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2014年9月

2014年9月30日 (火)

深淵な考察

なにやらの用事でトヨタに行くと、わたしの車の担当はSさんという、ぽっちゃりした、まだ女子大生みたいな娘と書いたのはだいぶ以前だから、彼女もそれなり貫禄がついてきた。
ひょっとすると男でもできたかもしれないけど、わたしがやきもちを妬いても仕方がない。
でもまあ、あいかわらずくったくがなく、ノーテンキに明るい娘なので、トヨタに行くのは楽しいことである。

彼女は以前はプリウスに乗っていたはずだけど、聞いてみたら、3年経ったのでべつの車に乗り換えたそうだ。
3年で乗り換えるのは早いような気もするから、どこかぶつけたのかもしれない。
女は運転がヘタだからなというと、これも差別表現になっちまうのだろうか。

事故でないとすればと、また人間と文明と経済にかかわる深淵な考察だ。
トヨタのような大企業に勤めると、給料がいいかわり目いっぱいこき使われるに違いない。
盆暮れも休日もしょっちゅう駆り出されて、とどのつまり、金をもらっても使うヒマがないから、どうせ社員割引で安いんだし、車でも買おうかということになる(のだろう)。

彼女はわたしが旅行ばかりしていることを知っているから、最近どこかへ行きましたかと訊く。
ええ、せんだっては沖縄にと答えると、うらやましそうである。

このへんはむずかしい問題だな。
わたしみたいにヒマばかりの人間は、金がないからそうしょっちゅう車を買い換えるわけにはいかない。
彼女のように安定志向の人間は、きちんと給料をもらうかわりに、いつでも好きなときに旅行に出かけるわけにはいかない。

どっちが幸せかという問題じゃない。
わたしのように組織から受け入れてもらえない人間には、選択肢は最初からひとつしかなかったのだから。
だから贅沢はいわないことにして、自分の人生もまあまあなんじゃないかと思わせられることではある。

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2014年9月29日 (月)

上海

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街へ出て、古本屋でナショナル・ジオグラフィック (NG誌) のバック・ナンバーを2冊ばかり引っこ抜いてきた。
1997年10月号と2010年3月号。
NG誌ぐらいの本になると、時節おくれだからつまらないなんてことはぜんぜんない。
これは、なにしろ明治時代にはもう刊行されていた本だそうだ。

そういうことはさておいて、2010年の本に上海再興という記事がある。
目ざましい発展をとげる中国・上海の現状をつたえるリポートで、これをみると自分の過去の記憶がまざまざ。
一時期、大陸中国に凝って、しょっちゅう中国にばかり出かけていたわたしが、最後に上海に行ったのは2005年 (これ以後もいちど行ってるけど、それは飛行機の遅延でたまたま寄っただけで、街へ繰り出してないから除外)。
それからもう10年ちかい歳月が流れた。
最近では上海はあまり話題にもならないけど、それだけグローバル化されて、特殊な街ではなくなったということなんだろう。

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はじめて上海に行ったのは1992年で、当時すでに共産党政権の下で、“魔都” という往年の悪名は一掃されていたけど、まだ外灘 (わいたん) とよばれる埠頭のビル街や、ガーデンブリッジ前にそびえる上海大廈はほぼ戦前のままで、そこかしこに阿片窟の雰囲気も満々、租界時代に怪しい見世物で一世を風靡した 「大世界」 の建物もそっくり残っていた。
その後もほとんど毎年のように出かけていたから、わたしは栄光と汚辱に満ちた古い上海の街並みを、それが変貌するまえにかろうじてながめることができた幸運な人間てことになる。

92年当時の上海には、NG誌にも取り上げられている 「里弄」 とよばれる古い住宅が、いたるところに残っていて、そういうところをのぞきながらぶらぶら歩いていると、なぜかなつかしい故郷にもどったような気分がした。
ところがその後、わたしはそういう古典的な住まいがかたっぱしから破壊されるのも見ることになった。
破壊せずに残しておけば、いまごろは世界遺産が確実・・・・・・いや、中国人にとっちゃあまり自慢できる遺産じゃないだろうけど。

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上海の変貌は、浦東地区にそびえる東方明珠テレビ塔のまわりをながめれば一目瞭然。
いちばん上の写真は92年当時で、まだ建設が始まったばかり (この写真は過去にも載せたことがある)。
年とともにテレビ塔のまわりに高層ビルが増え、最後はネットから見つけた最近の浦東地区のようすで、風景を早送りでながめることのできるわたしには、思わずあれまあと叫びたくなるくらい。

はじめて上海をひとり旅したとき、わたしは街の食堂で7角=16円のワンタンを食べた。
そういう時代もあったんだなと、NG誌を読みながらしみじみ考える。

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2014年9月28日 (日)

ピンノ

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ひさしぶりに味噌汁をつくることにした。
以前、手製の味噌汁を呑んだあと、めまいがしてブッ倒れたことがあり、どうも味噌汁が原因のような気がして、それ以来作るのをやめていたのである。
しかし自分で作る味噌汁の魅力には抗しがたい。
えいと、運を天にまかせてまたチャレンジしてみることにした。

わたしの味噌汁は具だくさんで知られている (知られていないかも)。
だから考えてみると、味噌汁には冷蔵庫に残っている古い野菜を一掃する効果もあるのだ。
古い野菜の中には芽の出かかったジャガイモもあり、これは有毒だそうだから、芽の部分を大きめに削除したけど、やっぱり命がけの味噌汁なのだ。

