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2014年7月

2014年7月31日 (木)

カヤの外

作家の邱永漢さんが 「邯鄲の夢」 について書いていた。
邯鄲の夢というのは中国のむかし、ひとりの青年が栄華をきわめる夢をみるが、夢からさめてみると、眠るまえに火にかけた粟がまだ煮えてなかったといもので、人生のはかなさ、栄華のむなしさを象徴する説話だそうだ。
ただしと、永漢さんは書く。
自分だったらこんな話を聞かされても、ひるまずに、やはり栄華栄達をめざすだろう。
じっさいに体験してみなければ実感として理解できっこないというのが中国人の考え方だそうだ。

中国で最高指導部のメンバーだった周永康という政治家が、現指導者の腐敗追求のあおりをくらって失脚したらしい。
権力者が変わればたちまち標的にされるおそれがある (北朝鮮なら機関銃で蜂の巣だ) にもかかわらず、どうしてあの国の人間は現世の利益を追い求めるのか。
もちろん捕まるのがコワイといって悪いことをしない悪人はいないだろうけど、中国の場合は、栄華をきわめ尽くした人間ほど、権力者が変わったときに臭いメシを食う確立が高いのだ。
あの国で栄華というと、たいていは汚職や無法がつきまとっていることは、本人もよく自覚していることだろうし。

それでも栄華を実感したいという輩があとを絶たないのは、王朝時代の科挙の制度がいまでも生きているってことかもしれない。
科挙のもとでは、本人がそれなりの地位に登れば、一族郎党ともに栄華をきわめるってことで、栄華の規模がケタ違いなのだ。
そのかわり本人が失脚すれば、一族郎党もおなじ運命である。
だんびらや機関銃が使われなくなったというだけで、中国は4000年前の政治システムがいまだに続いている世界遺産の国なのだ。

もちろんこの騒動でもって、今度の中国の指導者はなかなか正義を愛するなんて思っちゃいけない。
新しい政治家には新しい護摩のハイがたかるのは間違いがない。
ひょっとするとこの権力闘争の激しさが、健全な政治のひとつのあり方かもしれない。
おごれる者はいつかかならず蹴落とされ、どんどん交代して、独裁政権の内部浄化をすこしは果たしているみたいだから。
一般庶民は、もち、カヤの外。

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2014年7月30日 (水)

夏の帽子

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今日は仕事をおっぽり出すつもりで、暑いなかをぶらぶらと散歩にいく。
とちゅうで竹垣にどこかの女の子が忘れていった帽子がひっかけてあるのを見た。
北原白秋や野口雨情、西条八十らの詩みたいだなと思う。

この帽子を忘れた女の子はいまごろどうしているだろう。
お母さんにしかられて泣きべそをかいているんだろうか。
まさか、異人さんに連れられていっちゃったわけじゃないだろうけど。

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2014年7月29日 (火)

火垂るの墓

今日の夕刊 (また朝日新聞だけど、うちは朝日しかとってないからそれが俎上に上がるのはやむを得ないのだ) の文芸・批評の欄に、つっこみたくなる記事が。
ささいなことなんだけど、ちょっと文句をいいたくなる。

この欄にジブリのアニメ 「火垂るの墓」 について、さまざまな論者が語った本の紹介があった。
これだけではいまどきの若者は、この物語はジブリのオリジナルだと思ってしまわないか。
原作は野坂昭如で、しかも反戦文学の傑作で、それをアニメ化したジブリのほうはロクなもんじゃないというのがわたしの持論だから、ささいなことであってもねちねちいいたくなってしまう。
原作を読め、原作を。
アニメは観なくても人生に影響はない。

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2014年7月28日 (月)

また悶々と

昨日おとといと、ウチの新聞はひとり暮らしや母子家庭の女性の悲惨さについて、大きく特集を組んでいた。
この特集によると、所得が年125万円以下の貧困層に該当するのは、単身女性の1/3近いらしい。

しばらく前に、ベビーシッターに子供を預けて死なせた母親がいて、世間にはその母親を責める意見もあったようだけど、わたしは自分の境遇がいかに恵まれているかよく知っていて、日ごろから世間さまに後ろめたさを感じているほうだから、この母親を責める気にはなれなかった。

だいたいわたしは、新しい事件が起きると、時をおかずに論評することにしている。
時間がたつと事件に対する世間の見方・意見も確立してしまって、いまさら論評しても二番煎じ、三番煎じになってしまうのがオチだからである。

わたしが事件直後に母親を責めなかったのは、真っ先に頭に浮かんだのが、子供をベビーシッターに預けざるを得ない母親の存在だから。
こんなことは新聞テレビの報道に注目し、つねに世間の動静に気を配っている人ならよくわかっているはず。
ましてわたしはノーテンキで放蕩児みたいな生活をしていて、日ごろからそういう女性たちに申し訳ないと思っているのだ。
申し訳ないと思っているなら、そういう女性のひとりや二人を養ってやればいいものを、それもできずに悶々としているのだ (こればっかりは相手にも選ぶ権利があることだしねえ)。

わたしが彼女らの面倒をみてやれないならどうすればいいだろう。
新聞の主題もそういうところにあったようだけど、働く女性の給料を上げればいいという単純な問題でもなさそうだ。
なんとなれば、働く女性にもさまざまな人がいて、中には甲斐性のある旦那のもとで小遣い稼ぎに精を出している人が、これはじっさいにわたしの知り合いにいて、彼女はわたし以上に裕福でノーテンキな生活をしていた。
旦那が亡くなったあとはさすがにそうはいかなくなったみたいだけど、こういう人もいるのだから一律に給料を上げればいいという問題でもない。

いかに格差を増大させずに、悲惨な女性を救ったらいいのか、どうしたらいいだろうと、こんなふうにわたしは問題を深読みして考え、けっきょく何もできないことを悟って、日々これ悶々としているのである。
もうヤケクソで、とことんまでノーテンキに埋没するか。
ええ、消費税でもなんでもじゃんじゃん上げてもらって、ワタシ個人的にはなんの文句もありません。

