西表島/アマモ
イダの浜には何度も出かけた。
ほんの近距離だし、ほかに行くところもないもんで。
ある日の昼ごろ、銭湯へ行くような調子でタオルを下げて出かけてみた。
イダの浜も20メートルぐらい沖に行くと、海底に青い部分が見えて、これは岩ではないようだから、いったい何なのかを確認してみるつもり。
まえにも書いたけど、30年まえの旅では、網取湾というところで砂の海底に盆栽のようなサンゴやイソギンチャクを見たおぼえがある。
ひょっとするとまた生きものの小宇宙が見られるかも。
ちょっと意外だったのは、無人と思っていた海岸に、女の子のグループやアベックなどがいて、まあまあにぎやかだったこと。
わたしはすこし離れた場所にタオルをしいて、優雅なリゾート客をきどろうと思ったけど、彼らから見ればホームレスまがいのおじさんがヒマをもてあましているとしか見えないであろうことに気がついて愕然。
海に入ってみたけど、3点セットを借りてこなかったので競泳用の水中メガネしかなく、息つぎに忙しくてのんびり海中観察もできなかった。
おかげで水着の天使たちを尻目に、早々に引き返すことになった。
このとき海岸で見た女の子たちは、日帰りで船浮に来ているものらしく、午後の連絡船でさっさと帰ってしまうから、午後3時にもなれば、イダの浜はまた静寂をとりもどし、大きな木の葉 (クワディーサーというらしい) が強烈な日照の下に、むなしく日かげをつくることになるのである。
やがて地区もオオコウモリの飛び交う静かな夜をむかえることになり、わたしは部屋で iPodをかかえて孤独の夜をすごすことになる。
忘れないようにつけ加えておくと、イダの浜の海中に見える青い部分はアマモ (甘藻) だった。
アマモというのは海草の一種で、どっちかというと陸上の草に近く、コンブやワカメとはまったくちがった植物である (ここに載せた写真は例によってネットから)。
マングローブと同じように、これが繁茂したところにはさまざまな生きものが生息しているので、やはりナチュラリストもどきには興味のつきない場所になっている。
でもこのときは早々に引き揚げたので、じっくり観察しているヒマがなかった。
部屋でいろいろ考える。
この世の中でいちばん金のかからないヒマつぶしは思索にふけることで、わたしは旅先で時間をもてあますとたいていこの手を使う。
この紀行記の最初のほうで、司馬遼太郎の 「街道をゆく」 に触れた。
この作家は歴史小説家だから、この紀行記もあちこちを旅しながら、その土地の歴史について論じるという内容になっている。
「街道」 シリーズのうちの先島紀行では、とうぜん沖縄の歴史にふれることになり、琉球始末や太平洋戦争のことなど、あまり楽しい話は出てこない。
わたしも沖縄の戦争についてなにか考えなくちゃわるいかなと思ったけど、残念なことに戦後世代なので、書くような体験もないし、考えるにしても人ごとのような白々しいことしか考えられそうにない。
だいたい昭和そのものがそろそろ歴史の一部になってしまって、新しい時代と交代しようとしているご時勢だ。
しかも新しい時代は、わたしの世代の消滅とともに始まろうとしているのだ。
死にぞこないみたいなおじさんがエラそうなことをいっても仕方がない。
わたしの人生は海中のアマモのように、潮の流れのまんま、あっちへゆられ、こっちになびくというだらしないものだった。
でも文句をいわないでほしい。
現在のわたしがしごくノーテンキに生きているように見えるなら、それは自分でも理由がよくわからないんだけど、みんな向こうから転がりこんできたものなのだから。
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