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2014年8月

2014年8月30日 (土)

またウクライナ

ウチの新聞でいつも感心するのは、朝刊夕刊のマンガと山田紳さんの時事漫画。
ところが昨日おとといの2日間ばかり、紳さんの漫画にはロシアのプーチンを非難する調子がある。
プーチン・ファンのわたしとしては、これはきっと編集部のほうでこんなふうに描けと指示しているんだろうと、ウチの新聞に責任を押し付けてしまう。

ロシアとウクライナの問題は、いよいよにっちもさっちもいかない状態になってきた。
武力を用いた争いになった場合、どっちかが手をひけばもう一方が増長し、手を引かれたほうの勢力が痛手を被ることになる。
味方陣営が苦境にあるとき支援しなければ、そっちの指導者は面目を失うだろう。
プーチンもあとにひけない状態だ。
米国のオバマ君だって、こういう状況は何度も経験しているはずなのに。

そもそも最初にクリミア半島を併合したロシアがわるいというのが、日本のマスコミを含めていちばん多い意見らしいけど、それ以前のいきさつを考えればそうともいいきれない。
わたしがごちゃごちゃいっても詮なきことだけど、ここはやっぱりひとこといいたくなる。

わたしはことの是非を指導者の資質で判断してしまうのだ。
去年、今年とロシアを訪問して、最近のロシアのグローバル化には目を見張った。
ワイロを要求するような警官にはいちども会わなかったし、マフィアが仕切っていたはずの市場もきわめて安全で、一般農民の参加できる健全なものになっていた。
これはおそらくプーチン改革の成果だろう。

現在の世界をながめると、政治は金の儲かる商売と考える政治家のなんと多いことか。
プーチンだってそのつもりならいくらでも儲けることができるはずだけど、これまでのところ、彼が私腹を肥やすことに専念しているとはとても思えない。
プーチン以前のロシアを知っている者にとって、現在のロシアの繁栄は、やはりプーチンの豪腕によるところが大きいと思う。
原油価格の高騰など時節の幸運もあったかもしれないけど、プーチンがいなかったら、その果実はすべてオリガルヒに独占されていたにちがいないのだ。

ひるがえってウクライナの政治家はどうだろう。
かってウクライナには美人の女性首相がいた。
へえ、きれいな人だなって感心したものの、彼女も実体は強欲な腐敗政治家のひとりだったそうである。
なによりハッキリしているのは、ウクライナはけっして貧しい国ではないはずなのに、この美人のもとで経済が発展したという実績がぜんぜんないことだ。
彼女以降もロシアにつくかEUにつくかと、他人の顔をうかがう政治家ばかりが輩出というのは、おいしい汁を吸いたいた権力亡者ばかりが政権を争っているってことじゃないか。

アメリカはロシア制裁の旗ふり役だけど、ここんところ米国がなにかすると世界はよけい混乱するばかりだ。
北方四島を返してもらって、つまり固定した戦後秩序を変えたいと思っている日本は、ウクライナに関わらず、ロシアと四島返還協議を粛々と続けていればよい。
そんなこというと困ったとき助けてやらないぞって、オバマ君は集団的自衛権を持ちだすかもしれないけど、そのへんは日本の政治家の18番、のらりくらりとごまかしておけばよい。
ウクライナの悲劇は、こういうふうにロシアにも西欧にもいい顔をする、ごまかしにたけた政治家がいなかったってことかも。

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2014年8月29日 (金)

国産ジェット機

Mrjb

新聞の経済面をながめていたら、日航が国産ジェット機導入だって。
MRJと呼ばれるその飛行機の写真をみると、かってのコンコルドみたいに鼻がとんがっていてカッコいい。
すでに全日空も導入を決めているというから、国産の旅客機で外国へ行ける日も近い。
そう思ってよく読んでみたら、納入開始は17年の春だって。
しかも納入されてすぐは初期不良で落っこちるかもしれないから、1年間ぐらいはようすを見なければいけない。
するてえと・・・・・ 
結論は、わたしがそんなにいつまで海外旅行をしていられると思うほうが、あるいはそんなに生きていられると思うほうがおかしいってことのようだ。

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2014年8月28日 (木)

また朝刊

朝早く、朝刊を読み始めて、また頭に血がのぼった。
今日のウチの新聞は読みどころが満載だ。
作家の高橋源一郎サンまでかつぎ出して、慰安婦問題のその後を自分たち本位に塗り替えようと必死だ。
作家だって食わなきゃならないのだから、源一郎サンが新聞社の意向にそった文章を書いて、お足を稼いでも仕方ないことだけど、さすがは作家だけあって、そんなのありかよっていいたくなるくらいの名文だ。
困ってしまうよな。

彼は秦郁彦さんの本を名指しで、これを読むたびに徒労感におそわれると書いている。
わたしは秦さんの本を読んで、公平客観的とはこういうことかと感心したことがあるので、なんで徒労感におそわれるのか、そのへんについて考えてみた。

源一郎サンは、慰安婦について書かれた 「蝗(いなご)」 だとか、あまり聞いたことのない他の作家の本を取り上げて、だれがなんといっても慰安婦の悲劇はあったのだという。
そりゃひとりで何人もの男を相手にするのは大変だっただろうけど、そもそもまだ赤線なんてものがあった時代の問題だ。
現在は労働組合や労働基準法などがあって、労働者の権利はわりあい保護されているけど、戦前の労働というのは現在とはくらべものにならないほど厳しかったのだ (「蟹工船」 を読め)。

この時代、きびしい肉体労働に従事していたのは慰安婦だけじゃなかった。
慰安婦と行動をともにしていた兵士たちだって楽じゃなかった。
えんえんと続く行軍や (「麦と兵隊」 を読め)、いじめや制裁のまん延した兵営 (「真空地帯」 や 「人間の条件」 を読め) など、兵隊の過酷な生活を描いた小説も数は多いのだ。
責めるならあの時代全体を責めるべきで、慰安婦の悲劇だけにしがみつくのはどこかおかしい。

おかしいといえばべつのところでも慰安婦を取り上げていて、当の本人たちがいってるのだからまちがいがないと、彼女らの言い分を全面的に信用しているけど、それもおかしくないか。
戦後40年以上もたってからの発言なら、政治や本人たちのいろんなおもわくがからんでくるはずなのに、これでは当事者たちの一方の言い分だけを信用していることになる。

慰安婦の問題は国家間だけではなく、右翼左翼もまきこんだ大論争だ。
なんとか真実をあきらかにしようと、秦さんのような学者が可能なかぎり客観的に調査した結果を、自分たちの主張にそぐわないからと無視するのが、はたして大新聞のやることだろうか。
それを読んで、いったいなんだなんだ、徒労感におそわれるってのは。

いいかげん頭にきて、なんかほがらかになる記事はないかと、朝刊の誌面を探してみた。
あるところに1面全部を使った 「幸福の科学」 の広告があった。
なんだなんだこれはと、もう (頭を通りこして) トサカに来ちゃう!

