堤のたもとからながめると、遠方の山の中に垂直に落ちる滝が見える。
これは 「ピナイサーラの滝」 で、ここまでトレッキング・ツアーも出ているそうだ。
おもしろそうだけど、わたしもそろそろ年寄りの冷や水になりそう。

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海中道路をゆるゆると走っているとき、水ぎわにゴミみたいな無数の黒い粒が集まっているのを発見した。
おお、これはひょっとするとアレじゃないかと、バイクを停め、土手を下りて近づいてみた。
写真がそれだけど、粒のひとつひとつの正体は、スナガニとかコメツキガ二と称される小さなカニだった。
このカニは砂の中のプランクトンなどを食べ、食べ終わった砂を小さな団子にして並べることが知られていて、そういえば本体は見えなくても、海岸にイモムシのウンチみたいな団子がびっしり並んでいるのをよく見かける。

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大量にいるから写真を撮るのはかんたんだと思うだろう。
ところがそうじゃない。
近づくとあら不思議、伊賀の忍者のように、わたしの周囲3メートル以内だけ、たちまちすがたが見えなくなる。
みんな穴の中にかくれてしまうのである。
しばらくじっとしていると、またそろりそろりと地表に出てくる。
最後の写真はネットで見つけたもの。
なんだかダニの集団みたいでいやらしいけど、由布島のシオマネキで失望したわたしは、はからずもこんなところで西表の自然の豊かさを確認したわけだ。

短時間のドライブだったけど、それなり収穫はあったなあと自賛しつつ、帰路につく。
船浦港の近くには、ぼんやり走っていると肝を冷やすような急カーブがある。
それまでがわりあいカーブの少ない平坦な道なので、ひやっとしたのはわたしだけじゃない。
由布島に行くとき、ここで対向車が大きく道路からはみだしたのを見たっけ。
西表まで行って事故保険のお世話になりたくなけりゃ、やっぱりあんまり飛ばさないほうがようござんすよ。

バイクを借りたガソリン・スタンドに行ってみたら、もう店が閉まっていた。
午後6時で閉店なんだそうだ。
こういう場合、どうすりゃいいんだ。

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2014年6月28日 (土)

玉琮

故宮の至宝展が開催だそうだ。
有名なものはなんでもホメるという世論にあらがうわたしとしては、いちゃもんをつけないわけにはいかない。
いっぽうで芸術を愛するわたしなので、至高の芸術に対していちゃもんなんておそれ多いことである。
さて、どうしょー。

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今回の至宝展では白菜の彫刻が売りモノらしい。
これは玉 (ぎょく) という石で彫られた彫刻で、たったひとつの原石から3D的な白菜を彫り出した逸品である。
しかも原石の色が場所によって異なるのを、じっさいの白菜の葉と白い部分に巧妙に生かして、おまけにその上にキリギリスまで乗っけたという凝った作品だ。

じつはわたしは台湾に行ったことがあり、台湾に行った旅行者はほぼまちがいなく故宮に連れていかれる。
故宮に連れていかれれば、とうぜん第一級の名品であるこの白菜を見ることになる。
そういうわけでわたしは過去にこの彫刻を見たことがあるのだ。

わたしの欠点は芸術に対しても好ききらいがあること。
絵画では抽象画があまり好きではないくせに、彫刻では逆に、ミロのヴィーナスのような特例をのぞけば、具象的なものが好きではない。
焼き物でも具体的な絵が描かれた九谷焼きや有田焼きより、偶然の産物のような美濃焼きや備前焼きのほうが好きである。

ずっと以前に大陸中国の上海博物館で、玉琮 (ぎょくそう) という玉製品を見た。
これは始皇帝よりさらにむかしの古代の王墓からの出土品で、四角い柱を何段にも分け、その表面に細かい文様を刻んだ、中国皇帝の権威を象徴するとされている宝物である。
どっちかというと抽象作品といっていいものだけど、これの芸術性に感動したハナシはさておいて。

玉というのは中国では黄金以上に貴重とされている鉱物で、硬度はダイヤモンドに次ぐぐらいという記事を週刊朝日で見たことがある。
そんな固いものに、おおむかしの人はどうやって細かい彫刻をしたのかと、記事はそのあたりを検証するものだった。
詳しいことは忘れた。

玉琮に比べると白菜はもっとずっとあとのもので、どうもこの時代には玉の彫り方は確立されていたらしく、上海博物館にも岩山とそこに生えている松の木、うごめく人間などをこまかく彫りぬいたでっかい玉の置物がある。
そしてこのあたりになると、精神世界より技巧を誇るものになっちゃったようで、いささかゲテモノぎみ。
みやげもの屋に連れていかれると、そこにもたくさんの玉製品があって、これは国家の重要芸術ですが、あなただけには特別にお売りしましょうなんてささやかれたりする。
うれしがって大枚をはたく日本人がたまにいるけど、ま、他人がどうしようと大きなお世話。

上海博物館の玉琮については、ひじょうに素晴らしいものだった。
表面に意味不明な文様が彫られ、じっと見つめていると半透明の玉の内部に引き込まれそうな魅力がある。
こんなものを部屋に置いて、ときどき表面をさすったりすれば、自分も宇宙の支配者になったような気分がすること請け合いだ。
博物館のショップで販売していたので、もっともこれは精巧なレプリカだったけど、つい買って帰りたいと思ったくらいだ。
しかしレプリカといえども、とうていわたしの財力で購入できる値段ではなかった。
仕方がないから、街の骨董品市場で500円ぐらいのまがいモノを手に入れて、不運なことにそれはまだわたしの部屋にある。
ここに載せた写真はまがいモノのほうだ。

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西表島/由布島

30年まえにもバイクを借りて、上原港の近くから東部の由布島まで走ったことがある。
由布島で見たもののうち、忘れられないのが、まえにも書いたシオマネキだ。
この島では潮が引くと、本島から牛車で渡れる広大な干潟があらわれる。
そのとき、この干潟に足の踏み場もないくらいのシオマネキがひしめきあっていて、わたしに強い印象を残した。
西表の生きものの豊穣さを象徴するあのシオマネキたちは健在だろうか。

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そこでまた由布島まで行ってみることにした。
走り出してすぐにわかったけど、このバイクは時速35キロも出すと警告灯がつく。
でもバイクで走るのが目的じゃないから、交通量の少ない道路をのんびり走る。
道路は海岸にそってはしっているので、とちゅうでいくつもの川を越えるんだけど、どの川も河口はマングローブの森になっていて、橋の上から見下ろすと、魚やカニなどなにかしらの生きものが見える。

走っているとき道路わきの木の枝に、アカショウビンがのほほんとしてとまっているのを見た。
あわててバイクをとめて写真を撮ろうとしたけど、当然ながら、カメラを取り出すころにはやっこさん影もかたちもなかった。
それでも西表島では、車で道路を走っているだけで、かたわらに貴重な野鳥を見ることもあるということはわかった。
イリオモテヤマネコに注意という看板もいたるところにあるけど、こちらはさすがに希少種で、絶滅が心配されているくらいだから、おいそれとは見られないようである。

船浦港の近くの海岸にはサギが群れていた。
道路のわきの茂みの近くではクイナを何度も見かけた。
もうそのころには、いちいちバイクを停めるのがメンドくさくなって写真は撮らなかった。
ま、鳥の写真を撮りにきたわけじゃないんだしと、いいわけをする。

由布島に着くころは、なんだか空模様がおかしくなってきた。
お手軽に移動ができるのはいいけど、バイクの欠点は雨によわいことで、降り出すと豪雨になることもあるのだ、この島じゃ。

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すこしアセって由布島の干潟をながめる。
時刻は午後の5時ごろで、すでに牛車は店じまいしていた。
それでもすそをからげて、じゃぶじゃぶと島と島のあいだを徒歩で渡っている観光客がいた。
本来ならもっと海底が露出するはずだから、干潮の時間帯ではなかったのだろう。
こちら側の海岸にマングローブは健在だったけど、どうも本島から由布島に渡る干潟に、牛車の足場をよくするため、よそから土を運んで盛り土がされたような形跡がある。
これじゃあシオマネキは生き埋めだ。
やはり期待したほどシオマネキの数は多くなかった。

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2014年6月27日 (金)

西表島/星砂の浜

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西表島は、全島に道路がはりめぐらされているわけじゃないから、レンタカーでまわるにはオーバーだ。
さりとて自転車でまわるにはちときつい。
こういうときはレンタルバイクにかぎる。
料金も安いし、50ccのバイクがあれば、2、3時間で島のはしからはしまで見てまわれるのである。

ということでバイクを借りた。
レンタル・バイクは上原港近くのガソリン・スタンドがやっている。
1時間で500円だ。

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最初に 「星砂の浜」 をめざした。
よく知られているけど、西表には星の砂があたり一帯をうめている浜がある。
星の砂というのは、海の中の有孔虫類というプランクトンが死んだあとの殻である。
下の写真はウィキペディアに載っていた走査型電子顕微鏡写真で、詳しいことはそれを参照のこと。

