2014年12月31日 (水)

大晦日の夜はひとり、スーパーで買ってきたパック入りのナマコを肴に酒を飲む。
ぬらぬらしているけど、それなり歯ごたえがあってなかなか美味しい。
最初にナマコを食べた人はえらいって話がある。
そうかねえと考えているうちに疑問につきあたった。
ナマコって栄養があるんだろうか・・・・・
そういえばクラゲという動物もスーパーで売っている。
クラゲも、あまりありそうにないけど、栄養があるんだろうか。
ま、あるんだろうな。
オサガメなんてでかい亀は、クラゲばかり食べていて、体重は1トン近くにもなるという。
栄養がなければなかなかそうはいかない。
ナマコは海底でじっとしている。
クラゲは海面でふらふらしている。
どちらも逃げ足はあまり速そうでない。
ナマコなんか、沖縄の海へいくと、砂の上に無用にごろごろしているだけである。
あればかり食べて体重が1トンになるような動物もいるんだろうか。
疑問が人類愛的に飛躍してしまう。
クラゲはときに異常な大発生をする。
火力発電所の吸水口をふさいでトラブルを起こすこともある。
それほど材料費がかかっているように見えないのに、ああやって効率よく増えてしまう動物って、アフリカの食料問題解決に寄与しないだろうか。
あいかわらずくだらないことを書いて、今年も終わり。
他人の迷惑なんのその、いつまで続くこのブログ。
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2014年12月30日 (火)
韓国のお姫様が問題を起こして、裁判所から呼び出しをくらって、出頭するニュースを見た。
身から出たサビとはいえ、大勢の記者にもみくちゃにされ、顔をふせたままかかえられて歩くその風情には、一抹の同情も禁じえない。
親父も謝ったそうだけど、そのまえに自分のご威光でもってごまかそうとしたらしいから、あの国には北朝鮮と同じ皇帝制度の体質がとうとうと流れているんだなって感心した。
この事件、おとといの新聞じゃ川柳コーナーで揶揄されてたね。
オンナ の人がいじめられているのに便乗するほどわたしゃ残忍な人間ではないけど、川柳は傑作だ。
日本にも格差進めばナッツ姫
よその国のことばかりいってられないのが、日本人に対する教訓にもなるし。
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朝日新聞は永遠に反省しないつもりらしい。
今日の朝刊でも国際大学院の講師という人を引っ張りだして、また慰安婦問題に火種を補給している。
問題をこれほどこじらせたのは当の朝日なのだから、原点にかえってほしいものだけど、彼がもどるのはつねに、自分がこじらせて以降のどこかでしかない。
今日の講師サンはにっこりと微笑みながら、強制連行があったどうかは問題ではないという。
被害の実態について、事実誤認も見受けられると書いている。
慰安婦についてまだ調査されてない資料が残されているはずだから、きちんと調査をすべきだという。
韓国政府と協力しあってそれをやれという。
もっともな意見のように聞こえるけど、韓国はおそらく協力しまい。
自分たちに都合のいい資料があるものなら、とっくに、無理やり掘じくり出しても公開しているはずだし、ゆいいつの味方の朝日新聞が謝罪したいま、精査すればするほど自分たちの主張に根拠がなくなるだけだろうから。
にもかかわらず、いまだに過去に議論の尽くされた話をむしかえそうとするこの講師サンにあきれかえる。
こういう講師サンを担ぎ出して、いまだに慰安婦問題にしがみつこうという朝日新聞にあきれかえる。
最後に、それでも朝日の購読をやめないわたしにあきれかえる。
わたしは朝日の良心に期待してんだけどね。
慰安婦問題については、これからも識者に随時語っていただく予定だそうだ。
日本の慰安婦にしがみついているあいだに、世界のいたるところで、この瞬間にも、大勢の女性の人権が踏みにじられていることには考えが至らないのかねえ。
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2014年12月29日 (月)
昨夜はカラオケに行ってきた。
そのまえが蕎麦屋で、今度はカラオケというと、ものすごく遊び歩いているように思われてしまいそう。
でも1100円の山かけそばと、柿のタネやピーナツで水割りをがぶかぶ飲んだくらいで、そう思われちゃ迷惑だ。
しかもわたしは大のカラオケぎらいで、歌は1曲もうたわなかった。
近所の店だから往復とも歩きである。
ふつうに晩メシを食ったってこのくらいはかかる。
自分でも悲しいくらい耐乏生活をしてるのだ、わたしゃ。
カラオケというものはあまり食通が行くところではない。
お酒は焼酎が定番で、食べものはたいてい乾きモノ、たまに漬け物があるくらいだ。
歌が好きならまだしも、わたしはひどい音痴で、人まえでうたって他人の迷惑をかえりみない人間じゃないから、すみっこで小さくなっていた。
なんでそんなところへ行ったのか。
じつは年内で閉店するというカラオケ店があって、閉店パーティをやるという。
店の経営者と常連客がたまたま知り合いだったし、来年からはもう誘われなくなるのだから、最後ぐらいいいだろうと出かけたのである。
そしてやはり、ずいぶん肩身のせまい思いをした。
うたわない人間が行くところじゃないと、カラオケ店で、これまでも何べん思ったことか。
どうしてこんなくだらないものを発明したのかと、カラオケの考案者に文句をいいたくなるけど、潮流あらがいがたし。
これは20年前の中国にもあったし、2年前のロシアにもあった。
本場の漢字とキリル文字でも、読み方は両方とも日本と同じ “カラオケ” だったよ。
トホホ。
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2014年12月28日 (日)
昨日は蕎麦を食ってきた。
前々項で旨い蕎麦屋をネットで検索したと書いたけど、すると、なんと、わが家の近所にも旨そうな店があることがわかったのである。
店の名前は、と書きかけて、しばし逡巡。
他人の店をグルメでもないわたしが勝手に評価することの罪の深さに愕然としたのである。
じっさいにはそれほどのこともないけど、なにしろ口コミなんてもののキライなわたしのこと、うっかり本音でものを書いて、店が傾いたり、逆に客が殺到しても迷惑だ。
そうかといって、店名も明かさないのでは、フィクションではないかと疑われそう。
それで興味のある人にだけわかるというナゾナゾみたいな書き方をする。
わたしが住んでいるのは東京の三鷹市で、近くに東八道路という立派な道路が走っている。
この近くにわたしの車の面倒をみてくれてるトヨペットの販売店があって、そこでわたしの担当はSさんという可愛い女の子だ。
そんなことはどうでもいいけど、くだんの蕎麦屋はこの東八道路からほんの少し入ったところにある。
入り口にワーゲンの販売店もありますと、これだけいっときゃわかるだろう。
あらかじめ調べてみたら、この店ではとろろそばが1100円もする。
しかし高いということは期待大である。
むかしのわたしは焼け跡派みたいに食べものに無頓着だったけど、最近では、旨いものには費用を惜しまないグルメ、そ、北大路魯山人や池波正太郎や開高健みたいな食通に変身したいと思っているのだ。
近いといってもその蕎麦屋まで、徒歩で20分ぐらいはかかる。
しかしこのくらいなら、いつもの散歩コースよりも近い。
散歩がてらぶらぶらと出かけてみた。
住宅地や畑のわきのめだたない場所にある小さな店で、入ってみたら想像以上に狭かった。
2人用の小さなテーブルが5つ、カウンター席が5つしかないから、満員になっても15人しか入れない。
内装はコンクリート打ちっ放しを模した(じっさいには表面処理がしてある)素っ気ない仕上げで、茶室のような単純な美しさがある。
かすかにジャズが流れていて、雰囲気はフランス料理でもおかしくない感じ。
わたしが入ったとき客は若いのがひとりだけだった。
わたしは型にとらわれない人間だから、ここはやっぱりとろろそば(あったかいほうだから正式には山かけそば)である。
山かけそばだから、出てきたどんぶりを上からながめると、白いとろろばかりだ。
細切りにした海苔と三つ葉が上品に載っている。
下に埋もれている肝心の麺は、するりという感じではなく、舌ざわりのあるほう。
たとえていえば、色気まんまんの人妻ではなく、表現がわるいかもしれないけど、田舎の美少女の肌ざわりとでもいうか。
この表現にはわたしの好みも入っているかもしれない。
わたしはスプーンですくって汁まで美味しくいただいた。
このあとが問題だけど、最近のわたしはとみに少食化しているのだ。
どんぶりがカラになるころは、腹がいっぱいで、もうこれ以上蕎麦を見るのもイヤになっていた。
おかげであとから出てきたそば湯にはまったく手がつけられなかったくらい。
それで評価が変わるわけじゃないけど、やっぱりもりかざるにしておけばよかったかねえ。
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2014年12月26日 (金)