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2014年8月27日 (水)

バイオトイレ

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やけに涼しい日が続いていて、昨夜なんか家でひさしぶりにホット・コーヒーを飲んだ。
インスタントだけど、しばらく飲まないでいると粉が固まってしまって、いつも秋になってから瓶をさかさに振って粉末化するのが恒例になってる。
でも今年はまだ固まるところまでいってなかった。
早めにホットを飲むことになったのも異常気象のおかげか。

夕刊に富士山の入山料の記事。
気持ちよく払う人もいれば払わない人もいるんだそうだ。
たぶん、気持ちよく払うのは登山の愛好家で、払わないのはたんなる観光客じゃないか。
山を愛する者なら、富士山の汚染についてどこか後ろめたさを持っているものなのだ。

わたしも若いころ、2回富士山に登っている。
そのときウンコの始末はどうしただろう。

最初の登山では安易に登り始めて、予想以上にきついということに8合目あたりで気がついて、たまたま友人のひとりが口からアワを吹いたから、彼のつきそいという口実でとちゅうで下りてきてしまった。
だらしない話だけど、2度目はいくらか慎重になり、もっとじっくりした計画を立てた。
富士山登山でいちばん多いのは、夕方登り始めて、とちゅうの山小屋でひと眠りし、体をならして、翌朝ご来光を拝むのが一般的なパターンだけど、わたしの場合はふつうの人よりさらに時間をかけるつもりで、午前中に出発した。
のんびりのんびり歩いて、夕方までに山小屋に到達するつもりでいたら、予想以上に快ペースで、とうとうその日のうちに山頂を往復してしまった。
けっきょく山小屋でウンコをしないまま。

そういうわけで世界に誇る富士山の 「白い川」 を体験しないままのわたしだけど、垂れ流しのトイレというやつは、中国を旅しているときあちこちで見た。
それは出かかったものが引っ込んでしまうような恐るべきモノだった。
都市部ではともかく、へき地の公衆トイレでは、おそらく現在でもあの阿鼻叫喚のトイレが使われているにちがいない。
夕刊の富士山記事にはバイオトイレの記述がある。
ウォッシュレットばかりがトイレじゃない。
中国人は教えてやらないと、2千年まえの道具をそのままいつまでも使っている民族だから、へき地の貧しい人々のために、そして汚染なき環境のために、水も汲み取り費用も不要な日本のトイレをどしどし売り込んでほしい。

添付したのは青海湖のほとりを走る中国の列車。
忘れられない、なつかしい思い出である。

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今日の新聞

ブログのネタに窮した場合、やっぱり頼りになるのはウチの新聞だ。
その今日の誌面は震災特集みたい。
新たに想定された地震規模は、日本海側で津波の高さが23メートル、到達速度が1分だって。
ああ、震災列島に住む国民の悲劇。
え、いったいなにをどうしろってんだ。
これが正しいなら、先日の広島の災害なんて子供みたいなもん。
23メートルが1分じゃ、まだ若いつもりのわたしだって逃げられっこない。
この先、海岸から1キロ以内は居住禁止にでもしないかぎり、どんな対策を立てたってどうにもなりやしないだろう。
にもかかわらず対策を立てようというのは、税金のムダ遣いで、日本の赤字を増やすだけだ。
それよりも運を天にまかせたほうが早いや。
年寄りはさっさとあきらめて、死後の世界の平穏でも祈っておくことだ。
最悪の場合を想定していた日にゃ、この日本で生きていけません。
あ、これはわたしの中の邪悪な部分がいってることで、ぜったいにわたしの本心ではありませんよ。

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2014年8月26日 (火)

ビル・ワイマン

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あいかわらずフェイスブックを通じて、ローリングストーンズから写真や映像が送られてくる。
今日はもとメンバーだったビル・ワイマンが氷水をかぶっている映像だ。
例のアイス・バケツ・チャレンジってやつだけど、ワイマンといえばストーンズ結成当時からのベーシストとして知られている。
その後メンバーと仲たがいしてストーンズをはずれたとかなんとか。
そんな彼の映像がストーンズ名義で送られてきたってのはどういうことなんかねえ。

これまでにロン・ウッドが氷水をかぶっている映像も送られてきたけど、肝心のミックやキースがかぶった映像はまだないみたいだ。
そんなもんやらんよと、おことわりの意思を表明したとすれば賢明だ。
ワイマンの映像を見てもわかるけど、確実に年寄りの冷や水だもんね。

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2014年8月25日 (月)

ロック・フェスティバル

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まだまだ青春のわたしクン。
昨日は暑いなか、なんとロック・フェスティバルに行ってきた。
福生市のカニ坂公園で開かれるロック・フェスは、今年で31回目だというから、日本のその手のものでは、かなり伝統のある屋外コンサートである。
福生には米軍キャンプがあるせいで、バタくさい文化、たとえば騒音を発するロック・コンサートのようなものにも理解があるってことなのか、それとも日頃からジェット機の爆音に慣れていて、ロックのハードぐらいじゃ驚かないってことか。

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でも会場はそんなバタくささとは無縁で、ローカル色いっぱいの親しみやすい雰囲気。
多摩川のほとりの芝生の上に、若い男女やアベック、家族連れ、そのあたりの農家のおじさんなんかが寝転んで、いろんな縁日の屋台が出て、ステージ上の横断幕なんか、もろ、マジックで仕上げた素人の手作りって感じ。
出演は、福生あたりを根城とする地元のバンドが多いみたいだけど、みんな日ごろのうっぷんをはらすような熱演だ (ロック・バンドは騒音が近所迷惑ってことで、ふだんは練習場にもこと欠いているのだ)。

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野外コンサートというと、団塊の世代にはウッドストックがすぐ頭にうかぶ。
わたしはいまでもときどき、このフェスティバルを記録したDVDを観かえすけど、いまや伝説となった出演者たちのパフォーマンス、さまざまなファッションの大群衆など、70年代初めの空気をそっくり記録する歴史的なイベントだった。
4番目の写真の白髭のギタリストなんか、そのころから生きているんだろうなあ、わたしとあんまりトシが違わないんだろうなあと思ってしまう。

ひとつのグループの持ち時間が30分で、つぎからつぎにいろんなグループが出演していたけど、暑いので全部見られたわけではない。
「みんなーズ」 というバンドの女性ボーカルは、ロングヘアのおちついた美人で、いっしょに行った知り合いが、あんまりロックのボーカリストらしくないねという。
ふだんは役所か銀行に勤めていて、休みの日だけ演ってんじゃないかとわたし。
真偽のほどはわからないけど、こんなふうに品定めしながら聴いていると退屈しない。

