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2014年10月

2014年10月30日 (木)

詐欺の電話

電話がかかってきた。
落ちついた声の男性で、こちらは三鷹市役所のナントカ課のなにがしですが、あなたに医療保険の還付金がありますとのこと。
いかにも市役所らしく、電話の背後にざわめきのようなものも聞こえる。
そういわれれば1、2カ月前に、そんな書類が届いていたような。
しかしほっぽらかしておけば、役所のほうでしかるべき処理をするものと考えて、書類はロクに読まないでゴミ箱に放り込んでしまった。

それではあらためて手続きをしなくちゃなりません。
あなたが口座を持っている銀行を教えてくださいという。
金額は2万ナンボだそうで、最近眼科に行っただけのわたしには、ぜんぜん還付される心当たりがないんだけど、せっかく相手がくれるというものをもらわないのも、国民の義務を果たしてないみたいである。
それで××銀行を教えてやった。
その銀行に連絡をとって、銀行のほうからあなたに連絡をさせますとのこと。
もうこのへんでうさんくさいなと思う。

10分ほどして××銀行から電話。
書類なんか捨ててしまったよというと、それでは手続きの仕方を教えますから、西調布駅の近くのコープ東京のわきにある○○銀行のキャッシュ・コーナーに行ってくださいという。
この馬鹿が。
なんで市役所の還付金を受け取るために、××銀行から○○銀行へタライまわしにされなくちゃいかんのだ。

いま流行りのなんとかサギに決まってるけど、キャッシュ・コーナーに行くとどうなるのか。
また電話がかかってくるのか、誰かが待っているのか、どうやって疑い深いわたしを遠隔操作して金をまきあげるのか。

そのへんに興味があったので、キャッシュ・コーナーに行ってなにをどうすればいいんだいと、こちらから逆に質問してみた。
このあたりでさすがに相手もヤバいと感づいたらしい。
プツンと電話が切れてそれっきり。
還付金に未練があるから、念のため市役所に電話してみたら、そんな電話はしていませんとのこと。
当然だよな。
くそ、もうちっと手の混んだミステリーにしてくれないと、ヒマつぶしにもなりゃしないぞ。
でもブログネタになったからいいか。

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野川

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今夜のBSでは、わたしがいつもそのほとりを散歩してる野川が取り上げられる。
予告編を見たら、野川公園の中の見なれた景色も出てきたし、カワセミも映っているようだった。
NHKのタイコ持ちをするわけじゃないけど、とってもステキなところだから、興味のある人はどーぞ。

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2014年10月29日 (水)

カマキリ

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めっきり秋めいてきました。
秋めいてきたのはカマキリの責任じゃありませんけど。
なんかあたいに文句あんのかいと、またマクロ写真。
ぜんぜん頭を使わないブログ。

これって、いつかも同じようなこと書いたっけな。

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2014年10月28日 (火)

クリームの音楽

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前項の続きみたいになるけど、クリームというロック・バンドの魅力は、ギター、ベース、ドラムスという三つの楽器が、おたがいに自己主張したまま即興演奏をくりひろげるところだといわれる。

「スウィート・ワイン Sweet wine」 という曲がある。
これのライブ版は、例によって15分ちかくある長い演奏で、ギターがしゃにむに他を引っ張っているように聴こえるのは、まあ、クリームのほかの曲といっしょなんだけど、ギターのエリック・クラプトンが中間部で音を止めてしまう瞬間がある。
◎即興演奏の宿命で、演奏の内容がいつも同じとはかぎらないから、これは1970年に発売された 「ライブ・クリーム」 の中の演奏について書いている。
これが最初から打ち合わせてあったものかどうかわからないけど、ベースもドラムスもしめしあわせたように音を殺し、ほんの短時間、息を飲むような静寂がおとずれる。
すかさずジャック・ブルースが、おい、続けろ、続けろと目くばせすると、ギターが意表をつくような音を出し、それをベースが巧妙に受けて立ち、じょじょにもとのスタイルにもどる、そんな演奏中のプレーヤーを想像しながら聴くと、じつにもう、このスリルがたまらない。

こうした即興演奏のかけひきのおもしろさに感動して、わたしはそれからしばらく同じような演奏はないかと、いろんなレコードをあさった。
クリームの音楽はハードロックといってもいいものだけど、当時はやった同じようなバンドで、これほどスリルを感じさせてくれるものはひとつもなかった。
レッド・ツェッペリンやジェフ・ベック、オールマン・ブラザースなども聴いてみたけど、どこか違うってわけで、けっきょくそれらはお蔵入り。

それじゃ似たような演奏は見つからなかったのかといわれると、そうともいえない。
あちこちあさったおかげで、ジミ・ヘンドリックスやポール・バターフィルドのバンドを知ることになるのだから。
スリルのあるインタープレイを求めて、やがてジャズの大海原にこぎだすことにもなるのだから。
そうやっていろんな音楽を聴いたおかげで、どれだけ人生が豊かになったことか。

添付したのはクリーム時代のメンバー。
いちばん右のジンジャー・ベイカーだけは年齢不詳のところがあるけど、あとの2人の若かったこと。
まん中が、今回お亡くなりになっちゃったJ・ブルースで、当時の英国のバンドの見本みたいな髪型。
クリームの音楽を聴きたければ、YouTube でたいていの曲は見つかるみたい・・・・・・

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2014年10月27日 (月)

J・ブルース

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昨日はジャック・ブルースの訃報が飛び込んできた。
ビートルズ、ストーンズをのぞけば、わたしの青春にもっとも大きな喜びと衝撃を与えてくれたロック・バンドのベーシストだ。
そのバンド名は「クリーム」で、2005年に行った限定的な再結成コンサートでも、そのときすでに彼は足がふらついていたから、お亡くなりになる日が近いのは覚悟していたけど、やはり偶像が落ちたみたいで寂しい。