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サンゴといい星の砂といい、もとは海水中に含まれる炭酸カルシウムを生物が有効活用したものだから、海水中にはいったいどれだけの炭酸カルシウムが含まれていたのかと考えると、気が遠くなりそう。
地球の生きものが自らの手で酸素をつくりだしたように、これもまた生きものが、自らの手で地球の環境を整えていったということの有力な証明なのだろう。

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星の砂にも種類があるけれど、それは肉眼でかろうじて見えるていどの大きさ。
じっさいに星の形をしている。
めずらしいものなので、小さな袋に入れてみやげもの屋で売っていたり、おまけにくれる場合もある。
そのていどならまだいいけど、浜辺に行けばタダでいくらでも採れるものだから、都会人でこれをスコップで掘り出す輩があとを絶たない。
ずっとむかし、新婚旅行で沖縄に行った友人が、みやげだといってどさっと持ち込んできたことがあった。
わるいやつだと思ったけど、沖縄まで返しにもいけないから、それはいまでもわが家にあって、ときどきわたしに顕微鏡でのぞかれたりしている。

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そんな調子だから、今回星砂の浜に行ったときも、もうみんな掘り尽くされたあとではないかと心配していた。
でも半分は杞憂だったようだ。
海岸の砂をカメラのマクロで観察してみると、まだいくらか星のかたちが見える。
これはもともとは生きものだから、現在でも少しづつ浜に蓄積しているのではないか。
現在のようすでは、すでに掘り出しても採算のあわない事業になってしまったようで、それがかろうじて星砂の浜の命脈を保っている原因かもしれない。

まだ生きている状態の星の砂を見たいけど、このつぎに西表に行くときは顕微鏡でもかついでいくか。
そんなことを考えているうちまた余計なことを思い出した。
冬に北海道を旅して、雪の結晶が1センチちかくあるのにおどろいたことがある。
あれをなんとか溶けないように固定する方法があれば、あれもまた地域の有名な特産物になること必至なのにと思う。
いま問題の3Dプリンタなんか使っても、ムリかねえ。

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2014年6月26日 (木)

西表島/カンピラ荘

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上原港に着いて、さて宿探しである。
いまは梅雨の時期だからすいているだろうという予測は、石垣島でみごとにはずれたけど、なに、ここは西表島で、ここまで来る人はあまりいないだろうから、部屋はいくらでも見つかるだろう。
そう思って、まず港から正面に見える、こういうのをフランス風というのかもしれない、瀟洒な2階建ての民宿に行ってみた。
ふさがっていますという返事だった。

となりの民宿に行ってみたら、ここは誰もいなかった。
宿屋のくせに昼間誰もいないということは、ほかではあまりないみたいだけど、西表ではありうるらしい。
とほうにくれて反対方向へ歩いたら、建物の壁に大きく 「カンピラ荘」 と書いた民宿が目についた。
なんでもいいやとここへ飛び込んで、イッパツで決まり。
じつにかんたんに決まり。
そうかといってべつに不満のある宿でもない。
建物はこちらもフランス風?だし、港から近いし、近所にはスーパーもあるし、食堂もある。 飲み屋まである。

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カンピラ荘の主人は、ぜい肉をそぎ落した枯れ木みたいな人で、仕事熱心でなかなか親切である。
部屋は3千円からありますという。
わたしは勤労者だからいくらか見栄をはって、風通しのいい2階の部屋にしてもらった。
朝食だけついて1泊5千円くらいで、しかもバストイレつきだ。
写真がその部屋だけど、気持ちいいくらいなにもない (エアコンとテレビはある)。
まあ、へんに馬鹿ていねいなのも疲れていけないから、わたしにはこれで十分である。

問題は、といってもわたしの個人的な問題だけど、無線LANが使えないこと。
帰京してからの新聞に、日本は無線LANの設置が遅れているという記事があった。
いまや訪日する外国人が、ホテルを予約するときまっ先に尋ねるのが、無線LANは使えますかってことだそうだ。
上原港の桟橋では使えるし、そこまでカンピラ荘から徒歩5分だからどうでもいいようなものだけど、わたしみたいに寝ながら無線LANを使う人間には、はやくルーターがの設置があたりまえになってほしいものである。

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近所の偵察に出た。
上原港の桟橋までほんのわずかだし、宿のななめまえにスーパーがあって、なかなか便利なところだ。
電信柱に交通安全の看板がとりつけてあって、「おばーがわたる よんなーよんなー」 とある。
沖縄の方言かどうか知らないけど、おもしろい。

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食堂があったので昼メシを食っていくことにした。
建物の外壁に刺身と書いてあるのに、きれいな女主人が、あいにくいまは釣りに出ないものでという。
旦那が釣りに行かないと刺身が出ないというのは、いかにも産地直送みたいでおもしろい。
仕方がないからカレーライスを食べた。
この晩はべつの食堂に行ったけど、こちにはちゃんと刺身もあったし、現役の沖縄美人の少女が働いていて、それ目当てなのかやたら客の多い店だった。

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2014年6月25日 (水)

西表島/リゾート・ホテル

かまどま荘をチェックアウトして、この日は上原港近くの民宿に移動することにした。
名所旧跡めぐりにはあまり関心がないわたしだけど、西表島ではほかに見たいところがいくつかあるので、そのためには陸の孤島のかまどま荘よりも、上原港に近いところのほうがなにかと便利なのである。
そういうわけで、白浜からふたたび路線バスに乗って、上原をめざした。

バスはとちゅうで浦内川にかかる橋を渡ってゆく。
橋の下はみごとなマングローブの森だ。
浦内川は仲間川とともに西表島を代表する河川で、豊富な自然と貴重な生きものを内包していることで知られており、上流のふたつの滝までクルーズ船が出ているので、わたしはそれに乗ってみたかった。
ま、それは宿屋を決めてからにしよう。

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バスは 「星野リゾート」 とよばれる大きなホテルの玄関に横づけしていく。
西表にこんなゴージャスなホテルがあったのかと思うくらい高そうなホテルで、わたしが最初からぜんぜんアテにしてなかったホテルである。
将来、わたしが新婚旅行で西表に来る機会があったら、ありそうもないけど、そのときは利用してもいいなと思う。

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じつは帰京してから西表のことをいろいろ調べているうち、「Sリポート」 と呼ぶべきブログにつき当たった。
このブログは2004年に制作されているから、いまから10年まえのものだけど、ここに浦内川の河口ふきんに建設予定のリゾート・ホテルのことが出てくる。
Sリポートは、貴重な動植物が生息する浦内川の近くにそんなものが出来ては困るという、いってみれば抗議の意味をこめて制作されたブログのようだから、このリゾート建設をめぐって、環境破壊だ、いや雇用の創出だと、例によってゴタゴタがあったらしい。

このリゾートというのが現在の星野リゾートのことだった。
正式名称は 『星野リゾート・ニラカナイ西表島』 というらしい。
詳しくはホテルのホームページを参照のこと。

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ゴタゴタはその後どうなったのだろう。
現在のこのホテルの周辺をみると、なんとか環境にも大きな影響を与えずに決着したようにみえる。
いや、大きな影響を与えずにすんだのは、Sリポートをふくめた人々の抗議があったせいかもしれない。
そのへんはわからないけど、東京から30年ぶりにきた旅人には、浦内川はいまもとうとうと流れ、その水域には依然として貴重な動植物をはぐくんでいるようにみえる。
リゾート・ホテルにしたって、自らの建設で環境を破壊したのでは元も子もないから、そこはおのずから気を使ったのではないか。
このあとわたしは浦内川クルーズで、川の両側の、ほとんど汚されていない自然を見ることになるのである。

ここに載せた写真はすべて星野リゾート・ニラカナイのホームページより。
泊まったわけじゃないから、ホントにこんなに立派なのか、こんなきれいなおネエさんがいるのか、わかりませんけどネ。

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2014年6月24日 (火)

西表島/アマモ

イダの浜には何度も出かけた。
ほんの近距離だし、ほかに行くところもないもんで。

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ある日の昼ごろ、銭湯へ行くような調子でタオルを下げて出かけてみた。
イダの浜も20メートルぐらい沖に行くと、海底に青い部分が見えて、これは岩ではないようだから、いったい何なのかを確認してみるつもり。
まえにも書いたけど、30年まえの旅では、網取湾というところで砂の海底に盆栽のようなサンゴやイソギンチャクを見たおぼえがある。
ひょっとするとまた生きものの小宇宙が見られるかも。