具は古いジャガイモとダイコン、玉ねぎ、ナスなどの野菜に、ダシを取るために活アサリをワンパック放り込む。
これで3日分くらいをいっぺんに作ってしまう。
味噌汁だけをおかずにご飯の1膳か2膳くらい食べられてしまうってやつだ。
めまいがコワイからいちどに食べるのは1杯だけにしておいて、いや、自分でいうのもなんだけど、日本人の主食はお米のご飯と味噌汁にかぎるとつくづく思ってしまう。

そんな絶妙な味噌汁の中から、まっ赤に茹であがったカニの死骸が出てきた。
ピンノという種類のカニで、アサリのみならず、ハマグリやカキなど、さまざまな貝に寄生する小さなカニである。
たまたまパックのアサリにまぎれこんでいたおかげで、味噌汁のダシにされちゃった不運なカニだ。

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アクセスが少ない

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なんかここんところブログのアクセス数が少ないね。
いちじは1週間続けてアクセス数が3桁に届いたなんてこともあったのに、ここんところ2桁ばっか。
いくら自己満足のブログとはいえ、やっぱりちっと気になる。
せんだって87歳ブロガーが人気という記事を書いたけど、彼女のブログを読んでみても、わたしのそれと決定的に異なるほどおもしろいことが書かれているわけでもなかった。

いったいなにがイケナイのかと、秋の日のつれづれに考察してみた。

朝日新聞が反省しちゃったのがイケナイのかもしれない。
ブログ・ネタに必須だった朝日の記事が委縮しちゃって、わたしもいちゃもんのネタを失い、反朝日ネタを欲求する読者の期待にそえないってことかも。
朝日の影響力はそれほど大きかったってことかも。

いや、そんな大それたことじゃなく、たとえば自分の顔写真をぬけぬけとプロフィールに飾っておいたりしているのがイケナイのだろうか。
これじゃまるで、自分がイイ男であることを自慢してるようなもんで、イイ男でないそれ以外の男性の反感をかうのだろうか。
そんなことをまたぬけぬけと書くからイケナイのだろうか。
自慢していると思われたくないから、顔写真はいちおう加工してあるんだけど。

そもそもアクセス数ってのはどうやって抽出してるのか。
わたしのブログの監理者は@ニフティだけど、ここも最近はフェイスブックやツィッターに押され、会員が減少しているそうだ。
わたしのみたいにユニークなブログのアクセスがのびないってのは、なんか裏で作為や手抜きがあるってことじゃないか。
あ、またぬけぬけと。

なんだかよくわからないけど、世間の風がやけに冷たく感じられるこのごろだ。

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2014年9月26日 (金)

公子さん

新聞を熟読みしていたら、「もと市長に請求認めず」 という記事があった。
国立市のもと市長さんだった上原公子さんに、市民団体が損害賠償を請求していたのが、地裁の判決で却下されたのだそうだ。

事件の推移をながめると、公子さんが市長に当選したあと、市内に高層マンションの建設計画が持ち上がり、これに対して公子さんが新しい条例をつくって建設を阻止しようとしたところ、建設業者が営業妨害だってことで、市長を逆提訴。
裁判は地域の事情よりもたてまえ論を優先するから、公子さんは裁判に負けて損害賠償を払うことになってしまった。
市民団体はこれを問題視し、賠償金を払うのは市長がよけいなことをしたせいだということで、お金は公子さんが個人的に支払うべきだといちゃもんをつけたらしい。

さあ、どうだ。
なにかというと、景観をこわすとか自然を破壊すると文句をいう市民団体が、そういうものを守ろうと新条約をつくった市長さんを、裁判に負けると手のひらを返すように告訴する。
市民にもいろいろあると思うけど、是非なんかさておいて、なにがなんでも権力に反対するという、まるでウチの新聞みたいな身勝手な団体がここにひとつ。
わたしは公子さんに対する請求権が却下されたことに安堵する。
これはけっして彼女がわたしのおさななじみと同姓同名だからというわけじゃない。

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2014年9月25日 (木)

ウチの新聞

今日のウチの新聞のオピニオン面に、作家の高橋源一郎サンがなにやらわけのわからないことを書いている。
どうも朝日新聞を擁護する文章らしいけど、いまの時期、これはなかなかむずかしいことである。
にもかかわらず、それを無理して書こうというのだから、苦心惨憺の文章で、あいまい模糊になるのもやむをえないってことらしい。

文章によると源一郎サンにも子供がいることがわかる。
子供がいるくらいだから家庭があるのだろう。
家庭があればその幸せを維持するために稼がなくちゃいけない。
でも源一郎さんの小説なんて売れそうもないし、明治学院の教授という肩書も、たいした給料は払ってもらってないんじゃないか。

そういう経済事情の作家には、朝日新聞の御用作家になるという方法がある。
朝日新聞は誌面作りの費用を惜しまない新聞として知られている (らしい) から、いい原稿料をもらえるのではないか。
源一郎サン以外にもこの手の作家は何人かいる。
いずれも作家であれば、もっと公平で客観的・多極的にものを考えてしかるべしなのに、なぜか左傾化して一方の肩をもつ文章になっているのが特徴だ。

同じオピニオン面に小熊なんとかいう大学教授さんも寄稿していた。
こちらも (たぶん) いい原稿料をもらっているのではないか。
彼は円安を推進するアベノミクスの欠陥を並べたてて、国際的に日本の存在感が小さくなっているという。
そんなことをやってる場合なのかともいう。
似たような苦情は読者投書欄にもあって、ある輸入業者が円安は困るとぼやいている。

この両者 (小熊サンと投書氏) に聞きたいけど、それじゃあ円高のままのほうがよかったのか。
円高でどうしても不景気から抜け出せず、結果はさておいて、正反対の政策をとってみようというのがアベノミクスじゃなかったのか。
そして、将来はどうなるかわからないけど、目下のところはいくらか景気が好転したというのが現状じゃないか。
どっちに転んでもすべての人が満足する政策なんてありえないのだから、文句があるなら、ここはこうすべきだというアイディアを提起すべきで、結果をあげつらうだけなら誰にでもできる。