クリームが活躍したのは1966年から1968年の、ほんの2年半ほどで、これはビートルズが 「ラバーソウル」 から 「サージャント・ペパーズ」 を発表した絶頂期、そしてカブトムシたちの斜陽が始まったころである。

そのころのわたしがよく聴いていたのは、スタジオ録音のビートルズやストーンズがほとんどで、まだライブ演奏というものをほとんど知らなかった。
ビートルズが解散したのが1970年で、その後わたしはポスト・ビートルズを求めて、手当たりしだいにいろんなレコードを聴いていた。
たまたま聴いたのがストーンズの 「ゲット・ヤー・ヤ・ヤズ・アウト」 で、これでライブ演奏の魅力と迫力に目覚めた。
クリームのレコードをはじめて買ったのもそのころだ。

なにしろ音楽グルメのわたしのことだから、買ったのはいきなり2枚組LPの 「ホィールズ・オブ・ファイア Wheels of Fire」。
音楽雑誌で評判がよかったというだけで、中味も知らないで買ったものだから (クリームの演奏はラジオで放送されることが少なかった)、ハズレだったらえらい損害だなと心配しながら、レコードに針を落としたものである。
そう、このころはまだ針で聴くレコードというものがあった時代なんだよ、お若いの。

このレコードの1枚目はスタジオ録音の曲ばかりだけど、2枚目は全曲ライブ演奏になっていた。
しかも表と裏で4曲しか入ってない。
これがハズレだったらたまんないなと、また心配。
2枚目の最初の曲は 『クロスロード』 という曲で、出だしからベースの重低音がすさまじいハードロック・ナンバーである。
でもこれを聴いただけで、正直もとは取れそうだと安心した。

続いて2曲目は、これが問題だけど、17分ちかくある長い演奏である。
曲のタイトルは 『スプーンフル』。
オリジナルはアメリカの黒人ブルースで、ずっとあとになってわたしは作曲者のハウリン・ウルフも聴いたことがあるけど、そっちのほうはなんてことのないシンプルな曲である。
じつはわたしはジャズの手法、つまりテーマがあって、ほとんどの部分はそれを展開した即興演奏で占められるという音楽を、クリームによってはじめて聴かされたのだ。
ビートルズやストーンズの3分程度の歌に聴きほれていた田舎者の衝撃を想像してほしい。
彼らの演奏をラジオで聴くことがなかったのは、長すぎるということ以外に、歌よりも演奏に重きをおくというそのスタイルにあったのである。

『スプーンフル』 はわりあいのんびりしたペースで始まり、開始4分をすぎたあたりからテンポが変わって即興演奏が始まるんだけど、中間部のギター、ベース、ドラムスのかけあいは壮絶のひとこと。
これを真剣に (なにしろ高い金をつぎこんだのだ) 聴いていると、そのうち体の中のバイオリズムが音楽と完全に一致して、まるで大麻でもやったような陶酔状態におちいってしまう。
最後にふたたびテーマ演奏にもどるころには、張りつめていた気分が抜けて、オナニーでもしたあとみたいにがっくり。

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クリームはギター、ベース、ドラムスの3人編成で、もちろん最大の功労者はギターのエリック・クラプトンだけど、J・ブルースは彼らのオリジナル曲の作曲をほとんど手掛けており、クラプトンの栄光の影で敵役みたいな印象があるものの、公平に判断すればその功績はクラプトンにけっして劣らない。
わたしにとってそのベースは、ベースだけを取り出しても聴くに値する耳新しいものだった。
彼らの演奏を聴いてから、わたしはライブ演奏の魅力にとりつかれ、その後ジャズやクラシックなど、さまざまな音楽の求道的探求者になるのであった。
ということは以前にも書いた。

ありがとうと感謝の言葉とともに、極東の島国からつつしんでJ・ブルースの冥福を祈ってしまう。

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2014年10月25日 (土)

気がきく

わたしのパソコンは気がきいてるっつうか、ネットで沖縄の情報を調べてみたら、それからは沖縄旅行の宣伝ばかりが表示されるようになった。
バイアグラでも買うかって、いえ、買いはしないけどね、ネットをながめていたら、その後はバイアグラの宣伝だ。
しかもアメリカから通販会社の広告だ。
個人情報もへったくれもないよな。

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2014年10月23日 (木)

眼科の美女医

目がごろごろして耐えきれないので、昨日はとうとう眼科に行ってきた。
眼医者に知り合いはいないから、ネットで調べてもよりの駅の近くにあった眼科に。

名前をよばれてカーテンで仕切られた診察室に入ったみたら、そこに座っていたのは、年のころは30代前半か、背が高くて毅然とした、若いころの倍賞千恵子を思わせる美人女医だった。
しかも見まわしたところ、働いているナースや職員も含めて全員が女の子で、まるで女護ケ島に迷い込んだみたいな気分 (どこの眼科かと訊く人がいるかもしれないけど、相手の許可をとってないから教えない)。
ただでさえ女性を見る目がイヤラシイとされるわたしのことだから、目つきのやり場に注意した。

そんな自虐的なことはさておいて、女医はなにやらレンズのついた機械の向こう側から、わたしの目玉をクローズアップでのぞいて、まつ毛が逆毛になっていますねという。
それが目の表面を刺激して、キズをつけているんだそうだ。
引っこ抜きますという。
それはありがたいけど、痛み止めをつけますというのにはびっくりした。
そんなに痛いのか。
まな板の上の鯉の心境で覚悟していると、プッという些細な衝撃があっただけで、痛くもなんともなかった。

