上海
街へ出て、古本屋でナショナル・ジオグラフィック (NG誌) のバック・ナンバーを2冊ばかり引っこ抜いてきた。
1997年10月号と2010年3月号。
NG誌ぐらいの本になると、時節おくれだからつまらないなんてことはぜんぜんない。
これは、なにしろ明治時代にはもう刊行されていた本だそうだ。
そういうことはさておいて、2010年の本に上海再興という記事がある。
目ざましい発展をとげる中国・上海の現状をつたえるリポートで、これをみると自分の過去の記憶がまざまざ。
一時期、大陸中国に凝って、しょっちゅう中国にばかり出かけていたわたしが、最後に上海に行ったのは2005年 (これ以後もいちど行ってるけど、それは飛行機の遅延でたまたま寄っただけで、街へ繰り出してないから除外)。
それからもう10年ちかい歳月が流れた。
最近では上海はあまり話題にもならないけど、それだけグローバル化されて、特殊な街ではなくなったということなんだろう。
はじめて上海に行ったのは1992年で、当時すでに共産党政権の下で、“魔都” という往年の悪名は一掃されていたけど、まだ外灘 (わいたん) とよばれる埠頭のビル街や、ガーデンブリッジ前にそびえる上海大廈はほぼ戦前のままで、そこかしこに阿片窟の雰囲気も満々、租界時代に怪しい見世物で一世を風靡した 「大世界」 の建物もそっくり残っていた。
その後もほとんど毎年のように出かけていたから、わたしは栄光と汚辱に満ちた古い上海の街並みを、それが変貌するまえにかろうじてながめることができた幸運な人間てことになる。
92年当時の上海には、NG誌にも取り上げられている 「里弄」 とよばれる古い住宅が、いたるところに残っていて、そういうところをのぞきながらぶらぶら歩いていると、なぜかなつかしい故郷にもどったような気分がした。
ところがその後、わたしはそういう古典的な住まいがかたっぱしから破壊されるのも見ることになった。
破壊せずに残しておけば、いまごろは世界遺産が確実・・・・・・いや、中国人にとっちゃあまり自慢できる遺産じゃないだろうけど。
上海の変貌は、浦東地区にそびえる東方明珠テレビ塔のまわりをながめれば一目瞭然。
いちばん上の写真は92年当時で、まだ建設が始まったばかり (この写真は過去にも載せたことがある)。
年とともにテレビ塔のまわりに高層ビルが増え、最後はネットから見つけた最近の浦東地区のようすで、風景を早送りでながめることのできるわたしには、思わずあれまあと叫びたくなるくらい。
はじめて上海をひとり旅したとき、わたしは街の食堂で7角=16円のワンタンを食べた。
そういう時代もあったんだなと、NG誌を読みながらしみじみ考える。
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