日本の存在感が小さくなるのは政策ではなく、歴史の大きなうねりだ。
かっての大英帝国なんか、スコットランドが独立したら、まったく存在感のない2等国に成り果てるだろう(またビートルズでも出てこないかぎり)。
いまは強盛を誇る中国だって、20年、30年後にはどうなっているかわからない。
そう考えれば日本だってまだ捨てたもんじゃない。

今朝のウチの新聞を読んでしみじみ考えた。
じょじょに内部浄化されているとはいえ、まだ朝日新聞はつっこみどころがあってタノシイ新聞だ。

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2014年9月24日 (水)

彼岸花

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今年も自然観察園にヒガンバナが咲いた。
埼玉県の巾着田まで行かなくてもけっこう盛大に見られるので助かる。

ところでヒガンバナってのは日本の固有種だろうか。
西洋でヒマワリやラベンダーは有名で、また中国の菜の花もよく知られていて、それの観光ツアーまで出ているというのに、ヒガンバナを観に行こうというのはあまり聞いたことがない。
スペインやフランスには田んぼがないからという人がいるかも。
あちらの人は実利的だから、油や香水にならない花には関心がないのだという人もいるかも。
でも漢方のほうで使い道がありそうだけどね。

なんてゴタクを述べてみたけど、ようするに花期が短いのが観光の対象にならない理由だな。
ウチの近所のヒガンバナも、つぎの日曜日にはそろそろ店じまいですよ、きっと。

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2014年9月23日 (火)

翠子さん

昨日は仲間うちの寄りあいがあって府中まで出かけた。
どこで寄りあいをするかって、つまり飲み屋を探して、市内をうろうろ。
お目当ての店が見つからず、いいかげんくたびれたころ、府中街道と旧甲州街道がまじわるかどに、まっ黒にぬられた造り酒屋があったので、そこでひと休みしていくことにした。
この酒屋は万延2年に創設の古い店だそうで、建物の外観は土蔵を模したまっ黒なものだけど、内部は古風と近代の折衷したモダーンなものである。
酒店以外に喫茶室やギャラリーが併設されている。
なかなかいい雰囲気の店だけど、口コミ情報があふれているので、わたしはあえてそんなものに関わらない。

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喫茶室で軽くワインを飲んだあと、2階のギャラリーに顔を出してみた。
すぐに翠子 (すいこ) さんという、笑顔のすてきな女性が寄ってきた。
どういうふうにすてきかというと、甲斐性のある旦那と複数の子供にめぐまれて、家庭的に満ちたりた主婦の笑顔というか、思わずこっちも幸せな気分にされてしまうような笑顔である。

壁にかかげられた絵はこの翠子さんの作品だそうだ。
北斎ばりにデフォルメされた富士山や、ダルマさんの置かれた寺院の庭、花の咲きみだれる草原風景などがある。
最初ちょっとめんくらったけど、これはすべて刺繍で、今ふうにはファブリック・ピクチャーというのだそうだ。
絵画作品と比較してみると、マチスの室内画を思わせるものもあるし、全体としてグランマ・モーゼスのような、素朴派というべき系統の作品が多い。
たぶん翠子さんも純真な少女の気持ちを失っていない貴重な大人なのにちがいない。

ここに添付した花の絵は、富良野のラベンダーかと思って尋ねると、ヒソップですという。
そんな花の名前は知らなかったから、帰宅してネットで調べてみた。
ハーブや薬草として使われる花だそうで、柳薄荷 (ヤナギハッカ) という和名もあるらしい。
わたしがよく出かける野川公園の自然観察園でも、見たことがあるようなないような。

これって完成までにどのくらいかかりましたかと訊くと、半年という返事だった。
たいへんな労作である。
しかし油絵でも傑作とされるものの中には、そのくらい手間ひまをかけた絵はぎょうさんある。
刺繍でもなんでも、時間をかければかけるほど立派な作品に仕上がるものだし、この絵をみるかぎり、翠子さんの労苦はむくわれているように思える。

わたしの足は直前に飲んだワインでふらついていたけど、なんとか無事に階段を下りて、ギャラリーをあとにすることができた。
仲間たちは店のまえで待っていた。
彼らもギャラリーをのぞくような、いい意味での好奇心を持っていれば、2階ですてきな女性とお近づきになれたものを。

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2014年9月22日 (月)

風邪か

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風邪ひいたかなあ。
なんか体がだるくて、節々がイタイぞ。
デング熱かなあ。
そういえばこないだ蚊に刺されたもんな。
ウチのベランダで。
洗濯物を干してるとき。
心配だ。
もう若くないしな。
ちょいとした病気でもイチコロの可能性がある。
まだ西表島にもスペインにも行っておきたいしねえ。
やっぱり心配。

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2014年9月20日 (土)

自転車

わたしがいちばんよく観るテレビ・チャンネルはBSのNHKプレミアムで、ここに 「日本縦断こころ旅」 という番組がある。
俳優の火野正平が自転車で日本の各地を旅するというもの。
なんだ、自転車かと、最初はわたしもそれほど期待していなかった。

もともとは週に1回の30分番組だったらしいけど、ついこのあいだまで、これを2本まとめて (1時間番組にして)、毎日毎日再放送していた。
それでつい観るともなしに観てしまったのが、この番組に興味を持った最初。

そうやって観たこの番組の中に、正平さんがたまたま出会った小学生くらいの女の子と、丘に登るというものがあった。
この少女は体のどこか疾患があるらしくて、丘に登るのがしんどそう。
とちゅうでそれに気がついた正平さんが、ごめんごめんと謝る。
なんてことのない場面だけど、演技ではなく自然体で、こころあたたまる素敵なシーンだった。