現金なものて、目のうっとうしさはたちまち失せた。
またブログに熱が入りそうなものだけど、いったんおちいった悲観主義はそうおいそれと修正のきかないもので、目下のわたしは終活にも忙しい。

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2014年10月20日 (月)

シクスト・ロドリゲス

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ものもらいと高血圧のダブルパンチで意気消沈のわたしに温かな声援の声。
やっぱりブログやっててよかったなと思う今日このごろだ。

この声援者のコメントの中にシクスト・ロドリゲスという歌手の名前が出てきた。
どんな人なのかと、YouTube に載っていた彼の歌を聴いてみた。
なんの予備知識もなしに聴くと、若々しい声で、ソウルフルな歌い方だけど、黒人みたいにねちっこくない。
名前からするとラテン系で、黒人ではなさそうだ。

そのあたりでまたわたしの調査癖がむくむく。
ウィキペディアのお出ましである。

若い人かと思ったら1942年生まれというから、わたしよりだいぶ?年上の人だった。
なんでも米国でヒットせず、埋もれたままでいたところ、最近になって、なぜか南アフリカ共和国でブレークし、米国で肉体労働をしていたところを掘り出された伝説的な歌手だそうだ。
若いころの写真でみると、ホセ・フェリシアーノの2番煎じみたいで、ヒットしなかったのはこれが原因かもしれない。
最近の写真では、年齢が人間の顔をつくるという表現がぴったりの、重厚で、なかなかいい顔になっている。

わたしは音楽ドキュメンタリーというやつが大好きで、話題になった作品はできるだけ観るようにしている (近いうちにマルタ・アルヘリッチの映画を観に行くつもり)。
この手の映画には、古くは 「真夏の夜のジャズ」 から、「ラスト・コンサート」、「ブエナビスタ・ソシアル・クラブ」 や、テレビ放映されるドキュメンタリーの中などに、ヘタなドラマより感動的な作品がけっこう多いのである。
最近観たいと思った映画に、たしか 「南アフリカ」 「伝説的歌手」 なんてキーワードで引っかかる映画があったような。

YouTube にはこの歌手のライブ映像も載っている。
それで観ると、ロングヘアに、黒い帽子とサングラス、ジャケット姿で、ホームレスのじいさんがギターを抱えているみたいだった。
これはまあ、埋もれていたところを発掘されたんだから仕方ないことだろう。
歌もさることながら、こうした浮き沈みの多い人生そのものが感動的な人である。

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優子ちゃん

優子ちゃん、辞めちゃったよ。
なんせ群馬県だからな (わたしもそうだ)。
あのへんの土壌は酸性でもアルカリでもなく、むかしから伝統的に保守だからね。
女をみればお尻をさわるし、政治とくれば儲かるものと考える輩が多くて、収支をまかせればいくらか上まえをはねるのが当然なんてのがたくさんいるんだよ。
優子ちゃんも被害者であることを、美人にやさしいわたしは確信してしまう。

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2014年10月19日 (日)

カトー君

ものもらいなのか、寿命なのか、なみだぼろぼろの悲惨なブログだけど、たまにはなにか書かないと、あいつもとうとうオダブツかと思われてしまう。
今回はここに登場するのが3回目の、わたしの幼なじみのカトー君について。

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ひさしぶりに彼の個展を見てきた。
わたしが、キミは官能で勝負すべきだとおせっかいをやいたせいでは、ぜんぜんないらしいけど、今回は女性の絵 (版画) が多かった。
もちろん2D、つまり平面的な絵なんだけど、パターンを微妙に変化させて、思わず手をのばしたくなるお尻のふくらみを表現した作品や、夏の風にひるがえり、ついその内側の健康的な肢体を想像してしまうフレア型スカートの若い女性など。
想像力旺盛なわたしには、目のやり場に困る絵ばかりだ。

カトー君は教職を勤めあげた男だから、作家としてはわりあいめぐまれた境遇にあるらしく、作品を売って生計の足しにしようという欲はないらしい。
つぎはヌードを彫らないかというわたしの提案に、女房がコワイからという。
そのコワイ奥さんという人と今回初めて言葉をかわした。
旦那は見た感じもっさりしているが、奥さんは歌の好きな楽しい人である。
そもそもの彼らのなれそめがフォークソングを歌うサークルだったんだそうだ、
そういえばもっさりしている感じの旦那も、学生時代は人前で平気で歌をうたう愉快な男だった。

旦那は銀座で10万円で買ったというギターを聴かせてくれた。
奥さんが歌をうたい、旦那が伴奏をする。
わたしと同い年でこういうことのできる夫婦をひさしぶりに見たような気がする。
歌はカーペンターズの 「トッブ・オブ・ザ・ワールド」 であった。

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2014年10月16日 (木)

たそがれ

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ブログをはじめて7年以上が経過して、そろそろ潮時かもしれないなと思ってしまう。
文章を書きたいという意欲はあるんだけど、ここんところ目が異常に疲れて、パソコンに向かうと涙がぼろぼろ出る。
考えてみれば文章を書くだけではなく、写真を加工したり、書類を作ったり、ゲームこそやらないものの、パソコン依存症といっていいくらい朝から晩までパソコンの前に坐っているのだ。
若いうちはいいけど、やっぱり年寄りにはこたえるのだろう。

パソコン以外のものに趣味を移したいけど、本を読むのも絵を描くのも、写真を撮るのもビデオ映画をつくるのも、みんな目を使うことばっかりじゃないか。
山歩きなんかしょっちゅうできるわけじゃないし、おさななじみみたいに畑仕事でもすりゃいいんだけど、耕す土地もないし。