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つぎに出てきたのは 「衝動戦車」 という乱暴な名前のグループで、男3人で繰り出す爆音的サウンドはグランド・ファンク・レイルロードなみ。
あまりに暑いし、鼓膜が破れそうだし、ロックに興味のない知り合いはぜんぜんおもしろくなさそう。
わたしも熱中症がコワイので、そのあたりで退散することにした。

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最後の写真は人工的に飛ばされたシャボン玉で、かぎられた予算 (たぶん) で子供たちを喜ばせる、なかなかおもしろいアイディアである。
規模ではとうていウッドストックに太刀打ちできなくても、カニ坂公園のロック・コンサートは、わが家から電車でふらりと行けるコンサートとしては、けっこう頑張っているほうだと思う。

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2014年8月23日 (土)

アイス・バケツ・チャレンジ

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コーリー・グリフィンさんが亡くなったそうだ。
そんな名前は聞いたことがなかったけど、アイス・バケツ・チャレンジの発案者のひとりで、まだ27歳だったそうだ。
アイス・バケツ・チャレンジというのはいまブームになっているアレで、つまり難病ALSの支援キャンペーンで、頭から氷水をかぶるか、1万円を寄付するか、どっちにしてもそれを実行した人はつぎの人を指名する権利があるっていう、ねずみ講ゲームみたいな運動らしい。
つぎに指名されるんではないかと、有名人は戦々恐々だ。
まあ、氷水をかぶるのがイヤなら1万円を寄付すればいいだけの話なんだけど、アホらしいものが流行るなと、偏屈のわたしはまた考えこんでしまう。
有名人でないわたしにはぜんぜん縁のないものだ。
縁がなくって幸いだ。
氷水は年寄りの冷や水だし、1万円はキツイという貧乏人だもんで (わたしだってウィキペディアに800円寄付したことはある)。

添付した画像はビル・ゲイツ君で、彼はもちろん有名人で大富豪だ。
こういう人と貧乏人が同じ条件ていうのは納得できないな。
寄付の金額も所得に応じた累進課税方式にしてもらわないと。

グリフィンさんが亡くなったのは、建物の2階から海に飛び込んで脊髄を損傷したせいだとか。
夏目漱石の 「坊ちゃん」 みたいで、なんでそんな無鉄砲をと訊きたくなるけど、YouTubeなんかを見ても、スケートボードで屋根から飛び降りたり、バイクや自転車でサーカスもどきをしたり、最近の若者は、ヘタすりゃ死ぬぜという危険な行為を悪ノリでやってしまう傾向があるようだ。
命をかけるならもっとマシなものがありそうな気もするけどねえ。

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2014年8月22日 (金)

タヌキの化かし合い

新聞に、「中国、モンゴルと関係強化」 という記事。
安倍クンとモンゴル大統領が仲良くしているのが気にいらないって、横やりを入れるのが中国の目的らしい。
新聞には習近平総書記とモンゴル大統領が手をつないでいる写真が載っている。
でも、ますます孤立するんじゃないかと、日本の未来を心配する必要はない。
モンゴルに限らないけど、仲良くするなら誰だって一党独裁の中国よりも、アジア最先端の民主国家で、戦後70年間も平和憲法を維持してきた日本と仲良くしたいと考えるに決まっている。

どうもかっての共産主義国というのは、いまでも評判がわるい。
プーチンがいくら現在のロシアはグローバル化された民主国家だと言い張っても、周辺の国にはいまだにスターリンの亡霊がちらつくのと一緒。
やはりEUのほうがいいやと、仲のよかったウクライナにさえ造反されてしまうのだ。
内モンゴルをかかえて、一見仲良さそうにみえる中蒙関係だって、モンゴル人は、出来ることなら独裁の中国とは手を切りたいのが本音。

でもこのへんが国際関係の、いわく、タヌキの化かし合い。
支援しましょうっていってくる相手を袖にするバカはいないやね。
しぼれるだけしぼって、じっさいには日本を頼りにする。
そういうモンゴルの魂胆がみえみえの、今日の新聞記事でありました。

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2014年8月21日 (木)

おとろえる炎

刻一刻と生命の火が消えかかっているような気がする。
わたしはむかしから偏食ぎみだけど、最近その傾向がますます強まってきて、たまには栄養でもつけるかと、スーパーでステーキ肉を買ってきたものの、とても食べる気がしない。
食べるものといったら野菜が主体で、それじゃあ健康にいいんじゃないか、長生きするぜといわれそうだけど、野菜だけでは細く長く生きるのにはよくても、活力のほうはますます衰えつつあるみたい。

食事の量もぐんと減った。
お酒と、冷奴や枝豆のつまみだけで満腹になってしまう。
それじゃあアル中じゃないかともいわれそうだけど、酒の量も減少しているし、食事のとき以外はぜんぜん飲みたいと思わないから、それはないんじゃないか。

この状態は年寄りにとっちゃ理想かもしれない。
むかしの仙人なんてのはきっとこういう食生活をしていたにちがいないのだ。
でも白髪三千丈のじいさんになっても仕方ないしなあ。

残り人生はいよいよ急を告げるってやつだ。
パソコンのまえに坐っていて、立ち上がろうとすると、足がふらついてしまうことがある。
世間には長寿世界一ってことでギネスに載ったおじいさんもいるけど、わたしなんかあと10年だって生きられそうもない。
やっぱりスペインに行っておこうか、ギリシャに行っておこうか。
いやアイルランドもいいなって(最近また 『ライアンの娘』 を観かえしたのだ)、旅についていろいろ想うこのごろデス。

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2014年8月20日 (水)

玉虫

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むかしはそれほどめずらしいものではなかったけど、最近はあまり見かけず、絶滅危惧種じゃないかと案じていた生きものにバッタリ出会うことがある。
今日出会ったこいつもそう。
タマムシ (玉虫) というきれいな甲虫である。

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めずらしいといっても泥の中から自然に湧くわけじゃないから、こいつにも親がいたはずで、ということはうちの近所にも、まだけっこうな数が棲息しているらしい。
もちろんわたしのことだから、いくらきれいでもピンで刺してガラスケースに飾っておくなんてことはしない。
写真を撮ったあと無罪放免だ。
わが家の周辺はいよいよにぎやかで、それはとっても幸せなことである。

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2014年8月19日 (火)

本物の戦争

シリアで日本人が拘束されたとのこと。
YouTube に映像が載っているというから、検索してみて、すぐに彼がイスラム勢力に尋問されている映像を見つけた。
といっても英語がわからないから、なにを話しているのかよくわからない。
本人は、自分はカメラマンであると弁明しているようである。
戦争の悲惨さを世界に知らしめようという戦場カメラマンにわたしは尊敬の念を持っているし、世界へ飛躍する若者にエールを送るものだけど、この日本人の経歴をみると、なんだか戦争をビジネスにしようとしてるんじゃないかって感じ。
すでに処刑されたってうわさもあるけど、はたして彼は、これは本物の戦争なんだってことに気がついただろうか。

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2014年8月18日 (月)