先日、この番組の過去の総括 (そして予告編) みたいな番組が放映された。
その中に視聴者が選ぶ過去の名場面10というのがあって、なんと、この少女との出会いがベスト1に選ばれていた。
わたしと同じ気持ちでこの番組を観た人が多いってことらしい。
なんだかんだいってもNHKは、こういう癒しみたいな番組をつくるのがうまい。

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じつをいうと、わたしも幼少のみぎりからの自転車少年で、つい最近まで何台も自転車を乗り換えてきた経歴をもつ。
自転車というものは、ぼんやりと空想にふけりながら、広い範囲を周遊するのに最適な乗りものだ。
外国でも自転車を借りてあっちこっちさすらったおぼえがあるので、ここでその写真を3枚ほど。
上から中国は無錫の農村、新疆ウイグル自治区のトルファン、そしてバリ島で、歩くには遠いし車でまわるにはオーバーというところでは、わたしゃたいていレンタル自転車。

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2014年9月19日 (金)

記念すべき年

「水に落ちたイヌは叩く」 というのは中国のことわざだったと思うけど、現在は朝日新聞がサンドバッグ状態。
先日、図書館でなんとかいう月刊誌を読んだら、もう始めからお終いまで朝日をボロクソだ。
昨日の朝日新聞は週刊文春と新潮の広告が載る日で、こちらもあいかわらずけちょんけちょん。
書いてあることはしごくまっとうなことなので、それがケシカランということじゃないけど、そろそろカンベンしてやったらといいたくなってしまう。

それにしても投書欄などをみると、今回の騒動で朝日の欺瞞がよくわかった、もう購読を止めるなんて人の多いこと。
今回の騒動が起きるまえはぜんぜんそんなことに気がつかなかったらしい。
歴史に理解のある人なら、どこかおかしいと気がついていたはずで、記事がデタラメであることもとっくにわかっていたはず。
わたしなんかずっと昔からデタラメに気がついていた。
そういうデタラメにいちいち文句をつけるのが楽しみで、よその新聞の勧誘はいっさいお断りしていたくらいだ。

いま朝日新聞は出直しに懸命だ。
こういうときこそ朝日を応援し、行く末を長い目で見守らなければいけない。
デタラメを指摘し、それに (ブログで) いちゃもんをつけるということは、脳みその活性化に役立ち、認知症の予防にすこぶるいいのだ。
他の新聞ではなかなかこうはいかないゾ。

おしまいにもうひとつ。
朝日新聞が頼りにならなくなったおかげで、韓国・中国の日本批判はじょじょに沈静化するかもしれない。
現在の韓国では、ほんのちょっぴりでも日本の肩をもつような発言をすると、その人は徹底攻撃をされて、社会的に抹殺されかねないけど、自分の国だけで一方的に相手をののしっているだけでは、どこかおかしいと考える人も出てくるだろう。
まだ10年や20年はかかるかもしれないけど、こちらが相手にしないでいるだけで、歴史をきちんと学ぼうという若者が増え、親日派といわれる人たちが名誉を回復し、慰安婦像もホコリをかぶっていくだけではないか。
そう考えると、朝日新聞があやまちを認めた2014年という年は、おぼえておいて損のない記念すべき年になるかもしれない。

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2014年9月18日 (木)

やらせ?

わたしもそうとうに疑い深い人間だけど、前項の米人ジャーナリスト殺害については、これはヤラセだ、トリックだという意見もあるらしい。
映像はすべて作りモノで、じっさいにはジャーナリストは生きているというもの。
そういう意見を主張するサイトをながめると、いろんな証拠をならべていて、いかにも真実のように思えてしまう。

そういやあ、こんな話は以前にもあったなあ。
アメリカの月着陸は、地球上のどこかの砂漠で撮影されたヤラセだというのである。
当時は米ソ冷戦の時代で、アメリカには月着陸の競争でソ連に負けたくないという事情があったにせよ、ほんとうにヤラセなら、いくらなんでもそろそろ誰かが真実を暴露しそうなものだ。
政府の秘密を暴露して亡命を余儀なくされたスノーデン君みたいな青年もいるし、現在はリークがわりあいかんたんにできる時代なのである。

疑っていればきりがないけど、米人ジャーナリスト殺害がヤラセだとしたら、ほんとうにそんなことがあり得るだろうか。
あるとすれば理由はなんだろう。

米国がシリアに軍事介入したいというのがそれかもしれない。
オバマ君の政策からすれば逆行しているけど、なんせあの国では軍需産業のご威光がモノをいうから、じゃんじゃん戦争をしてほしいそのスジがでっち上げたという可能性は、ぜんぜんないと思うけど、ひょっとするとあるかもしれない。
その残虐性から米国では 「イスラム国」 を叩けという世論が主流になり、このあいだまで、もう砂漠の戦争はまっぴらだといっていた国民が、一億総火の玉だ。
兵器を製造している死の商人たちはホクホクではないか。

あるいはシリアのアサド大統領の陰謀かもしれない。
反体制派に手をやくアサドは、アメリカを戦争に引っ張り込むために、ああいうでっちあげ映像を流したのかも。
この世界に謀略はつきものだから、本心ではアサド政権維持派のオバマ君が、シリアを支援するために、コンピューター・グラフィックを駆使して残酷な映像を制作した可能性も、ないと思うけど、あるかもしれない。
「イスラム国」 の空爆では、おもてむきアサド体制に反対のアメリカが、結果的にアサドを助けることになっちゃってるでしょ。

