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2014年10月 1日 (水)

三四郎

582

今日から朝日新聞で、「こころ」 に続いて、漱石の 「三四郎」 の再連載が始まった。
順番が逆じゃないかって気がするけど、わたしにとってはこっちのほうがおもしろかったから、まあまあ楽しみである。
だいたい 「こころ」 は、最初に鎌倉あたりの海水浴場が出てくるものの、その後の舞台設定がどこになっているのか、いま考えてみるとさっぱり思い出せない。
これは心理小説なので背景なんかどうでもいいというのかも知れないけど、どうにも不明瞭な部分があって、小説としてはおもしろさがイマイチ。

その点 「三四郎」 は、熊本から上京する列車内の描写からはじまって、本郷の下宿先周辺、まだまだ寂しい田舎だった大久保や田端のあたり、有名な東京大学構内の三四郎池のエピソードなど、背景が具体的に想像できるのがいい。
登場人物にしても、「こころ」 に比べるとはるかにバラエティに富んでいて、おもしろさという点では 「こころ」 よりもなんぼか上等・・・・なんだけど。

この小説の売り文句は 「青春小説の金字塔」 だそうである (朝日新聞によると)。
たしかに物語の最初のほうでは、三四郎はどこかにくめない田舎者の好青年らしく描かれていて、キャンパス生活も、現在の大学生なら誰でも経験するようなエピソードに満ちており、まあ、青春小説といってもさしつかえがなさそう。
しかし物語の進行とともにしだいに会話の部分が多くなり、背景なんかどうでもよくなって、なんというか、セリフの多い舞台劇みたいな物語になってしまう。
これは漱石という作家の内面を反映しているんだろうけど、明朗快活な青春小説を期待すると肩すかしだ。

小説の冒頭に、三四郎がたまたま出会ったきれいな人妻とベッドを、いや、布団をともにする場面がある。
えっ、漱石の小説にそんなイヤラシイ場面があったっけかとおどろきのアナタ。
ウソだと思うなら、明日かあさっての朝日新聞を読んでみることだ。
めくるめく官能のシーンは、この小説のしょっぱなのハイライトなのである。

どうもこのブログでは、まじめな部分よりもそういうところに話題が集中する傾向があるけど、たとえばこの小説の中に与次郎という、すれてお調子者の学生が出てくる。
てきとうなことをいって女をくどき、そろそろ飽きて、長崎へ勉強に行くからとだまして別れようとすると、ほだされた女が駅まで見送りに行くという。
それでどうしたと三四郎が訊くと、知らんよ、駅で待っていたんじゃないかと返事するワルイ男である。

明治時代に書かれた小説に、そんなふとどき者の大学生が出てくるはずがないと考えると、ちょうどこの小説をはじめて読んだころのわたしと同じ誤ちをおかすことになってしまう。
「三四郎」 よりさらにまえに書かれた坪内逍遥の 「当世書生気質」 にも、芸者遊びで借金をこしらえるような親不孝者の学生が出てくるから、やはり当時からけっこうやるべきことはやっちまうという学生はいたのである。

この小説で三四郎の恋はけっきょく失恋に終わるのだけど、そこにはすがすがしい悲しみの感情があって、これがようするに青春小説たる所以かもしれない。
三四郎とほぼ同世代のころにこの小説を読んだ者にとっては、そしてどっちかというと与次郎より三四郎にちかいカタブツの青春をおくった者にとっては (わたしもそうだったなあ)、これは忘れられないなつかしい小説だ。

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