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2014年7月27日 (日)

ステンレス鍋の2

ステンレス鍋の続き。
こっちが本文。
昨日わが家に届いたステンレス鍋というのは、どれでも好きな品物をお選びくださいという、よそ様からもらったギフトブックから、そういえばこれまで使っていた鍋がだいぶ汚れてきたというんで、選んだものである。
なんで鍋の写真なんかブログに載せたのか。

じつは最近のわたしはひじょうに付き合いがわるい。
誘われてもよっぽど楽しい集まりじゃないと出ていかないし、毎日ひとりで呑んでいるもんだから酒もうんざり。
いきおいお酒を飲みましょうというお誘いにもなかなか乗らないのである。

そういうわけで、昨日は新宿のお祭りイベントに誘われていたのだけど、なにしろ暑いし、年寄りは熱中症になるのが関の山ということで、家から1歩も出なかった。
わたしが不在のまま集まった連中はなにをしてるのか。
他人から見ると付き合いに応じないわたしの態度はひじょうに不愉快なもので、しかも連中は他人をこきおろすことに生きがいを感じている輩ばかりだから、とうぜんながらわたしを酒のつまみにしてボロクソにいっていたにちがいない。
もうあいつに誘われてもゼッタイに行くなと、総シカトも決まったかもしれない。

そう考えると不安にもなるけど、でも世界平和のためにはこのほうがいいのだ。
旅行にしても遊びにしても、飲む酒の種類にしても、わたしはほかの人と考えがちがうので、つねにわたしひとりで和をかき乱すことになってしまう。
わたしみたいなヘソ曲がりは、大勢と付き合わず、ひとり静かにひきこもっているほうが平和に貢献するのである。

なんでステンレス鍋の写真が出てくるのか。
じつは昨日のイベント参加を保留するのに、宅配便がまだ来ないからと言い訳をした。
すると、あいつは出てくるのがイヤなものだから、ウソついているんだろうといわれてしまう。
それで論より証拠と、鍋の写真を載せたのである。
昨夜は到着したばかりの鍋でソーメンをゆでて食べた。
あいかわらずステーキや焼鳥のような肉類は食べる気がしない。
なんとかほそぼそと生きながらえています。

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2014年7月26日 (土)

ステンレス鍋

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なんか最近、土曜日はブログ休みというのが恒例化しちゃったようだけど、べつに意図してやってるわけじゃありませんよ。
暑いせいで頭を使うのがおっくうで、今日届いたステンレス鍋について書こうと思っているうち、あ、もうすぐ日が改まる。
もう間に合いそうもないので、なんでステンレス鍋なのかっていう理由は次回に。

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2014年7月25日 (金)

トラフカラッパ

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おとなになりきれない人間と書いたばかりだけど、そんな退化する精神構造を象徴するように、注文しておいたトラフカラッパのフィギュアが届いた。
カワイイでしょ。
机にかざっておくと、なぜかこころがなごんじゃう。

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2014年7月24日 (木)

ガーナーさん

先日、米国俳優のジェームス・ガーナーが亡くなって、団塊の映画ファンとしてはなにか書かなくちゃいけないかなと思っていたら、今日の夕刊で三谷幸喜クンに先を越されてしまった。
もたもたしていたほうがわるいけど、彼のほうは原稿料をもらえるのに、わたしのほうはそういうアテがないのだから、もたもたしていたのもやむを得ない。
ガーナーについては幸喜クンの文章に尽くされていて、わたしが捕捉すべき部分はひとつもない。

ただこの中で幸喜クンは、ガーナーのような飄々とした男になりたいけど、自分のようにおとなになりきれない人間には無理だろうと、正直に書いている。
彼もわたしと同じ問題で悩むことがあるらしい。
いつまでも子供であることは、芸術の分野ではなかなか素晴らしいところがあるのだが、世間の多くはたいてい変人としか思わないものだ。

そういうことで、いつも他人へのゴマすりばかりの幸喜クンの文章が、今回はなかなかおもしろかった。

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女性器

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とつぜん女性器が見たくなった。
といっても、昨日まで正常だったわたしが急に変態になったわけではなく、新聞で 「ろくでなし子」 さんというオンナの人の記事を読んだからである。
彼女は自分の女性器を3Dスキャナでスキャンして、その立体造形のデータを他人に配ったそうで、公然わいせつ罪で警察につかまっちゃったのである。
そんなものが公然わいせつに該当するのかどうか、彼女の言い分にはそれなりの理があるけれど、そして賛否両論が激突したものの (ホントに激突したかどうか知らないけど)、これを正当化するのは、世間の大半には (女性も含めて) 理解しにくいことと思われる。
世間から遊離するわたしにとっては、同じ変人同盟の仲間を見つけたような気がしてタノモシイ。
でも、なにはともあれ、その立体造形を見なくちゃ話にならない。
でも彼女からわたしんところにそれが送られてきたわけでもないし、それはいったいどんなものなのか。

そう考えて、そうか、ネットがあるじゃんと思い当った。
いまやインターネットに、世間で多少でも話題になった画像、映像が載ってないはずがないのだから、きっとろくでなし子さんの女性器もあるにちがいない。

ここから先はネタバレになるからと、とつぜんネタバレを振りまわすわたしであるけれど、まあ好事家は自分でネットを探してみればよい。
わかったのは、ろくでなし子さんがけっこうカワイ子ちゃんであったこと。
最近の芸術家やマンガ家には彼女みたいなカワイ子ちゃんが多いから、みんなどしどし自分の女性器を3D化してほしい。
そして誰にでもついている人間の体の一部分がどうしてワイセツなのか、問題を提起してほしい。
あ、だんだんろくでなし子さんと同じ主張になってきた。
わたしのは粗チンであるから、データを送れといわれても困ります。

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2014年7月23日 (水)

