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2014年10月 6日 (月)

官能的

今朝の新聞の 「三四郎」 を読んで、いったいどこが官能的だとお怒りのアナタ。
そりゃ想像力の不足だな。
いかに読者の空想や妄想をかきたてるか、それが官能小説の官能たるゆえんなのだ。
たとえば三四郎がこれほど手のつけられないカタブツではなく、もうほんのすこしだけ、自分の欲望を抑えられない正直な青年だったとする。
その場合はどうなるか、なんてことをたちまち空想してしまうのだ、わたしなら。

ひとつ蚊帳の中で、ひとつ布団に寝て、つい欲望を抑えられなくなった三四郎は、向こうむきで寝ている人妻の腰におずおずと手をのばす。
人妻のほうは、あらあとかなんとかつぶやいて、こちら側に向きなおる。
とたんに欲望が爆発した三四郎は、しゃにむに相手にしがみつき、あとはもう、相手の寝巻の帯をとくヒマもあらばこそ、せまい蚊帳の中で、当時はエアコンなんて便利なものがなかったから、汗みどろになって、蚊が侵入するのもいとわずに、組んずほぐれつ ・・・・・・・

これでは名作に対する冒涜だという人がいるかもしれない。
しかし原作はあくまでつつましい明治の文学のままで、具体的な部分はこっちが勝手に空想していることだから、文豪にも文学史にも汚点が残るわけじゃない。
大きなお世話だ。

冒涜ついでにもうすこし続けると ・・・・・・・
若い三四郎ならこの晩だけで3回はできただろう。
でも彼は童貞だから、最初の2回はそそうをして、3回目あたりでようやく完遂したのではないか。
朝になって停車場で人妻と別れる描写には、オリジナルとはまたちがったさわやかな趣があるだろうし、この続きをまた漱石にバトンタッチしても物語に大きな齟齬は生じるまい。
ただ作品のそこかしこに、忘れられない人妻のおもかげがちらつくことになるだろうけど。

最近では、くっついたのはっついたの、入れたの抜いたのと、即物的な描写で読者に考えるヒマを与えない小説が多すぎる。
こちらに想像するタノシミを与えてくれないものは、わたしは官能小説とよばないのである。

でも想像力が旺盛すぎるのも問題アリだな。
わたしはむかしマンガ家をこころざしていたことがあるけど、ひとりで部屋にこもってせっせとマンガを描いていると、ときどき自分の描いたヒロインや、自分の考えたストーリーに興奮して、つい○○○○を○○○して、○○○○○になってしまうことがあった。
これでは健康にもよくないし、わたしがプロとして大成しなかったのはこれが原因かもしれない。

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