緊迫感のない会話
日赤病院に行ってきた。
神経内科である。
ある日とつぜん視野がせまくなるっていう異変がおきて、あわてて近所の診療所へ行ったら、そこでは手におえないらしく、日赤の紹介状をもらってしまったのだ。
日赤で対応したのは、ハンサムでスポーツマンみたいで、いかにも勝ち組みたいな若い医師で、年の功ならこっちだけど、ゆとりや貫禄で負けそう。
彼は落ち着きはらっていう。
症状はいつごろからですか。
そうですねえ、5、6年前ですかねえ。
なにか薬を飲んでいますか。
昨日もらった薬を今朝ひとつぶ飲んできましたけど。
そうですか。今日の具合はいかがですか。
ぜんぜん異常なしです。
まあ、注意するにこしたことはありませんね。
いや、もう、自分はずっと健康だと思ってましたんで。
みんなそういいますよ。
そうですか。そうでしょうねえ。
あはは。
ぜんぜん緊迫感のない会話である。
もっとも医師が緊迫感が持って話したら、青くなる患者もいるかも。
いちおう脳のCTスキャンをやっておいたほうがいいでしょうというから、わかりましたと返事した。
ところが、そのあとで医師のいったことがちと気になった。
体に金属は入ってませんね。
わたしはサイボーグじゃないんだけど、若いころ鎖骨を折って、そのとき骨を押さえるためにネジ止めをした。
ほっといたらネジが将来神経痛か何かのもとになりそうな気がしたので、そのときの医師に尋ねると、心配なら手術して取り出してもいいし、そのままでもかまわないとのこと。
痛い思いをしてわざわざ取り出したくないし、どうでもいいものは放っておくのがわたしの信条である。
そういうわけで、放っておいたネジはまだ数本、わたしの体内に残っているのだ。
CTスキャンをすると、体内の金属が熱を持つことがあるらしい。
やっぱりスキャンは止めておきましょうと、こんな間のびした会話では病気もたいしたことはないと思われる。
わたしの悪運はじつにしつこい。
まだまだ年金のいたずらな浪費は続きそうだ。
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