ナターシャさん

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おっおっ、なんだなんだというこの写真。
じつはいま、このブログにときどき登場するロシア出身の金髪クンが、日本にいちじ帰国中で、彼がナターシャさんの新譜を持ってきてくれたのだ。
ナターシャさんというのは、金髪クンの親戚で、このブログの2013年2月12日に紹介したことのあるロシアの歌手である。

ナターシャさんとわたしは、いちどだけ、みんなで食事をしただけの関係なんだけど、こういう美人からじきじきに託されたプレゼントといわれると、べつに恋仲でなくてもうれしいものだ。
彼女の映像は YouTube にたくさんアップされているので、彼女を見たい人、その歌を聴きたい人は、以下の名前を YouTube にコピペすること。
Наталья Савина

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夏バテ

どうも疲れる。
夏バテかもしれない。
不規則な食生活をしているから、そういうことがあっても不思議じゃない。
今日だって午後3時になって、ようやく10時間ぶりの、これは朝食になるのか、昼メシになるのか、コンビニの弁当を食べているところだ。
食べながらブログの更新をしているのだから、わたしもイケナイ男だ。

つらつら考えてみると、若いころの人間は母親から受け継いだ栄養素が体内に充満しているから、食事をたまに抜いたって元気いっぱいだけど、年寄りになるとそうはいかない。
もう体内の栄養素が枯渇しかかっている年寄りには、ほんのちょっと食事を抜いただけでもダメージは大きい。
つまり、わたしがバテぎみなのはそういう理由じゃあるまいか。

さかしくもそう悟ったわたしは、コンビニのレバニラ弁当で栄養を補給しているところだけど、肉はあまり好きじゃないし、食が進まないねえ。
悪あがきという言葉がちらちら。
どうせ棺桶に片足突っ込んでんでしょ、アンタ。

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2014年7月22日 (火)

逃げおくれた魚

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ぶらぶらと散歩をしていたら、いつものコースに煮干しが落ちていた。
と思ったけど、煮干しじゃなさそうだ。
誰かが釣りの獲物を捨てていったらしい。
と思ったけど、それにしては範囲が広い。
1キロぐらいのあいだに点々と。
どうやら20日の豪雨で川が氾濫し、逃げおくれて河川敷に放置された魚らしい。
でも豪雨は過去にもあったけど、こんなに逃げおくれた魚を見たのは初めてである。
天変地異の前ぶれじゃなければいいが。

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2014年7月21日 (月)

認知症?

昨日はヒマだから秋葉原まで行ってきた。
秋葉原へ行ってもべつに用事はないんだけど、帰りにビールとワインを、ほんの少々飲んだら、頭が無思考状態、体はゆるんだ軟体動物みたくなって、帰宅してベッドに転がりこんでようやく目をさましたとこ。
まだもうろうとした状態で、ひょっとすると認知症じゃないかと、指を1本、2本、3本と数えて、あ、ちゃんと10本あるなとすこし安堵。
ついでに空想と妄想のあいだみたいなブログ・ネタをひねってみたら、マイクロソフトの創設者の名前が出てこない。
5分ぐらい考えて、そうそう、ビル・ゲイツと、これってやっぱり認知症かねえ。
知らんぞ、ブログの更新もおっくうだし。

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2014年7月18日 (金)

寄付

ウィキペディアに 「寄付をお願いします」 って広報が。
いつも利用させてもらっているので、800円寄付してみた。
ケチと思われるかもしれないけど、相手は世界を相手にしている非営利団体だ。
世界中から800円が集まれば、その額は莫大なものになるだろう。
最近、個人情報が漏れたなんて事件が多いので、ちと不安だったけど、この社会でそういうものをゼッタイ拒否していたんじゃなにも進まない。

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2014年7月17日 (木)

今朝の新聞

しょっちゅう朝日新聞にいちゃもんをつけているから、わたしは反朝日の急先鋒と思われているかもしれないけど、けっしてそんなことはない。
ウチにはよく他の新聞の売り込みが来るけど、朝日以外はいっさい相手にせず、むかしから、とにもかくにも朝日一本やりというのがその証拠だ。
わたしがいちゃもんをつけるのは、ただただ記事が偏向しないように、もっとレベルの高い反体制をつらぬいてほしいと思うからなのである。

たとえば今日の朝刊には、やる気のある役人さんについての記事が載っていた。
役人・政治家というと、どうしようもない連中というのが朝日の基本姿勢だけど、被災地の復興現場で働く役人の中に、中央から派遣されてきたにもかかわらず、中央の口利きを拒絶して、真に現場の意見を汲み取る役人さんがいるという。
わたしが望むのは、こういう客観的で、偏向していない記事を書いてほしいということだ。
ウチの新聞は世の中に対して不満を並べたてる一般庶民を相手にしてるので、そんな新聞は誰も読まないと反論されそうな気もするけど、わたし個人の要望はそんなところである。

今日の朝日は読むべき記事が満載だ。
オピニオン面では、移民国家を受け入れたドイツのもと議会議長さんという人が、移民を受け入れることの重要さを語っている。
これは正論だから納得する反面、理想論みたいなところがあって、ドイツ国内でもいろいろ問題が生じていることは、わたしはちゃんと知っているのだ。

議長さんの意見の下に、朝日の編集委員であるなんとかいう女性が、女性議員への屈辱的なヤジについて書いていた。
子供を産むかどうか、結婚するかどうかは個人の勝手でしょというものだけど、独身のわたしはそうだそうだと喝采を叫ぶと同時に、最近の世相についてきゅうくつなものを感じてしまう。
社会面にもあったけど、酔っぱらってひわいな言動をはいた検事さんが、セクハラで更迭されたとかなんとか。
世の中はますます冗談もいえないところになっているなと、むかし別れぎわに、油断していた女性にキスしたことのあるわたしには他人ゴトじゃない。