ちょっと意外だったのは、無人と思っていた海岸に、女の子のグループやアベックなどがいて、まあまあにぎやかだったこと。
わたしはすこし離れた場所にタオルをしいて、優雅なリゾート客をきどろうと思ったけど、彼らから見ればホームレスまがいのおじさんがヒマをもてあましているとしか見えないであろうことに気がついて愕然。
海に入ってみたけど、3点セットを借りてこなかったので競泳用の水中メガネしかなく、息つぎに忙しくてのんびり海中観察もできなかった。
おかげで水着の天使たちを尻目に、早々に引き返すことになった。

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このとき海岸で見た女の子たちは、日帰りで船浮に来ているものらしく、午後の連絡船でさっさと帰ってしまうから、午後3時にもなれば、イダの浜はまた静寂をとりもどし、大きな木の葉 (クワディーサーというらしい) が強烈な日照の下に、むなしく日かげをつくることになるのである。
やがて地区もオオコウモリの飛び交う静かな夜をむかえることになり、わたしは部屋で iPodをかかえて孤独の夜をすごすことになる。

忘れないようにつけ加えておくと、イダの浜の海中に見える青い部分はアマモ (甘藻) だった。
アマモというのは海草の一種で、どっちかというと陸上の草に近く、コンブやワカメとはまったくちがった植物である (ここに載せた写真は例によってネットから)。
マングローブと同じように、これが繁茂したところにはさまざまな生きものが生息しているので、やはりナチュラリストもどきには興味のつきない場所になっている。
でもこのときは早々に引き揚げたので、じっくり観察しているヒマがなかった。

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部屋でいろいろ考える。
この世の中でいちばん金のかからないヒマつぶしは思索にふけることで、わたしは旅先で時間をもてあますとたいていこの手を使う。

この紀行記の最初のほうで、司馬遼太郎の 「街道をゆく」 に触れた。
この作家は歴史小説家だから、この紀行記もあちこちを旅しながら、その土地の歴史について論じるという内容になっている。
「街道」 シリーズのうちの先島紀行では、とうぜん沖縄の歴史にふれることになり、琉球始末や太平洋戦争のことなど、あまり楽しい話は出てこない。

わたしも沖縄の戦争についてなにか考えなくちゃわるいかなと思ったけど、残念なことに戦後世代なので、書くような体験もないし、考えるにしても人ごとのような白々しいことしか考えられそうにない。
だいたい昭和そのものがそろそろ歴史の一部になってしまって、新しい時代と交代しようとしているご時勢だ。
しかも新しい時代は、わたしの世代の消滅とともに始まろうとしているのだ。
死にぞこないみたいなおじさんがエラそうなことをいっても仕方がない。

わたしの人生は海中のアマモのように、潮の流れのまんま、あっちへゆられ、こっちになびくというだらしないものだった。
でも文句をいわないでほしい。
現在のわたしがしごくノーテンキに生きているように見えるなら、それは自分でも理由がよくわからないんだけど、みんな向こうから転がりこんできたものなのだから。

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2014年6月23日 (月)

西表島/その他の生きもの

今度は西表に滞在中に見かけた生きものについて、ほんのわずかだけどそれを紹介。
亜熱帯の島にはいちいち紹介しきれないくらいたくさんの、奇妙でけったいな生きものが棲息していて、しかもまだ人間に対してそんなにすれてないものが多いから、ふつうじゃかんたんに見られない動物の写真も容易に撮れてしまうことがあるのだ。

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アカショウビンは西表ではめずらしくないと書いたけど、動物でそれよりめずらしくないのがセマルハコガメだ。
東京のウチの近所にもカメはいるけど、たいていは日本固有のイシガメを駆逐しちゃったアカミミガメで、セマルハコガメなんて動物園にでも行かないと見られない。
でも西表では民家の近くにも出没して、飼い犬のために庭に置いたドッグフードなんかを平気で食べているそうである。

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早朝に船浮港の岸壁に行くと、いつも2匹のミノカサゴがゆらゆらとただよっていた。
ミノカサゴはダイバーに人気のあるきれいな魚だけど、きれいなバラには針があるのたとえ通り、さわると危険な魚である。
でも水槽に入れるとこんなにはなやかで目立つ魚もいない。
それでかまどま荘の主人に、食堂に水槽を置いたらどうでしょうとよけいな提言をしてしまった。
海が目の前だから海水に不自由はしないし、展示する魚だって網ですくってくればいいだけの話ではないか。
前に置いたことがあるんだけどなという返事である。
それがどうなったのか知らないけど、わたしみたいなナチュラリストもどきには、熱帯魚の水槽は人気が出るに決まっているのに。

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干潟では、シオマネキにまじって、小さな魚がぴょんぴょん飛び跳ねていく。
これはトビハゼである。
ムツゴロウに比べると半分ぐらいの大きさで、ゴマの蠅みたいにたくさんいるけど、無理して獲っても美味しくないのかどうか、佃煮や干物にされて地域の名産にされてるって話も聞かない。

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朝早くからイダの浜へ行ってみたこともある。
森の中で、東京のうちの近所ではついぞ見かけない大きなトカゲを見た。
頭から胴体にかけてだけを見るとヘビとまちがえそうなやつである。
写真を撮るから、コラ、動くなといったら、じっとしていたからすこしは日本語がわかるらしい。

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イダの浜へ行くための登り口に、尺貫法でいうなら一反どころか、せいぜい1畝か2畝ていどの小さな水田があって、稲穂がそろそろ黄色がかっていた。
以前見たときはここでにぎやかなカエルの鳴き声を聞いたけど、今回は田んぼに水がなかったせいか、ぜんぜん声がしない。
しかし翌日の深夜に雷雨があり、そのつぎの朝に行ってみたら跳ねるものがたくさんいた。
逃げ足の速いやつらで、正体を見きわめるのがむずかしかったけど、ちらりと見たかぎりではトノサマガエルほどの大きさのカエルだった。
よく見るとゴマ粒のような卵があちこちに浮かんでいる。

帰京してからBSで観た番組によると、沖縄本島のヤンバルというところは、カエルの種類が日本でいちばん多いところだそうである。
しかしまだ調査研究がされてないだけで、ヤンバルよりも面積が大きく、まだ開発されてない河川や湿地が多く、NHKのカメラマンも容易に立ち入れない西表のほうが、カエルの王国にふさわしいに決まっている。
カエルの写真も撮りたいけど、わたしのカメラはコンパクト・デジタルで、いそがしく逃げまわるものを撮るのはむずかしい。

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西表島/引き潮の岩礁

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タケノコとビールくらいでは、船浮のように時間が制止したようなところでは、とても時間つぶしにはならない。
で、また海岸をぶらつく。
冒頭の写真は潮の引いた船浮の海岸だ。
こういう岩礁地帯は自然観察に興味のある人にとって、ヘタな遊園地よりも楽しいところである。
ちょいとそのへんの石をひっくり返すだけで、びっくり箱のように思いもかけない生きものがあらわれる。
わたしのこころの中には童心という悪魔が住みついているので、いくつになってもこういうところで遊ぶのが好きなのだ。

こんなことを書いていると、大人になりきれない、いいトシこいたわたしにイヤ気がさしてしまうこともあるけど、ここでサン・テグジュペリの有名な言葉を思い出してもらおうじゃないの。
  おとなは誰でもはじめは子供だった。
  おとなになるとみんなそのことを忘れてしまう。

テグジュペリの言葉を自己弁護に使おうとは思わない。
おとなになりきれない男には、おとなになりきれない悲しみというものもあるものだ。

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何年かまえに伊豆の海でやはり石をひっくり返したことがある。
相模湾も生物の豊富さではよく知られた海だから、いろんな生きものが見つかった。
しかしびっくり箱のおもしろさといったら、とても西表にはかなわない。
ここでは通りすがりの旅人であるわたしが発見した、石の下にひそむカニの仲間を紹介しよう。
保護色なんで見つけにくいものもいるけど、もっと時間があって、もっとたくさんの石をひっくり返せば、もっといろんな種類のカニが見つかったと思われる。
中には似てカニと異なるものもいて、上の最後の写真の、ヒゲの長いのはカニダマシというヤドカリの仲間。

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そしてカニ以外の磯の生きものも、ついでに紹介してしまおう。
岩の穴にはまりこんで棘をふりまわしているいるのはナガウニで、関東でもあまりめずらしくない。
つぎの岩だかなんだかわからないのはイソアワモチで、背中がごわごわしているけど、軟体動物です。
つぎは引き潮に取り残されちゃったイソギンチャクで、さらにやみくもに触手をふりまわすのはクモヒトデ。
最後は海岸に落ちていたサンゴの死骸。

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2014年6月22日 (日)

