西表Ⅱ/オカダさん
白浜の旅館に泊まっているとき、同宿者がひとりいた。
関東地方の某都市から来たオカダさんという元気のいい老人で、西表に通い始めてから37年になるという筋がね入りの離島フリークである。
もっとも最初は仕事で来たそうだけど、こ存じのように都会というやつは人間関係が希薄で、同じアパートに住んでいても、口も聞いたことがないというとなり同士がめずらしくない。
わたしと違っておしゃべりが大好きなオカダさんにはとても耐えられない環境だ。
たまたま仕事でやってきた彼は、西表島でむかしながらの濃密な人間関係を見出した。
毎日顔をあわせた人たちが、親戚同士のように挨拶をし、世間話をする。
それだけでオカダさんにはこの島が、終のすみかに値すると思えてしまった。
以来彼は、定年退職をしてからも定期的に (お金があるかぎりずっと) 西表に通っているのである。
ちなみに彼は独身である。
みたところオカダさんはなにをするでもない。
朝は刺し網漁師たちの水揚げを手伝い、昼は白浜でゆいいつのスーパー・屋良商店や、集落のあいだを自転車でぶらぶらして (ちなみにこの自転車は彼が購入して、ふだんは屋良商店に預けてある)、漁師や近所の老人たちとおしゃべりをするだけである。
そんな調子だから、島については、もうじつに博識だ。
刺し網についても漁師顔まけなくらいいろんなことを知ってるし、えものの流通方法や市場での価値について、最近は獲物が少なくなったこと、海ガメかかかることもあること、イノシシ猟のこと、春が旬の天然モズクのこと、いまより家の多かった白浜の60年まえの写真について、ここの人口、小学校の生徒数のことなどである。
わたしが、30年もまえに西表の 「うなりざき荘」 というダイビング宿に泊まったことがありますというと、ああ、ヨシ坊ね、彼はいまはでっかい宿に建て替えてオーナーに収まってるよという。
ヨシ坊というのはわたしが泊まったころの宿の主人だった人で、いまでも元気でいるらしい。
ある晩、民宿の夕食がわたしの分しかなかった。
オカダさんは夕食抜きですかと宿のおかみさんに聞くと、彼は知り合いの誕生会に招かれて、今夜はそっちで飲んでくるからいいんですという。
一事が万事こんな調子だ。
わたしみたいなひきこもりじゃ100年たってもオカダさんの域には達しないだろうけど、こういうのも現代の、定年になって家族からも疎外され、孤独に悩む老人の生き方としては、ひとつの選択肢じゃなかろうか。
彼が話し好きであることという条件がつきますけどね。
西表に通うのは費用が大変だという人がいるかもしれないけど、オカダさんはそっちのほうでもたくさんの知識を持っていて、定年過ぎで、いつでもてきとうな日にふらりと出発できる老人なら、旅を安く上げる方法はたくさんあるという。
このへんはわたしにもおおいに参考になる話でアリマス。
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