そういうわけでこれからしばらくブログ更新の間隔をあけようと思う。

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今朝の新聞

今日の朝日新聞。
最近はつっこみどころがなかなかないけど、今日はオピニオン面に 「社員の発明誰のもの」 という記事があり、それに呼応したような週刊新潮と文春の広告が。
この二つ、いや、三つを並べて読んでみる。

オピニオンのほうでは、政府が特許について、社員のものから会社のものに変更するという方向に持っていこうとしており、それについて正反対の立場にある法律学者と弁護士が意見を述べている。
どうみても法律学者のほうに分がありそうだけど、それについてはさておいて。

LEDで日本の開発者3人がいっぺんにノーベル賞をもらったのはご存知のとおり。
このうちの中村なんとかいう人は米国に移住して、ホントかウソか知らないけど、ブラピの近所の300坪豪邸に住んでいるそうである。
あ、ブラピてのは俳優のブラッド・ピットのことだかんね。

中村サンは強欲だという日本国内の非難にたえきれず (たぶん)、さっさとアメリカに移住して、米国は有能な人が報われる国だなんてほざいている。
そりゃまあ、あの国はむかしから世界中の有能な人間を引っこ抜いて、それでもって繁栄している国だってことは知ってますけどね。
そのかわりひとにぎりの人間が国内の富の90パーセントを独占するって、それってやっぱりフツーじゃないでしょ。
アメリカンドリームなんて言葉にまどわされず、冷静に考えてほしいもんだけど。

前述の弁護士さんは、中村サンのおかげで努力している人が正当な報酬をもらえるようになったなんていってるけど、SF小説の中の孤独な天才学者ならいざ知らず、企業の後ろ盾もなく、誰の協力も得ないで大発明のできる科学者が、現在の日本にどれだけいるんかね。
2万、3万円とはいわないけど、適正な報酬ってもんがあるでしょ。
たとえば研究設備や材料を運ぶトラックの運転手や、気持ちよく研究できるように研究室を清掃するおばちゃんのような末端にいる人間にも、発明のおすそ分けを要求する権利があるってことを考えてほしいやね。

そしてアメリカさん。
研究途上の学者を引っこ抜くならわかるけど、中村サンのLEDってのはすでに発明の段階はすぎた研究でしょう?
彼がこれからもアメリカをうるおしてくれるような発明をしてくれるかしら。
ひょっとするとえらい高い買い物をしたんじゃないかって、アメリカのために、ぜんぜん心配したくないけど、すこしだけ心配をしてしまいます。

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2014年10月15日 (水)

ノボル君

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山登り仲間にノボル君という男がいて、これがまあ、飲ん兵衛でおしゃべりで、つまり、じつに愉快な男なのである。
彼が目下、山以上に凝っているのがダイビングで、これはわたしもむかし凝ったことがあるから、べらべら思い出話に花が咲いた。

彼はつい先日与那国島に行ってきたそうである。
そこで撮った水中写真を見せてくれた。
カメラを買ったのはまだ最近のことらしいから、うれしくって撮りまくっている感じだけど、腕がいいのかカメラがいいのか、おもしろい写真も何枚かある。
来年はぜひわたしのカメラとコラボレーションしたいねといっておいた。

さて、その写真。
与那国島の海中には、得体のしれない海底遺跡があって、サンゴ礁や巨大生物とはまたちがった、ダイビングのいいポイントになっている。
上から2枚目までの写真がそれで、ナショナル・ジオグラフィックでも取り上げられたこともあるめずらしいものだそうだけど、まるで人工の要塞のように見える。
でも本物の遺跡なのか、天然の地形なのか、じっさいに見たことのないわたしは論争に加わらない。

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最後は彼の写真のアカマツカサの仲間。
わたしが撮りたいのはどっちかというと、こっちのほうだ。

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登山?

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土砂崩れにも谷底転落にも遭遇せずに、なんとか無事に帰ってきましたヨ。
世間じゃけっこう被害も出たみたいだけど、日光白根のほうではそれほどのこともなく、雨が降っていたんでワタシらは登山中止。
何人か元気のいいのが果敢にアタックしてましたが、雨と風と冷気にあおられて途中で逃げ返ってきたみたいで。
ま、無謀な登山で命を落とす人の多いことを考えれば、登山じゃあきらめることもまた肝要。

山がダメなら呑み会になるのがワタシら流。
2日間呑んだくれて、つまんないことをしゃべくりあって、ひと部屋に6人も7人も押しこめられて、山賊みたいにごろ寝して、といういつもの定番コース。
翌朝温泉に入ると、山がごおっと鳴り、木々の葉が乱舞し、湖には白い波がしらが立ち、そっかしいカエルが露天風呂のわきで茹であがっていて、どうやら台風は頭上を通過していたみたいですけどネ。

その後、宿のまえにきれいな虹が出て、無法の輩にも一服の清涼剤となりましたとサ。

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2014年10月12日 (日)

花の絨毯

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録画してあったテレビ番組を観ていたら、ベルギーで開かれるフラワーカーペットの祭りが取り上げられていた。
世界遺産にも認定されている旧市街の広場の庭に、ベゴニアの花をしきつめて、文字どおりの壮麗な花の絨毯を作るのである。
添付したのはその写真だけど、わたしはまだ行ったことがないからネットで見つけたもの。

行ってみたいななんてまた旅の虫がうずいたけど、ところでベルギーってどこにあったっけ。
この番組を観るまで、つまり昨夜まで、ベルギーがヨーロッパのどのへんにある国なのかわからなかった。
なんとなく欧州のまん中あたり、スイスやオーストリアにはさまれているような印象があるし、もしかするとポーランドやチェコに近い国かもしれない。
たしかベネルスク三国のひとつなんて知識はあったけど、具体的な地理関係はどうなっているのかぜんぜんわからない。