西表島/船浮の駘蕩

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シュノーケルをやらない日はとくにすることがない。
かまどま荘の屋上に洗濯もの干場がある。
そこへ上がってみたら寝椅子が置いてあったので、iPodと双眼鏡をもってごろり。
潮風が天然クーラーのごとくに吹きわたり、聞こえるのは背後の洗濯物がはためく音ぐらい。
対岸に幾重にも重なった山々と長い海岸線が見えるのに、自分がいる部落以外に民家なんぞひとつも見えない。
静かな理由は、海が目のまえであるのにカモメなどの海鳥がひとつも見えないことかもしれない。
ずっと視野の中を見まわしても、カラスかツバメがときたま飛ぶだけだ。
静寂と幸福感につつまれて認知症のようにぼんやり。
iPodで音楽を聴き、たまに連絡船が到着したら、双眼鏡できれいな娘でも下りてこないかなと、発想はあいかわらず煩悩のオニだけど。

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そのうち沖から大きな双胴船がやってきた。
岸壁に横付けして大勢の観光客がぞろぞろ。
ひなびた船浮にとっちゃひさしぶりの大商いのチャンスだ。
そう思ったけど、観光客はみんな地区の中にある集会所みたいな建物にすい込まれて、かまどま荘にもジュース1本くれという客がいるわけじゃない。
タオルを頭にまいたわたしを地元の漁師とまちがえたのか、ここの人口はどれくらいですかと訊く親父がいたくらい。

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船浮は陸の孤島という特色が話題になって、石垣島から団体でやってくる観光客も多いという。
しかし彼らに食事や休憩をさせる施設がちゃんとあって、地区にお金をおとすことはあまりないそうだ (3番目の写真が団体専用の休憩所)。
そういわれて思い出したけど、団体の中には透明度日本一の海で泳いでみたいというのもいるらしくて、イダの浜の森のなかに干してあったシュノーケリング用の3点セットやライフジャケットは、団体のために石垣のホテルが用意してあるものだという。

このへんはムズカシイ問題だ。
大勢の観光客が船浮の民宿に泊まったら、お金は儲かるかもしれないけど、現状ではとてもまかないきれない。
まかなおうとすれば宿や人員を増やさないわけにいかないし、それは開発へとつながり、観光のいちばんのウリモノである自然の破壊と、最悪の場合人心の荒廃を生むだけだろう。
これじゃ本末転倒だ。

ときどき日本の前途や地球の未来などに想いをいたす、そんなムズカシイ話になっちゃうのがわたしのブログの欠点だな。

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話題を変えて、かまどま荘のとなりにある 「ふねっちゃーぬ家」 というカフェに行ってみよう。
ここは逗子や葉山に置いてもおかしくないカッコいい店だけど、欠点は店が開いていることがめったにないことだ。
たまたま店が開いているときビールを飲みに行ってみた。

店の主人は、むかしは沖縄美人であったと思える元気のいい女性で、どこへ行ってたんですかと訊くと、山へタケノコ採りに行ってましたという。
ビールのつまみにそのタケノコを出してくれた。
ネマガリタケのような細い竹で、島内にはこれの密林があって、島の女性や老人たちにとってこれを採ることが、趣味と実益をかねたけっこうなヒマつぶしになっているようだ。

ヒマつぶしというと語弊があるかもしれないけど、この竹は採集したあと、選り分けたり皮をむいたり味付けをしたりと、食べるまでにけっこう手がかかるので、こういうものがなかったら島の生活は単純すぎるのではないか。
出荷するような産物でもないし、カフェの女主人も自分の家だけで消費するために採っているのだという。
わたしは子供のころ、母親と山へキノコ採りに行ったことを思い出した。
キノコ採りも田舎に住む人たちにとっては、本業とはいえないし、趣味と実益をかねたいいヒマつぶしだったのである。

へえへえと世間話をしながら缶ビールを2本飲んだ。
世間でどんな大きな事件があっても、船浮ではあいかわらず駘蕩と風が吹いていて、港内には色鮮やかな熱帯魚たちが無心に泳いでるんじゃないか。

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2014年6月21日 (土)

西表島/青と白の海

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シュノーケリングをしていて、崎山湾からべつの場所に移動するとき、海底がブルーと白にくっきりと分かれて、まだら模様にみえる美しい海域を通過した。
ここに載せた写真はむかし宮古島で撮ったものだけど、ちょうどこんな感じ。
青い部分はサンゴか海底の岩だろうけど、白い部分はひょっとすると砂かもしれない。
だとすればどうなっちゃうのか。

むかし伊豆の雲見でダイビングをしたことがあり、そのとき砂浜から海に入ったことがある。
砂浜だから潜水してもしばらくは砂地が続く。
砂地の海底というのは生きもののバラエティーが少なくておもしろくないと考えているダイバーが多いようだけど、砂地には砂地に生きる動物がいて、これはなかなか興味深いものである。
わたしは砂地で尻尾から砂にもぐるアナゴを見たことがあるし、トラフカラッパというめずらしいカニを見つけたこともある。

そんな砂の海底の一か所に、ひとかかえほどもある岩が顔を出していた。
岩には海藻、石灰藻、ヒドロ虫類やホヤなどがからみつき、小さな魚がまわりに集まって、それをねらうこぶりなトラウツボや、ミノカサゴまでが岩の周辺に棲みついていた。
つまり、この岩だけで生命の小宇宙が形成されていたというわけだ。
こういうポイントはナチュラリストにとって興味がつきない。

「2001年宇宙の旅」を書いたSF作家のアーサー・C・クラークは、海の中のそうした宇宙について、その生きものの多様性、複雑怪奇なこと、これまでSF作家が描いたいかなる辺境の惑星もおよばないといっている。
たしかにサンゴやウミシダ、ウミユリが動物で、しかもひじょうに貪欲に他者を捕食しているなんて、いったい誰が思いつくだろう。
SF映画はすべからく海の動物にアイディアを求めるべきではないか。

ひょっとすると西表の青と白に分かれた海は、白い砂の上に上記のような小宇宙が点在するものかもしれない。
だとすればこのあたりの海底は、小宇宙が集まった大銀河系ということになるではないか。
いったいどんな宇宙人が棲んでいるだろう。
という興味で、貸し切りであるのをさいわい、船をとめてもらって、この海域で素潜りをしてみることにした。

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で、潜った結果は。
ちと期待はずれ。
ここに載せた写真がそれだけど、青い部分は盛り上がったサンゴか海底の岩で、白い部分は砂ではなく、一面サンゴのかけらだった。

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わたしが砂にこだわるのは、たとえばここに載せた最後の写真はネットで見つけたものだけど、砂地の海底にはサンゴ礁の海とはちがった、静寂にみちた、ひじょうに神秘的な世界がひろがっていることを知っているからである。
サンゴのかけらでは沖縄でめずらしくないし、印象もガサガサとうるさいばかりで、どうもイメージがちがう。

でもねえ。
青い部分、つまりサンゴや岩だけにこだわっても、タンクをせおってじっくり観察すれば、おもしろいものがたくさん見つかるにちがいない。
やっぱり老骨にムチ打つか、年寄りの冷や水で、またダイビングをするっきゃないか。
でも装備一式、すべて捨てちゃったしなあ。
サイズの合わなくなったウエットスーツなんか、ナイフで細かく刻んで。

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2014年6月20日 (金)

西表島/ターザンの島

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この旅の目的は人間の手の入ってない豊かな自然を見ることだけど、具体的にはやはりサンゴ礁の海を見ることである。
前回もそのつもりで、わざわざ水中撮影のできるカメラを持っていったんだけど、それは水につけたとたんに壊れた。
で、今回はリベンジのつもりで、新しく購入した水中ハウジングまで持ち込んだ。
これが予想以上の成果をもたらしたので、ここでサンゴ礁の写真をずらりと並べる。

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沖縄本島のサンゴ礁は荒廃していてガッカリさせられることが多いけど、西表にはサンゴ礁のポイントが数か所あって、テーブルサンゴ、エダサンゴ、球形サンゴ、脳みそ型サンゴなどが群生していて、お花畑に迷い込んだような見事な景観が見られる。
このへんから考えて、やはりサンゴの大敵は温暖化でもオニヒトデでもなく、増えすぎた観光客であるとわたしは断言してしまう。
観光客が増えればホテルや施設も増設しなければならないし、どうしても建設工事が増え、汚染土や化学物質も流入する。
交通の便がわるくて、まだ本島にくらべれば観光客の少ない西表のサンゴが見事なのも当然だ。

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サンゴ礁を見るためには船を出してもらわなければならない。
宿泊しているのがわたしひとりなので、船を出してもらうのは申しわけないと思ったけど、かまどま荘の主人はこころやすく貸し切りにしてくれた。

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船浮から出港して、まず崎山湾へ向かった。
右手に大きな島がふたつばかり並んでいる。
そのうちのひとつに、地元からターザンと呼ばれている奇矯な老人が住みついているそうである。
どうやって生活してるんでしょうと訊くと、畑をつくって自給自足してるんだそうだ。
たまにテレビ局が取材に来て、出演料が入ることもあるらしい。
ホームレスの一種かもしれないけど、ちゃんと地主さんと土地の借用契約もしているので、役所も警察も手が出せないという。