経済面には、いよいよクロマグロの完全養殖が開始なんて記事も。
和食が世界的なブームで、淡水魚しか食わなかった中国人でさえマグロを食べ始めたというから、わたしの好物がますます高騰するのではないかと心配していたところである。
これからはクロマグロが日本の重要輸出品になって、日本経済を支えることだろう。
うん、これはこころ温まる記事だ。

目立たないところに、日本の認知症のおばあさんがベトナムで暮らしたという記事があった。
ベトナムに身よりがいたらしいけど、あちらにはまだ年寄りを大切にする文化があるので、おばあさんは幸せに人生をまっとうしたらしい。
現在の日本は、長生きをすればするほど、望むと望まないとに関わらず、周囲に迷惑をかけるだけという社会になってしまったから、これもほのぼのとした記事だ。

温かな記事、寒々とした記事、いろんな記事があってかまわないけど、朝日新聞に望むのは、偏向した記事ではなく、こういう客観的な記事を書いてほしいということなのである。
ちゃんと読む人は読んでいるんだよねえ。

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2014年7月16日 (水)

魚油サプリ

目が疲れる。
長年使ってきたものだから仕方ないけど、それでサプリメントを買ってきた。
目には肝油がいいということは、子供のころ肝油ドロップなんてものを飲まされたことがあって、なんとなく知っていた。
で、肝油サプリにしようかと思って、けっきょく買ってきたのは魚油サプリというやつ。
魚油も目にいいと、聞いたことがあるようなないような。

ヒマだからラベルに掲載されている効能書き、いや、説明を読んでみた。
成分表や飲み方について詳しいくせに、なにに効くのかということは書いてない。
目安量:1日4錠と書いてあって、なんとなく薬品みたいだけど、コンビニで売っているくらいだからどうせ効果はないだろう。
むかし中国の市場で生きたタカ (鷹) を売っていた。
売主の口上によると、タカは目がいい、だからタカを食べると目がよくなるという。
あれと同じようなもんじゃないか。

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2014年7月15日 (火)

オオグソクムシ

海水浴の帰りに沼津の魚市場に寄った。
メンバー全員でみやげを買うために寄ったものだけど、市場を見学するのが大好きなわたしにはしめしめというところ。

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わたしたちが寄ったのは沼津港のすぐわきにある、沼津第一魚市場と道路をはさんで、小さな魚屋や食堂が軒を接しているところで、駐車場に車を停め、堤防に上がってながめると、すぐ目の下に狩野川河口の干潟がひろがっている。
沖縄で見てきたばかりの干潟に比べるとあまりきれいじゃないけど、ウやカモメが群れていて、泥の中にはたくさんの生きものが棲んでいるんだろうなと想像してしまう。

みやげを買うつもりはなくても、市場を見て歩くのは楽しい。
そのうち市場の一角に 「深海魚水族館」 なるものがあることに気がついた。
沼津港のまえに広がる駿河湾は、場所によっては深度が2500メートルもあって、めずらしい深海魚が数多く棲息することで知られている。

わたしはどこに行っても水族館があればかならずのぞく人間だ。
しかし同行のメンバーは、全員がまっとうな社会人として成熟した人間ばかりなので、こういうところに興味を持ちそうもない。
まして入館料は1600円だ。
そんな金があったらメシを食うほうがいいという人間ばかりだったので、メシを省略しても水族館を見たいわたしは、けっきょくひとりで水族館へ入り、他のメンバーはそのあいだに買い物と食事をすませることにした。

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この水族館には、深海を扱ったBSの番組で見たことのあるヌタウナギやメンダコなど、変わった生きものがたくさんいたし、西表島で見てきたばかりの魚や甲殻類もいた。
こういうところを見学しているとわくわくする。
そのうちある水槽のまえで足がピタリ。
足がたくさんあってちょっと気色ワルイの部類だけど、そこにはオオグソクムシ(大具足虫)という水生等脚類がいた。
具足というのは、侍が身に着けた鎧を構成する部品のことで、ここに添付したオオグソクムシとその面がまえの画像を見ればナットク(画像はネットから)。

オオグソクムシはダンゴムシやフナムシの仲間で、大きさは両手のひらからはみだすくらいある。
むかし刺し網にかかった小魚が、ひと晩のうちに骨にされてしまうのを見たことがあり、いったいなんの仕業だと思ってよく見ると、骨のまわりにまだ1センチもないような小さな虫がうごめいていた。
いま考えると、これもグソクムシの仲間であったようだ。
ただ、1センチの等脚類では水族館のスターになりようがない。

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オオグソクムシはこれよりずっと大きくて、食べると美味しい!という人もいるらしい。
これだけ大きいとスターになる資格があるけど、上には上があって、ダイオウグソクムシというのは30センチにもなるという。
しかも鳥羽水族館で飼われていたものは、5年と1カ月のあいだなにも食べずに生きていて、絶食のチャンピオンということが話題になったこともある。
これだけ大きくて話題性があるものだから、ふつうなら気持ちワルイはずのダイオウグソクムシは、ぬいぐるみになるほどの人気があるらしい。
最後の画像はぬいぐるみで、ネット通販でも買えるそうだ。

水族館を見学してメシを食いそびれたわたしだけど、そんな自分の性格を正当化する理屈はいくらでも並べられる。
しかし、ここでまたおとなになりきれない人間の悲哀をしみじみと。
他人から見れば、メシより水族館というわたしは、やっぱり異端者でしかないんだろうなって。

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2014年7月14日 (月)

帰ってきた

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海水浴から帰ってきました。
わたしは晴れ男のつもりだったですけど、今回は10人以上のグループ旅行で、雨男が3人ぐらいいて、多勢に無勢。
泳いだのは雨の中で10分間だけ。

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2014年7月13日 (日)

生きてる

今日から海水浴に行ってきます。

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2014年7月11日 (金)