金髪クン

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今日のウチの新聞にはつっこみどころがない。
つっこみどみろがないというのは、つまり公平で客観的な記事ばかりってことだ。
わたしが理想とするのはこういう新聞なんだけどね。

つっこみどころがないとブログのネタに窮してしまう。
わたしのブログがいかに朝日新聞に拠るところが大きいかを証明したようなもんだ。
仕方がないから、目下日本に里帰り中の金髪クンの写真でお茶をにごしておく。

金髪クンは日本で新しい自転車を買ったそうだ。
ロシアに持ち帰るつもりらしいけど、モスクワで派手な日本車はすぐに泥棒に目をつけられる。
あちらの泥棒はハンパじゃないから、すぐに盗まれてしまわないかと心配だけど。

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2014年8月17日 (日)

受益者負担

またウチの新聞 (朝日新聞)。
書くほうもいいかげんイヤになるけど、慰安婦の問題では謝ったんだからいいだろうと、朝日の左傾化論調はいよいよ急だ。

今日は1面トップに 「東電、六ヶ所村に 『寄付』」、それが5年で10億円だそうだ。
ふざけるなってことらしいけど、これって、そんなに大騒ぎするような問題だろうか。

たとえば沖縄の問題にしてもそうだけど、基地をかんたんにあっちからこっちへ移動できれば問題はない。
しかし日本の主権者たる国民は、口では同情しながらも、いざ自分のところへ基地が来るとなると、目の色を変えてゼッタイ反対ってのがいつものこと。
原発やその処理施設だって同じことだ。
そんなふうに政治家だけで埒の明かない問題は日本にいくつもある。

けっきょくどこかあまり差し障りのない土地が、いつになっても国民のイヤがる施設を引き受けることになる。
そんなひとつの例として、六ヶ所村に核燃料の処理施設を引き受けてもらった国民としては、お詫びのしるしに相応の負担をすべきではないか。
となると税金や電気料金から負担するのが、受益者による公平負担の原則からしてもやむをえないだろう。
たぶんこのくらいのことは、理性的な国民ならたいていは、多少のうしろめたさとともに考えているにちがいない。

大騒ぎをしているウチの新聞は、なんでもかんでも反対するどっかの党みたいに、理性的ではない国民を相手にするだけの、だいぶレベルの低い新聞になってしまったようだ。
そういう姿勢をあらためて、もっと誰もが納得する公平客観的な記事を載せてほしいというのが、わたしの切なる要望なんだけど。

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2014年8月15日 (金)

戦没者追悼式

 閼伽(あか)ささぐまた暑き日のめぐり来て

俳句です。
ほう、なかなかステキじゃないかと思ったアナタ。
これ、むかし日本の総理だった中曽根康弘さんの作品だそうですよ。
へえ、腹黒い政治家にもこんな句がつくれんのかって、アナタ、そりゃ差別的発言です。

全国戦没者追悼式の中継を見つつ。

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2014年8月14日 (木)

ヤフーのニュース

盆休みでやることがないから新聞を読む。
いちゃもんをつける記事がないと、途方にくれて、今度はネット・ニュースを見る。
ヤフーのニュースに気持ちイイ記事が。

大阪の橋下クンというと、朝日新聞の女性記者を満座の中でボロクソにしたりして、さすがのわたしもそこまでやるかってなもんだけど、今日の記事では身内に対してづけづけ。

なんでも大阪維新の会の山本景なる人物が、女子中学生にまじめに対応し、この場合のまじめな対応というのは、LINEで 「ふざけんな、てめえら」 みたいな文章を送るということで、それをテリー伊藤から 「キモイ」 と非難されたのがケシカランと、今度は放送倫理機構に人権侵害だと訴えたんだそうだ。

あまり大人気ないやり方なので、いちおう山本景ってどんな人なのって顔写真を検索してみたら、うん、こりゃ大人気ないのも当然という若手の府議だったけど、こういう場合、政党党首というものは身内をかばうのがフツー。
橋下クンにすれば大阪維新の会の山本景クンをかばって当然だ。
かばわないまでも、本人の損になることはいわないのがジョーシキだ。
ところが彼は景クンをケチョンケチョン。

キモイくらいで怒っていちゃ政治家の資格がない。
ボクなんかいまでもメディアにバカといってる。
だいたい女子中学生に強圧的な文章を送ること自体がよっぽど人権侵害だ。

橋下クンも女子高校生に自分の主張をぶっつけて泣かせたことがあったみたいだけど、それはそれとして、こういう身内だからといってえこひいきをしない姿勢は、わたしも好きである。
わたしも友人関係より本人の資質を問題視するほうなので、親しい友達であっても、ケシカランことはケシカランとはっきりいう。
おかげでますます友人の数が先細りで、海辺でシオマネキを相手にしているくらいが関の山だ。

とかく日本人は身びいきが露骨すぎる。
和をもって尊しの精神かもしれないけど、客観的な態度でものごとを見るようにしていれば、おのずと正義がどちらにあるかわかるはず。
この文章を読ん山本景クンが、こんどは名誉棄損だってわたしを訴えても、たぶん橋下クンは歯牙にもかけまい。

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2014年8月13日 (水)

ローレン・バコール

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クールな美貌に上目使いの三白眼で世界中の男性を魅了した、ミセス・ボガートことローレン・バコールさんが亡くなった。
そろそろ棺桶に片脚つっこんでいるわたしが、わたしよりずっと年上の彼女の死を悲しむ必要はないんだけど、あらためて彼女の魅力を知るべく、今日は午後からドライ・マティーニもどき (ジンの炭酸水割り) を飲みながら、代表作 「三つ数えろ」 を観ている。

この映画の原作はチャンドラーで、原題は 「大いなる眠り」。
原題通りじゃなんの映画かわからないから、てきとうなタイトルにも文句はいわない。
すこし注文をつけるなら、主役のボガートがミスキャストじゃないかってトコ。
こんなことをいうとボガート・ファンから猛烈な抗議が殺到しそうだけど、これは映画が傑作だから、作品の魅力にノックアウトされた観客が、ボガートまでも偶像化しちゃっているのだと思う。
原作を読んでいないけど、マーロウってのは原作でも小男ってことになってんのかしら。
わたしにはロバート・ミッチャムのマーロウのほうが適役みたいに感じられるし、だとしたらもっとタフガイがふさわしく、かりに主役をスターリング・ヘイドンにしていたらどうだろう。
彼のほうがタフガイらしいし、やたら女にもてるのも納得だし、ボガートとはぜんぜん異なるマーロウを創造して、やはりファンは彼をいまでも語り継いでいただろう。
もっとも彼がバコールの旦那になったかどうかはわからない。

話がそれたけど、ホント、バコールって素敵。

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産経新聞

昨日は街へ出たついでに産経新聞を買ってみた。
なんでも産経はイデオロギー的に朝日と犬猿の仲だそうである。
いつも朝日をボロクソにいっている、そのくせそれが楽しみで朝日ばかりを取り続けている当方としては、たまには反対の意見にも目を通さなくちゃいけない。

