ビル・エバンス
雨にふられた昨日は、クーラーのスイッチを切り忘れたか (たまにやるのだ) と思うほど涼しかった。
おかげでなんかしめっぽくてクールな音楽を聴きたくなった。
たとえばジャズのビル・エバンスなんかどうだ。
しめっぽいというと文句をいわれるかもしれない。
でも明るいとはとてもいえない。
むずかしい説明はしたくてもできないから、かんたんにいうと、ビル・エバンスというピアニストは静かなピアノを弾く人である。
静謐で思索的なピアノというほめ言葉もある。
中には例外な曲があるかもしれないけど、わたしの個人的印象としてはそんなところ。
キース・ジャレットのソロピアノを聴いたとき、彼も似たタイプかなと思ったことがあるけど、しかしどういうわけか、わたしはエバンスの演奏は好きだけど、ジャレットは別にCDを買ってまで聴きたいとは思わなかった。
どこが違うのかと訊かれても、もちろん説明できない。
これはもう直感としかいいようがない。
エバンスがベースのスコット・ラファロと共演したアルバムは傑作のほまれが高い。
YouTube を探すと、過去の演奏家の貴重な映像が見つかることが多いので、ラファロがいたころのエバンス・トリオの映像に当たってみた。
モノクロ映像で、白人ベーシストが共演している映像が見つかったので、おおっと思ったけど、残念ながらこれは、ラファロ亡きあとエバンスのトリオに参加したチャック・イスラエルのものだった。
ラファロの映像は、YouTube にないということはこの世に存在しないということかも知れない (じつはラファロの映像はあることはあるのだが、管楽器が主体のグループに参加していたころのもので、ベースの音量が低く、ラファロを聴くには不都合)。
ビル・エバンスという人は、そのころの写真でみると、髪をきちんと分けてメガネをかけた、もうとりつくシマもないインテリという感じの人である (もっともこの時代、マイルスもちゃんとネクタイをしていたから、特別にめずらしい存在ってわけでもないけど)。
このころのエバンスときたら、音楽家としての名声を確立していたばかりか、素晴らしい演奏を人に聴かせるという、ただならぬ才能にめぐまれていたのだから、わたしみたいな挫折人間にはうらやましいような境遇だったはず。
しかしなにが気にいらなかったのか、彼は芸術家によくある破滅型の人生を追求し、酒やドラッグにおぼれ、最後は野垂れ死のような死に方をした。
彼の伝記によると、いろいろ私生活に複雑な事情もあったようだけど、いまとなって、わたしがそうした彼の思想の根源を探っても仕方がない。
いえるのは彼が破滅に向かって一直線だったということ。
破滅型。
認知症や孤独死など、長生きをした最近の老人たちの悲惨な末路を知るたびに、わたしも大急ぎで貯金を使い果たし、元気なうちにさっさと人生を駆け抜けたいと思ってしまう。
もしかすると、自分でもはっきりとわからないまま、わたしはエバンスのピアノから、そういう部分を感じとっていたのかもしれない。
そういえばキース・ジャレットという人は、健全で、破滅にはほど遠いピアニストである。
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