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2015年1月17日 (土)

あの世

母親の葬儀に参列しているあいだに、見知らぬ人からブログ記事にお悔やみのコメントがついた。
ありがとうございますとお礼をいって、またぞろブログの再開です。

熊谷から妻沼を経由して、国道407号を北上すると、刀水橋で利根川を渡ることになる。
渡った先がわたしの郷里だけど、そんなことよりも、上毛三山のひとつ赤城山は、この橋のあたりから見るのがいちばんきれいだ。
日光連山や上越の山からはなれて、優美に裾をひいた左右対称のその山塊は、家族を見守る厳父のように悠然としてそびえている。
上州名物のカラッ風は赤城山の方角から吹いてくるから、この土地に住んだことのある人たちにとって、冬の寒さとともに忘れられない景色である。

わたしは母親という人を見送って、すこし前に東京にもどってきたところだ。
父親はとっくに逝ってるので、母親の葬式はもっか終活中のわたしにとって、やっと重荷を降ろした感じ。

あだし野の露、鳥辺野の煙という言葉があるように、亡くなった人はこの地上から消えて、二度ともどってこない。
無神論者のわたしはあの世なんてものを信じてないから、先に行った人たちにもういちど会えるとは、とうぜん思ってない。
会えるものなら会ってみたいような気持ちもあるけど、あの世で故人に会えるとしたら、いったいどういう塩梅になるのだろう。

たとえば特攻隊の隊員を父親に持つ女性が、85歳で亡くなったとする。
彼女は父親と死別した瞬間から、ずっと父に会うことを夢見ていたから、これでようやく念願がかなうわけだけど、父親が亡くなったのが20代とすれば、彼女は自分よりずっと若い青年と再会するわけだ。
85歳の娘と25歳の父親の感激の対面。
彼らはそれでも満足かもしれないけど、ちょっとねえ。

わたしの母は、最後はほとんど寝たきりで、最後の瞬間はもう話しかけてもわからない状態だった。
こんな状態であの世で再会しても仕方がない。
会うならもっと若いころの母親に会いたいけど、そんな身勝手が許されるのだろうか。
どうせ会うなら、わたしも若返って、そうねえ、まだ世間のなんたるかも知らない小学生のころまでさかのぼって、もちろん母も30代の若い母親にもどって、それで会わせてもらうわけにはいかないものか。
ついでにそのころ母の夫だった人、近所に住んでいたなつかしい人たち、小学生のわたしといっしょに写真に収まっていた家のドラなどと、みんなまとめて再会させてもらえないものだろうか。

つまり、わたしが念願するのは、親の庇護のもとでぬくぬくと育っていた、自分のいちばん幸せだったころにもどりたいということで、社会に出て人生に悩み、母親に心配ばかりかけていた時代にもどるなら、再会なんぞしないほうがよっぽどいい。
ムシがよすぎるぜといわれてしまいそう。
やっぱりあの世なんてありそうにないな。

冷たい風の吹きすさぶ中で、畑の向こうの赤城山を見つめながら、わたしはとりとめのないことを考え続ける。

わたしの母は終生、自分を捨てた祖母という人を憎んでいた。
それが思慕の裏返しだったかどうか知らないけど、亡くなったってことで、彼女もようやく怨讐の彼方、苦しみから解放されたことになるんじゃないか。
なかなか文学的な発想であるなと思わず自己陶酔しちゃいそうだけど、これってわたしの勝手な妄想かもしれない。

あの世なんてものを肯定的に考えず、人間の存在そのものにも疑問符をつけるくらいだから、わたしは母親に二度と会えると思ってないし、それを悲しいとも思わない。
どうせそのうち自分の番がくる。
死んでしまえば喜びや悲しみの感情もいっさい無に帰して、肉体は風に吹き払われた砂のようにきれいさっぱり。
考えただけでも気持ちイイことだ。
赤城山だけはそのときも、わたしの子供のころのまんまにそびえているかもしれないけどねえ。

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