でもね、でもね。
だんだん下手なミステリーみたくなってきたけど、相手に勝手にそんなことをされたら、当の 「イスラム国」 が黙ってないだろう。
ジャーナリストを捕虜にしているのはオレたちだってことで、本物の処刑場面を公開するかもしれない。
やっぱりフィクションの世界だな、これって。

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SF小説

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オレンジ色の囚人服のようなものを着せられた男性が地面にひざまづいている。
かたわらに立った黒ずくめの男が、手に持ったナイフをふりかざし・・・・・・ あまり鋭利なナイフではないみたいで、ギーコギーコとのこぎりのように使って・・・・・・ 囚人服の男性の首を切断する。
おもわず目をおおいたくなるような残酷な光景だ。

シリアで 「イスラム国」 のテロリストが、米国人ジャーナリストを殺害する映像をちらりと見た。
ひどすぎる。残酷すぎる。
米国人にとっても大ショックだったようで、オバマ君はまた泥沼の中東にひきもどされてしまった。

それにしたってどうしてこうモグラ叩きみたいに、あとからあとからテロリストが出てくるのか。
やればやるほど、叩けば叩くほど、あちらさんは増殖するようにさえ思えてしまう。

ちょっとまえになんとかいう学者の、新しい資本主義論みたいなものを読んだけど、資本主義がいまのまま進化すれば、貧富の格差が大きくなるのは当然なんだそうだ。
金持ちは資金を大規模に投資にまわせるのに対し、日々の暮らしにもこと欠く貧乏人はそうはいかない。
金持ちは自分の子供の教育や技術取得に金をかけられるけど、貧乏人の子供は大学にも行けない。
スポーツや芸能の分野で能力を発揮するためにも、やっぱりそれなり経済力は必要だ。
けっきょくひとにぎりの持てる者が、その他大勢の持たざる者の上にあぐらをかくという図式が、子子孫孫の代まで続くらしい。

これじゃ不公平感や疎外感を感じる若者が増えるのも当然だ。
欧米からも若者たちが、志願してテロリストに加わっているという。
不公平を是正するどころか、格差社会の先端をゆくアメリカが、いくら正義をいってもそうした若者たちには通じまい。
テロリストをなくすもっとも効果的な方法は、貧富の差をなくし、現在の日本みたいに、文句はいいつつも、やっぱり余所よりはいいもんなと思わせられる社会をつくることだ。
ということぐらい、みんなわかっているんじゃないか。
わかっちゃいるけどやめられない。
かくしてテロリストは雨後の竹の子みたいに続出する。

わたしがSF作家なら、ますますひどくなる格差社会に対して、ついに反乱をおこす労働者たちの物語を書くだろう (よくある話だけど)。
ひょっとすると現在の対テロ戦争というのはそういうものかもしれない。
わたしたちは持てる者と持たざる者の前哨戦を見ているのかもしれない。
だからといってテロリストの側に正義があるとはいわないし、無人攻撃機で爆撃するアメリカを応援しようって気にもなれない。
前哨戦は、おたがいに情け無用の殺し屋たちが殺し合う血まみれの戦場だ。

テロリストに殺された米人ジャーナリストは、首を切られる最後の瞬間まで、尊敬に値するくらい毅然としていた。
彼はこの戦闘で最初に抹殺される “良識” というものの代表ってことになるだろう。
世界は破壊と混乱におちいって、その荒廃のなかから、ふたたび “良識” がよみがえるはずなんだけど、資本主義に代わる新しい経済法則を発見できないから、わたしのSFは、いまんところオチのない未定稿でしかない。

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2014年9月17日 (水)

87歳ブロガー

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新聞を読んでいたら、87歳ブロガー (ブログをしている人) のブログがすごい人気だそうだ。
ブログ運営会社の日々ランキングでは、5位以内の常連だとある。
むらむらと対抗心、めらめらと嫉妬心。
なんかとくべつなやり方があるのだろうかと思って、記事をよく読んでみた。

ジュリエット・グレコと同い歳でパソコンを使うこのおばあちゃんの元気のみなもとは、ブログを毎日更新し、読者とのコミュニケーションは欠かさず、ブログのネタ探しのためにカメラを持って毎日散歩をする。
ということで、わたしとあんまり変わらない生活をしているみたい。
そういうかんたんなことで、幅広い世代に読まれ、少女のような感性をもってと称賛されているらしい。
わたしだっていまだに少年なんだけど。
そのつもりなんだけど。

他人の個人情報に触れないとか、不愉快になるようなことは書かない、ときどき自分自身の年令や病気のことも書くけど、最後はハッピーエンドになるようにするって、このへんはブロガーのたしなみじゃん。
文章もきわめてまっとうで、わたしみたいに世間をおちゃらかすようなことはしていないみたいである。

なんでわたしのブログと差がつくのかと、目下考察中だけど、結論が出るまえに、アンタもブログやったらとお節介をやいてしまう。
えっ、畑仕事に精を出してる幼なじみのアンタのことだよ。

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2014年9月16日 (火)

うじうじ

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帰ってきました。
房総の鴨川ってところに行ってたんですが、ご覧のとおり絶好の海水浴日和。
泳ぎたかったけど、いっしょに行った知り合いが水族館のほうがいいなんていいだして、わたしもそういうところがキライじゃないし、うじうじと悩んで、とうとう泳ぐ機会がありませんでした。

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2014年9月13日 (土)

告知

今日からの連休は海水浴に行ってきます。
8月で海水浴シーズンは終わりと思っているアナタ。
海の水がいちばん温かいのは9月です。
台風やクラゲに遭遇しないかぎり、9月は海水浴のベストシーズンです。