新聞に連載されていた有馬稲子さんのインタビュー記事を読んでいたら、その最終回で稲子さんは、子供をつくらなかったのが最大のこころ残りだと語っていた。
わたしなんかがみると、彼女の人生は順風満帆に思えるけど、子供をつくって、その子をどんな苦労をしても育ててみたかった、わたしの人生、どう思いますと逆にインタビュアーに問いかけている。
その言い方には、悔やんでくやみきれない悲痛なものが感じられた。
写真で見る彼女はあいかわらず美しいけど、この新聞に載ったころの彼女は、すでに80歳を超えている。
人生さまざま。
華やかな一生をおくってきた人も、わたしみたいなどうしようもない人間も、到達した場所が似通っていたという場合があるらしい。
さあ、どうだ。
人生というものは人間の意思で変えられると思うか。
インタビューの最後で、稲子さんは現在の自分の心境についていう。
うらを見せ おもてを見せて 散るもみじ
これは良寛の句だそうである。
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蕎麦の旨い店を探している。
かっては最寄りのJR駅の近くに、ビルの一階に店舗をかまえた、今ふうでモダーンな蕎麦屋があったんだけど、あまりにハイブロウ過ぎたのか、いつのまにかつぶれて無くなってしまった。
この店では、まずお酒を飲むんだけど、酒が終わったころ、絶妙のタイミングで蕎麦が出てきた。
簡単そうでなかなか出来ないことである。
行きつけの別の中華料理の店なんか、ビールを飲みながら餃子を食べようとしているのに、ラーメンが先にきてしまうことがある。
先の店のこだわりはそういうところにあらわれていたのだ。
蕎麦屋というのは趣味が高じて始めてしまう人も多いようだけど、ここまで徹底されると、ずぼらな食通のわたしでも尊敬の念がわいてしまう。
おいしい蕎麦屋はおいそれと見つかるものじゃないので、かえすもがえすも残念だ。
それで今夜は、ベッドに仰向けに寝たまま、iPadで、ある口コミ・サイトを検索してみた。
口コミ情報というものを信用しないわたしだけど、店を探すのにはけっこう役に立つ。
夜中に目をさまして、とりあえずヒマつぶしがない場合なんかとくに。
まず、やはり近いところがいいから、最寄りのJRの駅近くを当たってみた。
このへんだけで9軒の蕎麦屋がヒットした。
この中にはわたしの行きつけの店もあって、評価はまずまずだったから、この口コミは信用してもいいのかもしれないけど、この店の、他の店と一線を画す今ふうな外観にも影響されているのかもしれない。
そうでないとしても、他人の評価ばかりを気にする自主性のない人に影響を与えたくないから、店の名前は教えない。
あとの店の評価は全部横ならびだ。
その中にもわたしの知っている店があったけど、横ならびじゃとっかかりようがない。
そこで吉祥寺まで検索範囲を広げてみた。
この街はわたしんところから近くて、しかもかなり大きな街だから、いい店がたくさんあるのではないか。
今度は1230軒がヒットした。
オイオイ。
これだけの店をすべて当たっているほど、時間も財布の中身もないぞ。
やっぱり口コミに頼るしかないのかねとよく見たら、多いはずで、居酒屋や洋食屋、ハワイ料理の店、下北沢や武蔵小金井、桜台まで検索範囲に入っていた。
そこで範囲を、三鷹や吉祥寺周辺にしぼって再検索。
するとヒットは100軒あまりになった。
しかし、これでもまだ居酒屋、ラーメン屋などが入っている。
わたしの希望は、たとえば定食やカレーライスなんかを一緒にやってない純粋な蕎麦屋なんだけど。
吉祥寺あたりの店で突出して評価の高い店はないだろうかと、わたしも徐々に口コミの影響に毒されてしまいそう。
しかしこのへんが、平均的大衆に迎合した口コミの限界なのか、突出して評価の高い店がないかわり、突出して低い店も見当たらない。
正直に☆ひとつなんてつけた日にはその店の浮沈にかかわるし(へたすりゃ訴訟沙汰だ)、☆五つをつけた日には客が殺到し、味覚なんて人それぞれなのだから、なんだ、これはと、今度はこの口コミ・サイト自体が採点されることになってしまう。
だから口コミなんて参考にすべきじゃないと思うんだけど、使い方によってはなかなか便利だ。
店の場所くらいは参考にして、ほかより少しだけ評価の高い店を重点的に、ぽちぽち食べ歩いてみようと思う。
ただ蕎麦屋というとかたちにこだわる人が多いようで、わたしみたいにとろろそばがあれば、かならずそればかり食べている人間は邪道といわれてしまいそう。
肩身がせまく生きているんだけどね。
追伸/
こないだ近くのJR駅構内の立ち食いソバを食ったら、これがみごとな舌ざわりで、ヘタな有名店顔負けなくらい旨かった。
なんだ、おまえはと軽蔑されそうだけど、当節のようにネット情報が大流行りでは、立ち食いといえども日々これ精進が必要なようで、あんがい口コミの利点は、まずい店を駆逐することにあるのかもしれない。
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2014年12月25日 (木)
選挙で自民党が勝ったのは投票率が低かったせいだとか、小選挙区制がいけなかったとか、ウチの新聞がオピニオン面で屁理屈を並べたてている。
こういうのも反権力というのかどうか。
わたしは自民党を支持しているわけじゃないけど、国民に誤った認識を植え付けるんじゃないかと、そっちのほうが心配だ。
投票率が50パーセントぐらいしかなかったから、国民の半数は自民党を支持していないというのは、いくらなんでもムチャな理屈じゃないかね。
客観的にじいっと考えてみよう。
投票に行かなかった人たちはどうして行かなかったのかと考えると、まず行っても投票したい政党がない、自分が行ったって結果は変わらないと、そのへんのところだろう。
行けば自民党しか選択肢がないから、これはおもしろくないという人もいたかも。
このへんは微妙だけど、おもしろくなくてもやはり自民党しか選びようがないという点は、きちんと評価すべきじゃないか。
ウチの新聞はこれを称して、自民党が勝ったのではなく野党が負けた選挙だというんだけど、自民党しか選択肢がないなら、勝ちは勝ち、負けは負けだ。
問題は野党にあって、低い投票率に責任を押しつければすむわけじゃない。
もうちっと素直になれないもんか。
かりに国民に銃でも突きつけて、なにがなんでも投票に行けと命令した場合、しぶしぶ出かけた人たちの投票率は、最初から行った人たちのそれと大差はないように思う。
それとももっと(だらしない)野党に投票する人が増えただろうか。
ようするにウチの新聞は、慰安婦や原発事故みたく、なにがなんでも結果ありきに持っていきたいらしいけど、投票率が上がったって結果はほとんど変わらないような気がするのである。
オピニオン面には、苦し紛れに小選挙区制をやめろという意見まで飛び出した。
よくおぼえてないけど、この制度は過去に、中選挙区制に問題があって導入されたんではなかったっけかね。
どっちにしたって、選挙制度は両刃の剣だ。
将来、野党の中から巨大保守政党があらわれて、与野党の立場が逆転すれば、今度は自民党が選挙制度を大政党に有利だといいださないともかぎらない。
そんなふうに行き当たりバッタリで、結果が気にくわないからといって、コロコロ制度を変えればすむ問題か。
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2014年12月24日 (水)
夕刊を読んでいたら、「『正恩氏暗殺』 映画、一転上映へ」 だって。
いまさらわたしがいうまでもなく、北朝鮮が文句をつければ、それが逆に宣伝になって、映画の人気が高まるのは目にみえていた。
映画を製作したソニー・ピクチャーズエンタティンメントにすれば、何億の宣伝費よりずっと効果的とホクホクではないか。
さわげばさわぐほど宣伝になってしまうという資本主義のしくみを知らなかったのかどうか、これが硬直化した帝王制度で、まわりが勝手に気をまわしてしまう国のアホなところだな。
いやいや、ひょっとすると、親子代々芸能界の大好きな “先軍統帥者さま” のいる北朝鮮のこと、映画を盛り上げて、自分の露出度をあげようという深慮遠謀かもしれない。
すでに観た人の感想によると、どうにもならない駄作らしいけど、資本主義映画の宣伝に加担したってことで、いちゃもんをつけた北朝鮮の忠実な官僚は、すでに機関銃でハチの巣の可能性もある。
むずかしいもんだねえ、あの国で生きながらえるってのは。
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2014年12月23日 (火)