こういうふうに離れ島に住みついている人間は、このあたりにけっこういるそうである。
1年中裸で暮らせるところだから、放浪と孤独癖のある人間が世捨て人となって、このあたりに在所をかまえても不思議ではない。
わたしにも似たような傾向があるし、現在進行形のひきこもりだから、ついそういう話にあこがれてしまう。
新宿のホームレスの中にはむずかしい哲学書を読んでいる人がいた。
山中にこもって自然を相手に語り合っていると、人間には哲学的なナニカが生じるのではないかと、これはわたしの大胆すぎる想像だけど。
モームの 「コスモポリタン」 の中に 『隠者ハリー』 いう話があって、それは無人島にひとり暮らす人間を皮肉ったおもしろい短編だ。

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写真のほうだけど、欲をいえばタンクを背負って潜ればもっとよかった。
海面に浮かんだままでは波にゆられて、写真ならともかく、動画を撮影するのはむずかしい。
いちばん最後の写真はナマコだけど、素潜りでは対象をアップで撮るのもむずかしい。
本格的なダイビングをすれば、もっとめずらしい小動物をたくさん撮ることもできただろうに。

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西表島/野鳥たち

翌朝は、朝いちでまたイダの浜に行ってみた。
バード・ウォッチング用の双眼鏡を持って。

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西表島は野鳥観察にも楽しいところで、めずらしい鳥がたくさんいる。
その筆頭はアカショウビンだ。
これはカワセミの仲間で、ハトよりいくらか小さめの、赤い鳥である。
ただのカワセミなら東京のうちの近所にもいるし、やはり同類のヤマセミは奥多摩あたりにいる。
しかしアカショウビンなんて見たことがない。
調べてみたら、かならずしも南方系の鳥ではなく、北海道でも見られるそうだ。
西表は最大の繁殖地とある。

野鳥をコンパクトカメラで撮るのはむずかしいから、わたしの写真は1枚もなし。
アカショウビンは西表ではけっしてめずらしい鳥ではないし、世間に野鳥専門のカメラマンはそれ以上にめずらしくないから、ネットで検索すればいい写真がたくさん見つかるはずだ。

イダの浜への峠道でシジュウカラを見た。
めずらしくない鳥だけど、ちらりと見たかぎりでは、全体に黒っぽく、ほっぺの白い模様がよく目立って、東京のシジュウカラとちがうようだった。
そのへんが気になって、帰京したあとで調べてみたら、南方の鳥は黒くなる傾向があるようだと書かれたブログを見つけた。
なんだろう、日焼けしてメラニン色素が増えちゃうのだろうか。
シジュウカラは好奇心がつよくて、あまり人間をおそれない鳥だけど、ちょこまかと動くので写真も撮る余裕がなかった。

森の中では期待していたほど野鳥を見なかった。
あとで西表島をバイクで半周したときは、クイナの仲間やサギの同類をあちこちで見た。
クイナは車が走るような道路ぞいでもしょっちゅう見かける。
しかしバイクを停めるのがめんどくさくなって、写真を撮れなかった(撮らなかった)。
コンパクトカメラなので最初からあきらめてるし。
沖縄ではヤンバルクイナが有名だけど、ほかにも顔のあたりが白いシロハラクイナがいて、これはけっこう数が多いようである。

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サギの仲間では、ウチの近所で見かけるコサギ、ダイサギ、アオサギはめずらしくない。
ほかに胸から頭、羽根の一部が赤いアマサギがいて、これはめずらしい。
西表にはウシが放牧されている牧場があり、そんなところでウシの足もとにサギが集まっていた。
ウシは食用として有名な石垣牛らしい。
30年まえのこの島にはまだ耕作に使われる水牛がいて、その背中にサギがとまると一幅の東南アジア的風景画になるんだけど、現在では水牛は観光事業にリクルートされて、農業に従事するものはほとんどいないようである。

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べつの日には、船浮の桟橋でアジサシが水中にジャンプしているのを見た。
それで気がついたけど、ここにはカモメがぜんぜんいない。
かまどま荘の主人の話では、いないことはないそうだけど、少なくともわたしは西表島で1羽も見なかった。
むかし沖縄本島にあるナガンヌ島という無人島でアジサシの群れを見たことがあるけど、ここにもカモメはひとつもいなかった。
どうもこちらではカモメの生息域をアジサシが占領しているようだ。
でも青い空を背景にまっ白なアジサシが群舞しているところは、いかにも南海の楽園らしくて、わたしはとっても好きである。

ここに載せた写真は、上からアカショウビン、アマサギ、アジサシで、すべてネットで見つけたもの。

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2014年6月19日 (木)

西表島/オオコウモリ

ぶーの家の女主人に聞いた話では、近所の御嶽 (うたき=神社) のうえに夜な夜なオオコウモリが出没するそうだ。
そいつはおもしろい、ぜひ見たいというわけで、夕飯を食ったあとぶらぶらと出かけてみた。
オオコウモリといっても西表のそれは菜食主義者だそうだから、ドラキュラなんか想像されては困る。

お、いる、いる!
なにやら、いかにもオオコウモリのようなものが、かすかな月明かりの中をひらりひらりと飛びかっていた。
ただコンパクトカメラで闇夜のコウモリを撮るのは無理、ムリ、ムリ。
もしかしたら写るんじゃないかと、やみくもにストロボを光らせてみたけど1枚も写ってなかった。

宿にもどってかまどま荘の主人に訊く。
オオコウモリは昼間はどこで寝てるんでしょう。
もし御嶽の天井や板塀のすきまにもぐりこんでいるなら、撮影できないこともないかもしれない。
でも主人の言うのには、森のなかの木の枝なんかにぶら下がっているよとのこと。
それじゃやっぱり無理だなと思う。
ジャングルの中まで撮影に行くような装備はしていない。
ナショナル・ジオグラフィックなんかには素晴らしい自然写真がたくさん掲載されているけど、そういうものは一朝一夕に撮れるものではないのである。
そういうことをわたしはよく知っているから、あきらめも早いのである。

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もうひとつ、夜になると出没するものがいて、こちらは撮るのは簡単だ。
シャワー・ルームやトイレの壁面に夜な夜なヤモリがあらわれる。
ヤモリは東京のわが家にも出るけど、性格がすなおだから写真に撮るのはむずかしくない。
ここに載せた写真のヤモリは、よく見ると尻尾が再生ずみ。
かまどま荘ではネコを飼っているので、たまにおもちゃにされて、尻尾を取られちゃうのだろう。

エアコンが効きませんといってみたら、コイン方式だそうで、千円分くらいの百円玉を投入口のわきに積み上げて、このあとは部屋でごろごろ。
わたしはテレビを必要としない人間だから、波の音も聞こえず、ヤモリの鳴き声ぐらいしか聞こえない静かな夜を独り占め。
亜熱帯における涼しい部屋でなにもすることがないというのは贅沢なことだなあと思う。

そう思えるのは2、3時間かもしれないけど、どうしても退屈ならば、iPodにつめこんできた映画や音楽を楽しむテがある。
ここでは無線LANも使えるのである。
世間ではパソコンにかまけてひきこもりになる人間を糾弾する声もあるけど、ゲームや会話ばかりやらなくても、ネットがあれば退屈なんかしないと豪語するワタシみたいな人間もいるのだ。

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2014年6月18日 (水)

西表島/無線LAN

ぶーの家で女主人と話をしていたら、パソコンの話題が出た。
いま勉強中なんだけど、なかなかむずかしくてという。

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言い忘れたけど、船浮地区には無線LANの使える場所があちこちにある。
ひとつは桟橋近くの休憩所で、ここにはかたわらにアンテナが立っていて、ぶらりと立ち寄った観光客でも、自由に、タダで無線LANを使えるようになっている。
かまどま荘でも奥さんがブログを持っているくらいだから、宿泊客は無料でインターネットを使うことができる。

考えてみると、情報過多な社会で精神的に疲労してノイローゼになる都会人よりも、へき地や離島の住人のほうが無線LANを切実に必要としているわけだ。
商店がないところでもインターネットがあれば、本でもDVDでも生鮮食品でも舶来製品でも、、わたしは注文したことがないけどオンナの子の下着でも、欲しいものはたいてい通販で手に入るらしい。
買い物ばかりじゃなく、たとえば資料や参考書のないところでも、インターネットはあらゆる辞書、百科事典をしのぐ強力な知識の源泉なのだから、研究者がこれを頼りに1冊の論文を書き上げることも可能なのである。
村上春樹だってインターネットがなかったら作品を書けないに決まってる。
どんな場所でも世界とつながっているわけなので、孤独な人間なんていなくなってしまうから、ロビンソン・クルーソーの物語はネット社会では通用しないのである。

それじゃひきこもりというのはなんだ。
最近増えているけれど、あれって孤独な人間の典型じゃないかという人がいるかもしれない。
そうじゃない。
パソコンに熱中してひきこもる人間というのは、全世界のありとあらゆる情報を出し入れするコンピューターと対話するのに忙しくて、個々の人間なんざ付き合っても時間のムダっていうだけで、けっして孤独なわけじゃないんだよ。
ん、ワタシみたく。