当然の結果

朝おきて、台風はどうなったんだと天気予報をみたら、千葉県のほうに再上陸とあった。
千葉県てのはあっちのほうかと、そっちの方向をながめてみると、雲の切れまにそのうち太陽までのぞきそうな塩梅。
南木曽町の人のように流されては困るから、昨日は仕事を休んだのにこのザマだ。
減収分を補償してくれろ。

また朝日新聞の記事。
フィリピン、台湾、ロシアの3国の識者に、集団的自衛権について意見を求めているんだけど、国際情勢に精通している者にとっては、当然そういうだろうというアタリマエの意見ばかり。
中国にいびられているフィリピンは日本の集団自衛権の行使容認を正しいといい、台湾は、識者が台中接近をはかる馬総統のブレーンだけあって、そりゃマズイでしょといい、親日家プーチンのロシアでは、ま、どうでもいいんじゃないかという。

へそ曲りの当方としては、フィリピンと台湾の識者がそれぞれ正反対のことでもいってくれないと、誌面の半分をつぶすほどのニュース価値はないと思う。
台湾の意見がいちばん目立つところにあるのは、やっぱり朝日の編集の妙なのかしら。

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2014年7月10日 (木)

アクセス

ここんところブログのアクセス数が三桁を下ったことがない。
これならスポンサーでもつけて日銭を稼ぐか。
ということは誰でも思うらしく、世間には広告をつけてアクセス1個でナンボなんてブログもたくさんある。
たいていは読むに値しないつまらないブログである。
そのくせ、なんとかアクセスを稼ごうとあの手この手で必死だ。

わたしはそういうセコイことをしない。
こんなもので稼げる金なんて微々たるものだし、だいたいわたしは、自分のおかげで他人が儲けるのを平然とみてられない性格だ。
わたしのブログをおもしろがって見ている人だって、それでわたしのもとに日銭がどさどさ入り、わたしが日々豊かになると思ったら、もうくやしくて眠れないにちがいない。
有名になると書きたいことも書けないだろう。
旅行に行けば取材陣がぞろぞろくっついてくるかもしれないし、いまは無視のかまえの朝日新聞だって、論客を総動員して反撃してくるかも。

そんな世間にわずらわされたくない。
もう棺桶めがけていちもくさんのわたしにとって、こんなブログでも読んでくれる人がいるだけで幸せだし、夢もチボウもない後期高齢者のじいさんたちの、しばしの憩いになっていると思うだけで満足しよう。
どっか屈折してるか?

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2014年7月 9日 (水)

ハンナ・アーレント

煮え切らない天気だねえ。
せっせとブログでも書くか。
新聞に哲学者ハンナ・アーレントの小さい記事。
おお、これはわたしのブログにふさわしい高尚なネタになるのではないか。

じつはこの人について何も知らなかったんだけど、ちょっとまえに彼女を取り上げたドキュメンタリー映画があり、それについての解説をいくつか読んでみたおかげで、彼女について知ったのである。
彼女はナチスに迫害されて米国に亡命したユダヤ人で、戦犯のアイヒマン裁判を傍聴し、被告はどこにでもいるふつうの人間ではないかと論評した。
アイヒマンは極悪人であるというのがユダヤ・コミュニティで通説だったにもかかわらず、それに反する見方をしたことで、攻撃された学者であるそうだ。

わたしの所属する団体でもときどき大会があって、団体の運営方針、会計報告なんかを議論することがある。
すると中にかならず指導部に対していちゃもんをつける人が出てくる。
ほとんどの組合員はことなかれ主義で、他人におまかせで満足してる人ばかりだから、こういう人は変人扱いをされてしまう。
わたし自身は吃音で、人前ですじの通った話をするのがニガ手な人間だから、あまり大会で発言しないけど、変人にはおおいに共感を感じている。

ハンナ・アーレントの偉大さは他人に迎合しないこと、世間の常識に同調しなかったことではないか。
とうぜんながら、彼女も世間から変人視された。
世間の常識をせせら笑うわたしとしては、彼女を尊敬しないわけにはいかない。

朝日新聞のイケナイ点は、こういう記事でも
「今の日本で起きている政治的な出来事と結びつけ」
「行政機構で陳腐な悪の歯車がまわっていないか」 と、みんな自分んとこに我田引水してしまうことだ。
朝日新聞の主張に対しても、ん?と思うこと、大新聞の主張でも、いちおうは眉にツバをつけてみること。
それもまたアーレントの生き方に通じるものがあるはずである。

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2014年7月 8日 (火)

おさむクン

朝日新聞に 「桃尻娘」 の橋本治 (おさむ) クンが寄稿していた。
寄稿というと原稿料なしで投書したような感じだけど、作家はモノを書くのが商売なので、ほとんど新聞の1面を埋めるような長い文章をタダで書くとは思えない。
これに対していちゃもんをつけるわたしの文章は1円にもならないのだ。
朝日の記事にいちゃもんをつけるのだから、ライバルである読売からいくらか払いましょって話があってもよさそうだけど、それもない。
不公平だよな。

おさむクンの意見はこれまでさんざん朝日で読まされたものと、大筋ではちがわない。
「集団的自衛権」 や、「その行使うんぬん」 という安倍クンの説明がよくわからん、説明不足だってことだけど、よくわからんものについて書くのだから、おさむクンの文章そのものもひじょうにわかりにくいものだ。
そりゃおまえの理解不足だという人がいたら、今朝の朝日のオピニオン面を読んでみればよい。

わたしならもっとかんたんに理解し、すっきり説明してしまうぞ。
いくら文字数や行数を稼いでも原稿料がもらえるわけじゃないんだから。

ようするに安倍クンが集団的自衛権の行使容認をゴリ押しするのは、必要な場合それを行使できるようにしておこうというだけのことで、なにもそれを侵略戦争のために振りまわそうってわけじゃないでしょ。

なんで、どうして、それがすぐに戦争って話になっちゃうのかねえ。
法律論まで持ちだして阻止しなくちゃいけないものかねえ。
なんとか足をひっぱってドローに持ち込めば、反対派にとっては勝利だってことはわかるけど、なんかフェアじゃないよな。

