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2014年12月 7日 (日)

西表Ⅱ/老人と海

もう12月で、北国では寒波襲来だとか大雪警報が発令されてるっつうのに、沖縄で泳いできましたなんてことを書くのは抵抗がある。
そろそろ幕を引きたいんだけど、でも最後にどうしても書いておきたいことがある。

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この紀行記のいちばん最初に、白浜で刺し網漁を見物したことを書いたけど、朝になって水揚げをしている漁師の中に、片方の腕がマヒした身障者というべき老人がいた。
この老漁師、髪はすでにまっ白で、こけたほほを白い無精ヒゲがおおい、口を開くと残った歯が2本しかないことがわかるから、歳はおそらく70歳を超えているだろう。
漁師というのは呑兵衛が多く、生活も豪快な人物が多いから、てっきり飲みすぎがたたって不自由な体になったのかと思い、それとなく周辺の人に聞いてみたら、この人は子供のころポリオ、つまり小児まひをしたのだそうである。
ポリオ。 障害。 終戦の前後。
八重山のそれはいったいどんな時代だったのだろう。

世間一般の傾向は知らないけど、刺し網というものは夫婦でやっている場合が多いから、ふつうは2人がかりでやる仕事のようである。
ところがこの老人は、小さな小船をあやつり、ひとりで網を投じ、またひとりでそれを上げるという作業を、不自由な腕で生涯にわたって繰り返してきたのである。

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民宿のおかみさんの話では、若いころの老人に奥さんを紹介しようという話もあったそうだけど、彼はそれを受け入れなかったのだという。
その偏屈さの原因に絶望や反感など、なにか悲痛なものが感じられるけど、わたしの余計な感慨だろうか。

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ある日の午後、わたしが岸壁のようすをながめに行ったら、この老人がひとりで、ポンコツの軽トラックに乗ったまま、じっと海を見つめているのに気がついた。
心底から海が好きなんだなと思う。
それと同時に、愛するものは海だけだったのか、頼れるものは海しかなかったのだろうかと考えて複雑な気持ちになる。

老人の人生には、浮ついたバブルの好景気も、その後の四苦八苦の日本経済も、アベノミクスも株価の動向も、パソコンやインターネットの隆盛も、ぜんぜん関係なかったにちがいない。
そういうもののすべてがこれからも、また老人と関係ないところで、つぎからつぎへと蜃気楼のように移り変わっていくのだろう。
なんとか籠絡しようとする魑魅魍魎に対して、釈迦はまったく動じなかったそうだけど、この老人も俗世界をかたくなに遮断して生きてきたのだ。
彼の目のまえにあるものは、いつも、ただ海だけだったのだ。

そんな孤独と苦渋が、この老人の顔をじつにいいものにしていた。
わたしは聖人にも哲学者にも会ったことがないけど、たぶんこんな顔をしているんだろうと思う。
西表島の周辺の無人島には、ターザンと呼ばれる老人が自給自足で暮らしてるそうだけど、そちらは自らすすんで世捨て人になったんだろうから、どこか久米の仙人みたいな余裕が感じられるのに対し、ポリオの老人の生き方には畏敬の念さえおぼえてしまう。
ヘミングウェイの 「老人と海」 の主人公は、この老人のほうがよっぽどふさわしい(スペンサー・トレイシーよりは)。

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この老漁師の逆境にみちた人生から不撓不屈の精神を感じとり、彼のおかげで励まされたという人もいるかもしれない。
しかしわたしの厭世的な人生観は変わらなかった。
わたしたちのひとりひとりが、何ものか (いわゆる宗教じゃない) に支配されていて、それは動かしようのないものだというあきらめの気持ちが、ますます決定的になっただけである。
わたしはいくら考えても答えの出るはずのないものについて、また考えてしまう。
報われずに終わる場合があるとしたら、人生とはいったいなんだろう。
わたしたちはなんのために生きるのだろう。

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