西表島/乗り込む
西表島にはじめて出かけたのは1983年だから、いまから30年以上まえになる。
そのときは石垣島から竹富島、西表島をめぐったんだけど、竹富島なんか現在のように開発がされてなくて、赤瓦の沖縄ふう民家や、部落をとりかこむギンネムの森がそっくり残っていて、ホント、いま思うと夢みたいな景色がそのまんまだった。
当時の竹富島を知りたかったら、司馬遼太郎の 「街道をゆく/先島紀行」 を読むとよい。
じつはわたしが30年まえに沖縄に出かけたのは、この本に誘発されたからだった。
その後先島 (竹富島や西表島をふくむ宮古、八重山の総称) には3回出かけている。
とくに竹富島の変貌には残念としかいいようがない。
島の住民にとっては、便利になったんだからいいんじゃないかといわれそうだけど、現在は便利でないことが財産になる時代なのだ。
早まったことをしてくれたというのは、部外者の身勝手ななげきだろうか。
でもまあ、こうしているあいだにも、大勢の観光客が押し寄せ、その大部分はきれいで快適で、おいしいものが食べられるほうがいいというオンナの子だろうから、これじゃ抵抗してもムダだ。
わたしみたいな人間は、どうせそのうち絶滅することになるのだから。
そんな悲惨な先島だけど、西表島だけはまだあまり開発がされてないようで、30年まえに見た景色がほぼ残っているようである。
竹富島がオンナの子たちを一手に引き受けてくれたせいかもしれない。
3泊4日というよくあるツアーで先島にくると、石垣、竹富だけで時間いっぱいになって、たいていは西表を断念してしまうせいかも。
理由はどうであれ、ここが考えられるかぎり日本最大の秘境であることを、1年まえに再訪してわたしは確信した。
幼少のみぎりから豊かな自然と交わってきた田舎者のわたしは、ロミオがジュリエットに恋い焦がれるように、このトシになって秘境というものにむやみやたらとあこがれているのだ。
今回の西表島紀行記では、思い出をたどるという乙女チックな感傷は封印して、手つかずの自然に身をゆだねるというアウトドア精神を前面に出すつもりである。
そういういきごみで離島桟橋に行って、西表島への連絡船チケットを買った。
前回は安栄観光の船だったから、今回は八重山観光の船にした。
すると、やっぱり、船は安栄観光の船だった。
それじゃあ西表に着いてから、安栄観光の無料バスに乗れるのかと思ったら、これはチケット通り八重山観光のバスに乗ってくれという。
行き当たりばったりの旅で、今回は片道券しか買ってないから、そういう複雑な問題について文句はいわない。
写真は安栄観光の船と、それに乗ってたどりついた西表島・上原港の桟橋だ。
船はボロいけど、エアコンつき。
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