フェイスブックの好きな音楽に 「ドアーズ」 を登録しておいたら、そっち方面からニュースが舞い込んできて、ジョー・コッカーさんが亡くなりましたって。
おやおや。
先日はストーンズから、ボビー・キーズの訃報が入ってきたし、わたしの世代にとっちゃなつかしいヒーローがまたひとり。
わたしの終活戦線もいよいよ急だな。
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ウチの新聞を配達してくるのはお相撲さんみたいな大きな図体の若者だ。
その彼がでっかい体を小さくして、粗品を持って、スイマセンでしたなんていってきたのが少しまえのこと。
例の朝日新聞の捏造問題が配達員の肩身までせまくしていたらしい。
べつにキミのせいじゃないからねと励ましておいたけど、今日の朝刊は第三者委員会による検証報告。
誌面を7、8面もつぶすような長い記事なんで、全部読むのには2、3日かかりそうだけど、とりあえずの印象をいうと、どうやら辞任した木村伊量(ただかず)社長に全部おっかぶせて、幕引きというか、組織の温存を図ったなってところ。
木村モト社長のほうもそれで納得しているようである。
今回の一連の騒動では、よそのマスコミからボロクソにいわれている木村サンだけど、はて、どんなものかねえ。
ある大企業でなにか不祥事が連綿と続いていて、これを正そうとする社長が現われたとする。
しかし彼が社長になるまでは、先輩に対して、それってマズくないですかなんてことはなかなかいえないだろう。
自分が社長になってはじめて、先輩たちが脈々と受け継いできた不祥事の連鎖を断ち切る権限が得られるのである。
朝日新聞の捏造はなにも木村サンが始めたわけじゃない。
むしろ彼は過ちを認め、それを正す役割を担った勇気ある社長という見方もできる。
こんなことを書くと、彼は最後までゴマかそうとした悪漢だなんていう人が出そうだけど、企業の内部事情は部外者にはなかなかわからないものである。
ゴマかすのではなく、必死で組織に害が及ばないよう、辞任後の始末を調整していただけかもしれない。
全部オレがかぶるからということで、ようやく調整がすんだってことじゃないか。
悲劇?の木村サンに対して、退職金の返納という声もあったらしいけど、それなら過去の社長さんからはどうするんだと文句をいいたくなってしまう。
貧乏人にはうらやましいような退職金を、すでにもらって退職してしまった社長や幹部の責任はどうなるのか。
勇気ある決断をした木村サンだけが文句をいわれるのは片手落ちだ。
べつに朝日や木村サンに義理があるわけじゃないけど、世間一般には風評に流される馬鹿が多いから、ついこんなことを書いてしまう。
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2014年12月22日 (月)

あまり興味はないんだけど、いちおうフェイスブックの会員になっている。
ほんのわずかだけど、ロシアに知り合いがいるもんで、そっち関係かららしく、「知り合いかも」 という顔写真が、いつもずらりと並ぶ (ここに添付したのもそのひとつ)。
婚活とまちがえてるんじゃないかと思うような、きれいなオンナの人の大胆な水着写真もある。
もっと若けりゃ相手になってもいいが、そんなに体力が続かんからねえ。
先日はきれいな娘から 「友達リクエスト」 がきた。
フィリピンの人らしいけど、ぜんぜんこころあたりがない。
こころあたりがないけど、きれいな娘からリクエストされて応えないって法もない。
彼女の友達の中に誰か共通の友人でもいるかと思ってチェックしてみたら、彼女の友達ってのは1000人もいるそうで、相手がきれいな娘でなければ、とてもいちいち探しちゃいられない。
糸をたどってようやく友人の、知り合いの、その友達らしいことがわかった。
だからなんだってのさ。
友人の先までいくと、もうわたしの会ったことのない人だし、その他大勢の中のひとりになっても仕方がないじゃん。
わたしはフェイスブックをブログと同じように、こちらからなにかを発信する手段にしか使わないことにしているのである。
(PS.) きれいなフィリピン娘からの 「友達リクエスト」。
その後、残念ながら友達の登録を削除した。
べつに害があるわけじゃないから、ほうっておいてもよさそうなもんだけど、彼女と友達でいると (友人が1000人もいる相手だから) フィリピン、そしてなぜか韓国の人からの写真が、わたしのフェイスブックにずらずら並んでしまう。
ロシア美人だけでも手におえないのに、そんなに面倒みきれんよ。
会ったこともない知り合いの、そのまた知り合いが増えて喜ぶ人の気がしれない。
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2014年12月20日 (土)
アメリカとキューバが国交正常化だそうだ。
キューバというと、北朝鮮みたいに、文句をいったらすぐに機関銃でハチの巣にされる、極悪非道な独裁国家と思っている人がいるかもしれない。
そのへんの事情を知らない昨今の若いモンにいっとくけど、キューバがいまの社会主義国になったのは、ノーテンキな日本人には思いもよらない悲惨な過去の事情があったのだ。
かってのキューバは、アメリカ資本と結託した独裁政権のもと、人民はサトウキビ畑で奴隷労働を強いられる、植民地主義そのまんまが残っているような国だった。
なんとかしなけりゃと、当時のキューバ政権に反旗をひるがえしたのが、革命家のカストロ (現在の首相の兄貴) やゲバラである。
搾取と貧困を撲滅するために命をかけた彼らのような革命家がいたからこそ、キューバ国民は貪欲なアメリカ資本のあぎとから解放されることができたのである。
政権を奪取すると、今度は自分がそれまでの政権と同じことを始める悪徳革命家も多いけど、首相になったカストロの政策はおおむね国民に支持されていたようである。
それまでのアメリカがひどすぎたのだろう。
「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」 なんて映画をみると、キューバの人々は、貧しいながらも家族の固いきずなに結ばれ、隣人とは互いに支えあって生きているようで、その陽気な気質ともあいまって、生活ぶりなんかむしろ日本人にはうらやましいくらいである。
この映画を製作したミュージシャンのライ・クーダー (米国人) も同感だったにちがいない。
社会主義の国だからとうぜん国民皆保険制度もあるわけで、「シッコ」 というドキュメンタリー映画では、安い医療設備や薬を求めて、わざわざキューバまで治療や買い出しに行く米国人が登場していた。
拝金主義に毒された医療機関や保険会社に命をゆだねなければならない米国人と、病院と墓場の心配だけはいらないキューバ人の、いったいどっちが幸せといえるのか。
しかし現代は、幸せな生き方が強欲なグローバリズムに席巻される時代である。
幸せに生きるためにも金はいるらしい。
米国の経済封鎖によって社会主義の維持に困難をきたしたキューバは、ついに米国との国交回復に踏み切った。
相手のオバマ君は、さらなる民主化や解放が必要だなんてほざいているけど、アンタにゃいわれたくないね、ったく。
と、はたから見ていてもそう思ってしまう。
この先はどうなるのだろう。
キューバがグローバリズムに組み込まれることで、この地球上に残されていた、古きよき時代の温かな人間関係と、ゆったりした生き方を感じさせてくれる国が、またひとつ消滅することになるのだけは確実のようだ。
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2014年12月18日 (木)
iPad mini の活用方法について考えている。
金をかけたくないし、マンガをこれで読みたいとも思わないから、そういうものをダウンロードしようって気はない (ネット契約はしてないけど、わが家では無線LANが使えるから、その気があればなんだって入手できるのである)。
持って歩けるものだから、街へ出たさいに呑み屋の場所を検索する人が、わたしの友人にもいるけど、わたしの iPad は、そもそもネット契約をしてないのだから、いちいち無線LANのあるところを探さなければならない。
で、いまのところ便利な活用方法としては、メシを食ったりトイレに座ったりしながら、あるいは寝たまんまで文章を書けることぐらい。
このブログ記事も、食う昼メシと読む新聞を同時にやっつけながら書いたものだ。
風呂に入りながら書ければもっといいけど、防水じゃないからねえ。
その新聞によると、経済制裁のおかげでロシアが困っているそうだ。
オバマはいったいなにをしようっていうのか。
相手が謝るまで制裁を続けようってのかもしれないけど、国と国との問題の場合、相手にもメンツというものがある。
どこかで落としどころを探らないと、ホントにロシア発の大不況になっちまうぞ。
プーチン・ファンのわたしとしては、同時にアンチ・アメリカのわたしとしては、いいかげんにさらせってところ。
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2014年12月16日 (火)