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無線LANの通信可能範囲はきわめてせまいから、休憩所のアンテナの効力はぶーの家までとどかない。
女主人はまだネットに接続できなくてとぼやく。
彼女はすでにパソコンとルーターを所有しているというから、わたしのiPodで試してみることにした。
とはいうものの、わたしだって他人のパソコンで無線LANの設定をしたことはないから、ちと不安。

まずIDとパスワードが必要だというと、長ったらしい英数字を書いた紙片を持ってきた。
これって英語のOかい、数字の0かいとすったもんだ。
なかなかつながらない。
ふと思いついて、パソコンとルーターの電源入れといてねという。
これでOK、まぐれみたいにふいとつながった。
彼女にとって新世界への扉が開かれたといいたいところだけど、つながることを確認するのがわたしにできる精いっぱい。
わざわざ家に上り込んで、無線LANの設定をしてやるほどヒマじゃないから、あとは勉強してねといって、その日はそれで帰ってきた。

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2014年6月17日 (火)

西表島/ぶーの家

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シオマネキの見物からもどってもまだ晩メシには早い。
宿のまえに置かれたベンチでぼんやりと風に吹かれる。
退屈する人もいるかもしれないけど、わたしはこういう時間の過ごし方が好きである。

ビールでも飲むかと、かまどま荘の奥さんに聞いたら、ありませんとあっけらかん。
ぶーの家ならあるかもしれませんという。
「ぶーの家」というのは近所のカレー屋さんで、ぶーというのはそこで飼われているイヌの名前だ。
地の果てみたいな場所にあるのだから、商売熱心な店とはいえないけど、船浮地区では貴重な食堂である。

ほかにアテもないから行ってみることにした。
ぶーの家の女主人は関西出身の人だそうで、それがどうして地の果てに永住することになったのか、サムセット・モームあたりが小説の主題に取り上げそうな人である。
わたしは女性に対してさしでがましいことをしない人間だし、口ベタで話好きでもないし、作家が勤まるようなリアリストでもないから、彼女についてそれ以上知ることがない。

そんなことはどうでもいいけど、ここにはビールがあった。
食堂にビールくらい置いてあるのは当たり前だという人がいるかもしれない。
しかしここは石垣島からフェリーで1時間の西表島、その西表で連絡船に20分、ようやくたどりつく辺境なので、たかがビールといえども、商品の往来がいちいち大変なところなのである。

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安心して、店のテラスにすわってビールを飲む。
ところで家の主役のぶーはどこだろう。
1年まえに来たときも姿を見なかったから、とっくに死んじゃったのではないか。
いえ、そこにいますと女主人。
見ると彼はテラスの床下にもぐって日差しをさけていた。
血統書つきならテリアの亜種かもしれないし、血統書がないならそのすじの雑種という感じ。
ネットで有名人のこのイヌも、すでに13歳だというから、そのうち後継者が必要になるかもしれない。

そのうちかまどま荘の主人がやってきて、缶ビールを6、7本持っていった。
あれはきっと今夜の食事に出すわたしの分だねと女主人にいうと、いや、奥さんの分じゃないかしらという。
このあたりを推測すると、かまどま荘の主人は酒を飲まないが、奥さんは飲むらしい。

ビールばかり飲んでいて写真を撮るのを忘れたから、ぶーという有名なイヌの写真はネット参照のこと。
ぶーの家については1年まえに撮ったものを載せておく。

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2014年6月16日 (月)

西表島/シオマネキ

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3点セットのミステリーについてはあとで触れることにして、イダの浜からもどっても、まだ夕食には時間がある。
船浮の桟橋からすこしはなれた海岸に、潮が引くと干潟があらわれる場所があり、そこには甲羅長1~3センチで、片方のはさみだけが異常に大きいシオマネキがたくさんいる。
そのあたりをぶらぶらしてみた。

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シオマネキ (潮招き) は、その大きなはさみを振る動作が、潮を招いているようだというのでこの名前がついた。
わたしは研究者じゃないからわからないけど、ここには大きさの異なるものや色彩のちがうものがいて、数種類が混在しているようだった。
いちばん目立つのは、青と黒の紋様のあるルリマダラシオマネキで、こればかりは目立つがゆえにネットで調べてすぐわかった。

大きなはさみを持つのはオスだけだけど、いろんな写真を検索しているうち、同じ種類でも右利きと左利きがいることに気がついた。
人間並みだなと感心してしまう。
でも大きなはさみはなんの役に立つのだろう。
シオマネキは泥の中のプランクトンなんかを食べていて、餌を食べるときは小さなほうのはさみをつかう。
大きなはさみではそれをつまむことはできないし、だいたい餌を口まで持っていけないのである。
つらつら考察すると、これはご多分にもれず、つまりトナカイは大きな角を、クジャクは華麗なつばさを、カエルは鳴き声の大きさを競うように、知性とはあまり関係ない部分でメスの関心を誘うための武器らしい。
劣性遺伝のわたしはそんな見かけで選ばれるというシステムがキライだけど、人間でもメスってのはたいてい身なりのいい男を選ぶのだからやむをえないか。

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シオマネキをもっとアップで撮ろうと近づくと、みんないっせいに穴の中へ隠れてしまう。
じっと動かずに待っていると、まもなくじわじわと穴から出てくる。
わたしは干潟に置かれたボートに腰かけて、リリパットの住人を高見からながめるガリバーみたく、好奇のまなざしで彼らをながめていた。

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シオマネキについては思い出がある。
30年まえに西表に来たとき、島の東のほうにある由布島に行ってみた。
ここは潮が引くとふたつの島が陸続きになり、いまでもそれが売りモノになっているけど、牛車に乗ったまま島から島へ渡ることができる。
当然ながらふたつの島のあいだに広大な干潟があらわれ、当時はそこで、足の踏み場もないくらい無数のシオマネキがはさみを振っていた。
わたしにとってはそこは西表の生きものの豊穣さを象徴するところだったのだ。

関東地方の片田舎が郷里のわたしは、田んぼのあいだを流れる川や池に、ザリガニやドジョウなどの小動物がおびただしく棲息していた時代をよくおぼえている。
だから由布島のシオマネキがうじゃうじゃガヤガヤという干潟は、理屈じゃなくストレートに、わたしになつかしさを感じさせてくれるところだったのだ。

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2014年6月15日 (日)

西表島/イダの浜

かまどま荘のこの日の客はわたしだけだった。
荷物を部屋にかつぎこんだあと、まずイダの浜へ行ってみることにした。
「イダの浜」 はジュラ紀、白亜紀のままの風景を維持した美しい浜である。
遠景の中に無人灯台がぽつんと見える以外、レストランもなければ脱衣所もなく、人工の建造物はなんにもない。
ないないずくしが、摩擦ですりへった文明人にすこぶる快適感を与えてくれるところである。
かまどま荘からイダの浜までは、裏山をひとつ越えて徒歩15分ぐらいだ。

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午後の3時すぎで、イダの浜には誰もいなかった。
砂の上に根をはるグンバイヒルガオももう花を閉じていた。
わたしはサンゴのかけらをぎゅっぎゅっと踏みつけつつ海岸を徘徊した。
逆境にたえる孤独な文学青年か、人生をなげくひとりぼっちの詩人みたいである。
ヒロイズムに陶酔しちゃっているわたしはさておいて、よく注意するとここにもヤドカリは多い。

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前述したように、ヤドカリの大物の中にはサザエの殻を借用するのもいる。
では小さいほうはというと、ずっとむかし星の砂 (後述) を顕微鏡でのぞいていたら、ほんの3、4ミリの巻貝の殻に棲んでいるヤドカリを発見しておどろいたことがある。
それはヤドカリの子供だろうといわれるかもしれないけど、ヤドカリの子供は親とぜんぜんちがうかたちをしているから、巻貝のなかに棲んでいるというだけで、すでに成体であるはずだ。
たぶんわたしが見たものは新種のヤドカリで、広い海にはまだ世間に知られていない生きものがたくさんいるということではないか。

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波打ぎわを歩いていると、視野のなかをささっと駆け抜けていくものがいる。
よっぽど注意しないと見つからないけど、灰色で、周囲の砂の色にまぎれてしまうユウレイガニというやつだった。
けっこうたくさんいるようだけど、なにしろ足が速いので、写真を撮るひまもあらばこそ、あっというまに海のなかへ逃げ込んでしまう。
こういう手合いを撮影するには、遠方から望遠レンズで狙えばいいんだけど、わたしのカメラはあくまでコンパクト・デジカメである。

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浜のあちこちに親指ほどの穴があいていた。
カニの巣穴のようだけど、穴のぬしは夜行性なのか、昼間はあまり姿を見せない。
それでものぞきこむと、息をこらしている家主の足が見えたりする。
ところがある穴のまえで、1匹だけもたもたして穴にもぐりこみそこねたやつを発見。
動転したのか、固まっちゃって、目が点になっちゃって、写真を撮ろうとしても逃げないから、しめしめと、撮った写真がこれだ。

こんな調子で、しばし泣きぬれてカニとたわむるのわたしだけど、そのうち妙なものを発見した。
誰もいない浜に文字のはげかかった看板があって、ここからすこし森に分け入ったところに、シュノーケルの3点セットやライフジャケットがたくさん干してあったのだ。
人の気配はないし、なんだ、コレ?