友人たちは沖縄へ行ってますが、わたしはもうちっとみみっちく、どこかそのへんの海に。
というわけで、2、3日ブログもお休みの予定。

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2014年9月12日 (金)

こころ

漱石の作品の中で 「こころ」 がとくべつに好きってわけじゃないから、いま渦中にある朝日新聞が、それをもういちどオリジナルに忠実に連載していることについて、わたしは遠くからときどき拝見するていどだった。
でも、今日だけは注目。
今日 (9月12日) はこの小説のクライマックスである。
この小説の中で、先生に恋人を奪われたその友人Kが、自殺するという小説の最大の山場が今日だったのだ。

友人の恋人を奪ったからといって、先生という人物はけっしてプレイボーイというわけじゃない。
たまたまなりゆきで相手を愛してしまっただけで、けっきょくこの友人への裏切りが彼にとって終生のトラウマになるのである。

恋人を奪われた友人Kも、明治・大正の古い日本人だ。
友人の背信行為に対して、じっと感情を押し殺し、自分は意思が弱くて先行き見込みがないから自殺しますと遺書に書く。
いままで世話になった。
世話ついでに死後の後片付けもお願いしたい。
下宿の奥さんに迷惑をかけて申し訳ないと謝っておいてくれと。
物語をはじめから読めば、これが主人公に対する精いっぱいのあてつけということがわかるだろう。

そして、もっと早く死ぬべきだったのに、なぜ今まで生きていたのだろうという、悲痛な言葉で遺書はしめくくられる。
この言葉は重い。
わたしにはやたら重い。
わたしも失恋の数の多さでは他人にひけをとらないし、そういうことをかんたんに忘れられる性格じゃないもんで。

それでもわたしはこのトシまでなんとか生きながらえてきた。
死にそこなったおかげで、ようやくそういう感情に左右されない、べつの人生の愉しみを得られるようになった。
いまどきの若い人の中にも、なぜ生きているのかと悩む人たちがきっといるだろう。
早まっちゃいけない。
悩める人は幸せであると、あのイエスさまもいってる (ような気がする)。

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2014年9月11日 (木)

また訂正

英国も苦悩だけど、朝日新聞も逆境だ。
今度は吉田調書の誤報でまた訂正だって。
反朝日のマスコミが大よろこびで、またまたボロクソ記事を書くだろう。
でも訂正が連続したってことは、朝日の社内で、これまのでのような、結論が先にありきなんて記事ばかりじゃマズイでしょっていう勢力がじょじょに勝ちを収めているようで、わたしは未来に希望をつなぐけどね。

英国も朝日新聞もここが踏ん張りどころだ。

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再編成

スコットランドが英国から独立かもねというニュース。
へえっと驚くわたし。
ややこしい事情があるらしいけど、わたしはスコットランドもアイルランドも、全部ひっくるめてひとつの英国だと思っていた (現在はおおむねその通りだ)。
そのひとつが独立ということは、日本から九州もしくは北海道が独立しようとするようなもんじゃないか。
英国という言葉に親しみを感じている当方としては、なにもそこまでといいたくなるけど、この国はけっして一枚岩ではないらしい。
民主主義国を標榜するイングランドも困るだろうけど、いまロシアに文句をいってる具合からすれば、武力で阻止ってわけにもいくまい。

おりしも極東の島国では、森喜朗というおっさんが親書をたずさえて、ロシアのプーチンと会ったとか。
親書の内容はわからないけど、ちょっとまえにこのブログでふれたように、日本だけはロシアの味方ですよ、アメリカなんぞはシュールガスを吸い尽くしたら三流国です、なんて書いてあるんだろうということは想像にかたくない。
そんな裏ワザで北方四島が返ってくれば、これはめずらしい平和的手段による領土変更の実例だ。
日本も十年一日のごとくお題目を唱え続けてきた甲斐があったというものだ。

もしかするとわたしたちは、目下の現在、戦後の世界秩序再編成の渦中にいるのかもしれない。
アラブ世界では、叩いても叩いてもアメリカ嫌いが輩出して、アメリカがいるかぎり国境なんてアメーバみたいにあてにならないけど、いずれ米国が衰退すれば、現在とは異なる国境線が引かれることになるのはまちがいない。
真綿で首をしめられている北朝鮮のほうは、ドンパチになるのか、あるいはネを上げて平和的に解決するのか、いずれにしたって38度線の国境は消滅することになるだろう。
ああ、また団塊の世代へのイヤ味になっちゃうけど、それまでわたしたちって生きていられんのかしら。

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2014年9月10日 (水)

ヤケッパチ

K002

昨日は 「友あり遠方より来る、また楽しからずや」 というやつで、このブログにときどき登場する熊本のKさんが、ひさしぶりに上京したので、その歓迎会。
おんトシ××歳なのに、熊本からひとりで車を運転してきたというから、奇人であると同時に鉄人でもある。

ワハハと酒を呑んだあと、例によってべつの友人に拉致されて、カラオケ店 (わたしのキライものの筆頭なのだ) に連れていかれ、帰宅したのが夜中の零時ころ。
寝るまえに確認してみたらブログのアクセス数がちと少ない。
ここんところ人生をはかなんだような記事が多いので、読者からきらわれたのかしら。
わたしのブログの愛読者は、どっちかというと奥ゆかしい団塊の世代が多いらしく、そろそろ棺桶に片脚つっこんだそういう人たちにとっちゃ、認知症だの破滅だのって話題がタノシイはずないものねえ。
でも気にしませんからね。
これからも漱石の「こころ」 みたいに陰険な話題がどんどん増えるぞ。
人生の末路に正面から向き合うわたしのブログだ。
晴れ、ときどきヤケッパチ。

添付したのはKさんのキャンピングカー。

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2014年9月 8日 (月)