調べてみて、おどろいた。
ドーバー海峡 (広義の) に面しているじゃないか。
ばくぜんと考えると、ドーバーに面している大陸側の国はフランスで、これは誰でも知ってる。
ほかにオランダも海に面しているはずだから、これも広義のドーバー海峡、つまりイギリス海峡に面しているかもしれない。
広義をもっともっと拡大して、ようするに大西洋に面した欧州の国はと考えると、スペインやポルトガルもすぐ頭にうかぶけど、ベルギーについては海に面しているという印象がぜんぜんない。

その理由はなんとなくわかる。
英国やスぺイン、ポルトガルは海洋国家で、むかしから日本とも浅からぬ因縁があり、小国のオランダだって、鎖国時代に日本と貿易を許されたゆいいつの国だったということが知られている
しかしベルギーと聞いたって何も浮かばない。
なにかあったっけと考えてみたけど、ベルギー領コンゴという地名だとか、立憲君主制で、なんとかいう王女さまがいて、日本の皇室とも仲がいいってことぐらい。
このご時世にテロ騒ぎもないとっても平和な国であることは、旅行会社がツアーを募集していることでわかる。

ところでわたしたちの山行きは明日からだけど、あいかわらず嵐のまえの静けさだねえ。
コワイわあ。

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2014年10月11日 (土)

台風はどこ?

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いい月だ。
今夜は天気晴朗の無風状態。
あさってから登山の予定なんだけど、台風はどこにいるんだい。
わたしらが一歩踏み出すのを、陰険なおもわくを秘めて、じっとどっかで待機してるんじゃないか。
最近の台風も山もハンパじゃないからね。
まあいいか。
雨に降り込められたら、宿で終日呑んだくれてるってテがある。
今回の登山はわたしがむかしから参加している登山グループの納会なんだけど、もう若くない連中ばかりだから、ほんとうの目的はそっちかもしれない。
目的地は日光白根山。
ロープウェイがあるのでわりあい簡単に登れる関東地方の最高峰だ。

山といえば噴火した御嶽山。
地震にくらべれば予知が容易とされていた火山の噴火で死者多数だ。
死んだ人たちはまたしてもランダムに選ばれたように思える。
天罰なら、わたしみたいな人間にまっ先に当たって当然なのに、今回も死んだ人たちはほとんどが人間としてまっとうな義務を果たしている善男善女だった(犯罪に手をそめるような人間は、そもそも山登りなんかしないのだ)。

神も仏もないものか。
山頂にあった御嶽神社の山の神の石像まで、ふっ飛ばされて頭がなくなっているのをみてそう思った。
東北の大震災のときも、悲惨な被災地の背後に、寺院や教会がそのまま平然と建っていた。
日本のローカルな神さんたちには、地震や噴火をとめるような政治力はないのだろうか。
さわらぬ神に祟りなし。

いっぽうで安心もする。
災難というものは誰にでも平等に襲来するもので、わたしみたいなバチ当たりだってかならず天罰をくらうわけじゃない。
それを逆に考えると、バカつきを豪語する幸運なわたしだって、ほんのちょいとした運命の気まぐれで、土砂崩れに押し流されるか、吹き飛ばされて谷底へ転落しないという保証もないわけだ。

まあ、お待ちなせえ。
吉と出るか凶と出るか、結果は3、4日後にわかります。
添付した画像は、過去のこの登山グループの登山で、左が那須岳、右が木曽駒ヶ岳。

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2014年10月10日 (金)

君死にたまふことなかれ

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夢をかなえよう?と 「イスラム国」 へ渡ろうとして挫折した大学生。
彼の気持ちはさておいて、その周辺に古書店主だとか、もと大学教授だとか、よくわからない人たちがうろうろ。
人間がこれほど増えると、世間の尺度で測れない人が出てくるのはやむをえない (わたしだってけっこうズレているのだ)。
そういう人が他人に迷惑をかけない範囲で、自分スタイルをつらぬくのもまた結構。
問題はそのあたりだな。
他人に迷惑をかけないっていう大前提があるはずなんだけど。

もと大学教授って人は、新聞でみると、あごひげを生やした、ちょっと頼りないイスラム戦士みたいな人で、おもしろく生きておもしろく死ねばよいという信条を持っているらしい。
そういう考えで大学生にシリア渡航をあっせんしたのなら、これぞ教師の鑑というべきだろうか。
本人がおもしろく死ぬのはかまわないけど、戦争では他人を殺す可能性もあるのだから、それってやっぱりマズいんじゃないか。

あごひげの教授サンは、イスラム思想の分野では屈指の研究者とある。
これだけならりっぱな大学教授だ。
と思ったけど、なぜか肩書きに “もと” という余計な修辞つき。
もと、ということは現在は教授ではないみたいだし、まだ54歳では定年退職するような歳でもない。
むかしオウム真理教に肩入れして問題になった大学教授がいたけど、どこかで精神が世間の常識からはみだしてしまって、クビになっちゃったんだろうか。

ウィキペディアにひげ教授サンの考えが載っているので読んでみたけど、主張がどんどん自己中心的になっちゃっていて、凡人にはおよそ理解しにくいものだった。
すると本人は、ウィキペディアが当てにならないことを知るには、ワタシについて書かれた項目を見るのがいちばんですなんて発言しているらしい。
あはは。
と笑ってる場合じゃないな。
わたしだってウィキペディアをすべて信用してるわけじゃないけど、自分に都合わるいからといってそれを全面否定までしない。