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2014年6月14日 (土)

西表島/船浮とヤドカリ

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やがてかまどま荘の主人が帰ってきた。
若いころは内地へ出稼ぎに行っていたこともあるそうだけど、漁師もやれば釣りやシュノーケリングのガイドもするし、大工も植木屋も庭の草むしりもするという人で、いい色に日焼けしている。
かまどま荘のある船浮地区は10所帯、40人数人の人口で、商店もないから、ここに住む人たちはたいていのことは自分でやるのである。
この地区は古きよき時代の日本を映す鏡でもあるので、コミュニティのきずなは固く、村人の自主的参加で神社 (沖縄では御嶽=うたき) のまわりの雑草刈りなんかしているのも見た。
ちょいとした買い物でも舟がなければハナシにならないから、一家に一艘のエンジンつきボートがある。

小・中学をかねた学校はなかなか立派だ。
生徒は3人しかいないそうだけど、それでも教師、用務員などを含めると、7人ぐらいの人が働いているそうだ。
夜のおそい時間まで灯りのついている教室があったから、地区のカルチャースクールでも開いているのかもしれない。

産業だってある。
港のかたわらに真珠の養殖場があって、ほそぼそと生産をしている。
かまどま荘の奥さんはパンを焼いている。
自宅で消化するには多すぎるから、尋ねてみたら、西表のパン屋に下ろしているのだそうだ。
家内工業であるけど、これだって立派な産業である。
                               
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この船浮地区の土地がリゾート開発企業に買い占められているという。
でも法的制約があって、じっさいに開発はできないらしい。
なんだかよくわからないけど、あまり楽しい話じゃない。
わたしが生きているあいだは、あと20年も30年も先じゃないのだから、このままであってほしいものだ。

メンバーがそろわないから麻雀もできないこの過疎の部落をいろどるのは、やはり豊富な自然だろう。
ひとつ例をあげると、桟橋の近くの路上にはヤドカリがたくさんいる。
ヤドカリは伊豆や房総、三浦半島にもいるけど、わたしが宿のトイレでりきんでいたら、足もとに大きなヤドカリがまよいこんできた。
ガルシア・マルケスの短編に、たくさんのカニが台所に入りこんでくるので、それをつぶして捨てるのが毎日の日課という南米の小さな漁村が出てくるけど、船浮ではヤドカリがゴキブリの領域を冒しているのである。

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最後の2枚の写真がトイレのヤドカリで、殻のサイズはタニシぐらい。
小笠原にはこれよりひとまわり大きいオカヤドカリがおり、海の中にはサザエの殻に棲むオニヤドカリなんて巨大なものもいる。
あのヤシガニもじつはヤドカリの仲間だ。
でもさすがにヤシガニが入れる巻貝の殻なんてめったにないから、彼らは漂着物であるプラスチックの桶をかぶったりする。
これは笑い話ではなく、深刻な公害問題の範ちゅうに入ることである。

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2014年6月13日 (金)

西表島/のんびり

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西表島に着いて上原港からかまどま荘に直行した。
「かまどま荘」 は1年まえにはじめて泊まった民宿で、文明と人間生活のつきる果て、というのはオーバーだけど、道路がとぎれてその先はまた連絡船という、ひじょうに不便なところにある宿である。
でも無線LANはあるから、やはり世間から隔絶しているわけではない。
ケータイも圏外ってわけじゃないし。
今回はここにどっしりと尻を落ちつけ、たっぷりと太古のままの自然にひたるつもりである。

道路がとぎれたところにある白浜港で連絡船を待っていたら、到着した船から水着のままの若い娘たちが、嬌声をあげながら下りてきた。
彼女らは日帰りでかまどま荘のある船浮地区というところへ行ってきたらしい。
そこには 「イダの浜」 という、想像を絶するほどきれいな浜があるので、そこで泳いできたのだろう。
彼女らを目で追うと、港の公衆トイレのまえで水をじゃあじゃあと浴びていた。
なかなか幸先がよろしい。

かまどま荘で、なにしろ下船して徒歩1分のところにあるので、コンニチワと呼ばわってみた。
返事がない。
前の晩に電話しておいたのにと思う。
でも西表でこういうことはめずらしくない。
かまどま荘のとなりに 「ふねっちゃーぬ家」 というカフェ (!?) があるけど、店が開いているのをめったに見ない。
たまに開いていることがあるから、女主人にどこへ行ってましたかと訊くと、山へタケノコ採りに行ってましたという。
万事こんな調子である。

どうも西表の住人ののん気さは都会人の常識をはずれているようだ。
もっとあとで、わたしはべつの場所のガソリン・スタンドでレンタル・バイクを借りることになるけど、それを返しにいったらスタンドはもう閉店していた。
スタンドの店主は近くで民宿を営んでいるそうだから、そこまで足を運んだら、宿泊客らしい若者が、ここの主人は夜釣り大会に行って留守ですよという。
ほかに宿の人間はいないらしい。
まあ、せまくて人口密度のすくない離島だから、踏み倒して逃げる客もいないだろうけど、のんきというのか無責任というのか。
むかしは日本の農村もみんなこうだったなと思う。

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仕方がないから荷物をかまどま荘のまえのベンチに置いて、そのへんをぶらぶらした。
目の前の岸壁から見下ろすと、めずらしい熱帯魚が泳いでいるし、長い針をゆらゆらとゆらすガンガゼの群れも見える。
ナチュラリストには退屈しない場所である。

写真は港内のガンガゼと、岸壁のすぐ下を泳いでいたイシガキフグ。
ガンガゼは人畜無害だけど、うっかり手を出すとコワイ動物だ。
両者とも食べると美味しいらしい。

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2014年6月12日 (木)

西表島/乗り込む

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西表島にはじめて出かけたのは1983年だから、いまから30年以上まえになる。
そのときは石垣島から竹富島、西表島をめぐったんだけど、竹富島なんか現在のように開発がされてなくて、赤瓦の沖縄ふう民家や、部落をとりかこむギンネムの森がそっくり残っていて、ホント、いま思うと夢みたいな景色がそのまんまだった。
当時の竹富島を知りたかったら、司馬遼太郎の 「街道をゆく/先島紀行」 を読むとよい。
じつはわたしが30年まえに沖縄に出かけたのは、この本に誘発されたからだった。

その後先島 (竹富島や西表島をふくむ宮古、八重山の総称) には3回出かけている。
とくに竹富島の変貌には残念としかいいようがない。
島の住民にとっては、便利になったんだからいいんじゃないかといわれそうだけど、現在は便利でないことが財産になる時代なのだ。
早まったことをしてくれたというのは、部外者の身勝手ななげきだろうか。

でもまあ、こうしているあいだにも、大勢の観光客が押し寄せ、その大部分はきれいで快適で、おいしいものが食べられるほうがいいというオンナの子だろうから、これじゃ抵抗してもムダだ。
わたしみたいな人間は、どうせそのうち絶滅することになるのだから。

そんな悲惨な先島だけど、西表島だけはまだあまり開発がされてないようで、30年まえに見た景色がほぼ残っているようである。
竹富島がオンナの子たちを一手に引き受けてくれたせいかもしれない。
3泊4日というよくあるツアーで先島にくると、石垣、竹富だけで時間いっぱいになって、たいていは西表を断念してしまうせいかも。

理由はどうであれ、ここが考えられるかぎり日本最大の秘境であることを、1年まえに再訪してわたしは確信した。
幼少のみぎりから豊かな自然と交わってきた田舎者のわたしは、ロミオがジュリエットに恋い焦がれるように、このトシになって秘境というものにむやみやたらとあこがれているのだ。
今回の西表島紀行記では、思い出をたどるという乙女チックな感傷は封印して、手つかずの自然に身をゆだねるというアウトドア精神を前面に出すつもりである。

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そういういきごみで離島桟橋に行って、西表島への連絡船チケットを買った。
前回は安栄観光の船だったから、今回は八重山観光の船にした。
すると、やっぱり、船は安栄観光の船だった。
それじゃあ西表に着いてから、安栄観光の無料バスに乗れるのかと思ったら、これはチケット通り八重山観光のバスに乗ってくれという。
行き当たりばったりの旅で、今回は片道券しか買ってないから、そういう複雑な問題について文句はいわない。