おさむクンの文章の結論は、集団的自衛権の行使うんぬんよりも “日本人がまともに議論する能力を持ってないこと” であるそうだ。
でもそういう日本人に、くねくねとわかりにくい文章を読ませても仕方ないでしょ。
中にはわたしみたく、まともとされる議論に疲れちゃってる人もいるんだけど。

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2014年7月 7日 (月)

雨の日

台風が近づくと、いよいよ食が細くなる。
台風と食となんの関係があるのか。
台風のせいで毎日雨ばかりだ。
降り込められて部屋にとじこもり。
そうでなくてもわたしにはひきこもりの傾向があって、運動をしないでごろごろしていることが多いから、これじゃあ腹もへらない。
でも、食の細いやつは長生きしないぜといっていた友人はとっくに逝った。
明日は明日の風が吹くさ。

雨の日はほかにやることがないからブログ記事を書く。
台風が近づくと、ブログの更新もいよいよ盛んになるってのも真理だな。
でも今朝は新聞が休みでネタ不足。
コマッタ。

で、昨日の新聞のGLOBE面からだけど、そこにNHKのチーフプロデューサーっていうオンナの人が一文を寄せていた。
国際共同制作の利点について。
外国のメディアと共同制作は、財政的に楽だってこと以外に、いろいろ教えられることもあるのだそうだ。
ナショナル・ジオグラフィックとの制作では、相手のほうから注文がついて、「専門家のインタビューを室内でイスに座らせて撮るのはやめろ」 だって。
アタリマエじゃん。
英国BBCの番組がすばらしいのは、D・アッテンボローみたいに自ら野山を駈けまわる専門家がいたせいだ。
そのへんのミーハーみたいなタレントが、脚本を読みながらやっているのとはわけがちがうのだ。

NHKに期待している当方としては、国際共同制作からよく学んでほしいとエールを送るっきゃない。
ところでNHKの会長さん、最近はおとなしいな。
いるのかいないのかわからないというのは、うん、それこそNHK会長の本来あるべきすがたで、彼の出番は、不祥事を起こしたときや視聴料値上げのさいに頭を下げるだけでいいのだ。

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ひさしぶりの散歩

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雨ばかりの合い間をぬって、昨日はひさしぶりに散歩に行ってみた。
自然観察園ではヤブカンゾウの黄色い花が盛りだ。
この花はアブラムシ (アリマキ) がいっぱいたかるので、クローズアップするにしのびない。
ここに載せたのは、かろうじてそういうものがあまり目立たないもの。

散歩のとちゅう、大きなウシガエルを2匹も見た。
カエルというのは足をぴーんとのばすと、体長の半分は足が占めるから、まっすぐにのばした全体は30センチはあろうかというやつ。
これだけでかいとカルガモのヒナなんか丸呑みで、今年はあまり見かけないヘビもたじたじではないか。
こちらと目があった瞬間に水に飛び込んでしまったから写真に撮れなかったけど、そのうちなんとかスクープしてやろうと思う。

往復1時間の散歩だけど、帰りにあらためて足のおとろえを感じてしまう。
旅に出るならここ3年ぐらいが勝負かも。
アセる。

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2014年7月 6日 (日)

開平

Worldheritage

やっと西表島の報告が終了したと思ったら、それを待ちかまえていたように、旅に関係のあるメールがふたつ。
ひとつはアメリカ合衆国からで、ぜんぶ英語のメールだ。
ヤフーの翻訳システムを使って訳してみたら、ESTA (電子渡航認証システム) の有効期限が切れますけどどうしますかって、なんか親切なのかよけいなお世話かなのかわからんメール。
うっかり継続の手続きすると、また金を取られるか、わたしの最新の個人情報が米国の安全保障会議に行ってしまうのかもしれない。
とりあえず近々アメリカに行く予定はないので無視。

もうひとつのメールは、ひさしぶりに中国の知り合いから。
“血脂” が高くてとぼやいている。
血脂というのはコレステロールのことかしらと思うけど、ま、おばさんになればそういうこともあるだろう。
こっちだっていいトシのおじさんになってんだし。

彼女と最後に会ったのはいつだったかと調べてみたら、それはほとんど10年ちかくもまえだった。
なにしろ大陸中国のまん中へんに住む相手だ。
いくら最近の日本が観光立国を目指しているといっても、まだまだあちらからみれば日本は遠い国だし、他国への旅行に目線を変えたわたしにとって、そうおいそれと出かけられるところでもないから、ずっと会う機会がなかったのである。

わたしの人生はしょぼくれたものだったけど、それでもその中に、象嵌にはめこまれた真珠の切片のように、ときたまキラリと光る思い出がいくつか存在する。
この中国のおばさんとの思い出もそのひとつといっていいだろう。
でも、ここではそれに詳しく触れないのである。
そんなことより、ひさしぶりのメールでまた旅のムシがむずむず。

わたしは中国に関しては、上海から新疆ウイグル自治区まで、しかも何度も旅したことがあって、この方面はわりあい知っているつもりである。
ところが華北と華南はほとんど行ったことがない。
中国は広大な国なので、人の生活様式も場所によってぜんぜん異なるから、まだまだ行ってみたいところはたくさんあるんだけど、まごまごしていると中国だけで人生が終わってしまいそうだ。
それで中国はいちおう卒業したことにして、最近は他の国にかまけていることは、このブログを読んでいる人はご存知のとおり。

でも中国のおばさんのメールで、また中国へ行ってみたくなった。
中国の広東省に開平という村があって、そこに写真のような不思議な景色がひろがっている。
じつはこの土地のことを最初に知ったのが、このおばさんから送られてきた中国各地を紹介する映像DVDによって、だったのである。