わたしは iPod (Padにあらず)を持っているけど、これは音楽を聴くためである。
スティーヴ・ジョブズは YouTube と iPod を有機的に結びつけることで、音楽好きにとって壮大で夢のような未来生活を提供してくれた。
これはソニーには、音楽コンテンツを自ら制作しているソニーには、ゼッタイに出来ないことである。
ということぐらいしか書けませんけど、ここでははソニーの没落理由を書こうってつもりじゃない。
なにしろ数千曲もの音楽 (なんなら映像まで) が尻ポケットに入ってしまうので、わたしはそれだけで満足していて、iPod でインターネットまでやろうとは考えてもみなかった。
そもそもネットをするには画面が小さすぎるし、もうひとつネット契約をするのもお金がもったいないしってわけ。
ところがそのうち、無線LAN (いわゆるWi-Fi) があれば、iPod で、無料でネットができることがわかった。
タダより安いものはない。
わたしは旅先などでインターネットをするのに、しばらく iPod を重宝した。
現在では多くのホテルに無線LANが常設されているし、公共の場所でもアンテナはどんどん増える傾向にあるので、ネットを利用できる場にはこと欠かないのである。
しかしそうやってありがたくネットを活用させてもらっているうち、老眼人間のわたしには、さすがに iPod の画面の小ささが辛くなってきた。
さて、どうしよう。
画面の大きめなスマホを買えばいいんだけど、これだと毎月の支払いが大変た。
タダより安いものはないし、だいたいわたしは電話というもののキライなアナログ人間なのである。
ぽわんと頭に浮かんだのが、友人のO君である。
彼はたいそうな財閥で、新しいIT機器が出るたびに飛びついてアベノミクスの経済政策に貢献している男であるから、なんでも家の押入れには使われていないパソコンや周辺機器が山積みになっているそうである。
おい、iPad (ここから先は Pod ではなく Pad) 持ってんだろ、アレをXX円で売れよ。
わたしが狙っていたのは iPad のミニのほうである。
なんでミニなのか。
ネットをするなら画面が大きいほうがいいに決まっているけど、旅先で使うことの多いわたしにとって、持ち運びの容易さということは重要な条件なのである。
大きさと軽便さの両方を計りにかけると、やはりミニが最善の選択肢だったってわけだ。
わたしの威丈高な態度が気にくわなかったのか、最初はぶつぶつこいていたO君だけど、けっきょく売ってくれることになった。
値段についてはいろいろあったものの、IT機器の宿命として、新品でも1年経てば2/3、2年経てば半値、3年で価値は1/5に下落し、5年経ったらもうただの粗大ゴミということがある。
まあ、お互いに納得のいくもんじゃなかったろうか。
え、O君、読んでるか、このブログ。
認知症の不安をかかえるわたしには無謀だったかもしれないけど、とにかくそういうことで、こないだの週末からわたしの iPad 生活の始まりだ。
これからはベッドに仰向けに寝たままで文章が書けるのだ。
横着なわたしがますます横着になりそう。
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2014年12月15日 (月)
なんのかんのといってみても、日本人の良識が示された選挙だったんじゃないだろうか。
こんなことを書くと文句をいう人がきっといる。
しかし抜き打ち解散だ、野党の準備不足だなんて不平をいってみても、政治の流れを冷静にみれば、どこをどうしたって自民党の圧勝は確実だっただろうから、負け惜しみみたいなもんだ。
アベノミクスに批判はあっても、それじゃあ何もしないほうがよかったのかと問われて、対案を出せる人がひとりでもいるだろうか。
対案を出せない民主党が落ち目なのは当然として、安倍クンよりもさらに右翼的とされる平沼サンの次世代の党も敬遠され、受け皿として絶妙のポジションにいる共産党も社会主義を打ち立てるにはほどい遠い。
これが日本人の良識というものだ。
今回は沈黙ぎみの無党派層だって、自民党の一党独裁が20年も続いて、またおごれる自民に逆戻りすれば、そんときは見ていろって気持ちに違いない。
良識といえばヘイトスピーチというものがある。
これについては外国からも非難されているようで、法律で禁止しろなんて声もあるけど、さてどんなものだろう。
わたしのまわりにヘイトスピーチを支持する人はひとりもいないし、在特会 (在日特権を許さない市民の会) のデモに参加する人もいない。
声がでかいから目立つけど、連中の支持者が日本人の人口に占める割合はどれだけのものなのか。
どんな社会にも不満をもらす人や問題を引き起こす人はいるもので、それがぜんぜんない社会のほうがよっぽどコワイ。
大声でわめかれて気分はわるいだろうけど、訴え出れば、先日の京都朝鮮学校の裁判でみたとおり、日本の司法はけっして在特会の肩は持たない。
政治家が法律まで持ち出して規制しようとしないのも、これが言論の自由を守る日本の良識だからだろう。
ヘイトスピーチが国民の総意になっちゃ困るけど、ほんの少数なら、かえって良識的な社会の証明なんだよと、在日の人々に説明しちゃあもらえまいか。
え、新聞屋サンと詰問しようかとおもったけど、ウチの新聞 (朝日) じゃ無理だな。
読売か産経に頼むか。
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自民党にも民主党にも義理も恩義も感じてないから、べつに騒ぎません。
共産党が増えてもべつに嬉しくもないし。
日本の未来もぜんぜん心配してません。
軍国時代にもどるのか、中国をはぶいた大東亜共栄圏なんてものがまたできるのか (できるなら見てみたいや)、そのころまで、こちとら生きてるかどうかもワッカラナイ。
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2014年12月14日 (日)

わたしみたいなオピニオン・リーダーの発言は選挙結果に与える影響大だから、いいたいことはたくさんあるのに、しばらく政治の話題には触れずにきた。
というのはもちろんウソで、わたしがオピ・リーダーになったことは、過去にもなかったし、これからも決してないだろうと思われる。
わたしのブログなんて、読んでいる人はせいぜい3桁がいいとこで、社民党より少ないんじゃないか。
今日のアクセス数はどのくらいかと確認してみたら、2、3日前からわたしのブログを提供している@ニフティのようすがおかしいね。
正確な数字が表示されなくなっているみたいよ、えっ、ニフティさん。
なんかメンテナンスの最中らしいけど、困るよな。
欲求不満の解消のために書いてるんだから、アクセス数なんかどうでもいいやとイバってみても、やはり多いほうが少ないよりはおもしろい。
わたしんところに iPadMini が来ましたんで、いま音楽や映像をコピー中。
こういうヒマつぶしがあると、休日も退屈しないですむ。
なんで iPad が必要なのか、どうやって手に入れたのか、そのへんの事情はそのうちに書くつもり。
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2014年12月12日 (金)
夕刊を読んでいたら、気になるフレーズがあった。
『投票まであと2日』 だって。
え、2日?
まだ1週間先だと思ってた。
でも、14日だよね。
間違いない。
なんだ、なんだ、なんだ、この2週間の早いこと。
やっぱりな。
わたしの認知症が始まったのは昨日だったみたい。
トホホ。
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2014年12月11日 (木)
友人からメールがきたので返事を出した (つもりだった)。
そのあとアジの開きと塩辛で軽くイッパイやり、さらにそのあと納豆と御新香でメシを食った。
ずいぶんお手軽な食事だけど、手のこんだオカズを作るのがおっくうで。
そのうちなんとなく気になって、メールボックスをチェックしてみたら、友人に送ったはずのメールの痕跡がない。
電話してみたら (最初からそうすりゃいいものを)、メール届いてないよという。
うーむ。
なにものかがひしひしと迫ってくる感じ。
芥川龍之介の 「歯車」 みたい。
選挙が迫っているし、世間にもの申すことはたくさんあるから、ブログでも書こうかと思ったけど、ああいえばこういう、こういえばああいうの社会を考えると、頭を使うのもおっくうだ。
ただパソコンの前で終日ぼうーっとしているばかり。
おかしいねえ。
ひょっとすると始まったにかもしれないな。
今日の日付に○をつけておくか。
2014年12月11日、この日はわたしの認知症が始まった記念すべき日かもって。
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2014年12月10日 (水)

今日の新聞の一面の見出しは 「特定秘密法が施行」 で、べつのところには 「古都で続くヘイトデモ」 という記事。
ウチの新聞は秘密法については、これが拡大解釈され、国民の知る権利が侵害されると、声高に訴えている。
その一方でヘイトスピーチを取り締まるための法制化を急げと訴える。
あっちは拡大解釈が心配だけど、こっちはぜんぜん心配ではないらしい。
またひとつダブルスタンダードで、ああ、もうわけがわからん。
愚衆政治の発生原因はマスコミだな。
選挙、行かんぞ。
散歩に行ったらくたびれちゃった。
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2014年12月 9日 (火)
わっ、すごい!
8日間連続してブログのアクセスが3桁だ。
このまま頑張りたいけど、なかなかそうはいかないのだ。
西表島の話が一段落して(最後は3話分まとめて載せるというやっつけ仕事で)、昨日・今日はひさしぶりに部屋の掃除だ。
ガスレンジのまわりの油汚れをのぞき、部屋のガラス戸をみがいて、それだけでへたばった。
でもブログ更新の重圧から解放されて、あー、気持ちイイって気分。
ほうっておいてくださいな。
まだ生活保護は受けてません。
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2014年12月 7日 (日)