ビル・エバンス

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雨にふられた昨日は、クーラーのスイッチを切り忘れたか (たまにやるのだ) と思うほど涼しかった。
おかげでなんかしめっぽくてクールな音楽を聴きたくなった。
たとえばジャズのビル・エバンスなんかどうだ。

しめっぽいというと文句をいわれるかもしれない。
でも明るいとはとてもいえない。
むずかしい説明はしたくてもできないから、かんたんにいうと、ビル・エバンスというピアニストは静かなピアノを弾く人である。
静謐で思索的なピアノというほめ言葉もある。
中には例外な曲があるかもしれないけど、わたしの個人的印象としてはそんなところ。

キース・ジャレットのソロピアノを聴いたとき、彼も似たタイプかなと思ったことがあるけど、しかしどういうわけか、わたしはエバンスの演奏は好きだけど、ジャレットは別にCDを買ってまで聴きたいとは思わなかった。
どこが違うのかと訊かれても、もちろん説明できない。
これはもう直感としかいいようがない。

エバンスがベースのスコット・ラファロと共演したアルバムは傑作のほまれが高い。
YouTube を探すと、過去の演奏家の貴重な映像が見つかることが多いので、ラファロがいたころのエバンス・トリオの映像に当たってみた。
モノクロ映像で、白人ベーシストが共演している映像が見つかったので、おおっと思ったけど、残念ながらこれは、ラファロ亡きあとエバンスのトリオに参加したチャック・イスラエルのものだった。
ラファロの映像は、YouTube にないということはこの世に存在しないということかも知れない (じつはラファロの映像はあることはあるのだが、管楽器が主体のグループに参加していたころのもので、ベースの音量が低く、ラファロを聴くには不都合)。

ビル・エバンスという人は、そのころの写真でみると、髪をきちんと分けてメガネをかけた、もうとりつくシマもないインテリという感じの人である (もっともこの時代、マイルスもちゃんとネクタイをしていたから、特別にめずらしい存在ってわけでもないけど)。

このころのエバンスときたら、音楽家としての名声を確立していたばかりか、素晴らしい演奏を人に聴かせるという、ただならぬ才能にめぐまれていたのだから、わたしみたいな挫折人間にはうらやましいような境遇だったはず。
しかしなにが気にいらなかったのか、彼は芸術家によくある破滅型の人生を追求し、酒やドラッグにおぼれ、最後は野垂れ死のような死に方をした。

彼の伝記によると、いろいろ私生活に複雑な事情もあったようだけど、いまとなって、わたしがそうした彼の思想の根源を探っても仕方がない。
いえるのは彼が破滅に向かって一直線だったということ。
破滅型。
認知症や孤独死など、長生きをした最近の老人たちの悲惨な末路を知るたびに、わたしも大急ぎで貯金を使い果たし、元気なうちにさっさと人生を駆け抜けたいと思ってしまう。
もしかすると、自分でもはっきりとわからないまま、わたしはエバンスのピアノから、そういう部分を感じとっていたのかもしれない。
そういえばキース・ジャレットという人は、健全で、破滅にはほど遠いピアニストである。

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2014年9月 7日 (日)

今朝の朝刊

ロシアとウクライナのごたごたは終息するのかしないのか、ま、おたがいに血気盛んなのをたくさんかかえているいるからねえ。
それにしたってNATOは、まだ加盟してないウクライナを支援しようというのだから気が早い。
この両者はルーツがいっしょなんだから、すくなくともロシアはそう思ってるんだから、どっちか一方を応援するんじゃなく、まあまあと双方をなだめておけばいいものを。

ウクライナの現大統領って人はもともと富豪の出身だそうだ。
こういう人がまともな政治をするかどうか、あんまりウクライナの肩ばかり持つと、あとでまた後悔するんじゃないかって、わたしは心配しています。
とにかくアメリカが音頭をとってなにかをすると、かならず世界が混乱するってのが最近のジョーシキだから。

こちら側から見ていちゃなにもわからない国際関係だけど、ロシアが孤立したいまこそ、日本にとっては千載一遇のチャンスだ。
こういうときこそ安倍クンは日本とロシアの親密な関係を演出し、もちろんプーチンの訪日ももろ手を上げて賛成し、来日したプーチンの肩をやさしく抱き、柔道の山下クンも誘って、西麻布の「権八」あたりで焼鳥を食う。
そしてプーチンの耳もとで、まわりに聞こえるように大きな声でささやく。
日本とロシアは一衣帯水の国ですからな。
日本だけはロシアの味方ですよ。
なに、アメリカなんぞは、シュールガスを吸い尽くしたら、あとはもう三流国です。

感激したプーチンならびにロシア国民は、北方四島まるごと即時返還に応じてくれるかもしれない。
そ、ロシアの人ってわりあい単純なのよね、人間が。

ところで今日の朝刊はまだ来ねえな。

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2014年9月 5日 (金)

安倍改造内閣

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フェイスブックに (FB) 安倍改造内閣の写真を載せておいた。
そんなものが友達をつくるのに何かの役に立つかどうかわからんけど、わたしは独自の考えで、FBというものは外国の友人たち (まだ友人を了承してないけど) に、日本の現状を伝えるものという信念を持っている。
日本の内閣が変わりました。
メンバーの中には将来の首相候補の美人もいますって。

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2014年9月 4日 (木)

ボロくそ

昨日の夕方は街のコーヒー店で産経新聞と夕刊フジを読んでいた。
両方とも朝日新聞を目のかたきにする新聞だけど、たまには正反対の意見も読まないと世間がわからないのである。
産経新聞では東洋学園大学の櫻田なんとかいう人がわたしと同じような意見。
つまり朝日の行き方を叱責する反面、なんとかまともな反権力新聞に脱却してほしいというもの。