さあ、どうだ、また中国へ出かけてみるか。
現在の中国は安倍クンの政治のおかげで、かってほど居心地のいい国でなくなっているようだけど、そこにわたしみたいな人間と会いたがっている女性がいるなら、冥土のみやげにひとつ出かけてみるのもわるくない。
開平と、福建省の客家円楼と、BSで紹介された菜の花の美しい羅平をまとめて見てきてしまうか。
残りの時間は少ないぞ。
写真はネットで見つけたもの。

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2014年7月 4日 (金)

西表島/自然とわたし

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わたしの郷里は北関東の地方都市で、むかしそのあたりでは養蚕をしている農家が多かった。
わたしの親戚でも、一年のある特定の時期には、天井裏部屋みたいなところでカイコがたくさん飼われていた。
わたしはたカイコ棚にならんで首をふる白いカイコたちと、しきつめられた桑の葉の一種独特な臭いをはっきりおぼえている。

たくさん飼っていると、中には病気のもの、具合のわるいものが出てくる。
そういうカイコはなさけ容赦なく選別されて、庭の池に捨てられる。
池には大きなコイがたくさんいて、カイコを投げ込むと、われ先にとひしめきあってそれを呑みこんでしまう。
小さな池だったけど、季節になるとショウブが黄色い花をつけ、その根もとあたりに体に斑のあるライギョがひそんでいるのが目視できたりした。
たぶんウナギやナマズも棲んでいたと思われる。
水面に小さな魚の群れが泳いでいたり、ミズスマシ、アメンボ、ゲンゴロウなどもいた。
ほんの10平方メートルもないような池に、ありとあらゆる生きものが棲んでいて、弱肉強食という自然の摂理を、たぶん江戸時代あたりから繰り返していただろう。

なんで江戸時代かというと、つまりわたしの郷里の原型が固まったのがそのころだと思うからだ。
北関東のワラぶき屋根の農家とそれを取り囲む水田の配置は、江戸時代から昭和の全般あたりまで、ほとんど変わらずに連綿と続いていて、親戚の庭にあった池もそのころからあったんじゃないだろうか。

わたしはそういう時代をなつかしむ。
自然の輪廻を人間が断ち切ることなしに、すべてが混然一体となっていた時代を。
田中冬二の詩世界のような、古い素朴な日本の農村を。

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でも、古いむかしをなつかしむのはわたしだけじゃない。
わたしたちはひじょうに変化の激しい時代を生きているので、人生の前半と後半で環境が激変した人はたくさんいるはずだ。
合理性とスピードと競争原理が幅をきかすこのコンピューター社会から、いっときでも水面に浮かび出て、ひと息つきたいと考える人は少なくないにちがいない。
前半の人生に郷愁を感じないという人がいたら、たぶんその人は人生に揉まれて、感受性をすりへらしてしまった人なのだろう。

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今回の旅の紀行記はこれで終わりだけど、わたしの中では現代の奇跡のような西表島に対する畏敬の念がふつふつ。
どうせトシがトシだから、いつまでひとりで海外旅行はできっこない。
これからは海外旅行よりも西表島に入りびたってしまおうかと、本気で考えるくらいなのである。

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2014年7月 3日 (木)

西表島/花の2

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この紀行記のおまけとして、西表島で撮った花の写真をずらり並べる。
いつもといっしょで、べつに科学的根拠にもとずいているわけでも、なにか脈絡があるわけでもない、たまたま撮ったものをてきとうに並べただけ。

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名前のわかるものでは、Aがハイビスカス、Bがブーゲンビリアで、このへんは常識以前の名前。
Cは園芸品種のような派手な花で、ゲットウ(月桃)という。
白い清純なDは、オキナワキョウチクトウ(沖縄夾竹桃)で、Eはそのクローズアップ。
このあとは調べてもわからないマクロ的な花がいくつか並ぶけど、FとG、HとI、JとKはそれぞれ同じ花。

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Oは浦内川で滝を見に行ったとき、山中に咲いていた花で、ヤエヤマノボタンというらしい。
Qは花ではなく、シダの仲間の若葉を逆光ですかしてみたところ。

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最後は東京のウチの近所にも咲いていて、このブログでも取り上げたことのあるオモダカの花。
へえ、西表島でも咲くのかって感心したというのはウソです。
内地より2、3カ月早く咲くんだねえって、つまらないことにはすこし感心したけど。

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西表島/花の1

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西表島で花というとサガリバナというのがよく知られていて、ネットで西表の花を検索すると半分くらいはこの花が出てくる。
この花は夜間に咲いて夜のうちに散ってしまうらしいから、ひじょうに神秘的な花である。
川にせり出した枝から、もしゃもしゃっとしたネムの花みたいなのが、落花して水面をおおっているようすは幻想的でもある。
つまり神秘的と幻想的がダブルになっていて、これは見たい!

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で、花期を調べてみたら6月下旬から7月いっぱいぐらいだそうだ。
わたしゃ今回の旅ではそんなものぜんぜん見なかったから、ほんのすこしの差で花の見ごろに早すぎたのか、あるいは当人がぼんやりした人間なので、どこかで見たのに気に留めなかったのかもしれない。
この4枚の写真はネットで見つけたもので、たしかに神秘的かつ幻想的。
これを観るためだけに西表に行く人もいるかもしれない。

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2014年7月 2日 (水)

西表島/川魚

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南米の大河アマゾンには、猛魚ピラニアや、イルカやエイ、フグ、そして古代魚のビラルクーなど、わけのわからない魚がたくさん棲息している。
西表島の河川はアマゾンと桁がちがうけど、雰囲気はその支流みたいだし、生物相も似ていそうな気がする。
浦内川のクルージングでガイド君が、ここには丸太ん棒みたいなオオウナギや、3センチもないハゼの仲間など、珍しい魚がたくさん棲んでいますといっていた。
にごった水の底にどんな魚が棲んでいるか想像すると楽しい。
しかしアマゾンのほうはいろんな文献、マスコミなんかによく紹介されるのに、西表の川魚が紹介されているのを見たことがない。