翌日は帰京という日の夜、石垣島の行きつけの店で知り合いとイッパイやった。
沖縄の県知事選に立候補していた喜納 (きな) 昌吉さんに出会ったのはこの夜のことである。
たまたまカウンターのわたしたちのとなりに、ひとり旅の若者がすわっていた。
彼のほうから地元の人ですかと話しかけてきたので (なにしろわたしはTシャツに短パン、ゴムぞうりというスタイルだったので)、いいえと返事をして、すこし先輩風を吹かすことにした。

この若者は八重山が初めてだという。
この日に石垣島に着いて、2日後には帰るのだそうだ。
どんなところへ行ったらいいでしょうかと訊く。
そんなことをいわれたって、彼がわたしと同じ趣味を持っているかどうかわからないから、いきなりわたしの好きな場所を推薦するわけにもいかない。
たった3日間の滞在で行けるところもかぎられている。
西表島まで渡るのはムリだろうから、けきょく月並みな石垣の観光地や竹富島を教えてやって、さらに30年まえの西表島がいかに美しかったかを強調しておいた。
いいところだよ、カニがたくさんいてね。
へえ、そうですかと、彼がカニが好きかどうかしらないけど、いくらかその目が輝いたように思えた。
わたしがキミみたいに、ひとりで初めて八重山にやって来たのは、そうさな、昭和58年の夏の終わりだから、西暦でいうと1983年で、いまから31年もまえのことだ。
そのころ司馬遼太郎が週刊朝日に連載していた紀行記に、竹富島の記述があって、それにひかれて来たんだけどね、うん、宿屋に同宿した女の子たちと仲良くなって、その子の写真ばかり撮ってひんしゅくをくらったもんさと。


ここに載せた3枚の写真は、上は以前にもこのブログに掲載したことがある、西表島の鳩離島ってところで撮影した同宿の女の子2人。
下の2枚はそのときのダイビングボートの上にて。
そんな話をしつつ泡盛を呑む。
ついでに若者にも1杯勧める。
マグロの刺身を一切れ食べる。
マグロは石垣周辺の海で獲れたそうで、値段はひじょうに安い。
帰京してからこの写真をながめてしみじみと思う。
ボート上の写真に盛大な夏の雲が写っているけれど、それが流れて2度と帰らないように、わたしの青春も2度と帰ってこないものなのだ。
それどころか、ぼちぼち終活を考えるトシになっちゃった。
あのときの雲よ、いまいずこ。

感傷をさておいて現実に引き返すと、ひとり旅の若者はこの晩の宿が決まっておらず、安ければそれにこしたことはないというから、わたしが案内して 「すどまり館」 に連れて行ってやった。
なんの、山小屋よりはマシだよと注釈つき。

この若者とはすどまり館の階段の下で別れたけど、わたしは自分の宿へ帰る道すがら、30年まえのわたしも彼と同じだったよなと考える。
個人の命には終わりがあるけど、人間の人生は他人にバトンタッチされて、ずっと続いていくもののようだから、また30年後に、こんどは彼が新参の若者に西表の素晴らしさを語ることになるんじゃないだろうか。
そのとき西表島はどんなふうになっているだろう。
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もう12月で、北国では寒波襲来だとか大雪警報が発令されてるっつうのに、沖縄で泳いできましたなんてことを書くのは抵抗がある。
そろそろ幕を引きたいんだけど、でも最後にどうしても書いておきたいことがある。

この紀行記のいちばん最初に、白浜で刺し網漁を見物したことを書いたけど、朝になって水揚げをしている漁師の中に、片方の腕がマヒした身障者というべき老人がいた。
この老漁師、髪はすでにまっ白で、こけたほほを白い無精ヒゲがおおい、口を開くと残った歯が2本しかないことがわかるから、歳はおそらく70歳を超えているだろう。
漁師というのは呑兵衛が多く、生活も豪快な人物が多いから、てっきり飲みすぎがたたって不自由な体になったのかと思い、それとなく周辺の人に聞いてみたら、この人は子供のころポリオ、つまり小児まひをしたのだそうである。
ポリオ。 障害。 終戦の前後。
八重山のそれはいったいどんな時代だったのだろう。
世間一般の傾向は知らないけど、刺し網というものは夫婦でやっている場合が多いから、ふつうは2人がかりでやる仕事のようである。
ところがこの老人は、小さな小船をあやつり、ひとりで網を投じ、またひとりでそれを上げるという作業を、不自由な腕で生涯にわたって繰り返してきたのである。

民宿のおかみさんの話では、若いころの老人に奥さんを紹介しようという話もあったそうだけど、彼はそれを受け入れなかったのだという。
その偏屈さの原因に絶望や反感など、なにか悲痛なものが感じられるけど、わたしの余計な感慨だろうか。

ある日の午後、わたしが岸壁のようすをながめに行ったら、この老人がひとりで、ポンコツの軽トラックに乗ったまま、じっと海を見つめているのに気がついた。
心底から海が好きなんだなと思う。
それと同時に、愛するものは海だけだったのか、頼れるものは海しかなかったのだろうかと考えて複雑な気持ちになる。
老人の人生には、浮ついたバブルの好景気も、その後の四苦八苦の日本経済も、アベノミクスも株価の動向も、パソコンやインターネットの隆盛も、ぜんぜん関係なかったにちがいない。
そういうもののすべてがこれからも、また老人と関係ないところで、つぎからつぎへと蜃気楼のように移り変わっていくのだろう。
なんとか籠絡しようとする魑魅魍魎に対して、釈迦はまったく動じなかったそうだけど、この老人も俗世界をかたくなに遮断して生きてきたのだ。
彼の目のまえにあるものは、いつも、ただ海だけだったのだ。
そんな孤独と苦渋が、この老人の顔をじつにいいものにしていた。
わたしは聖人にも哲学者にも会ったことがないけど、たぶんこんな顔をしているんだろうと思う。
西表島の周辺の無人島には、ターザンと呼ばれる老人が自給自足で暮らしてるそうだけど、そちらは自らすすんで世捨て人になったんだろうから、どこか久米の仙人みたいな余裕が感じられるのに対し、ポリオの老人の生き方には畏敬の念さえおぼえてしまう。
ヘミングウェイの 「老人と海」 の主人公は、この老人のほうがよっぽどふさわしい(スペンサー・トレイシーよりは)。

この老漁師の逆境にみちた人生から不撓不屈の精神を感じとり、彼のおかげで励まされたという人もいるかもしれない。
しかしわたしの厭世的な人生観は変わらなかった。
わたしたちのひとりひとりが、何ものか (いわゆる宗教じゃない) に支配されていて、それは動かしようのないものだというあきらめの気持ちが、ますます決定的になっただけである。
わたしはいくら考えても答えの出るはずのないものについて、また考えてしまう。
報われずに終わる場合があるとしたら、人生とはいったいなんだろう。
わたしたちはなんのために生きるのだろう。
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西表島を代表する野鳥のアカショウビンには、今回いちども出会えなかった。
聞いたところでは、冬になるとどこかへ移動してしまう渡り鳥なんだそうだ。
あの赤い鳥が大海原の上を飛んでいくさまは、想像するとちょっとおもしろいけど、不在というのは野鳥愛好家としてはちと残念。
ほかにも西表には白いサギ、黒いサギ、アオサギなんてのがいたけど、6月にはたくさん見かけた紅いサギ (アマサギ) が1羽もいなかった。


白浜の旅館ではすばらしい貝の標本コレクションを見た。
宿の主人が集めたもので、もともとちゃんと生きていたというから、中身は食べられちゃったのだろう。
小さな白いタカラガイに目と耳を描いて、ウサギに似せたものがあったのには笑ってしまった。
海の中にはじっさいにウミウサギという貝がいるのである。
ほかにもめずらしいもの、貴重なものがたくさんありそうだけど、生きた貝は海に潜らなくちゃ見られない。

ほかに見たもので、めずらしいものというと、小さなホタルくらい。
ひじょうに小さな光なので、どんなホタルなのか確認しようとしたけど、数は少ないし、懐中電灯のライトが切れてしまって、本体を確認することができなかった。
これがいちばん華やかなのは春から夏にかけてらしく、最盛期には光の帯のようになって、それはそれはみごとらしい。
また来年来ようっと。