読後感を先にのべると、産経ってのはなんだか薄っぺらい印象。
数えてみたら朝日より誌面が4ページ少なかった。
朝日新聞主催の高校野球の記事が少ないのは、わたしみたいな夏の騒動がキライ人間にはけっこうなことだけど、値段はどうなんだ。
ってことで調べてみたら、新聞の値段は原則的に法律で決まっているという意外な結果で (yahoo知恵袋によると)、なおかつ諸般の事情で、これにいくらか上乗せがある場合もあるらしい。
朝日も産経も公けには値段はいっしょなんだそうだ。

産経でも社会面には、大戦の悲惨な記憶を取り上げた朝日と同じ論調の記事があるから、こればっかりはいまの時期の風物詩みたいなもの。
狂犬病がなくなったなんて記事もあり、これは朝日には載ってないから、やはり世間の動向をすべて知ろうと思ったら、あらゆる新聞に目を通さなくちゃいけないみたい。
そうしたいのは山々だけど、そんな予算はもちろん、ない。

産経の1面で目立った反朝日の記事は、「内閣支持率5割回復」 というもの。
産経新聞が実施した調査によると、安倍内閣の支持率が、最低だった前回よりいくらか回復したそうである。
こういう結果は朝日なら無視しそうだ。

こればかりではなく、朝日新聞の慰安婦に関する謝罪までマナ板に上げて、「検証は十分だとは思わない」 が70パーセントを超えたなんて、いやがらせみたいな調査までしてあった。
とくに女性が厳しい反応で、不十分という答えが70パーセントを超えたそうだけど、そこまでいくと、ホント?と聞き返したくなる。
日ごろ朝日ばかり読んでいると、集団的自衛権にまっこうから反対する朝日の支持者は、子供を戦地にやりたくない主婦などが主体で、女性の支持ももっと多いと思っていた。

こういう政策への調査は朝日新聞もしょっちゅうやっていて、結果はおおむね自分たちに都合のいいものである場合が多い。
どうも調査のさいのアンケートの設問傾向に、自分たちに都合のよい結果が出るような作為や我田引水があるみたいで、この点ではどの新聞も似たりよったりかもしれない。
朝日と産経の調査結果をならべて考察すると、新聞社の調査というものはあまりアテにならないんじゃないかという疑惑がわいてくる。

しかし買ってきた産経新聞には報道各社による調査の推移がグラフで載っていて、これによると朝日の調査だけが、他社 (読売、産経、NHK、共同) とはかけはなれた数値を示している。
これってやっぱりおかしいでしょ。
以前から朝日新聞のアンケートに、誘導尋問みたいな設問があるのをおかしいと思っていたけど、それが裏付けられた感じだ。
いったい公平と客観性はどこへ行ったのか。
朝日新聞にはくれぐれもこの点の改善をお願いしておきたい。
やっぱり名の知れた新聞の調査結果だからって、あまり信用するとキケンである。

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2014年8月12日 (火)

FBのその後

老人が働けば、それだけ若者の雇用が失われるわけだ。
そんなムシのいい屁理屈を考えついて、無神論者のわたしんとこでも盆休みに突入だ。

しかしもちろん、行楽に行く金はない。
朝から新聞を読むぐらいしかやることがない。
読むとなったら、ウチで取っているのは朝日だから、また頭に血が上りそう。
どうも先日の慰安婦問題についての謝罪は、謝ったんだからもういいだろうという免罪符のつもりだったようで、今日の朝日はまた以前とまったく同じ論調にもどってしまった。
ま、例年この時期は戦争特集が増えるもんだけどね。

Doors2

経済面に 「FB広告 割がいいね」 という記事。
FBというのはフェイスブックのことで、つい最近わたしも加入させられたアレである。
記事によると、これに加入するには本名を名乗るのが原則で、年令や住まい、勤務先などを正直に登録すべきものだそうだ。
わたしは相手がいかなるものであっても、ネット上で個人情報を公開するのはイヤって主義だから、そういう馬鹿な規則は無視したけど、このブログにときどき登場する熊本のKさんなんか、恐れ知らずで撃ちてし止まむの根性だから、なんと更新したばかりの運転免許証を、顔にモザイクもかけずにそのまんま、自分のブログでどかんと公開だ。
まあ、彼の場合はおじいさんで、いまさら色恋沙汰のトラブルもないだろうし、悪党に狙われるほど資産家でもないみたいだから、かまわないのだろう (・・;)
ここでわたしのが生まれて初めて取り上げた絵文字は、スイマセンという意味。

フェイスブックのその後だけど、あいかわらずストーンズやドアーズからメールや写真が送られてくる。
先日はドアーズのロゴ入りのタンクトップを買いませんかだって。
彼らの熱狂的なファンだったのは遠いむかしのこと。
買いませんよ、ええ、買いません。
そんな金があったらビールでも買います。

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2014年8月11日 (月)

台風

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台風に降り込められて、ひきこもりがますます過激化する。
せっかくの日曜日も川のようすを眺めてきただけで終わり。
散歩コースのわきを流れる野川では、大雨が降ると、河川敷まで水が溢れる。
そういうときには河川敷の草がなぎ倒されているからわかるのである。

でも昨日は、雨のいちばん激しそうなときに見に行ってみたのに、それほどでもなかった。
増水してはいたけど、河川敷まで溢れるというほどではなかった。

それはまあいいとして、こんな日にカワセミはどうしているのだろう。
これでは餌の小魚なんかとても獲れそうにない。

ものの本によると、カワセミにかぎらないけど、小型の温血動物は体温を維持するために、猛烈に食べなければいけないそうで、これは体の体積に対して表面積が大きいから、失われる熱も多いので、そういう理屈になるのだそうだ。
そういう理屈を本で読んだものだから、わたしは台風や大雨があるたびに、カワセミについて心配しているのである。

でも台風は過去にも来たし、大雨も過去に何度かあった。
それでも翌朝にはカワセミは何事もなかったかのように飛んでいたから、あまり人間さまが心配して差し上げるような問題じゃないのかもね。
それよりひきこもりのわたしのほうを心配してもらうほうが早いかしら。
メシもあいかわらず美味しくないし。

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2014年8月10日 (日)

新ルール

Eva2

わたしは著作権にうるさい男として知られている。
少なくとも仲間うちではそうである。
こんな時代だから、わたしだって違法コピーされた商品とまったく無関係ってわけにはいかないけど、こころのどこかに後ろめたさを感じているってことが、著作権について無知あるいはぜんぜん考えたこともない人に比べると、十分にうるさいことの証明になるのである。

このブログに他人の写真を使うことがよくあるけど、これだって最初のうちはおそるおそる。
最近はだんだん図々しくなって、もうやりたい放題だけど、どうやらそういう行為が違法にならない時代が、もうそこまで迫っているようだ。