やっぱり他人を殺すのはよくないことだと、先生なら生徒を諭さなければいけないと考えるわたしは、まだまだ常識にしばられた古い人間なんだろうか。
この問題に関してはむかしの日本人のほうがまともだったような。
  あゝおとうとよ、君を泣く
  君死にたまふことなかれ
  末に生まれし君なれば
  親のなさけはまさりしも
  親は刃(やいば)をにぎらせて
  人を殺せとをしへしや
  人を殺して死ねよとて
  二十四までをそだてしや

大学生クン。
人を殺すくらいなら沖縄に行ってサトウキビ刈りのバイトでもしたらどうかね。
めちゃくちゃきついって話だけど、安易に人を殺すより、自分をこてんこてんに打ちのめし、夜は泡盛呑んで大騒ぎするほうがよっぽど人生に役に立つ。

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2014年10月 9日 (木)

絶望

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「イスラム国」 に参加するんだといって、出国直前にとっつかまった大学生。
聞いた話じゃイスラムについてほとんど知識もなく、たしかな信念もイデオロギー持ち合わせてない若者だったそうだ。
なんたるアホかってことで、ブログになんか書こうと思ったけど、とちゅうではったとペン、いや、キーボードを打つ手がとまった。

わたしの場合、自分自身をふりかえると、あまり他人のことをとやかくいえた義理じゃない。
わたしの人生はみごとなくらい頼りないものだった。
この大学生と同じ歳のころ、人生に目的を見出したこともないし、学問を身につけたり手に技術をつけるためにがんばった記憶がぜんぜんない。
マンガ家になろうなんていうのは、みごとなくらいの現実逃避で、そんなものにはかない望みをかけて、だらだらと毎日を生きていたのである。

ただ、わたしの場合は幸運だった。
わたしの人生はバブルの勃興期とちょうど一致していて、食っていくだけならわりあい簡単な時代だった。
職種に贅沢をいいさえしなければ仕事はいくらでもあったのだ。
おかげで、いやいやながらでも仕事をしていれば、そして独身のままでいれば、この歳になって海外旅行ができるくらいの貯金もできたのだ。
世間から距離を置いたままでも細々と生きていけたのである。

しかしわたしが現在に生まれていたら、おそらくこの大学生と同じように閉塞感においつめられていたと思われる。
むかしだって社会に矛盾や不条理を感じることはあったけど、それによって絶望的なまでに追いつめられることはなかった。
しかし現代の (わたしや彼みたいな) 若者をとりまく環境は、のっぴきならないものになっているような気がしてならない。
拝金主義にイヤ気か差し、そういうものと無縁の場所でのんびり生きようと思っても、まず仕事がなければ食っていくことができない。
そう考えると、身動きもとれないような現状から、半分自殺まで考えて、「イスラム国」 へ脱出しようと考える気持ちもぜんぜん理解できないわけじゃない。

この問題についてはもうすこし考えてみることにする。

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2014年10月 7日 (火)

童貞消失

前項でくだらないことを書いているうちに、ふと疑念が生じた。
三四郎は福岡県の真崎村出身の学生である。
福岡にかぎらないけど、むかしの地方の農村には “よばい” という風習があった。
うらやましいと思うのは早計で、当時の若衆組 (青年団みたいなもの) が、これについても、身勝手なことはさせないようにきちんと取り仕切っていたそうである。

若い男が発情期になると、先輩が、おまえもそろそろいいんじゃないか、今夜はおハナ坊のところへ行ってこいと、童貞消失のための段取りを整えてくれる。
当時は娘のほうも、やたらにセクハラだなんて騒がないだけの器量をもっていたから、これは想像だけど、古風なモラルにしばられていたはずの明治の男の童貞率は、ソドムの市みたいに乱脈をきわめる現代より、ずっと少なかったのではないか。

「三四郎」 の時代にはすでによばいという風習がすたれていたとしても、なんたってまだ赤線があった時代だ。
芸者の廃業と童貞がいっきに増えたのは、赤線廃止にも大きな原因があったと、これはわたしの勝手な想像じゃなく、文献にもそう書かれている。
先輩が先輩風を吹かして、後輩をそういうところに連れていく余裕はたっぷりあったはずなのに、なぜ三四郎は童貞なのか。

ここで考えるんだけど、漱石は熊本で教べんをとっていたことがあるから、ふつうなら三四郎をそのあたりの出身にしそうなものだ。
しかし九州でも熊本や鹿児島となると、伝統的に尚武の気のつよいところで、先輩の後輩に対する面倒みのよさで知られるところである。
三四郎がかりに熊本の出身なら、上京前にすでによばいに送り出され、童貞を失っていたと考えるほうが無理がない。
だから福岡の真崎村なんて聞いたことのない田舎を持ち出したのは、そのあたりの学生なら、設定が童貞でもおかしくないという漱石の深慮遠謀かもしれない。

こういう小説上の作為でないとすれば、三四郎がいいうちの坊ちゃんで、幼いころから勉学を強要され、よばいなどという下賎なしきたりに染まらなかったということも考えられる (じつはこれがいちばん可能性が高いんだけど)。
漱石とならびたつ文豪・森鴎外の 「ヰタ・セクスアリス」 にもよばいが出てこないけど、この本は明治の作家がかなりあけすけに性的体験をつづった本であるから、作家がそれを体験していればとうぜん記述があっておかしくない。
じつは鴎外は田舎の若衆たちから隔離された、いいうちの息子だったのである。
だからやむを得ないにしても、三四郎はそれほど名家の息子に思えないんだけどな。