前回の旅、今回の旅を総括してみると、どうも期待はずれである。
もちろんこのブログにもたくさんのカニの写真を載せたように、いるところにはそれなりの生きものがいるんだけど、わたしが期待していたほど多くないのである。
わざわざ深夜の干潮時間帯に、月明かりの干潟をうろうろしてみたこともあるけど、見たのは動かないナマコぐらいだった。
これはいったいどうしたことだろう。
30年まえに見た景色は、その後わたしの頭の中で勝手に増幅して、じっさいよりもずっと多様な生きものの世界をねつ造していたんだろうか。



いやいや、そうじゃあるまい。
ようするにわたしの過剰な期待と、いいかげんなその態度に原因があるのだ。
野鳥を見たければバズーカ砲みたいな望遠レンズと迷彩服で密林に張り込み、爬虫類が見たければハブの血清を持って藪をかきわけ、カエルが見たければぬめぬめとした湿地帯をさまよい、昆虫が見たければ防虫ネットをかぶって夜中にライトをかざし、魚が見たけりゃ腰にウエイトをまいてダイビングとういう、このくらいの根性がなければほんとうの自然なんて見られるはずがない。
行楽の延長みたいなスタイルで、そのへんの山道でかんたんに見られると思うのがマチガイなのだ。
あらためてナショナル・ジオグラフィックなどのカメラマンに敬意をあらわすとともに、小さなお子さんを連れて、ぜひ西表島で自然学習をさせたいと考えているお母さんたちに、この島の自然の多様性は (矛盾しているように聞こえるかもしれないけど)、やっぱり日本最大のものであると断言してしまう。
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2014年12月 6日 (土)

わたしのようなネット病患者はインターネットが使えないと生きていけない。
そのかわり無線LAN (Wi-Fi) とネット端末がありさえすれば、無期刑をくらって独房に放りこまれても、けっして退屈しないと断言できる。
なんでそんなに無線LANかというと、インターネットがありさえすれば、素泊まりの民宿だって、タダで読める膨大な数の本、辞書、図鑑を備えた、巨大な図書館になるからである。
それがあれば、レポートや論文のひとつやふたつ、わたしは無人島にあっても仕上げてみせると豪語してしまう。
しかもこれは映画館にもなり、ジュークボックスにもなり、通信機器にもなるのである。
退屈なんかするはずがないではないか。
そういうわけで西表島におけるわたしは切実にインターネットを欲していた。
ケータイやスマホ、タブレットなら、たいていそのままでインターネットができるけど、わたしが持参した iPod はネット契約をしてないから、無線LANでないとダメなのである。
いまや日本に来る外国の観光客の大半が、ホテルを選ぶさいに無線LANの有無を訊くという。
今回の旅では石垣、西表あわせて5つの宿を利用したが、このうち無線LANが使えたのは、石垣島で泊まったふたつの宿だけだった。
連絡船ターミナルから近い 「ホテル・ミヤヒラ」 は、わりあい豪華なホテルだから使えて当然だけど、格安民宿の 「すどまり館」 にもあったには感心した。
反面、西表で泊まった3軒の宿屋では、無線LANが使えるところはひとつもなかった。
ただしいずれの宿も桟橋から5分以内にあり、そこまで歩けば無料のLANがあったから、とくに不自由は感じなかった。
夜は消灯されてしまうのでく、ジュースの自販機の明かりでネットというのが難点だったけど。
西表島である晩、例によって夜中に桟橋に行ってみたら、欧米人のカップルが、男はスマホでインターネット、女はベンチでふて寝をしていた。
この時期、上原港の連絡船は欠航していることが多く、意思疎通の不自由な外国人がそうとも知らずに港へやってきて、船が欠航していることを知ったときにはすでに路線バスもなく、どうにも身動きがとれなくなって、こんなていたらくになったものとみえる。
気のドクだけど、呉越同舟みたく、わたしもしばらくネットでヒマつぶしをした。
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ウタラ炭坑を見学に行ったとき、かたわらを流れる浦内川の支流に魚影が濃いのに感心したので、ひとつ実験をしてやれと、後日パンやソーセージを持ってもういちど出かけた。
釣りじゃないけど、そういうものを投げ込んだら、ひょっとするとピラニアやピラルクーのような怪魚が飛びついてくるのではないか。


炭坑へ行く道からほんの少しわき道にそれると、現在では使われていないコンクリートの古い橋があり、そのすぐ下に夏のあいだだけ使われていて、いまはお休み中のボートが2隻つながれていた。
まわりは静寂そのものの、いちめんマングローブの森である。
橋の上からパンくずを投げ込んでみた。
パンくずはゆっくりと上流へただよっていく。
ただよっていく方向が逆だけど、このあたりの流れはまだ干満の影響を受けているのである。
しばらく見ていたけど、なんの音沙汰もない。
水面も、まわりのマングローブの森も、あいかわらず森閑としているばかりである。
クリームパンだったのがいけないのかもしれない。
パンくずではダメなようなので、つぎに糸でつるしたソーセージを川に沈めてみた。
小指ほどあるソーセージだから、丸呑みする魚はいそうにないけど、でっかいカニが釣れるかもしれない。
わたしは同じ方法で、家の近所でザリガニを釣ったことがある。
結論からすると、こちらも音沙汰なし。
どうもこのへんの生きものにとって、パンやソーセージは口に合わないようだ。
浦内川のクルーズ船でパンくずをまいたときには、小さなサヨリが群がってきたんだけどね。


川の魚がダメでももうひとつ試してみたいことがある。
この橋の近くに土を盛り上げた噴火口のような穴がたくさんあいていて、家主のすがたは見えないけど、これはオキナワアナジャコの巣らしい。
どういうわけか水ぎわでなく乾いた登山道の近くに多い。
アナジャコは夜行性だというけど、目の前にエサがぶら下がってくれば、いてもたってもいられずに飛びつくのではないか。
カニの仲間はたいてい見境がないほど貪欲で、西表の別の場所で試したヤドカリや、わたしの家の近所のザリガニがそうだったのだ。
穴の入り口からソーセージをそろそろと下ろしてみた。
深さが1メートル半もあったにはたまげたけど、家主が飛びついた感触がない。
ゆっくり引き上げてみたけど、ネコみたいにじゃれつく様子もない。
これも空振りだった。


ぐっすり寝ていたのだとすれば、野生動物にあるまじきやつで、写真が撮れなかったから、最後の2枚の写真はネットで採集したものだ。
こんな調子で、ウタラ炭坑までの道のりにどんな生きものがいるのか確認する作業はことごとく失敗した。
しかしここの生きものを釣るのは簡単ではないということがわかっただけでも、実験の成果はあったというものだ。
このつぎに機会があれば、もう少し複雑な方法で試してみようと思う。
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2014年12月 5日 (金)


今回の旅ではしょっぱなに、石垣島で、別のツアーでやってきた知り合いたちと落ち合った。
彼らのほとんどが八重山ははじめてなので、いちおうベテランのわたしが案内係りということになってしまった。
わたしにそんな気は、けっしてそんな気はなかったのだけど、大人が6人も7人も集まれば宴会になってしまうのは仕方がないことである。
2日あるのだから、最初の晩はささやかにという申し合わせもすぐにパーになって、2日続きの盛大などんちゃん騒ぎになったのも仕方がないことだ。
彼らはヤシガニが食いたいという。
ヤシガニならむかしわたしも食べたことがある。
ミソが濃厚でひじょうに美味しかった。
沖縄本島の市場ではまるごと冷凍モノになって売られている。
西表島あたりでもいるところにはいるらしく、船浮のかまどま荘の親父さんの話では、ヤシガニのいるところにはたいていハブがいっしょにいるよとのこと。
とにもかくにもめずらしいものを食いたいという不遜な連中を引き連れて、石垣島の繁華街にある大きそうな郷土料理の店にくりこんだ。
店ではヤシガニありませんという。
なんでも現在は絶滅危惧種なので、おおっぴらには食べられない動物になっているらしい。
残念だけど、法律をおかしてまで食べる必要もないわけで、全員がすんなりあきらめた。
みなさんも食べちゃいけませんですよ。
ヤシガニはじつはヤドカリの仲間である。
ということはよく知られていて、しかし彼が入れるほど大きな貝の殻はないから、西表で見た写真では漂流物のポリバケツをかぶっているものがあった。
わははと笑ってしまうけど、これも深刻な廃棄物問題と考えると、笑っちゃいられない。
なんでも食べるゴキブリみたいなやつで、よその国じゃプラスチックのゴミ缶のふたを開けて生ゴミをあさっているらしい。
それが原因で食べると食あたりする場合もあるそうだから、命の惜しい人はやっぱり食べないほうがよさそうだ。