今朝のウチの新聞の、といってもまた自虐史観にゴタゴタいうわけではなく、わりあいまっとうな記事について。

経済面の 「波聞風問」 というコラムに 『ネット時代の知財』 という記事があった。
最近はネット上に個人が投稿した画像や映像があふれている。
べつに営利目的でつくったわけではなく、コピーされてフェイスブックなどで拡散するのを、むしろよろこぶ人が多いそうだ。
こういう時代には著作権に対する新しいルールが必要だというのが、記事のあらまし。
そうだ、そうだと喝采してしまう。

著作権の本場みたいな米国でさえ、たとえば投稿動画にミッキーマウスが写り込んでいても、公正利用という規定があって違法にならないんだそうだ。
この写り込んでいてもの範囲がどのていどのものかわからないけど、日本でも “他人の著作物を使う二次創作も自由にする社会にしたい” という意見が出てきているそうである。

わたしみたくブログに他人の写真を使ったり、自作の映画のBGMに他人の音楽を使ったって、べつに金儲けしてるわけじゃないんだし、ちっとは大目に見てくれたっていいじゃんという主張が、ようやく日の目を見る時代になりそう。

勝手に掲載したのは、わたしの敬愛する往年のハリウッド女優エヴァ・ガードナー。
亡くなってからだいぶ経つから、もう著作権が切れているだろうって・・・・・ んなわけないよな。

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2014年8月 9日 (土)

挽歌をひとつ

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知り合いからメール。
山登りのサークルで知り合った女性だけど、心臓の弁に疾患があるらしく、息苦しさがありますという。
まちがいなく加齢ですね、ということは、つまりトシをとったせいねと。

若いころはたいそうな美人で、性格が明るくて、サークルの仲間の人気者だった人である。
旦那さんは日本でもよく知られた大企業の重役だった人で、家庭的にも何不自由のない人生をまっとうしてきた人だ。

わたしは遅れてサークルに参加したので、あまりむかしのことは知らないんだけど、彼女に見せてもらった古いアルバムには、彼女が踏破してきたあちこちの山の写真、北アルプスや八ヶ岳などの、まだ素朴だった山小屋に集まった仲間たちの写真がたくさんあった。
どうやらサークルは美人の彼女を中心にまわっていたようだ。

わたしが知り合ってから、なんだかんだで20年以上になるけど、そのあいだにサークルの仲間がつぎつぎとあの世へいった。
彼女よりも年上で、わたしが知り合ったときもうおばあさんだった人もいるし、若いころからずっと彼女に魅かれていたんだろうなあと思える男性もいた。
ネアカな彼女は最後まで彼らのよき友人だった。

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そんな彼女だけど、旦那さんも10年ほどまえに亡くなったし、子供たちもとっくに結婚して家を出た。
人生を謳歌してきた彼女にも確実にたそがれが迫っているようだ。
メールの最後に 「彼女ができたら紹介してね」 とある。
この短い言葉に、彼女の複雑な心境と、その人生を俯瞰するような万感の思いがこめられているような気がする。

添付した画像はみんな彼女がらみで、最初はみんなで八ヶ岳への途上、最後はわたしとのツーショット。

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2014年8月 8日 (金)

独善的解釈

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いつもいちゃもんをつける側のわたしが、知り合いからいちゃもんをつけられた。
前項の記事について、フェイスブック (FB) で積極的に友人を得ようという人が、なんで内向きなのか。
付き合いがわるくて、ひきこもりのアンタと一緒にしたらおかしいでしょって。

アンタの部分は余計だけど、さて、どうだろう。
個人的見解はいろいろあるだろうけど、FBで友人を求めるのが外向きといえるかどうか。

だいたいわたしはFBで、「いいね!」 を押すだけで一丁上がりというつながりに、なんかうすきみわるいものを感じるタチ。
FBで得た友人なんて、実体のない幻影じゃないかってタチ。
そんなものに嬉しがっている関係って、なに、これ?ってタチ。
やっぱり生身の女を見て目をぎらぎらさせるほうが、健全で外向きに見えるんだけど。
わたしみたいに青空の下で、シオマネキでも追っかけているほうがよっぽど外向きでがすよ。
FBをやってる人に外向きの人はいないというのが、わたしの独善的解釈だ。

添付した画像は、今日よたよたと迷い込んできた魑魅魍魎のひとつで、本文とまったく関係ナシ。

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2014年8月 7日 (木)

FB

Stones2

先日、ローリング・ストーンズのロン・ウッド君からわたしのところへ、直筆の油絵が送られてきた。
続いてドアーズのジョン・デンズモア君から、彼が出版する本の紹介コメントだ。
その後もストーンズからはしょっちゅう写真や映像が送られてくる。
なんでまた、東洋の島国に住む一介のファンのわたしに、そんなおそれ多い配慮が。

じつは4、5日まえに、階下に住む金髪クンがやってきて、わたしのパソコンを勝手にフェイスブック (FB) に加入させていったことは、このブログに書いた。
わたしはFBなるものに興味がないんだけど、入ってしまったものは仕方がないから、いちおうどんなものか目を通してみた。

これは強制的に友人をつくるという恐ろしいサービスらしい。
たとえば知り合いのAを友人として登録したとする。
相手も了承すれば、わざわざ相手のFBまで遠征しなくても、相手の情報が自動的にこっちのパソコンに表示される仕組みだ。
Aがべつの知り合いのBにわたしのことを紹介してくれて、Bも了承すれば、もちろんBの情報まで・・・・・
つまりメンドくさいことをしなくても、イモヅル式に友人の輪がどんどん広がるってものらしい。

情報といっても、好きな音楽や読んだ本、見たことのある映画など、他愛のないものがほとんどだけど、中には学歴や既婚かどうかなんて私生活に関わるものもある。
知られたくないなら登録しなければいいだけのハナシなんだけど、わたしぐらいのトシの人間には納得しかねる部分も。

あなたの読んだことのある本や、見たことのある映画を教えて下さいという登録欄があって、本にも映画にもつよい興味のあるわたしは、おおっと意気込んだけど、これは選択肢がかぎられており、本のほうは半分以上が言葉のわからない外国の本、映画のほうはうっかり選ぶと、こっちの頭のレベルを証明しかねない作品ばかり。

音楽についてはまだマシで、かぎられた選択肢以外のグループやバンドでも自由に登録することができる。
そこでストーンズやドアーズを 「いいね!」 に登録しておいたら、彼らから返事がきたというわけだ。
といっても嬉しがるほどのものじゃない。
彼らもFBをやっていて、自分たちを 「いいね!」 に登録するファンがいると、油絵や画像、コメントを自動発信するようになっているのだろう。
油絵といったってネット上の画像だから、世界中に発信したってお金がかかるわけじゃないし、プロなら宣伝費と考えても安いものだ。

