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2014年9月 4日 (木)

ボロくそ

昨日の夕方は街のコーヒー店で産経新聞と夕刊フジを読んでいた。
両方とも朝日新聞を目のかたきにする新聞だけど、たまには正反対の意見も読まないと世間がわからないのである。
産経新聞では東洋学園大学の櫻田なんとかいう人がわたしと同じような意見。
つまり朝日の行き方を叱責する反面、なんとかまともな反権力新聞に脱却してほしいというもの。

昨日あたりの反朝日新聞に共通した記事は、朝日新聞が池上彰さんのコラムを掲載しなかったことの是非について。
すでにだれでも知っていることだと思うけど、池上さんの 「新聞ななめ読み」 という記事が、慰安婦問題について朝日新聞はきちんと謝罪すべきだとあったので、これをケシカランとする朝日が掲載を拒否したというアレである。
まあ料簡のせまいことをしたもんだと思うけど、これについては朝日新聞の内部からも抗議する声が多かったようで、けっきょく今朝の朝日新聞には、その池上さんのコラムが編集部の弁明と共に掲載されていた。
池上さんの記事はきつい叱責であるものの、朝日を愛すればこその書き方である (と信じる)。

今朝の朝日新聞は週刊新潮と文春の広告が載る日でもある。
この両紙も反朝日の急先鋒だから、広告からしてもう朝日をボロくそ。
新潮は 「おごる 『朝日』 は久しからず」 ときて、広告のすべてが朝日の悪口。
文春は 「朝日新聞の断末魔」 ときて、こちらも広告の半分は朝日への攻撃だ。
朝日にしてみればはらわたが煮えくり返る思いだろうけど、ここでまた池上さんの二の舞になるのは避けたいから、広告を載せないわけにはいかない。
そんな朝日の苦渋の決断がうかがえる今朝の朝刊でありました。

でもここまでやられると、いくらか朝日に同情もしたくなる。
かっての朝日、本多勝一なんて記者がいたころの朝日は、なんでもかんでも国家権力に反対しておけばいいという無節操な新聞で、そういう姿勢に喝采をさけぶ読者も多かっただろうけど、当時の編集長と現在の編集長は異なるのだ。
いってみれば現在の朝日は、そういう当時の負の遺産をせおったまま、ずるずると今日まで推移してきてしまったようなもの。
日本の大企業に共通の弊害だけど、過去の栄光をさらりと捨てるような大改革なんてそう簡単にできるもんじゃない (ソニーを見よ)。

過去の記事がぜんぶ間違いでしたと認めることは新聞社の沽券にかかわる。
そう考えれば、慰安婦問題が誤りでしたと認めただけでも大英断じゃないか。
わたしはうすうす思うんだけど、池上彰さんの問題をながめても、朝日の社内では、このままではいけないという勢力と、過去のしがらみを切り離せない勢力がせめぎあっているところじゃないだろうか。
まだまだ上層部にはわからず屋が多いんだろうけど、これは時間が解決することだろう。
わたしは世間の糾弾騒ぎには加わらず、べつの立ち位置から今後の朝日を見守ろうと思う。

産経新聞を読んでおどろいたのは、時事マンガに山田紳さんの作品が載っていたこと。
朝日新聞しかとってないわたしは、山田さんはてっきり朝日の専属だと思っていた。
だからといって節制がないとはいわない。
まるっきり正反対の新聞に作品を載せるということは、この人が自分のイデオロギーにもとずいて絵を描いているわけではなく、どんなニュースでも作品にしてしまうプロであることの証明である。

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