またアホなことを考えたけれど、三四郎が童貞か否かで、この小説の展開は大きく変わったはずである。
そっちが読みたい。

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2014年10月 6日 (月)

官能的

今朝の新聞の 「三四郎」 を読んで、いったいどこが官能的だとお怒りのアナタ。
そりゃ想像力の不足だな。
いかに読者の空想や妄想をかきたてるか、それが官能小説の官能たるゆえんなのだ。
たとえば三四郎がこれほど手のつけられないカタブツではなく、もうほんのすこしだけ、自分の欲望を抑えられない正直な青年だったとする。
その場合はどうなるか、なんてことをたちまち空想してしまうのだ、わたしなら。

ひとつ蚊帳の中で、ひとつ布団に寝て、つい欲望を抑えられなくなった三四郎は、向こうむきで寝ている人妻の腰におずおずと手をのばす。
人妻のほうは、あらあとかなんとかつぶやいて、こちら側に向きなおる。
とたんに欲望が爆発した三四郎は、しゃにむに相手にしがみつき、あとはもう、相手の寝巻の帯をとくヒマもあらばこそ、せまい蚊帳の中で、当時はエアコンなんて便利なものがなかったから、汗みどろになって、蚊が侵入するのもいとわずに、組んずほぐれつ ・・・・・・・

これでは名作に対する冒涜だという人がいるかもしれない。
しかし原作はあくまでつつましい明治の文学のままで、具体的な部分はこっちが勝手に空想していることだから、文豪にも文学史にも汚点が残るわけじゃない。
大きなお世話だ。

冒涜ついでにもうすこし続けると ・・・・・・・
若い三四郎ならこの晩だけで3回はできただろう。
でも彼は童貞だから、最初の2回はそそうをして、3回目あたりでようやく完遂したのではないか。
朝になって停車場で人妻と別れる描写には、オリジナルとはまたちがったさわやかな趣があるだろうし、この続きをまた漱石にバトンタッチしても物語に大きな齟齬は生じるまい。
ただ作品のそこかしこに、忘れられない人妻のおもかげがちらつくことになるだろうけど。

最近では、くっついたのはっついたの、入れたの抜いたのと、即物的な描写で読者に考えるヒマを与えない小説が多すぎる。
こちらに想像するタノシミを与えてくれないものは、わたしは官能小説とよばないのである。

でも想像力が旺盛すぎるのも問題アリだな。
わたしはむかしマンガ家をこころざしていたことがあるけど、ひとりで部屋にこもってせっせとマンガを描いていると、ときどき自分の描いたヒロインや、自分の考えたストーリーに興奮して、つい○○○○を○○○して、○○○○○になってしまうことがあった。
これでは健康にもよくないし、わたしがプロとして大成しなかったのはこれが原因かもしれない。

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2014年10月 5日 (日)

うーむ

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熊本のKさんからブログにコメントがついて、ブログについてなにやら。
最近はじめたフェイスブックについて、わたしがあまり関心をもたないのがちと気になるみたい。

でもねえ。
はじめては見たけれど、わたしゃどうもフェイスブックがニガ手。
かんたんに友人を増やすには便利かもしれないけど、「いいね!」 を押すだけって安直なのも気にいらないし、かんたんに増えた友人て何なのさと思ってしまう。
ロシア人の知り合い (の知り合い) なんか、友人を増やすのに熱心で、その数数千人なんてのがいる。
わたしもそうやってやたらに友人を増やせば、そしていまブログに書いていることをそっくりフェイスブックに書けば、友人登録した人がみんな読んでくれるかもしれないけど、わたしゃ自分の欲求不満の解消のためにやってるんだから、無理やり読んでもらっても仕方がないし。

それにしてもロシア人て、フェイスブックが好きだよな。
わたしんところへ友人登録してぇーってお誘いがじゃんじゃんくるけど、はでな水着だったり、むねの深くえぐれたドレスだったり、こちとら思わず頬を赤らめちゃう。
婚活とまちがえてんじゃないか。
添付した写真はモスクワ在住のビクトリアさんで、こういう相手ならぜひ友達になりたいけど、ロシア語わかんないものなあ。

ところで、ここんところまた血圧が上がり調子だ。
やっぱり味噌汁がいけないかねえ。
自分でつくった味噌汁のガブ呑みって、ホント楽しいことなんだけど。

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2014年10月 4日 (土)

今朝の朝日

気をもたせてばかりで、今日か明日あたりいよいよ官能の夜かと思ったら、土日は 「三四郎」 の連載は休みだった。
なんとか人妻との入浴シーンまで行ったけど、まあ、気をもたせること。
大騒ぎをしているわたしも責任を感じてしまうではないか。

そのかわり連載があるべき個所の、となりのとなりに、読売新聞なら不思議でもなんでもないけど、朝日ではめずらしいという記事が載っていた。
カナダの大学教授という人の意見で、安倍首相について、彼は時計の針を80年まえに戻そうとは思ってない。
たとえそう思ったとしても、いまの日本で実現できるわけがない。
民主主義が機能し、自衛隊に対する文民統制が確立していて、国民の圧倒的多数は戦争への忌避感が強い。
むしろ軍国主義の復活をおそれる人のほうが、脅威をあおることにより、悪影響、たとえば先制攻撃などの危険をもたらす可能性があるなどと述べている。

まっとうすぎておもしろくもおかしくもない文章だ。
朝日の反省もいよいよホンモノになってきたのか。
先日、配達員が社長の詫び状と手土産をもって集金にきた。
キミに責任があるわけじゃないからね。
これからもがんばりなさいと、わたしはまだ朝日のファンなのである。

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2014年10月 3日 (金)