バカバカしくて付き合いきれんよというところだけど、どうも最近の若いモンには、スマホでもって歩きながら、自分の情報を他人に教えて喜んでいるのが多いらしいねえ。
内向きに生きているのがわたしだけじゃないってわかって、すこし安心しました。

※あとからの追記。
その後、本や映画についても、選択肢がかぎられているわけではなく、自分の好きなものを自由に選べることがわかった。

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2014年8月 6日 (水)

朝日の反省の2

今日の朝日新聞は、慰安婦問題の検証と反省の第2弾。
昨日の反省はなんだったのかといいたくなるくらい、いつもの朝日の論調にもどってしまった。
なんとかかんとか理屈をならべて自分たちの言い分を正当化しようとする。
すなおに反省できないのはインテリの性 (さが) なんだろうけどね。

わたしは歴史好きなただのアマチュアだけど、それでも朝日の記事にはいらいらさせられることがある。
今日の特集では90年代というのがやけに強調されていた。
つまり慰安婦問題を不動のものにしたきっかけは、1990年代のハンギョレ新聞であって、自分たちのせいではないといいたいらしい。
でも朝日新聞阪神支局の襲撃事件が起こったのは1987年だ。
暴力を肯定する気はないけど、それ以前から朝日新聞に対していらいらをつのらせていた人はたくさんいたにちがいない。

そもそも今回の特集では、慰安婦問題が現在のようなかたちで固定化されたあとのことばかりが問題にされている。
問題の本質は、そして朝日が反省すべきなのは、それ以前の報道の在り方なんだけど、それがぜんぜんわかってない。

今日は自分たちの主張を正当化するために、米国の学者や大学教授を動員してきた。
米国の女性学者が主張するのは、やはり慰安婦問題が固定化したあとのたてまえ論で、女性の人権や売春制度の否定を持ち出されれば、ゴモットモとしかいいようがないではないか。
この学者サンに欠けているのは、もっと人間の本質を深く掘り下げることだ。
ほうっておけば男は女を求めるものだということを無視して、たてまえ論をふりまわすようでは、わたしは彼女を信用しない。

そもそも慰安婦制度そのものが、二度と南京のような略奪暴行を誘発させないように、兵士たちに性のはけ口を与えようという日本軍の、アタタカイ思いやりであったことも考えなくちゃ。
それをいいことだとまではいわないけど、中国やロシアの軍隊のように、好き勝手に現地調達しろというよりはマシじゃないか。
こんなことを書くと大阪の橋下クンみたくなっちゃうけど、彼もそうとうにいらいらしていたんだろうねえ。

動員された中央大学の教授という人も、結論からすれば朝日を擁護する意見だ。
個人でも国家でも間違うことはあるのだから、すなおに過ちを認め、再発防止の策をとることが大切だと、はじめから日本がワルイという言い分である。
慰安婦制度の評価が固定しまってからの意見で、問題の原点というものをぜんぜん考慮していない。

慶応大学教授という人は、日本もガラパゴスであってはいけないという。
日本の主張は国際的に通用しないものであるから、世界に合わせる (そして反省する) べきだというのである。
これも問題が固定化されてからの意見であって、それ以前の事情を一顧だにしていない。
これでは自分たちの言い分をきちんと主張せず、まわりに合わせろといってるようなものではないか。
こんなアホな意見を吐く人が大学教授なら、わたしにでも準教授くらい勤まる。

河野談話というものが、正当化の理由づけのためにしょっちゅう出てくるけど、これってゼッタイ的におかしくないか。
歴代の内閣も慰安婦を認めて謝罪しているではないかといいたいらしいけど、そもそも河野談話というものが、中国や韓国とことを荒立てたくない当時の政治家たちの、まあ、謝っとけという妥協の産物であったことが、朝日のこの特集を読んでもわかるのに。
ああ、いらいら。

今日の特集で読むべき価値があるのは、現代史家・秦郁彦さんの記事だけだ。
秦さんの意見も反対側から見ただけで、上記の米国や日本の大学教授と同じじゃないのかという人がいるかもしれない。
しかし歴史を大きな位置から俯瞰できる人なら、当時の日本軍がアジアではもっとも規律厳守で、統制のとれた軍隊であったことを知っているはずだ。
こんなことを書くと、おまえもナショナリズムに毒されてんなという人がいるかも。
しかしこのことは当時、外部から日本を観察した客観的第三者である、たとえばイザベラ・バード女史の紀行記などにはっきりと書かれている。
わたしの個人的な意見じゃないゾ。

人間のさがというものをよく心得たヤサシイ日本軍なら、兵隊の暴走をおさえるために慰安婦制度をつくってもおかしくない。
そして世間体のわるいそんな制度を、政府がちょくせつ運営するのではなく、民間企業に丸投げするという手法は、江戸時代の遊郭でも原発事故の復旧作業でも日本のお家芸だ。

こう考えれば、日本軍が民間の商人を介して、慰安婦にきちんと給料を払っていたと考えるほうが無理がない。
なんでも金で解決ってのも日本の十八番だけど、当時の中国、朝鮮には日本軍がいい給料を払うといえば、家の貧困や親の借金の肩代わりのために、身を売る女性はたくさんいただろう。
慰安婦は強制的に連行されたなんていう人もいるけど、そんなら現地で兵士に勝手にやらせておけばいいことで、制度なんかつくる意味がないではないか。

慰安婦制度を賞賛しろとはいわないけど、こうした日本の言い分を周辺諸国へきちんと説明行脚することで、はじめて朝日新聞の贖罪は成就されることになるだろう。

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2014年8月 5日 (火)

朝日の反省

今日の朝日新聞にはおどろいた。
見開き2ページを使って慰安婦問題の検証と反省だ。
慰安婦をこれだけ大きな問題にしたのは朝日新聞だという声が目に余るところまできて、とうとう弁明に乗り出さざるを得なくなったのかもしれない。
ただ、天下の大新聞のメンツというものがあるらしく、なんとか自分たちの言い分を正当化しようとして、他人に責任を転嫁したり、読んでいて気のドクなくらい無理な理屈を並べているところもある。
そういうところはいくらでも指摘できるけど、書きだすとそうとうに長くなりそうなので、勤労者のわたしには、今日いちにちでそれを文章にまとめているヒマがない。

でもまあ、これはいいことだ。
過去の反省を契機に、朝日はこれから公平客観的で、まっとうな反体制新聞に脱皮してもらいたいものである。

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2014年8月 4日 (月)

大目にみる

今朝の朝日新聞の社説に、EUの結束を保つために、フランスはロシアへの軍艦輸出をやめろと書いてあった。
余計なお世話だとフランスはいうだろう。
2隻で1700億円だそうだから、政治問題くらいでこんなおいしい商売を棒にふるバカがどこにいるかってなもん。