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で、いちおうネットで調べてみた。
ネット上の文献によると、浦内川には純粋の淡水魚は多くないらしい。
川に淡水魚がいなけりゃ何がいるんだと訊かれそう。
つまり一生のうちの一定期間を海や河口ですごす、通し回遊魚とよばれる魚がほとんどなんだそうだ。
そういえばウナギもそうだな。
上流8キロまで海水がさかのぼることもあり、それより上はほとんど渓流になってしまう浦内川は、たしかにあたりまえの淡水魚には棲みにくそう。

魚の種類とめずらしい魚の多いことでは世界有数だとも。
汽水域だから海の魚がたくさんいるのは当然で、この有数の中にはふつうなら真水の川には棲まない魚がたくさん含まれている。
絶滅危惧種もたくさんいるそうだけど、西表で危惧種なら、よそじゃとっくに消滅しているだろう。
いったいどんな魚が棲んでいるのか。
それを確かめるには網でさらうか、釣りでもするしかない。
網でさらうのはわたしみたいな短期間の旅人には手におえないけど、釣りならなんとかなるかもしれない。

わたしに釣りの趣味がないのが残念だ。
子供のころ桑の枝を竿にしてフナを釣ったことのあるわたしだけど、リールがどうの、竿がルアーがと、釣りがゴルフ化するにしたがって興味を失ってしまったのである。
釣られた魚がバケツの中でアップアップしてるのを見るのもイヤだし。
しかし好奇心は理性や感情をうわまわる。
このつぎは釣りをおぼえていくか。
海中の写真を撮るためにカメラ・ハウジングまで買ってしまうわたしのことだから、そこまでやっても不思議じゃないぞ。

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そういえばわたしの知り合いのひとりが沖縄に永住した。
彼はカメラが趣味だから、いっそ西表島まで行って、野生動物専門のカメラマンにでもなればいいのにと思う。
西表にはめずらしい写真のモチーフがごろごろしているのだ。
同じ生きものでも1年を通しておいかけていると、決定的シーンに出会うこともあるだろうし、そのためには現地に腰をすえるのがいちばんだから、わたしは彼をうらやましいと思う。
人生をムダにするなかれである。

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2014年7月 1日 (火)

西表島/森を歩く

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まだシーズン最盛期ではないし、朝いちのクルーズ船だったので、同じ船に乗り込んでいたのはアベックひと組と、ひとり旅の若者と娘がひとりづつ、そしてわたしの5人だった。
ひとり旅の若者は大きな捕虫ネットを持っていた。
そういえば西表島はやたらにチョウが多い。
いちばん多かったのは、ピンボケだけど、ここに載せた写真のチョウで、スジグロカバマダラという種類らしい。
写真を撮るからじっとしてろといったんだけど、いうことを聞かなかったから、日本語はわからないようだ。

チョウについては、船浮のぶーの家でカレーを食べていたら、かたわらを白っぽいチョウがひらひらと飛んで、あっ、オオゴマダラだと女主人が叫んでいた。
なんでも南西諸島にしか生存していないひじょうに貴重な蝶々だそうである。
じっくり見たい人は、石垣空港のカウンターに、このチョウを飼っている温室がある。

でもそういうものを捕虫ネットでつかまえるってのはどういうものだろう。
とうせとるなら写真にすればいいのに。
ネクラなタイプの彼もいくらかやましさを感じているのか、たちまち姿が見えなくなった。

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クルーズ船の終点から、あとは徒歩でふたつの滝まで歩くことになる。
山道だけどそれなり整備されているし、高低差もあまりないから、歩く時間はせいぜい1時間ぐらいで、山になれた人ならべつにきつくはない。
まわりの景色は熱帯のジャングルのようなものである。
ヒカゲヘゴが大きく葉をひろげ、怪獣のような触手をたらしたガジュマル、板根が巨大な軟体動物のようなサキシマスオウ、ガン細胞のように奇形化した根で道にたちふさがるオキナワウラジロガシ、他の木に寄生するオオタニワタリなど、本土ではあまり見かけない樹木のオンパレードだ。
わたしだってこんな植物の名前を知ってるわけじゃないから、いちいち図鑑で調べたんだけど、アマゾンに降り立ったみたいで、ナチュラリストもどきはしみじみと幸福を感じてしまう。

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わたしは歩きながら、どこかにめずらしい動物はいないかと注意していた。
天然のままの密林だから、生息している動物は多いはずだ。
しかしこういう場所の動物は、テレビ番組なんかによると、爬虫類にしても昆虫にしても擬態 (カモフラージュ) が得意なはずだから見つけにくいかもしれない。
わたしは木の幹に巧妙に張り付いたトカゲがいないか、花や木の葉に化けた虫がいないか、そういうところを重点的に見て歩いた。

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とちゅうで地面の上に土色のカエルを見た。
もちろん写真を撮られるほどのろまな相手ではなかった。
木の幹にぺたんと張り付いてじっと動かないトカゲも見た。
こちらは静止していることがカモフラージュとこころえているらしかったから、写真に撮ることができたけど、それもある距離までで、アップで撮ろうとしたらたちまちとん走した。

おおざっぱにいって、期待していたほど動物は多くなかった。
少なくとも登山道を歩いているかぎりでは、爬虫類も両生類も昆虫もめったに見られない。
小鳥の声は聴こえるけど、あまり本体は見えない。
植物は多くても、咲いている花は多くない。

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だらしない話だけど、生きものを見るほうが期待はずれだったので、マリユドゥの滝をながめる展望台まで行って引き返すことにした。
展望台からはマリユドゥの滝と、その上流にカンピラの滝も見える。
あとひと息なんだけど、わたしは淡白な性格なので、とちゅうで止めたからってぜんぜん惜しいと思わない。

帰りにふた組の欧米人家族に出会った。
家族の中には4、5歳の幼児もいて、さすがにあちらでは、子供のころから自然に親しませようという配慮が効いていると感心する。

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