ヤシガニの写真がないから、例によってネットで見つけたものを。
最後の2枚の写真はわたしが撮ったもので、上は海岸で見つけた近縁のオカヤドカリだけど、頑丈そうで毛深いハサミが、なんとなくヤシガニの幼体を思わせる。
わたしのやったソーセージをおいしそうにつまんでいるところ。
するとべつの場所にいたちんこいヤドカリが、ボクにもちょーだいって。
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西表島にはかって温泉があったそうである。
現在はそれを汲み上げる費用が負担になって、温泉は廃業したそうだけど、温泉宿は「ジャングルホテル・パイヌマヤ」 という名前でそのまま残っている。
バス通りからこのホテルへ入ってゆく道は、褐色のサンゴが敷かれ、両側は天然の藪という感じで、ちょっと雰囲気がおもしろい (最初の写真)。
客がいてもいなくても、路線バスはわざわざこのホテルの玄関まえに横づけしていくから、西表ではわりあい高級なほうのホテルであると思う (泊まったことがないからわからない)。

バス通りからホテルへ入るカドっこに、土産もの屋のような一軒家が建っている。
レンタカーでドライブ中、ジュースでも買おうと寄ってみた。
おもてから見ると、沖縄の赤瓦民家を模した魅力的な平屋で、のれんのかかった引き戸式のガラス戸をあけて入る。
これはじつはただの土産もの屋ではなく、「芭蕉庵」 という草木染めを扱う民芸品店だった。
ジュースなんか売っていそうにないけど、もののついでで入ってみた。
店内に、四方10メートルをパッと明るくするようなオーラを備えた女性がいて、さんぴん茶でよければ出してあげますという。
あわててそれを制し、店内を見まわした。

展示されているのはストールやTシャツ、フリークロス、そしてポーチのような小物の繊維製品で、女性の説明では、みんなモモタマナやマングローブなどの沖縄の固有植物、もしくは自家製の藍で染めたものだそうだ。
店内の一角に古色蒼然とした機織り機が置いてあって、すべて手作りだという。


高いんでしょうねと、貧乏人のわたしはつい不躾けなことを聞いてしまう。
そんなことはありませんよといって、彼女はTシャツのタグを見せてくれた。
なるほど、よそいきにするつもりなら、わたしにも買えない値段ではなかった。
色は淡いブルーや褐色のものが多くて、赤や黄色なんて派手なものはないけど、若い人が着てもけっしておかしくはない、落ちついた色調のものが多い。
この女性は福岡の人で、東京で勤め人の経験もあるというから、旅好きなOLが旅先で民芸品にふれ、のめり込んで、ついには現地に永住までしてしまったというパターンらしい。
店では染色の体験工房もやっているというから、この店からまた新しい創作家がそだつ可能性もある。
独身とは思えないけど、あまり笑顔の愛くるしい女性だったので、帰京してからついネットでこの店のことを調べてしまった。
店の代表は男性になっていたから、これが彼女のダンナかもしれない。
スコーシだけ気になる。
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2014年12月 4日 (木)


西表島の報告ばかりしているうち、いつのまにか紅葉の時期も過ぎて、世間は冬に突入だ。
今日ひさしぶりに散歩に行って、わずかに残っていた紅葉の写真を撮ってきた。
たまにはこういう写真も載せないと、いよいよ世間知らずになってしまう。
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この旅では涼しい日が多くて、とても泳ぐ気にならなかったけど、1日だけ真夏に逆もどりしたような日があった。
そのときは白浜に泊まっていたから、ここはひとつ、海ひとつへだてた船浮まで渡って、前回の旅で泳ぎそこなったイダの浜で水中撮影をしてこようと考えた。
イダの浜について、前回、前々回の八重山紀行にも書いたけど、原始のままの自然を残した美しい浜である。
なにしろ人工の建造物が、沖に見える小さな無人灯台をのぞけば、ひとつもない。
背後の森の中に、いくらか人間の営みを感じさせるものがあり、これは増殖の気配があるから要注意だな。


わたしは30年まえにはじめて西表島に来たとき、ダイビングボートに乗って、網取湾というところで昼食をとったことがある。
そのとき海岸でシュノーケリングをしたんだけど、その海の美しさに身もだえするほど感動した。
ここでは足のつく深さのところに、盆栽のようなサンゴやソフトコーラル、イソギンチャクが点在し、そのまわりにクマノミやスズメダイなどのカラフルな小魚が群れていた。
いまでもあれは夢かまぼろしかと思うくらい、それは美しい忘れられない光景だったのである。
わたしが30年後にふたたび西表を訪問したのは、ただただあのときの海をもういちど見たいと念願したからなのだ。

さて、イダの浜である。
自分の足で波打ちぎわまで行ける海としては、ここは全日本でも特筆するほど (オーバーじゃない) 美しい海である。
石垣島の巨大ホテルから、わざわざ 「美しい海で泳ぐツアー」 なんてのが出ているくらいだ。
たぶんここへ行けば、30年まえの海をもういちど見られるだろうと、わたしは期待してやって来たのだけど、さて首尾はいかに。

この日にイダの浜で泳いでいたのは、若者のカップルやグループが4組ほど。
ちゃんと薄手のウエットスーツを着ているけど、あまり泳ぎは得意でないらしく、波打ちぎわでポチャポチャやっているだけだった。
そこへ高血圧ぎみのわたしが、たったひとりで沖合100メートルまでシュノーケリングだ。
なんかヒーローになっ気分。
水中カメラを持っていたから、ジャック・イヴ・クストーになった気分とでもいうか。

イダの浜は遠浅で、最初はアマモの砂地である。
アマモの最盛期はいつなのか、11月ではその量はあまり多くなかった。
そんな砂地の上を、まわりの色にとけ込んだフエフキダイが、幽霊のようにおよいでゆく。
あちらこちらにサンゴの岩山が顔を出しているのは30年まえといっしょだけど、なんか感動する色彩に乏しく、小魚の数も期待したほどではない。
海というのは時間や季節によっても透明度がちがうから、いちがいにいえないけど、やはりわたしの期待した海はそこになかった。

きれいな小魚はまだサンゴに群がっているし、よそに比べれば美しい海であるのは事実なんだけど、どうもむかし見たものではない。
30年まえの美しい海は、わたしの旺盛すぎる想像力が勝手に生み出した妄想だったのか。
もうわたしも若くないから、あれはわたしの思い出の中に残るだけで、永遠に過去のものになったのだろうか。
ここに載せたのは今回撮った写真。
友人のノボル君が撮った写真は、じっさいに海に潜って撮ったものだからとってもきれいだけど、シュノーケリングではこの程度が限界という証拠写真だ。
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2014年12月 3日 (水)
むかし沖縄を旅したとき、民宿の主人から、沖縄で花がいちばん咲くのは冬だよなんていわれたことがある。
じっさいに来てみると、かならずしもそうではないようだけど (この旅は11月始め)、それでもいくつか目についた花がある。
じつは前回の西表訪問で、咲いている花の名前がほとんどわからず、つくづく無知を知らされたわたしは、今回の旅ではあらかじめ沖縄に咲く花の写真をネットで収集して、自分の専用のデータベースを作っていった。
ところがそうやってもやはりわからない花はあるものだ。

西表島をドライブしているとき、あちこちで見かけたきれいな花の名前がわからない。
けっきょく帰京して調べてわかったこの花の名前は、トックリキワタ。
聞いたことがないし、おぼえにくい名前だと思ったら、じつは「徳利木綿」と書くのだそうだ。
実か葉が徳利 (トックリ) に似てんのかなと思ったけど、原産地の南米での名前が “酔っ払いの木” というのだそうで、そのへんから命名されたらしい。
タネを明かされると、美人がいっぺんにおばさんに化けたようである。
わたしがパソコンで使っているハンドルネームは “酔いどれ李白” だから、これからは “トックリ李白” にするか。