清美サン

テレビをつけたら国会中継をしていて、民主党の辻本清美サンが質問していた。
なんだかよくしらないけど、清美サンは集団的自衛権で、いざというとき米軍が日本の支援をしてくれるのかなんていちゃもんを、いや、質問をしているようである。
彼女の舌鋒はいよいよするどく、よくわからないけど、彼女も日本が軍備増強をして、自国民は自国で守るべきだなんていってるように聞こえる。
清美サンというと、社民党時代から護憲や平和憲法に固執する人だったんじやなかったかなあ。
方針を変えたんだろうか、朝日新聞が反省しちゃったおかげで。
口角泡をとばしているのは清美サンだけで、安倍クン以下の自民党議員は、腕組みをしたりして眠たそう。
日本は、ホント、平和な国だねえ・・・・・・

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2014年10月 2日 (木)

岩田専太郎

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オリジナルの 「三四郎」 の挿し絵を描いたのは名取春仙という画家である。
この当時としてはまあまあ有名な画家だったらしいけど、現代のわたしからみると挿し絵としてはちともの足りない。
漱石の作品では 「猫」 の挿し絵を描いた中村不折と橋口五葉が秀逸で、こんなふうな魅力的な画家を起用してほしかったなと思ってしまう。
もっとも 「猫」 はユーモア小説だから、失恋小説の 「三四郎」 に、マンガのルーツみたいな不折や五葉は使えないだろう。

わたしなら 「三四郎」 の挿し絵は、なんといっても岩田専太郎だ。
列車の中で知り合った人妻との官能の夜を描くのに、こんなにふさわしい画家はいない。
でも専太郎さんは、「三四郎」 の連載開始のころはまだ七つか八つの子供だったから、挿し絵はムリだよな。
乱れた髪をうなじにたらして、うしろ向きに艶然と微笑む人妻なんて、こりゃ連想のしすぎか。
添付したのはネットで見つけた岩田専太郎画伯の挿し絵だけど、ダメかねえ、こんなのは。
明治の小説じゃエロすぎるってことで、官憲の横やりが入っただろうねえ、きっと。

なかなか官能の夜が出てこないけど、明日かあさってだな。
気をもたせて今日もおしまいだ。

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2014年10月 1日 (水)

三四郎

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今日から朝日新聞で、「こころ」 に続いて、漱石の 「三四郎」 の再連載が始まった。
順番が逆じゃないかって気がするけど、わたしにとってはこっちのほうがおもしろかったから、まあまあ楽しみである。
だいたい 「こころ」 は、最初に鎌倉あたりの海水浴場が出てくるものの、その後の舞台設定がどこになっているのか、いま考えてみるとさっぱり思い出せない。
これは心理小説なので背景なんかどうでもいいというのかも知れないけど、どうにも不明瞭な部分があって、小説としてはおもしろさがイマイチ。

その点 「三四郎」 は、熊本から上京する列車内の描写からはじまって、本郷の下宿先周辺、まだまだ寂しい田舎だった大久保や田端のあたり、有名な東京大学構内の三四郎池のエピソードなど、背景が具体的に想像できるのがいい。
登場人物にしても、「こころ」 に比べるとはるかにバラエティに富んでいて、おもしろさという点では 「こころ」 よりもなんぼか上等・・・・なんだけど。

この小説の売り文句は 「青春小説の金字塔」 だそうである (朝日新聞によると)。
たしかに物語の最初のほうでは、三四郎はどこかにくめない田舎者の好青年らしく描かれていて、キャンパス生活も、現在の大学生なら誰でも経験するようなエピソードに満ちており、まあ、青春小説といってもさしつかえがなさそう。
しかし物語の進行とともにしだいに会話の部分が多くなり、背景なんかどうでもよくなって、なんというか、セリフの多い舞台劇みたいな物語になってしまう。
これは漱石という作家の内面を反映しているんだろうけど、明朗快活な青春小説を期待すると肩すかしだ。

小説の冒頭に、三四郎がたまたま出会ったきれいな人妻とベッドを、いや、布団をともにする場面がある。
えっ、漱石の小説にそんなイヤラシイ場面があったっけかとおどろきのアナタ。
ウソだと思うなら、明日かあさっての朝日新聞を読んでみることだ。
めくるめく官能のシーンは、この小説のしょっぱなのハイライトなのである。

どうもこのブログでは、まじめな部分よりもそういうところに話題が集中する傾向があるけど、たとえばこの小説の中に与次郎という、すれてお調子者の学生が出てくる。
てきとうなことをいって女をくどき、そろそろ飽きて、長崎へ勉強に行くからとだまして別れようとすると、ほだされた女が駅まで見送りに行くという。
それでどうしたと三四郎が訊くと、知らんよ、駅で待っていたんじゃないかと返事するワルイ男である。

明治時代に書かれた小説に、そんなふとどき者の大学生が出てくるはずがないと考えると、ちょうどこの小説をはじめて読んだころのわたしと同じ誤ちをおかすことになってしまう。
「三四郎」 よりさらにまえに書かれた坪内逍遥の 「当世書生気質」 にも、芸者遊びで借金をこしらえるような親不孝者の学生が出てくるから、やはり当時からけっこうやるべきことはやっちまうという学生はいたのである。

この小説で三四郎の恋はけっきょく失恋に終わるのだけど、そこにはすがすがしい悲しみの感情があって、これがようするに青春小説たる所以かもしれない。
三四郎とほぼ同世代のころにこの小説を読んだ者にとっては、そしてどっちかというと与次郎より三四郎にちかいカタブツの青春をおくった者にとっては (わたしもそうだったなあ)、これは忘れられないなつかしい小説だ。

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