訃報
戦後生まれのわたしには、とりたてて人生に起伏があったわけじゃないけど、戦前戦後を生きた人なら、たいていはなにかしら波乱万丈の体験を抱えているものだ。
わたしの母親が今夜亡くなったけど、彼女の生きた時代はどんなものだっただろう。
まだ母親が元気だったころ、わたしはその身の上話をたくさん聞いていた。
なんでも母は幼いころに、両親と生き別れになったそうで、それが終生のトラウマみたいなものになっていた。
もっともこれは母の持って生まれた性格や、ほかの要因もあったようだ。
親と別れたのがトラウマなら、最近のように離婚が大流行りの時代には、トラウマばかりの子供であふれてしまう。
うちの母はひがみっぽい人だったから、いつまでもそのことについてブツブツいっていたけど、わたしの祖母が母を捨てたについては、それこそさまざまな人の、さまざまな事情がからんでいるようなので、いまさらそんなことをどうこう言っても仕方がない。
祖父は医者だったそうである。
ただ、どこでどう人生を踏み違えたのか、二度の結婚に失敗し、郷里にいられなくなり、函館で雇われ医師をしたあげく、最後は首すじにできた腫物のために鎮痛剤におぼれ、うちの母のぜんぜん知らない女性に抱かれて亡くなったという。
母は一度だけ曽祖父に連れられて、北海道まで父親に会いに行ったそうだけど、ヒゲを生やした怖そうな人だったので、机の下に隠れて泣いたと話していた。
わたしの手元に祖父の若かりしころの日記の一部が残っている。
それを読んだかぎりでは、ありふれた医学生の、朗々とした青春がうたわれており、この人の未来が破綻すると思える記述はどこにもない。
祖父の墓がどこにあるのかを含めて、わたしは祖父の人生の後半をほとんど知らないのである。
母に関わる人々の大部分が過去のものになった。
あの灰色の時代、焼け跡に東京行進曲の流れる時代、そういうものはすべて過去のものになった。
個人の生きざまなんぞは一顧だにせず、時間はとうとうと流れていく。
わたしの人生も、ゾウリムシかなんかのそれのように、誰にも知られないまま、やがて流れの中に埋没していくことになるんだろうねえ。
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コメント
一読者より
ご冥福をお祈り申し上げます。
投稿: | 2015年1月13日 (火) 08時22分
そんなことはないよ。
投稿: 田舎の絵描き | 2015年1月17日 (土) 01時13分
そんなことはないよってのは、埋没しないよってことですか。
埋没するに決まってます。
田舎に行って、虚飾や見栄っ張りのアホらしさに気づいたわたしは、葬式も墓もいらないとつくづく思いました。
こっちのほうから、死んだあとのわたしのことはさっさと忘れてもらいたいくらい。
投稿: 酔いどれ李白 | 2015年1月17日 (土) 07時18分
そんなことではいと思うけど・・・
投稿: 田舎の絵描き | 2015年1月18日 (日) 22時57分