昨日あたりの反朝日新聞に共通した記事は、朝日新聞が池上彰さんのコラムを掲載しなかったことの是非について。
すでにだれでも知っていることだと思うけど、池上さんの 「新聞ななめ読み」 という記事が、慰安婦問題について朝日新聞はきちんと謝罪すべきだとあったので、これをケシカランとする朝日が掲載を拒否したというアレである。
まあ料簡のせまいことをしたもんだと思うけど、これについては朝日新聞の内部からも抗議する声が多かったようで、けっきょく今朝の朝日新聞には、その池上さんのコラムが編集部の弁明と共に掲載されていた。
池上さんの記事はきつい叱責であるものの、朝日を愛すればこその書き方である (と信じる)。

今朝の朝日新聞は週刊新潮と文春の広告が載る日でもある。
この両紙も反朝日の急先鋒だから、広告からしてもう朝日をボロくそ。
新潮は 「おごる 『朝日』 は久しからず」 ときて、広告のすべてが朝日の悪口。
文春は 「朝日新聞の断末魔」 ときて、こちらも広告の半分は朝日への攻撃だ。
朝日にしてみればはらわたが煮えくり返る思いだろうけど、ここでまた池上さんの二の舞になるのは避けたいから、広告を載せないわけにはいかない。
そんな朝日の苦渋の決断がうかがえる今朝の朝刊でありました。

でもここまでやられると、いくらか朝日に同情もしたくなる。
かっての朝日、本多勝一なんて記者がいたころの朝日は、なんでもかんでも国家権力に反対しておけばいいという無節操な新聞で、そういう姿勢に喝采をさけぶ読者も多かっただろうけど、当時の編集長と現在の編集長は異なるのだ。
いってみれば現在の朝日は、そういう当時の負の遺産をせおったまま、ずるずると今日まで推移してきてしまったようなもの。
日本の大企業に共通の弊害だけど、過去の栄光をさらりと捨てるような大改革なんてそう簡単にできるもんじゃない (ソニーを見よ)。

過去の記事がぜんぶ間違いでしたと認めることは新聞社の沽券にかかわる。
そう考えれば、慰安婦問題が誤りでしたと認めただけでも大英断じゃないか。
わたしはうすうす思うんだけど、池上彰さんの問題をながめても、朝日の社内では、このままではいけないという勢力と、過去のしがらみを切り離せない勢力がせめぎあっているところじゃないだろうか。
まだまだ上層部にはわからず屋が多いんだろうけど、これは時間が解決することだろう。
わたしは世間の糾弾騒ぎには加わらず、べつの立ち位置から今後の朝日を見守ろうと思う。

産経新聞を読んでおどろいたのは、時事マンガに山田紳さんの作品が載っていたこと。
朝日新聞しかとってないわたしは、山田さんはてっきり朝日の専属だと思っていた。
だからといって節制がないとはいわない。
まるっきり正反対の新聞に作品を載せるということは、この人が自分のイデオロギーにもとずいて絵を描いているわけではなく、どんなニュースでも作品にしてしまうプロであることの証明である。

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2014年9月 3日 (水)

訃報

朝いちで朝刊を読んでいたら、イヴ・カルセルさんの訃報。
もとルイ・ヴィトンの最高責任者だそうだけど、わたしはこの人をぜんぜん知らない。
それでもちょっと気になるのは、この人が腎臓ガンで66歳で亡くなったってこと。
66歳か。
その歳で死ぬ人もいるのか。
わたしの歳をかんがみると、ちと複雑な気持ちになってしまう。

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2014年9月 2日 (火)

昼間のコウモリ

そうか、そうだったのかとぼやく。
まだ夏は終わってなかったのだ。
ここんところ涼しい日が続いていたから、今日の暑さはこたえる (年寄りには)。
散歩に出かけても温度の急変に体がついていかないみたいで、ぐったり。

橋の上から川面をながめたらコウモリが1匹ひらひらと飛んでいた。
おいおい、いま何時だと思ってんだ。
まっ昼間の11時だぜ。
コウモリも暑さで頭が熱中症にでもなったのか。
なんかの見間違いじゃないかという人がいるかもしれないけど、わたしのバッドウォッチャー歴や自称博物学者の経歴だけは長いのだ。
写真を撮っておけばよかったけど、コンパクトデジカメで、飛んでいるコウモリを、はっきりわかるように撮るのはムリ。
昼間コウモリが飛んだからといって、べつにおどろくようなことではないのかもしれないけど、長生きすると世間の常識を打ち破るような事実に遭遇するものである。

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添付したのは散歩道で見つけた花。
雑草のあいだに咲くような花ではないから、どこかの庭から逃げ出した園芸種と思われる。
ほかにまた玉虫と出会って写真を撮ったので、8月20日のブログの写真を入れ替えておいた。

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2014年9月 1日 (月)

三鷹の阿波踊り

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昨日はヤボ用があって街へ出たんだけど、とちゅうで今日は三鷹の阿波踊りだなってことを思い出した。
この阿波踊りは以前にも見たことがあって、べつにおもしろくもなんともないものだけど、日曜日に家でぼけっとしていても仕方がないから、ひとりでぶらぶら。

ただ、あいかわらずコンパクトデジカメしかない。
うーんと考え、えい、ままよ、iPod もある。
最近はスマホでもなんでもみんなカメラがついているものなのだ。
弘法は筆を選ばず、今日は戦場カメラマンになったつもり、ドキュメンタリー調でいってやれと考える。

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というわけで、今日の写真は全部 iPod、およびコンパクトデジカメで撮ったもの。
露出がどうの、シャッタースピードがどうのっていわれても困ります。

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