写真は安栄観光の船と、それに乗ってたどりついた西表島・上原港の桟橋だ。
船はボロいけど、エアコンつき。

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2014年6月11日 (水)

西表島/ホテル・ミヤヒラ

問題はこの晩の宿をどうするかということだ。
最終日の宿だけは予約してある。
それはミヤヒラという、新婚旅行で泊まっても、いまどきのわがままな新婦サンから苦情の来そうにない立派なホテルである。
じつは1年まえの旅でも利用したことがあり、旅で疲れた体をいやすのに好適なホテルということを知っていた。
今回は最後の泊まりが土曜日なので、混雑するかもしれないから、ここだけはあらかじめ予約しておいたのだ。

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ミヤヒラへ行ってちゃんと予約ができているか確認ついでに、今夜は泊まれませんかねえと訊いてみた。
部屋はありますけど、という。
“けど” が余計だけど、つまりネットで予約したほうが安いですよとのこと。
現在は大きなホテルは、たいていネット予約が普通になっている。
なにかトラブルがあった場合、信販会社のカードといっしょで、ネット上の旅行会社が責任をとってくれるから、ホテルにとってもこのほうがありがたいのである。
フロントでわざわざそんなことを教えてくれるのだから親切なホテルだ。

わたしは iPodを持っていたけど、ネット契約はしてない。
無線LANの設備があっても、カードほどの小さな画面で、老眼ぎみのわたしがちまちまとホテルの予約なんかしてられない。
うーんと考えていたら、パソコンはあそこにありますと、パソコンのあり場所まで教えてくれた。
ホテルのパソコンで、そのホテルの予約をしようというのもおかしな話だけど、とにかく親切なホテルなのである。

やってみたらこの晩はもう申し込みが締め切られていた。
なんとかなりませんかとフロントで泣きついてみたけど、さあと相手も困ったような顔。
親切な相手を困らせるのもナンだから、とうとう飛び込み料金で泊まることにして、えらく高いものについた。
アメリカの黒人が自由を獲得するまでに流した血の量を考えても、やはり自由気ままというのは高くつく。

部屋に荷物を置いたあと、町をぶらぶらしてみた。
あちらこちらで大きな荷物をひきづり、地図を片手にさまよっている娘たちに出会う。
高級なホテルなんかありそうもない路地をうろうろしているからして、予約した安いホテルやペンションを探しているらしい。
みんないかに旅を安くあげるか苦労しているんだなあと思う。
でも、わたしみたいに気前のいい人間もいないことには、デフレの払しょくも、アベノミクスの成功もおぼつかないさと毒づく。

ホテル・ミヤヒラについてはネット上にいろいろ情報があります。
添付した画像は、近くの公営市場で見た沖縄景色。
もっと市場を紹介したいけど、今回の旅の目的はここじゃないもので。

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2014年6月10日 (火)

西表島/自由気まま

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今回の旅ではできるだけ行き当たりばったりでいくことにした。
わたしは、痩せても枯れても自由気ままを愛する旅人なのだ。
その精神は西行や芭蕉のそれを脈々とうけついでいるのだ。
でも自由気ままというのはけっこう高くつくものである。

ホテルは最後の晩だけしか予約してなかった。
あとは現地で飛び込みのつもりだけど、6月の沖縄といえば誰でも梅雨を思い浮かべる。
そんな季節にわざわざ出かけるバカはわたしぐらいのものだろうから、なに、宿屋なんていくらでも見つかると思っていた。

最初の晩は石垣島の離島桟橋近くに宿をとるつもりで、1年まえの石垣訪問のときに目ぼしをつけておいた、「素泊まり荘」 という格安ホテルへ行ってみた。
この宿は桟橋から徒歩3分かけ足1分のところにあって、一見したところ、山谷の簡易宿舎みたいな2階建ての建物だけど、ベッド (とエアコン) さえあればなんだっていいというわたしは気にしないのである。
繁華街のまん中にあるのだから、食事がつかなくても食うところには不自由しない。         
ほんとうに旅を愛する人はこういうところに泊まるものなのだ。

だいたい、こういう宿の実態はどんなものかという尽きせぬ興味もあった。
ひょっとするとめずらしい探訪記になるかもしれない。
するとまたブログのアクセスが増えるかもしれないというさもしい考えもある。

2階にある玄関でスイマセンと呼ばわると、女性が出てきて、部屋ですか、あいにく今日は全部ふさがってますという。
オイオイ。

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仕方がないから 「マリウド石垣」 や 「ターミナル・ハウス」 という、同じようなべつの格安ホテルにあたってみた。
石垣にはこういう宿がけっこうたくさんあるのである。
ところがどこへ行ってもふさがってますという。
なんかいまの時期に混雑する原因がありますかと訊くと、さあねえと首をかしげ、前の日にハーリーがあったけど、ウチにはそんなもの関係ないしねえという。

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じつは石垣には知り合いがいて、彼に聞いてみたら、本土から来た金のない若者や、ホームレスみたいのが居座っているんですよという。
6月になるとそろそろ夏シーズンだし、安く沖縄旅行をしようという若者たちが押し寄せているらしい。
こういう若者たちの考えはキライじゃないし、わたしも若かったらこういうところ専門の貧乏旅行をしたかもしれない。
しかしどうも、わたしみたいにそれなり安定してしまったおじさんが泊まる場所じゃないようだ。
せっかくめずらしい体験ができるかと期待したのに、最初からとん挫、夢まぼろしになってしまった。

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2014年6月 9日 (月)

帰国、いや、帰京

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帰ってきましたよ。
いつ死んでもいいやとか、棺桶に片脚つっこんでいるなんてぼやきをしょっちゅう放っているおかげで、帝国軍人が生きて帰ってきたような恥じらいがありますけどね。
天罰をくらったのかどうか、業火をせおって、つまり背中を日焼けして、イテテとうめきつつ。

無線LANが使えるなら、あちらで、リアルタイムでブログの更新をするつもりだったんだけど、じっさい石垣島や西表には竹富町Wi-Fiなんて便利な無料のLANがありましたけど、いざブログを更新しようと思ったら、こんなときにニフティからIDとパスワードを要求され、ふだんならすぐに思い出せるはずなのに、旅先で高揚しているせいか、認知症があらわれたのか、さっぱり思い出せない。
家にいるときはメモしてあるのを読むだけでいいから、そんなことは考えてもいなかったのがウカツ。

そういうわけで現地でブログの更新をするというのは夢のまぼろし。
これから外国に行くときはちゃんとID・パスワードメモして行きましょう。
ドジはほかにもありましたけど、ま、おいおい書いていくことにして、今日はこれからたまった新聞を読むことにします。

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2014年6月 1日 (日)

旅立ち前夜

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食欲がないねえ。
たまには栄養でもつけるかと、冷蔵庫に肉が入れてあるけど、そんなもん食えるくらいなら苦労はしない。
でも、べつに体調がわるいという自覚もないし、どこかイタイとかカユイというわけでもない。
食欲がなければエンゲル係数が安上がりでいいと、ヤケッパチの開き直りがわたしの信条である。
それじゃ栄養失調にならないかと思うのは素人のあさましさ、未熟者の愚かしさというものだ。
肉がダメなら、日本人には冷や奴がある。
冷たいビールと枝豆がある。
とどの〆にはお茶漬けもある。

トシをとるとこの程度の食事で充分なのだよ、お若いの。
ま、せいぜい肉でもたくさん食って、日本の未来のために子作りに励んどくれ。

栄養が不足しているわけじゃないだろうけど、あしたからまた西表島だというのに、さっぱりアドレナリンが湧かないねえ。
若いころなら旅立ちの前夜なんて、興奮して寝られなかったものなのに、最近ではからだ全体からおっくうという気が立ちのぼって、準備をするのも大儀だなあという感じ。
いまさら旅先でのすてきな出会いが期待できるわけでもないしねえ。

そう考えて思い当たったよ。
若いころのわたしが旅に求めていたのは、チテキ好奇心をのぞけば、きれいな婦女子との出会いであったということを。
妄想と現実は違うから、そんなすてきな体験は、まあ、めったになかったけど。

光陰矢のごとしだな。
わたしがはじめて西表島にひとり旅をしてから、ほぼ30年たつ。
そのとき出会った女の子たちは、いまじゃ孫がいてもおかしくない歳になっているはず。
若いつもりのわたしも、そのうちまわりから年金の穀つぶしだ、医療費のムダ使いだと白い目で見られる歳になっちまう。
今回の旅では沖縄の熱い日射にさらされて、年寄りの冷や水ならぬ “日射病” にならんという保証もないわけだ。
ま、生きて帰ってくるつもりではありますけどね。

そういうことで明日からしばらくブログも休み・・・・・・と思ったけど、あちらで無線LANが使えるなら、たまには更新があるかもしれません。
わたしのiPodはそのままではネットにつながらないので、あまり期待しないこと。

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