雪国の宿
雪国の温泉にこもって酒を呑んでる。
母親が亡くなってまだ1週間なのにこのていたらくでは、血も涙もない息子といわれても弁解の余地がない。
でも旅行は半月まえに申し込んでおいたものだ。
このさい旅行はひかえるべきだという人もいるかもしれないけど、ウチの母は旅行にさしさわりがないように、絶妙なタイミングで亡くなったみたいである。
わたしには行け、行けという母の叱咤の声が聞こえる。
人間はなんのために生きるのか。
ただぼんやりと老いを待つだけなのか。
それは母の思いでもあったのではないか。
伊東静雄にこんな詩がある。
かしこに母は座したまふ
紺碧の空の下
春のキラめく雪渓に・・・・(まだ続く)
わたしもそのへんの木立に積もった雪の表面に、母の面影が刻まれてないものかと、あたりを見まわしてみた。
天狗やコアラやシェパードはあったものの、どうも母を感じさせる凹凸はないようだった。
なかなか詩みたいにはいかないものだ。
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