だいたい朝日の読みは浅いので有名だ。
いつもは米国ギライみたいなことをいっておいて、なんでこういうときだけ米国に追従して、ロシアに圧力をかけろと主張するのか。
今回の件ではロシアの民主政治が立証されたようなものではないか。

プーチンはスターリンのような独裁者ではないから、行動にはおのずから制約がある。
国内、国外のとんがり分子が自分勝手なことを始めても、それを大統領権限で抑えこむのはむずかしい。
プーチンだって悩んでいるのだ。
日本のオピニオン紙ならそのくらいわかってやらなければいけない。
アメリカの言い分を聞くような顔をして、そのじつぜんぜん聞かずにプーチンと話し合いに応じるという日本の政治家の狡猾さも、今回は大目にみてやらなければいけない。

たてまえばかりが氾濫しているこの社会で、たまにはこのくらい本音を書いてもらわないと、新聞なんか読んじゃいられない、このクソ暑い時期に。

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2014年8月 3日 (日)

フェイスブック

暑いのをいいことに、せっせとひきこもり中。
趣味の農業をやっているわたしのおさななじみなんか、クソ暑いなか、まっ黒に日焼けして畑仕事に精を出してんだろうなと思うと、いささかだらしないけれど。

昨夜は日本に里帰り中の金髪クンとおそくまでべらべら。
彼はフェイスブック (FB) をやっていて、わたしにもやれやれと熱心だ。
友達を増やすことにあまり関心のないわたしは、ツィッターだのFBだのというSNSについて、どうでもいいというスタンスだったけど、彼のほうで勝手にわたしのパソコンを操作して、FBに加入させられてしまった。
するとロシアのナターシャさんだとか、わたしの顔見知りともたちまちお友達だ。

ほかにも金髪クンの友達、これってほとんどがロシア人だけど、それがみんな彼との縁故でわたしとお友達になりたがっているらしい。
なぜか若い美人もたくさんいるので、ナニがどうなってんのか。
言葉がわからないのでコメントのつけようもないし、ネット上の友達ってどうも架空の存在みたいな気がするので、目下のところは目をパチクリさせているだけ。
こっちの自己紹介のつもりで、とりあえず西表島の写真を何枚かアップしておいたけど、なんか反応があるだろうか。
あっても返事できません。

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2014年8月 2日 (土)

ヤモリと牛丼

昨日は夜中にウチの近所の 「吉野家」 で牛丼、いや、ウナ丼を食べた。
牛丼を注文したんだけど、メニューの中にウナ丼があるのがわかって、急きょ変更。
考えてみたら、ウナ丼なんてひさしぶりだねえ。

新聞によると同じ牛丼の 「すき屋」 がいろいろ問題を起こしているそうだ。
創業者らがモーレツ社員で、店をトップに押し上げた実績をふりまわし、店員にも同じ勤務ぶりを要求しているらしい。
たったひとりで店をまかない、長時間労働と残業はアタリマエ、ウツや過労死を乗り越えて生き残った店員だけが出世できるなんて、サバイバル・ゲームみたいな経営をしているんだそうだ。
べつにトップにならなくてもいいふつうの店員にはえらいメイワクな話。
こういう経営者が、会社が大きくなってこそ従業員も幸せになれるなんて理屈をふりまわすんだろうけど、これはどうみてもそれ以前の問題だよな。
世間にはもうちっとゆとりのある生き方を欲している人だっているんだけど。

そんなあまい考えではグローバル社会を生き残れないっていう人もきっといるだろうけど、人間やめて一億総機械みたいな社会になって、なにをどうしようってんだ。
牛丼を食べるほうも、あの店は人件費をケチってるから安い、こっちの店はケチらないから高いってことを、つねに意識してほしいやね。
フェアトレードについて書いたときに触れたけど、×××だからあるていど高いのはやむを得ないという考えが浸透すれば、それはめぐりめぐって自分の幸せにもなるんだよ。

同じ牛丼の 「吉野家」 はどうなんだと偵察をかねての食事。
こちらは深夜でもちゃんと2人の店員が働いていた。
客は、わたしが入ってから出てくるまでに、わたしを含めて2人だけ。
このくらいなら過酷な労働環境と大騒ぎするほどのものでもなさそう。
たった1軒の偵察で結論を出すのは早すぎるかもしれないけど、吉野家は労働基準法をなんとか守っているようだ。

この吉野家は多摩霊園の近くにあって、わりあい閑静なところにあるせいか、ガラス窓にヤモリがちょろちょろ。
ヤモリがいるねといったら、店員が新聞を丸めて、叩き落としますという。
そんな乱暴な。
かわいそうじゃないかとやめさせたけど、ヤモリのいる牛丼屋なんて、なんかほのぼのとして、ゆとりのある店のゆとりはこういうところからも感じられるんだなと思ってしまった。

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2014年8月 1日 (金)

豊穣の海

暑いときには涼しいテレビ番組でも観ようというわけで、録画してあった 「知られざる豊穣の海・東京湾」 という番組を観てみた。
おどろいた。
現在の東京湾には、サンゴ礁の海にもまけないくらい、派手で不思議な、さまざまな生きものが生息しているんだそうだ。
番組の中にはザトウクジラやジンベエザメ、世界最大の亀のオサガメ、人間よりも大きなマンボウまで登場していた。
こういうのが東京湾をうろうろしているらしい。
いや、最近NHKが放映しているゴジラ・シリーズの続編ではなく、これはきわめて真面目なドキュメンタリーなのである。

そういえば、むかし自衛隊にいたころ、横須賀港内に停泊中のわが艦のそばに、あれはゴンドウクジラだったのか、頭のまるいクジラが泳ぎ寄ってきたのを見たことがある。
だからクジラぐらいでおどろくわけじゃないけど、でもザトウクジラやジンベエザメはついぞ見なかったなあ。

それよりもわたしの自衛隊時代というのは、行け行けドンドンの高度成長のまっ最中だったから、汚染問題のほうが目についたねえ。
水兵さんの制服のまま千葉県まで遊びに行って、列車の窓から東京湾を眺めたら、波打ちぎわに黄色いものが帯になっていて、イヤな気分になったことがある。
あのころ東京湾はほとんど死にかけていて、江戸前のアナゴもアサリも気息奄々じゃなかっただろうか。
あのゴンドウクジラだって、汚染水を飲んでどこか体調をくずしていたのかもしれない。

府中に住んでいた詩人の村野四郎に、武蔵野の自然の荒廃をなげく詩があるけど、彼がそれをなげいた時代は (たぶん) わたしの自衛隊時代と重なる。
でもこの番組を見るかぎり、そのころより現在のほうが自然は回復しているように思える。
人間が注意をはらい、対策を講じ、汚染防止のためにそれなりの設備費をつぎこめば、自然は救いがたい状態から回復することもあるのだと、これって日本が中国なんかに示すことのできるお手本じゃないか。
世界がこの方向で努力するようになれば、地球の未来も棄てたもんじゃないけど。

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