もうひとつは、テイキンザクラ。
「提琴桜」 と書くのだそうで、提琴というのはバイオリンのことだそうだ。
タネを明かされると、こちらはおばさんが美女に化けたようなイメージである。
葉のかたちがバイオリンに似てるんだそうだけど、わたしにいわせるとどこが?って感じ。
ほんらいは春に咲く花だそうだから、咲遅れか狂い咲きで、年じゅう夏の沖縄じゃめずらしくないらしい。
こちらは西インド諸島が原産だそうだ。
日本では外来生物の害がよくいわれるけど、美人ならべつか。
トックリキワタなんか、庭や花壇じゃなく、山の中で、もともとあった雑木みたいにのさばっていたから、つい沖縄原産の花かと思ってしまう。
植物の世界ではグローバル化がどんどん進んでいる時代だから、原産地をどうのこうのといっても仕方がないんだけど。
トックリキワタもテイキンザクラもさっそくデータベースに加えておいた。
こうやってすこしづつデータを増やしていけば、将来は立派な沖縄専用の植物図鑑になる。
そのころわたしが生きているかどうか定かじゃないけどと、ただいま終活中のわたし。
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過去に何度か西表を訪ねたことのあるわたしにとって、今回は過去の思い出をたどる旅でもあったのだ。
思い出ってツラじゃないけど。

レンタカーで 「うなりざき荘」 に行ってみた。
ここは30年前にはじめて西表にやってきたとき泊まった宿である。
西表におけるダイビング民宿のはしりであったような宿で、バブルのころしこたま儲けたらしく、いまでは御殿のように立派なホテルに建て替えてあった。
名称もいまでは横文字の 「イルマーレ・ウナリザキ」 である。
それでもかたわらに、わたしが泊まった当時の建物も残っていた。
そちらはいまでは物置きにしか使われてないようだけど、わたしはここで福岡から来た可愛い女の子らと過ごしたものである。
過ごしたといっても、たまたま宿に泊まり合わせ、翌日はみんなでダイビングに行っただけだから、イヤラシイ方向に拡大解釈されちゃ迷惑だ。
まだ青春のひとり旅だったわたしは、この旧館の屋上で、ロマン派詩人のような顔をして、夕陽とまわりのパイン畑をながめていたものだけど、当時の女の子も現在の女の子も、ガードの固さはぜんぜん変わらない。
やれやれ。
火野正平みたいにはいかんよ。


イルマーレ・ウナリザキは、西表ではもっとも完備したダイビング宿かもしれない。
宿から100メートル歩いた月ケ浜海岸に、大きなダイビングボート2隻と、なぜかいつもそのあたりをうろうろしているクロサギ、そして完備した潜水用具の洗い場などが備わっているのだ。
便利で豪華で、映画の舞台みたいで、娘っ子ダイバーには人気がありそう。
でもあまり施設を拡大しすぎると、リーマンショック後のスキー宿が、軒なみ傾いたと同じ状況になる可能性もある。
西表島にダイビングショップは多い。
この島が日本で最後に残されたダイバーの楽園であることは認めても、資本主義的にはそれぞれのショップが生き残りを賭けて、熾烈な争いをくりひろげているのかもしれない。
わたしがごちゃごちゃいうスジのもんじゃないけれど。


建物のまえで従業員らしい女の子が草むしりをしていた。
いかにも体育会らしいきりりとした美人だった。
彼女も客が多いときはインストラクターになるのではないか。
写真は上から、わたしが30年まえに泊まった旧館。
つぎの2枚が現在の 「イルマーレ・ウナリザキ」。
そのあとは月ケ浜のダイビングボートと、そのあたりをうろうろしている鳥。
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2014年12月 2日 (火)
西表島の話ばかり書いているうち選挙になっちゃった。
選挙とは関係ないけど、今日の夕刊で池澤夏樹サンがいろいろ弁解していた。
なんでも池澤サンが 「桃太郎」 の童話をネタに書いた文章に、教師出身で議員をしたことのある義家なんとかサンがいちゃもんをつけ、池澤サンのまたそれに対する弁解だ。
池澤サンの文章というのは、桃太郎はなんの罪もない鬼の島を侵略して財宝を奪ってきたのだから、悪人であるというもので、童話の常識をひっくり返すもの。
これだけならへそ曲がりのわたしでも考えそうな逆転の発想だけど、義家サンにはこれが暗に日本の侵略主義を非難する文章になっているのが気にいらない。
もっとべつの見方をすれば、池澤サンの文章は朝日新聞の論調そのもので、義家サンの文章は産経新聞に載ったものだから、反朝日の立場からの意見だともいえる。
両方ともいちおう識者とよばれる人だから、ああいえばこういうのはお手のものだ。
池澤サンの文章を学生に読ませれば、作家になるために屁理屈をこねる技術、問題をそらすテクニックなどをみがくための参考になるかも。
でも、童話の 「桃太郎」 を現実の歴史の比喩に使うのはどうなんかねえ。
「桃太郎」 という童話がいつできたのかしらないけど (室町時代って説もある)、将来の日本が他国に侵略することになるなんて、作者は夢にも考えたことはないだろう。
そんな幼児向けの童話をもってして、日本人一般の心性について書くのは、そりゃマズイ。
池澤サンはこの童話に、侵略戦争の思想以外のものはないというけど、“鬼” という表現がされていれば、それはソマリアの海賊みたいに、日ごろから悪いことをしてたんだろうと考えるのが当然だ。
だから桃太郎は多国籍軍みたいなものでアルという屁理屈だって成り立つわけだ。
とにかく朝日の論調には無理なところがあるのだから、その肩をもつような文章を書こうとするとどうしても無理が出る。
無理が出るものを無理やりに書いてもらおうというのだから、原稿料は高いにちがいない。
わたしも朝日に書いてみたい。
高いという原稿料をもらってみたい。
無理だよな。
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2014年12月 1日 (月)
ぜんぜんふつうの観光旅行と変わらんじゃないかいわれてしまいそう。
今回は有名な名所であるマリュドゥの滝、カンピレーの滝へも行ってみた。
前回の訪問では、とちゅうにある展望台からマリュドゥの滝をながめただけで引き返してしまったので、これも再挑戦だ。
そのとき引き返した理由は、滝よりもそのとちゅうの森の中で見る生きものに関心があったのに、珍獣も怪獣もT-レックスも見られなかったから。
しかしもとアウトドア派のわたしだから、やっぱり滝も、いちどはすぐそばで見ておかないとマズイだろうなと考えた。


このふたつの滝へは浦内川のクルーズ船でゆく。
このクルーズについては前回の西表訪問の記事を参照のこと。
シーズンオフだけあって、観光客の数は少ない。
12時きっかりのクルーズ船に乗り合わせたのは、欧米人の老人とその通訳らしい女性のみ。
この時期にわたしの知り合いがグループで、石垣島と西表島を訪問していたけど、それは2泊3日という、忙しくて経済的なツアーだったから、ここまでは来ないはずである。

展望台までは、専門の知識がないと見てもさっぱりわからない亜熱帯の植物のあいだを行く。
前回はしょぼしょぼと咲いていた花も今回は咲いてない。
あいかわらずぐうたらな自称博物学者にはおもしろくない道だ。
小鳥の声は聴こえるけど、すがたはめったに見えない。
観光客が大勢やって来るようなところでは、やはりめずらしい生きものを期待するのは無理のようだ。

マリュウドゥの滝は閉鎖されていた。
なんでも滝の周辺で事故が相次ぎ、それで立ち入り禁止になったんだそうだ。
この滝は飛び込んだらおもしろそうな滝つぼを備えているから、アイス・バケツ・チャレンジの発案者が2階から海に飛び込んで亡くなったみたいに、おおかた昨今の無鉄砲な若者が、自分の雄姿をビデオに撮って YouTube に投稿しようとして、あやまって腹かケツを打ったかしたのだろう。
あとからやってきた観光客には迷惑な話だ。
本人の事故責任てわけにはいかないものか。
わたしも飛び込んでみたい。
立ち入り禁止の看板を横目に見て、カンビレーの滝へ急ぐ。
4番目の写真は、前回に展望台からながめたマリュウドゥの滝。


カンピレーの滝は予想していたとおり、観光名所にあまり興味のないわたしには、感動して動けなくなるようなものではなかった。
岩の表面を水が流れているだけである。
こういうのはなめ滝といって、山の多い日本ではけっしてめずらしいものではなく、最近ブームになっている滝登りのいいアタックコースになっている。
西表の滝には、流れの中に南国特有のめずらしい小動物がいるかもしれないけど、そんなものを探している時間がない。
帰りの船の時間が決まっているのだ。
船をひとつ遅らせれば時間はあったけど、“アマチュア”を強調する博物学者には、そこまでする義理かないのである。
滝のわきでカップルが写真を撮っていたけど、わたしの顔を見るとさっさと引き上げていった。
わたしのことを不審者と思ったのでなければいいが。
わたしも買っていったパンを食べただけでさっさと帰り支度をした。
山歩きには慣れているから、腕時計を見ながらてきとうに時間調整をして、わたしは船の出発のジャスト5分前に船着き場にもどった。
もどったのは14時半だから、2時間ほどの山歩きだったわけで、ま、軽い足の運動にはなったみたい。

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