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2015年2月 5日 (木)

符牒

雪が降るっていうから、半分心配、半分期待して外をのぞいてみたけど、朝の5時現在ではまだ降ってない。
この時間に外をのぞいたのは朝刊を読むためである。

今日の朝刊の1面トップは「裁判員の『死刑』破棄確定」というものだけど、これはヨルダンの女死刑囚とは関係がない。
日本では死刑が相当とされた判決でもくつがえるのに、中東はさすがに目には目のお国柄で、後藤健二さんの崇高な意思はほとんど無視され、報復だけが目立ってしまった。

イヤな世の中だなと思っている最中、今日は新聞に週刊新潮の広告が載る日なので、そこに名古屋で老女を惨殺し(てみ)たという19歳の女子大生の見出しだ。
彼女の顔写真を載せるかどうかでひともんちゃくあったようだけど、このネット社会では、とっくにこの女子大生の顔を見た人も多いだろう。
殺してみたかったという願望を、なんの疑問も持たずに実現させちゃう娘も娘だけど、彼女って理科系だったらしいから、わたしなんかよりずっと優秀な学生らしい。
「イスラム国」にしてもこの事件にしても、なんか時代がおかしくなってるよなあ。

ひょっとすると、コレってわたしのこころの反映じゃないかって、不気味な気分におそわれることがある。
確たる証拠があるわけじゃないし、本気で書くとオカルトまがいだから、あっさりと書いておこう。

わたしは戦後の生まれだから、これまでもっとも平和な国の、もっとも平和な時代に生まれたという幸運を、ありがたく享受してきた。
わたしの世代は、自分の人生と歩みを一にするような日本の成長期を謳歌し、中年を過ぎるころ、そろそろ繁栄の山場を越えた日本と向き合い、老年になるころ今回のような殺伐とした社会に遭遇している。
もうすこし細部を説明すると、人間の意識やこころが定まる青春時代に、ビートルズに象徴されるような意識改革に直面し、中年のころにはCDやパソコンのような文化や社会の円熟期(退廃期?)に遭遇し、終活を考えるころになると、終わりにふさわしいはちゃめちゃな未来に出会うことになった。

これって偶然なんだろうか。
わたしがもう少し前かあとに生まれていれば、わたしはぜんぜん別の人生を体験することになったのだろうか。
たとえばおじいさんになるころ、ビートルズと出会って、彼らがわたしの人生になにか影響を与えることも、ぜんぜんなかったということがあり得たのだろうか。
そのへんがよくわからない。

という話はこれまで。
あまり深く追求すると、ただでさえおかしな思想にかぶれやすい昨今の若者に、どこかの新興宗教みたいなへんな影響を与えかねないから、これはあくまでわたしの個人的感慨。
あ、まだ雪は降ってこない。

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